第6話 侵入

 午前11時50分。ハリアル訓練学園三号館4年C組教室。

 ハリスは静かに、どうするか、と呟いた。小さい呟きに、一緒に昼飯を食べている聡とユイが反応するが、ハリスは無視する。

 ハリスは学園内に何者かが侵入していることに気づいていた。ハリス達の校舎の周りに近づいてきていることも。しかし相手の能力、数など細かい情報がわからない状況で動くのは得策ではない。下手に動いて人質でも取られたら厄介だ。

「ここはひとまず、アルカさんにでも連絡をとるか……?」

「どうしたの? ハリス?」

「……いや、気にしなくていい。お前らはここで大人しくしてろ。俺はちょっと出てくる」

 2人には怪訝そうな目を向けられたが、気にしている場合ではない。ハリスは一旦教室の外に出る。携帯を取り出すと、学園内ランク10位以内の人物で、唯一連絡先を知っているアルカに電話をかけた。数コールした後、アルカが電話に出る。

「もしもしハリス君? そっちはどう?」

「どう、って不審者のことですか?」

「そう。まだ昨日の会議のことの連絡も来てないってのに……。それに、こっちはすこし厄介なことになってるのよ」

「まさか、もう人質を……」

 ハリスは通話をしながら、学園の入り口からここまでのルートを見渡せる、廊下の端まで歩く。

「いや、それはまだなんだけどね、もう囲まれてるのよ」

「……他の人たちは何か行動を?」

「うん、一応臨戦態勢には入ってる。私達9人以外にも何人か気づいてるしね。でもほら、今は昼休みじゃない? 四号館から出てる人もいるだろうし、もしかしたら人質を取られてるかもしれないから何にもできないのよ」

 アルカが言った9人とは、学園内ランク10位以内の人物のことを指していた。ハリスもそれをなんとなく理解しつつ、話を続ける。

「こっちはまだ囲まれてないです。気づいてる生徒も、多分そんなにいないかもしれないですね」

「……ま、無理も無いわね。三号館は4年生と3年生だけだし。そっちの敵の位置は分かる?」

「いや、なんとも。近くで気配は感じますけど、校舎の周りにはまだ感じないです」

 ハリスは窓から周りを確認するが、不審者の姿は見えなかった。

「うーん、厄介ね……。ねえハリス君、そっちで君の次に強いのって、誰かわかる?」

「……確か、ランク的には180位の生徒が1人いたはずです。その次が300位くらいで、その後は何人か400、500って続く感じですかね」

「なんとも言えないわね。敵の強さもわからないし、不用意な抵抗はあまりしない方が得策ね。できるだけ奴らの言うとおりにしといて」

「……そうですね、そうしときます」

「それじゃ、また。頑張ってね」

 ハリスは電話を切る。この状況では、アルカの言うとおり何もしない方が得策だろう。

「さて、今はどうするか……」

 全クラスをまわって今の状況を知らせるか。4年生20クラス分に3年生16クラス分をまわるには時間もかかりすぎる。では、先生に知らせるか。先生は今どこにいるかわからないし、恐らく別の校舎にいるだろう。外に出て敵の調査。これは戦闘になる恐れもあるし、何より敵に見つかったときに、敵が何をするかわからない。

 ハリスは考えを巡らせながら窓にもたれかかる。

「一番はクラスをまわったほうがいいか……? 敵に対する対応も全員まとめた方が混乱は招きにくい……か?」

 窓際でブツブツとハリスが考えていると、聡が近づいてくるのが見えた。聡はハリスを見つけると、小走りで近づいてきた。心なしか、少し神妙そうな顔をしている。

「なあ、ハリス。なんか、変な殺気、みたいなのが……」

「ん、ああ、気づいたか。今それの対策を考えているところだ」

「気づいてたなら教えてくれよ……。なんか俺にできることは?」

「そうだな……。お前、顔が広い奴誰か知らないか?」

 ハリスがそう質問すると、聡は携帯を取り出した。携帯のアドレス帳を見ながら、聡は唸り声を上げる。

「うーん……。あ、新聞部のペイルなら、なかなか顔は広いかも」

「じゃあそいつに、4年生と3年生、できれば2年生と1年生にも。全クラス連絡を取れないか聞いてみてくれ」

 ハリスの言葉を聞いて、聡はわかった、と言って携帯をいじり始める。いじりながら、ハリスに話しかけてくる。

「でも、なんで2年と1年まで?」

「ああ、下級生は多分不審者の気配には気づけないだろ。戦闘経験も浅いだろうし。あいつらの二号館は、まだ先生が集まってる一号館に近いから大丈夫かもしれないけど、一応な」

「なるほど。……いや、もしかしたら一番危ないかもしれないぜ」

 携帯をしまいながら聡はそう言った。少し、さっきよりも不安そうな顔をしている。

「どういうことだ?」

「一号館は事務とか先生が集まることもあって、一番守りが堅いんだ。レイド先生とか、狐禅寺先生みたいな主任級もいるしな。そうなると、強い敵が一号館に集まってる可能性が高い。先生達が避難の呼びかけをしないのも、自分達の対処に追われてる、ってこともありえる」

「そうか……。そうなると、二号館は飛び火を受けかねないな……」

 しかし、二号館とハリス達がいる三号館は距離が少し離れている。三号館の対処で手一杯なハリスには、今から援護に行ける余裕はなかった。どうするか、とハリスは考える。すると、聡の携帯が鳴った。

「あ、連絡とれそうだって。各クラスの委員長達と」

「よし、ラッキーだな。不審者が現れたから、それぞれ抵抗はせず、敵の言うとおりにするように連絡を回してくれ」

 了解、と聡は答えて携帯をいじりだす。

 これでひとまず連絡はできた。こうして考え込んでいる間にも、不審者の気配は近づいている。恐らく、あと数分もしないうちに囲まれるだろう。段々と、その気配に気づいた生徒も出てきたようだ。

 そうハリスは考えてから、窓の外を見る。依然侵入者の姿は確認できなかった。窓の外を見たまま、それにしても……、と短く呟き、聡に話しかける。

「なあ聡、少し気にかかることがある」

「どうした?」

「なんで奴らはこんなにも気配丸出しで侵入してくるのかがどうも気になってな」

 侵入者は殺気や気配といったものを丸出しで侵入してきていた。普通なら隠すだろうに、気付かれようとしてるようにしか、ハリスには思えなかった。

「ああ、確かに……。ハリスみたいな強者ならともかく、俺でも、もっと言えば俺よりランクが低い奴らも気づいてるみたいだしな」

「何か意味はあるんだろうが……。ま、今は考えても仕方ない。次にするべきことを考えよう」

 ハリスが考え込もうと顔を廊下のほうに向けると、廊下にいる生徒達がハリスの方を見ているのに気付いた。どの生徒も、心配そうにハリスの方を見ている。ハリスは仕方ないか……、と小さく呟きながら髪を掻き乱し、廊下を歩き始めた。

「とりあえず、皆それぞれの教室に入ってくれ。指示は委員長に聞いてくれればいい。窓際から侵入してくる可能性が高いから、廊下側に集まっててくれ」

 ハリスは廊下の端から端まで歩きながら、生徒達に声をかけていく。生徒達の心配そうな顔は消えないが、学園内ランク7位の実力者であるハリスの指示には皆従った。その後ろを着いてきていた聡が、ハリスをからかうように声をかける。

「おーおー、かっこいいねえ」

「うるせえ」

「やっぱりここは4年生一番の実力者、ハリス君に活躍していただくのが一番だな」

「……ま、そうだな」

 素直に認めたハリスに、聡は少し驚く。驚いて何も言葉を発さない聡をチラリと見て、ハリスは言葉を続けた。

「こいつらは、実戦を見たこともないだろうしな……」

 その言葉に、聡は怪訝そうな表情を浮かべ、それってどういうことだ、と言おうとした。しかし、それは急に立ち止まったハリスに邪魔される。

「……まずい」

「え?」

「奴ら、動き始めた。囲まれるぞ」

「え、そんな気配……」

「でかい気配はブラフだ。もっと気配を殺した奴らが近づいてきてる」

 ハリスは今まで来た道を走って戻り、自分の教室、C組に入る。教室内を見渡し、全員がいることを確認したハリスは、廊下側に聡やユイ、他のクラスメイト達を集め、自分は教室中央で待機する。

 うまく隠れてて見えないが、窓の向こうに4人程いるのが気配でわかる。ハリスは時計を見て、現在の時刻を確かめる。

「後1分か……」

 そうハリスが呟くと、クラスメイト達は不思議な表情を浮かべた。その様子を見てハリスは、ああ、と言って言葉を続ける。

「今は正午の1分前だ。こんなに近くで待機してるってことは、多分正午ちょうどに突入するのが作戦なんだろうさ」

 クラスメイト達にそれだけ説明して、ハリスは窓の方を向く。気配こそ殺してはいるが、正午が近づくにつれその気配は少しずつ濃くなっていく。不審者さんは緊張でもしてんのか、とハリスが考えたとき。

 ガラスの割れる音が校舎内に響いた。

 全ての教室のガラスが一斉に割れ、大勢の不審者が突入しているのが大きな悲鳴でわかる。だが、C組だけは何の動きも無かった。窓の向こうの不審者達は動かない。恐らく、ハリスを警戒しているのだろう。

「……鍵は開いてる。抵抗はしない。入ってきな」

 そうハリスが言葉を発し、十数秒経つと、4人の不審者が入ってくる。どの不審者も、全身黒ずくめの格好だった。黒いマント、黒い服、黒い手袋、黒い靴、黒いマスク。そして全員が、背中に大きな鎌を背負っている。

 女性が1人、長身の男性が2人と、少し小さい男性が1人いることだけが判別できる。その格好を見たクラスメイトがひっ、と言う悲鳴をあげた。不審者達の格好は、噂で聞く『死神』そのものだったためだ。

 廊下側で固まる生徒達、そして中央で立つハリスを見て、不審者達の内の1人が言葉を発する。

「……ハリス・メイソンだな?」

 若い女の声だった。凛とした声ではあるが、しっかりと殺意がこもっている。声を発した女性の『死神』を観察しつつ、ハリスは答える。

「ああ、そうだ」

「悪いが君は拘束させてもらう」

「……いいだろう」

 そのハリスの言葉に、残りの不審者達が行動を始める。ハリスの両手足に頑丈な手錠をつけ、動けないようにしてから座らせ、そしてその脇に長身の『死神』が立った。少し小さい『死神』は廊下側で固まるクラスメイト達の横に立つ。そして女性の『死神』はハリスの前の机に腰掛け、話し始める。

「抵抗はしない方が得策だ。私達からの定時連絡が途絶えれば、他の校舎、他のクラスの生徒達の命の保証はなくなる」

「安心しろ。今のところ抵抗する気はない。必要以上の死人を出したくない」

「……やけに従順だね」

「……俺が誰かを守れないのは知ってるんでね」

 そう言ってハリスは顔をそらす。女性の『死神』はその様子を気にもせず、残りの『死神』に指示を下す。指示を下された『死神』は、固まっているクラスメイト達に近づいていった。それを確認した女性の『死神』は余裕そうに話し始める。

「さて、君達には人質になってもらう。今のところは、君達に危害を加える気はない。ただそこにいてもらえればいい」

 危害を加える気はないという言葉に、クラスメイト達は少しだけ安堵の表情を浮かべた。

「ただし、この中で1人、特別な人質になってもらいたい」

「特別な人質?」

 言葉の意味が分からず、ハリスは聞き返す。ハリスを一瞥してから女性の『死神』は言葉を続けた。

「この中の1人だけ、第一闘技場に行ってもらう」

 第一闘技場。学園内に10ある闘技場の中で最も大きく、普段はイベント等で使われる施設。ここからは少し歩かなくてはならない。そんなところが指定され、生徒達は疑問の表情を浮かべた。

「つれていく理由は知らなくていい。後にわかるだろう。特別な人質はハリス・メイソン以外なら誰でもいいんだが、誰かいないか?」

 そう女性の『死神』が尋ねるが、素直に手を上げる生徒はいなかった。そんなところに連れて行かれて、何をされるかわからない恐怖では、誰も手を上げられないのは当然だった。

 なかなか誰も手を上げないことに痺れを切らしたのか、女性の『死神』は煩わしそうに言った。

「ま、手を上げられないのは仕方ないけどね」

 そう言ってから女性の『死神』は立ち上がる。集まったクラスメイト達の前に行き、観察するようにゆっくりとクラスメイト達の周りを歩き始めた。

 女性の『死神』はクラスメイト達の周りを一通り歩き終えると、長身の『死神』の耳元で指示を下す。

 その指示を聞いた長身の『死神』は、1人の女子生徒の腕を引っ張り上げ、無理やり立たせた。あまりにも無理やりだったため、小さい悲鳴があがる。

「あんたでいい。悪いね」

 そう女性の『死神』は言うと、ハリスの方を向く。

「ところで……、なんであんたはそんなに動揺してるんだい?」

「……」

 ハリスは無言で女性の『死神』を睨みつける。

 ハリスは少なからず動揺していた。その理由は、選ばれた生徒がユイであったこと。ユイが不安そうな目でハリスを見つめているのが、ハリスには心苦しかった。

 無言で女性の『死神』を睨みつけたまま、ハリスは嫌味たっぷりに言った。

「くそったれ……」

「あんたの想い人だかなんだか知らないけど、諦めな。今のあんたじゃ何も出来ないよ」

 そう言って、女性の『死神』は長身の『死神』に手で指示を送る。

 女性の『死神』に命令された長身の『死神』が、ユイの腕を縛ってから教室の外へ連れて行く。教室を出たところで、ハリスがユイの横に着いた長身の『死神』に向け、殺意を込めて話しかけた。

「ユイに何かしてみろ。……ブチ殺すぞ」

 表情こそマスクで隠れていて見えないが、長身の『死神』が一瞬身震いしたのがその場にいた全員にわかる。それほどハリスの気迫はすさまじいものだった。

 長身の『死神』とユイが教室を出て行った後、2人の足音が聞こえなくなってから女性の『死神』が口を開く。

「さて、何時間かかるか分からないけど、あんた達には付き合ってもらうよ」

 何時間かかるか分からない、という女性の『死神』の言葉に、固まっていた生徒達の何人かが息を呑んだ。




 午後0時18分。ハリアル訓練学園第九訓練場。

 第九訓練場の外壁の上で、ハリアル訓練学園射撃担当主任ファランブル・セルピエンテは狙撃銃のスコープを覗いていた。しかし、ファランブルには明らかな動揺が見られた。味方である狐禅寺を誤射してしまったことももちろん要因の1つだが、それ以外にも大きな要因があった。

「どうなっている……」

 ファランブルは、狐禅寺を援護しながらもレイドの部屋での戦闘状況をチェックすることも欠かさなかった。つい先ほどまで、レイドと1人の侵入者は、微動だにせず睨み合っていた。

 だが、今は違う。部屋の壁、床、窓には斬撃の痕が無数につき、レイドが大量の血を流して横たわっている。そのすぐ横には、大きな鎌の刃を血で濡らし、静かに立っている黒ずくめの侵入者の姿があった。

 ファランブルがレイドの部屋から目を離していたのはほんの1分から2分ほど。たったそれだけの時間で、ハリアル訓練学園斬撃担当主任であるレイドが倒れるとは思えなかった。また、侵入者のまとっている黒ずくめの衣服には傷があまり見られないことも、ファランブルを動揺させた。

「くそっ、レイドまでも……」

 ファランブルはその動揺を必死に抑え、次の行動に移す。侵入者達が相当な手練れであることを考えれば、自分の位置も狙撃方向から検討をつけられ、バレるかもしれない。念のため、狙撃銃のハリアルを一旦消滅させ、第九訓練場の出口に向かう。

 しかし、その途中、ファランブルは出口にある2つの人影に気付いた。

「なっ……!」

 先ほどまでレイドや狐禅寺のことに気をとられすぎていたせいで、ファランブルは2人の気配に気付いていなかった。

 第九訓練場の出口は1つではない。ファランブルは他の出口に向かおうとするが、急いで行こうとすれば2人の人影に気付かれる恐れがある。気配をできるだけ消し、壁や障害物に身を隠しながら観覧席を通り他の出口に向かう。緊急用にと持ってきていたハンドガンとナイフも、しっかりと手に持っていた。出口に向かう道中、2人の侵入者の会話が聞こえてきた。

「狙撃方向からここら辺だと思ったのですが……、それらしい気配は感じませんね。隣の建物でしょうか?」

「いや、相手は射撃担当主任だ。気配を消している可能性もある」

「なるほど、確かに。そうなると、まだこの近くにいるということもありえますね」

「ああ。逃げられる前に、とっとと探すぞ」

 2人の侵入者が散り散りとなり第九訓練場を探索し始める。ファランブルは2人の視界に注意しながら出口へと向かう。ゆっくりと進みながらファランブルは2人の侵入者を見える範囲で観察する。2人に共通しているのは大きな鎌を背中に背負っていること。そして服装が全て黒で統一されていること。だが、細部が違う。

 丁寧な口調で話す男は、赤いラインが1本入った黒いマントを着用している。マントの下には黒いスーツやワイシャツ、ネクタイでしっかりと整えられた服装だ。しっかりと磨かれたであろう黒い革靴が、戦いの場では場違いだった。

 もう1人の屈強な男は、濃い黒のラインが1本入った少し薄めの黒いマントを羽織っているが、屈強な体に似合っていない。マントの下は黒い半そでのシャツに黒い五分ほどのズボン。丁寧な口調で話す男とは対照的に動きやすそうな服装だ。

 他の侵入者と違って彼らはフードを被っていなかった。さらにマントのラインが、彼らが特別だということを物語っている。ファランブルは一層気を引き締め、注意深く出口に向かう。だが突如、丁寧な口調で話す男がハリアルを生成し始める。発見された様子も無いのに突然行われた行為に、ファランブルは一瞬だが目をとられてしまった。一瞬で我を取り戻し周囲を窺うが、屈強な男の姿がどこにも見えなくなっていた。

「見つけたぞ」

 突然、後ろから男の声。

 屈強な男はファランブルに向かって拳を振り下ろす。ファランブルはとっさにその攻撃をかわすが、あまりの衝撃に体を吹き飛ばされ、見晴らしのよいアリーナ部分に着地する。急いでハンドガンを構え、壁際に身を寄せ死角を無くす。

 丁寧な口調の男は、背負っていた鎌を構えている。ハリアルは使用しないようだ。屈強な男は観覧席からアリーナ部分に勢い欲降り立った。その手には屈強なガントレットが装備されている。先ほどまでは無かったので、恐らくこれが屈強な男のハリアルだろう、とファランブルは考えた。そして丁寧な口調の男が話し始める。

「ファランブル・セルピエンテさんですね?」

 ファランブルはハンドガンを向けながら丁寧な口調の男を睨む。それと同時に、遠く横にある出口までの距離を測るが、素直に通してくれそうな距離ではなかった。

「私はレッド、と申します。もちろんコードネームですが。そして彼はブラック」

 レッドという男の持っている武器は鎌。ブラックはガントレット。レッドは20m、ブラックは10mほどという距離。相手は近接性の武器だが、今攻撃をするのは少し危険だと、ファランブルは判断する。

「攻撃しないのは正解です。その引き金を引いても私達は殺せません」

 レッドの声はこちらの心に入り込んでくるような嫌らしさがあった。ファランブルはその声をなるべく聞き流しながら、ゆっくりと出口へと横にずれていく。

「おっと、逃げられては困ります。……ブラック」

 レッドがブラックの名前を呼ぶと同時に、ブラックはその屈強な体には似合わない速度で出口までの退路に降り立った。円形のアリーナの壁のおかげで死角は少なくなってはいるが、ファランブルは若干挟まれた形になってしまう。

「……そろそろ、ファランブルさんにも声を発していただきたいですね。交渉ができません」

「……交渉?」

「ええ。私達といたしましても、無駄な戦闘は避けたいのです。体力も消耗しますしね。そこで、あなたには我々の捕虜になってほしい」

 当然、素直に受け入れられるような案ではなかった。ハリアル訓練学園の斬撃、打撃担当主任の両方が倒れた今、ファランブルが捕虜になってしまっては学園の陥落を示すようなものだ。

「ちなみにですが、報告によれば第一から第十闘技場。一号館から六号館、図書室。また第一から第五宿舎は制圧を完了したそうです。訓練場は、元々警備はないようなものですし、学園の制圧はほぼ、完了したと言ってもよいでしょう」

 その言葉は、ファランブルの心をえぐった。自分の学園が、こうも簡単に堕とされてしまうものなのか、と。

「これはあなたたちへの罰です。戦争からたった4年しか経っていないというのに、ヤジダルシアという国の首都にあるからといって、平和ボケしていたあなたたちへの」

「……平和ボケ、だと?」

「ええ、そうです。このたった4年の間、そしてそれ以前からも、ハリアル訓練学園は一度も襲撃されたことがない。それに我々の調査によれば、ここの教員。主任を除いてしまえば、ほとんど4年前の戦場に出てないというじゃありませんか」

 ファランブルは言葉をなくした。確かに、教員のほとんどは戦争を経験していない。戦争をまともに経験したのはレイド、狐禅寺、ファランブルとあと数人くらいだ。

「ヤジダルシアの強大な軍事力に身を任せ、のうのうと生きてきた教員達が、このような事態にまともに動けるわけが無い。あなた方3人も、4年の間で随分と腕を落としたんではないですか?」

「レッド、少し落ち着け」

 少し興奮して言葉をまくし立てているレッドをブラックが言葉でなだめる。その興奮からは、苛立ちが感じられる。

「警備も余りにザルすぎる。いくら襲撃がないから、ヤジダルシアの首都であるアルトロだからといって、警備員のやる気の無さ。実力の低さ。あまりにもがっかりしましたよ。こんな国に、私達の国は侵略を許したんだとね」

「私達の国……?」

「ええ。私達は」

「レッド!」

 レッドの言葉をブラックの怒声が遮る。その声の音量に、レッドは一瞬すくみ、ブラックに手を上げてから姿勢を正した。

「申し訳ない。少し、興奮して話しすぎましたね。話していると、ここがどれだけ腐っているかを認識して、苛立ってしまいました。……さて、ファランブルさん。もう一度言います。捕虜になっていただきたい」

 ファランブルは少し考え込む。この戦力差、そして制圧率の高さ。この状況で勝負を挑めば、無駄な血を流すことは必至だった。だが、ここでハリアル訓練学園の1人の主任たる自分が敵に頭を垂れてよいものか。そのプライドが、ファランブルの頭を縦には動かさなかった。

「……平和ボケをしていてもプライドだけはあるようですね。……この際ですから、別に戦っても私はかまいません。ですが、私はこの武器を使います。私達……、『死神』のシンボルたるこの、鎌で。自分のハリアルではないのですから、当然扱い慣れてはいません。そんな武器であなたを倒せば、あなたのそのくだらないプライドは折れてくれますかね?」

 大鎌を構えながら話すレッドの言葉からは、棘が感じられた。それも、かなり鋭い棘だ。レッドの苛立ちが最高潮に達しているのだと、ファランブルは感じ取った。

「おいあんた」

 突然、ブラックが声を発する。その声にも棘は感じられたが、レッドほどのものではなかった。

「投降したほうが身のためだ。ああなったレッドは、かなり凄惨な殺し方をするぞ」

「……敵に情けでもかけるつもりか?」

「情けなんかじゃない。そのあとにレッドをなだめるのが面倒なだけだ」

 その目は本気の目だった。恐らく、ブラックも凄惨な殺し方をするのではないか、と感じさせるほどの目だった。

 もう一度、考え込む。自分が投降するのと、殺されるのと、どちらが生徒達や教員に与える精神的ダメージが大きいか。恐らく、対して変わらないような気がした。ここで抵抗をすればどうなるか。彼らから感じる気迫は相当なもの。長らく戦争から離れていた自分では敵わないのではないか、とすら感じる。

 そして何よりも、主任が2人も倒れた今、最後の主任たる自分が倒れるわけにはいかない。そう判断すると、ファランブルは答えを出した。

「……投降、しよう」

 そう言ってハンドガンとナイフを地に落とす。立ち上がり、他の装備品も地に落とした。そして、両手を挙げる。

「賢明な判断です。ブラック、彼を運んでください」

 ブラックがファランブルの両手両足を縛り、ボディチェックを済ませてからファランブルを肩に担ぎ上げる。それを見てから、レッドが少し残念そうに呟いた。

「こんなにあっさり制圧できてしまうとはね。本当に、がっかりです。そして、自分達の不甲斐なさにもね」

「……まあ、あまり気にするな」

「そうですね。……『死神』、こちらレッドです。聞こえますか?」

 レッドが連絡機を手にして話し始める。すぐに声は返ってきた。

「レッドか。こちら『死神』。どうした?」

「ファランブル・セルピエンテ1名、確保完了。これより第一闘技場に向かいます」

「了解。ご苦労だったな」

「苦労など、これっぽっちもしてませんよ」

 『死神』とレッドの通信はそれで終わった。それから、レッドとブラックはゆっくりと歩いていった。

 

 時間は午後0時40分。ハリアル訓練学園は陥落した。

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