第8話 微かな反抗

 午後3時3分。ハリアル訓練学園第一闘技場。

「こんな作戦、成功するわけがない」

 第一闘技場に集められた89人の人質。その中の5年生の男子―足柄あしがらシンヤ―が唐突にそう言った。

 彼がそんなことを言ったのには理由があった。敵を挑発し、少しでもこの状況を打開しようとしたこと。そして彼自身が、学園内ランク14位だったこと。

 敵を挑発すれば、敵がこちらに勝負を挑んでくるかもしれない。もちろん、なぶり殺されるかもしれないし、彼にとっては博打だった。普段ならそんなことはしないかもしれないが、集められた人質の中で彼が一番強かったこと、学園内トップ10が全員捕獲されていること、そういったことが彼を動かした。

「……あ? 今、なんて言った?」

 すぐに、近くにいた警備兵が反応した。その目には確実な敵意がこもっている。その目にも臆さずに、シンヤは言葉を発する。

「成功するわけがない、と言ったんだ。君達の企みは分かりきっているが、ヤジダルシア軍の力は相当なものだ。君達なんて、簡単に制圧されるだろう」

「…………」

 警備兵は黙って言葉を聞いている。冷や汗をたらしながらシンヤは言葉を続ける。

「それに、僕達は曲がりなりにも戦闘訓練を積んでいる。いくら君達が大人だからと言って、負ける気がしないな」

 挑発を続けるシンヤを、他の88人の人質は心配そうに見つめていた。止めるべき同級生達は、止めようとしない。それは、彼ならやってくれるかもしれない、という期待からだった。下級生達は彼が強いということを知っていたが、恐怖もあって、言葉を発するべきか悩んでいた。

「……なるほど、挑発か」

「……ああそうさ、簡単な挑発だよ。僕は教師陣にも勝てるほどの実力を持っているからね」

「はっ、はっはっはっ! そうかそうか、自信満々なガキだな」

「どうした、怖いのか? 僕の挑発の意味くらい気付いてるだろう? 戦おう、と言っているんだ」

 警備兵は高笑いを続けている。この様子なら、とシンヤは少し期待する。

「ま、戦って自信を粉々に砕いてやってもいいんだが、あいにくこちらにはそうする合理的な理由がない。てめえを逃がしでもしたら、こっちの命が危ないからな」

 やはりこれくらいの挑発じゃのるわけもないか、とシンヤは苦い顔をする。この先どうするかと考えながら、他の警備兵が近づいてきているのに気付いた。その警備兵は、他の警備兵とは違い鎌を背負うのではなく肩に担いでいた。

「おい、何してる」

「ん? ああ、こいつがやっすい挑発してきたからさ」

「挑発か。……いいんじゃないか、乗ってやっても」

 鎌を担いだ警備兵が発した言葉に、シンヤは少し驚く。まさか向こう側から助け舟が来るとは思っていなかった。

「いやいや、逃がしでもしたら……」

「こいつに見えるように人質の首に刃でも当ててればいい。そんな状況で逃げるような奴がどっか行ったところで、作戦に影響は出ないだろうさ」

「そうかあ?」

「そうさ。自分の命欲しさに逃げるような奴が、他のところを助けに行くか? 精々、外の軍の奴らにこの状況を知らせるくらいだろ」

「まあ……確かに」

 警備兵2人の話を聞きながら、シンヤはよし、と心の中で思う。鎌を担いだ警備兵は、シンヤのほうを見て嘲笑するような態度で話す。

「暇つぶしにもなるし、それに何よりこういうクソガキの自信を折ってやるのも悪くねえ。……お前がやらねえなら、俺にやらせろ。構わねえだろ?」

 どういうわけか、鎌を担いだ警備兵のほうがやる気になったようだ。とりあえず戦闘に持ち込めれば問題はないので、シンヤは首を縦に振る。

 それを見た警備兵は担いでいた鎌を下ろし、懐から鍵を取り出す。そしてシンヤの両手両足にかけられた手錠を外す。シンヤは立ち上がり、両手両足をブラブラさせて自由の感触を確かめる。

 ふと、後ろにいる人質達の方を振り返る。頼んだぞ、という期待の目線と、心配そうに見ている目線が一斉にシンヤに向けられていた。シンヤはその目線をしっかりと受け止めて、一度だけ深く頷いて前を向いた。

 1歩踏み出し、戦うために呼吸を整える。正直、こんな馬鹿な博打が成功するとは思っていなかった。あんなことをしたのは一瞬の気の迷いだろう。だが、博打は成功した。後はこの戦闘で勝てばいい。

 警備兵と向き合ったシンヤはハリアルを生成する。1秒弱、彼の手が光ると彼の手には双剣が握られていた。それほど長くはない、完全に近接のための武器。この双剣は、彼がこの博打に賭けた理由の1つでもある。警備兵があの大きな鎌を使うと言うのなら、間合いさえ詰めてしまえればこちらは一方的に有利な立場になれる。

「ほう、双剣か。なるほどな、それでこんな挑発をしたってことか」

 警備兵も鎌と双剣の相性には気付いたようだ。そしてくっくっと笑ってから、言葉を続ける。

「いいぜ、なら俺はこの鎌を使ってやるよ。俺のハリアルは使わないでやる」

 警備兵は、相性には気付きながらも鎌を使うと言った。さすがにシンヤも少し驚愕する。

 警備兵がその担いでいた鎌を両手に持ち直し、戦闘態勢へと移行する。さすがに気迫は十分だった。その気迫に押されないように、シンヤは双剣を強く握りなおす。

 シンヤは、息を短く、吐く。

 その瞬間、シンヤは駆け出す。シンヤと警備兵との間合いはそれほど離れてはいない。一気に間合いを詰めにかかる。警備兵は動かずに、静かにシンヤを見ている。

 間合いを詰めたシンヤは双剣で斬りにかかるが、それは鎌で簡単にはじかれる。だが警備兵はその鎌を大振りしていた。その隙を見逃さずに警備兵の懐に剣を差し込む。

 手ごたえはない。代わりに、シンヤの視界が黒で埋まる。一瞬何が起きたか理解できなかったが、それが警備兵のマントだとすぐに理解した。警備兵はシンヤの攻撃を回転することで回避して、その際に広がったマントがシンヤの視界を埋め尽くしていた。警備兵は回転の動きに合わせ、シンヤに向かって斬りかかる。

 鎌は空を斬り、回転により生じた土ぼこりで一瞬辺りが煙くなる。シンヤは後ろに下がって先ほどの攻撃を回避していた。

「ほう、案外速いじゃねえか。褒めてやるよ」

「あなたに褒められてもうれしくはないね」

 ふっ、と警備兵は短く笑う。そして声は発せずに大げさに口を動かした。来いよ、と。

 それを見たシンヤは再び駆け出して間合いを詰める。しかし、警備兵も同時に動き出す。シンヤが突っ込んで来る方向に鎌の長柄の先端を突き出す。

 それを横に回避し、シンヤは隙を突いて一瞬の内に後ろに回りこむ。そして、すぐさま左手で警備兵の背中を斬りにかかる。その攻撃は警備兵が後ろにまわした鎌により弾かれるてしまい、体勢が崩れかける。しかし、シンヤはなんとか体勢をすぐに整え、警備兵に足掛けをするが、これも飛ぶことでかわされる。

 ここで、警備兵は反撃を開始した。飛びながら体を捻り、シンヤに向かって鎌を振る。かなりの速さで振った鎌は、足掛けにより伸ばされていたシンヤの足を少しだけ斬った。その斬撃でシンヤに一瞬の隙が生まれるが、警備兵はあえてそれを見逃した。

 シンヤはその隙に間合いを抜け、警備兵を睨みながら口を開く。

「……なぜ今、攻撃しなかった!」

「これで終わったらつまんねえだろ? もっと楽しまねえとな」

 警備兵の余裕そうな態度を見て、シンヤは少し下唇を噛んだ。シンヤは乱れた呼吸を整えながら、少し危機を感じていた。今までの戦いの様子から見ると、警備兵はそこまで本気を出していないように見える。だが、その驕りから生まれる隙さえつければ勝てるとシンヤは確信していた。

 呼吸を整え終えたシンヤは、斬られた足の痛みを無視し、間合いを詰める。足を怪我しながらも、今までとほとんど変わらない速さで間合いを詰めるシンヤを見て、警備兵は驚愕から目を見開いた。

「へえ、根性あるじゃねえか」

 それだけ言うと、警備兵はシンヤから繰り出される攻撃の数々を冷静に対処していく。警備兵の様子はどこか楽しそうだった。

 それから何回かシンヤが攻撃を繰り返していたとき、戦いに変化が訪れた。シンヤの右手に持つ剣が弾かれ、彼の後ろ方向に宙を舞った。それを見た警備兵は不適に微笑み、シンヤは絶望の表情を浮かべる。そしてその隙を見逃すまいと、警備兵はシンヤに向かって斬りかかる。これで終わりだ、と警備兵が確信したとき。

 警備兵の左肩に唐突な痛みが走る。

「なっ……!」

 警備兵は慌てて左肩を確認する。そこに刺さっていたのは、つい先ほど弾き飛ばしたはずの剣。しかし、シンヤの剣は彼の背中側に飛んだはず。ありえない状況に警備兵は一瞬だけ止まってしまう。だが、目の前でシンヤが斬りかかっているのに気付き我を取り戻し、彼の剣を鎌の長柄で受け止める。

 警備兵が後退して剣をかわせなかったのには理由があった。左肩に刺さった剣の柄からは紐が伸びていて、シンヤの袖の中へと繋がっていた。つまり、このまま後退すれば、その剣は後退により生まれる力とシンヤによって引き抜かれ、左肩からの出血で動けなくなる可能性が高い。

「お前……、やってくれるじゃねえか……!」

 なぜ剣を弾いたとき、その紐に気付けなかったのか。それは警備兵の驕りから来たものだということは明白だった。

「剣を弾かれたときは焦ったが……、あなたが気付かないでくれてよかった」

 警備兵とシンヤはそのまま睨み合う。警備兵はシンヤの左手の剣を鎌の長柄で防ぎながらも、シンヤの右手を手で掴んでいた。そうでもしないと、左肩の剣は引き抜かれ、ピンチに陥ってしまうからだ。

「どうやら……、僕の勝ちのようだ」

 シンヤは圧倒的に有利だが、圧倒的に不利でもあった。この警備兵はもう戦えない。しかし、周囲の警備兵が加勢に来れば話は別だった。一気に形勢が逆転される恐れがある。

 だが、シンヤが先程のような発言をしたのは意味があった。周囲の警備兵はこちらに加勢に来るどころか、呆れたような様子だ。まさか負けるとは思ってもいなかったのだろう。それもこんな無様な形で。戦っていた警備兵も周りの様子に気付き、狼狽しながら声を荒げる。

「まだだ……、まだ終わって……!」

「何をしている」

 突如、声が発せられる。その発生源はシンヤの後ろ側、第一闘技場の後ろからだった。シンヤには声を出した主は分からなかったが、その姿を見たであろう警備兵の姿が萎縮したのがわかった。

「通信を聞いてなかったのか? 作戦を早めると言ったはずだぞ」

「あ、いや、その……、申し訳ありません、隊長……」

「それがこんなことをして……。大事な人質が死んだりでもしたらどうするつもりだったんだ」

 警備兵は声の主に相変わらず萎縮している。その隙をついてシンヤは警備兵の手を振りほどき、警備兵の左肩から剣を引き抜いて後ろを振り向く。警備兵はその場で悲鳴をあげてうずくまった。シンヤが振り向いた先には、周りの警備兵と同じく『死神』の格好をした男がいた。しかし、その雰囲気、気迫が違う。

「まったく……、仕方がないな」

 隊長と呼ばれた男―『死神』―はシンヤの下へと静かに歩み寄る。シンヤは、体中の汗が吹き出るのを感じていた。先ほど警備兵と向き合ったときに感じなかった恐怖。それがシンヤを支配していた。それほどに、『死神』が出す気配は圧倒的なものだった。

「なあ少年。……ああいや、青年か。ここはおとなしく剣を引いてくれないか」

「…………」

「だんまりか。俺も今は人質に怪我を負わせたくない」

 『死神』はシンヤの沈黙を、反抗によるものだと勘違いした。しかし実際には、シンヤは声が出せなかった。その圧倒的な気迫に完全にやられてしまっていた。ここで反抗するのは、命を粗末にするものだと、心臓や脳、体中がシンヤに警報を伝える。シンヤも、先ほど警備兵を挑発したような威勢はさすがに持てなかった。静かに、ハリアルを消滅させる。

「お、そうだ、それでいい。それが今は一番利口だ」

 それで『死神』から溢れ出る気迫は治まった。それだけで、シンヤは生きた心地がした。

 周囲から駆け寄ってきた警備兵が、シンヤの両手足に手錠をかけ人質達の下へと連れて行く。連れて行かれたシンヤは、他の人質たちに向けて小さく、すまない、と呟いた。『死神』の気迫を感じた人質達の中で、シンヤを責めることができる生徒は誰一人としていなかった。

「そいつは放っておけ、自業自得だ」

 『死神』は、うずくまる警備兵の下へ駆け寄った警備兵に向かって命令する。その視線は冷たいものだった。うずくまる警備兵を一瞥して視線を人質達の下へと向ける。

「さて、君達にはこれから行われる作戦を説明しておこうか」

 その視線は温厚なものだった。これから『死神』から発せられる言葉なんて、予感できなくなるほどの。

「悪いが、君達の命を奪わせてもらうよ」


 午後4時3分。ハリアル訓練学園外壁外。

 一人の男が、ハリアル訓練学園を取り囲む、高くそびえたつ外壁を叩いていた。

「壊すのはちと、難しそうだな」

 その男は、今度は上を見上げる。

「……登れねえ高さじゃねえな」

 続いて、周りを見渡す。あえて人通りの少ないところを選んだだけあって、周りに人はいない。問題があるとするなら、近くのビルの中から見られる可能性があるくらいか。

「カカッ、ま、なんとかなるだろ」

 男は2歩後ろに下がり、足に力を込める。そしてふう、と短く息を吐く。

 男の足元が一瞬光った。そして次の瞬間、男は外壁の遥か上にいた。

「お、っと! 飛びすぎた!」

 男はそのまま、ハリアル訓練学園内に広がる森の中へと落下していった。

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