第15話 事件のその後

 ハリスが『死神』を倒してからは、事件は一気に解決の方向へと進んでいった。

 一号館や、制圧できていなかった他の施設は5年生により制圧されていた。そして、ハリス達が各館に残していた兵士や定時連絡兵も、しっかりと捕まっていた。

 各所に散らばっていたであろう警備兵達も、ほぼ5年生達に確保されていた。今は、多くの警備兵が広大な闘技場に集められている。

 そして生徒からの連絡を受けた軍や警察が、数台の装甲車や何十台にも及ぶ輸送車を伴い学園に駆けつけ、現在事情聴取や犯人の確保をしている。残存兵も、軍が根こそぎ排除している最中だ。

 事件解決に協力したハリス、クロウ、学園内トップ10の9人は事情聴取の為学園に残されているが、他の生徒達は今は帰宅している。寮に住んでいる生徒は、現在は近くのホテルに分散して泊まっている状況だ。

 教職員はと言うと、レイドと狐禅寺は全治数ヶ月にも及ぶ大怪我を負っているのが確認され、教職復帰は難しいとの声も上がっている。ファランブルは大怪我もなく、またほとんどの教職員がそれほど怪我を負っていないので、学園内の対処に追われている最中だ。

 そしてレッドとブラックは、気を失って道路に倒れているのが兵士により発見され、回収。また『死神』も、クロウの手で兵士に引き渡され回収。回復を待って尋問が行われる予定である。そして、順次裁判なども行われるだろう。

 学園側の被害者は、死者0名、大小合わせたけが人多数。また二号館において、クロウによる血の惨劇を目の当たりにした1年生と2年生は精神ショックが大きく、しばらくは休学になる可能性もある。

 犯人側は、死者、けが人共に多数。ここまでの惨状は一体何があったのか、警察による徹底的な捜査が行われる予定だ。

 こうして、ヤジダルシアの歴史、ハリアル訓練学園の歴史に大きく衝撃を残した、学園制圧事件は幕を閉じた。


 午後6時50分。ハリアル訓練学園一号館前。

「ハ、リ、ス、くーん!」

 高らかな叫び声と共に、ハリスに向かって1人の女性が突進してきた。

「うわ、ちょ、アルカさん!?」

 そして、その勢いのまま、ハリスに抱きつく。ハリスは避けることもできず、アルカの胸に顔をうずめる。もがくハリスを無視して、ハリスの頭を機嫌良く撫でながら、アルカは楽しそうに口を開く。

「おつかれ!」

「お、お疲れ様です……」

「ちょっと!」

 ユイがそう叫びながら、アルカとハリスを引き剥がす。アルカは不満そうに口を尖らせながら、ユイに抗議する。

「ぶー、何するのよー」

「何するのよ、じゃないです! 今は他にやることがあるでしょ!」

 そう言って、ユイは一号館玄関前を指差した。

 そこには、数台の装甲車。そして何十人もの軍の兵士や警察官。今は何か調査をしているが、そろそろハリス達の事情聴取が行われる予定だ。

「だって、まだ行われなさそうじゃない? 暇なんだもの」

「だとしても、です! ハリスとくっつかないでください!」

「あら、ユイちゃんはまだハリス君と恋人じゃないでしょう?」

「そ、そうですけど!」

 ユイとアルカの口論が始まった横で、クロウはハリスに話しかける。

「いやー、モテモテだね、お前」

「うっせーな」

「カッカッカッ。ま、いいけどな。カオリが嫉妬しなければよ」

「……何言ってんだ」

 ハリスは困ったような顔でクロウを小突いた。その反応を受けて、クロウは楽しそうに笑っている。

 そして、の2人に近づく1つの影。

「やあ、ハリス君。お疲れ様。今、いいかな?」

 ハリスに話しかけたのは、ファディだった。疲れは見えず、にこやかに笑っている。そして、ハリスの隣に立つクロウに気付くと、態度を変えた。

「あなたがクロウさんですか?」

「ああ」

「失礼しました。この度は、事件解決に尽力していただけたようで」

 急に紳士的な態度になったファディを見て、クロウは目を見開く。それから、カッカッカッ、と高らかに笑った後、ファディの背中を叩きながら口を開く。

「なーに、気にすんなって。こっちも楽しませてもらったしよ。それに、ちょっと校舎も汚しちまったしな」

「お前、失礼だろが」

 ファディの背中を叩くクロウの手を止めながらハリスが言った。しかし、叩かれたことなど気にしていないように微笑んでからファディは言葉を続けた。

「いえ、汚れるのは仕方の無いことです。殺生が絡んだとしても、こんな世界です。特には気にしませんよ」

「なんだ、話の分かる兄ちゃんじゃねえか」

 そう言うと、クロウはまた楽しそうに笑った。ハリスはとりあえずクロウの背中を殴ってから、ファディに話しかける。

「それで、俺になんか話があったんじゃ?」

「ああ、そうだね。これから事情聴取が開始されるみたいだから、皆を集めておこうと思ってね。第三会議室に来れるかい?」

「ええ、もちろん」

「それで、クロウさんにもご足労願いたいのですが」

 ファディは視線をクロウに向ける。

「ああ、かまわねえぜ。ていうか、あんた多分年上だろ?そこまでかしこまらなくていいぜ」

「それでは、お言葉に甘えようかな。行こうか」

 そう言ってにこやかに微笑むと、ファディは背中を向けて歩き始めた。そこで、あることに気付いたハリスが口を開く。

「あの、アルカさんは? あそこで口論してますけど」

「ああ、彼女にはもう伝えてあるよ。先に行こう」

 少し振り返ってそう言うと、ファディはさっさと第三会議室に向かってしまう。クロウもそれについていこうとするが、ハリスはクロウに一声かける。

「わり、先行っててくれ」

「あいよ」

 そう言うとハリスは、未だ口論を続けているユイとアルカの下へと駆け寄った。

「ユイ」

「だからですね! ……って、ハリス? どうしたの?」

「俺は事情聴取があるからちょっと会議室行くんだけど、お前は帰ってるか?」

 そう言うと、顎に手を当てながらユイは考え込む姿勢をとった。それから数秒唸った後に、顔を上げて口を開く。

「んー、聡のところに行ってるよ。確かもうハリスの家にいるんでしょ?」

「ああ」

 聡とは、事件が解決した後にどこかで落ち合う約束をしていた。色々と話さなければならないこともあるし、かと言ってどこでも話せるような内容でもない。なので、ちょうど1人暮らしであるハリスの家に先に行ってもらっていたのだ。

「じゃあ、また事情聴取が終わったら連絡するよ」

「うん、またね! 待ってるよ!」

 ユイはそう言って、ハリスの下から離れていった。時折ハリスの方を振り返って手を振って離れていく。ハリスがその様子を微笑みながら見ていると、アルカが声をかけた。

「妬けちゃうわね」

「なぜです」

「ハリス君の家に当然のように上がりこむなんて、ずるいわ」

 見れば、アルカは不機嫌そうに口を尖らせている。更に腕を組んでいるので、豊満な胸が強調されてしまっていた。ハリスは胸を見ないように視線を逸らす。

「別に、俺の家なんて何にも無いですよ。……ほら、会議室行きましょう」

「何も無くても女子は妬くものなの!」

 それから会議室に向かうまでの道中、ハリスはアルカの教義を聞き続けることになってしまった。


 午後7時07分。ハリアル訓練学園第三会議室。

 会議室内には、ハリス含む学園内トップ10の10人、クロウが集まっていた。そして、全員を見渡すと、ファディが立ち上がり、口を開く。

「とりあえず、皆お疲れ様。一番疲れたのは、きっとハリス君かな? 他の皆にも感謝するけど、とりあえずハリス君に拍手でもしようか」

 そう言って、全員に拍手を促す。アルカによる楽しそうな拍手、リーサによる困ったような拍手、ファディの事務的な拍手の音だけが会議室に虚しく響く。

 しかし、そんなまとまりの無さも分かっていたかのように、ファディは言葉を続けた。

「さて、とりあえず事情聴取までは少しだけ時間がある。今回の事件のことについて、色々と話を聞きながら整理しようか」

 ファディはそう言うと、ゴードンに目を向けた。

「ゴードン。君はどこを担当したんだったっけ?」

「我はリーサと共に一号館の制圧を」

「状況はどうだった?」

「敵も制圧が進んでいるのを察していたのか、焦っていたな。反撃行動に集団性はなく、乱れが見えた。戦闘レベルもそこまで高いものでは無かったと言えよう」

 言い終わると、ゴードンは腕を組んで黙ってしまう。ファディは一言礼を言ってから、ギャラックに視線を移した。

「ギャラック。君は?」

「私はフェウスと第一闘技場でハリスの援護を。基本的には狙撃で援護する予定だったけど、隊長が人質を捕まえて逃げたから、途中からはフェウスと一号館の大量の警備兵を制圧する羽目になったわ」

「大変だったかい?」

 ギャラックは首を横に振ってから、言葉を続ける。

「全く。簡単すぎたくらいよ。フェウスがいてくれたから、すぐに終わったわ」

「そうか、ありがとう」

 ファディは次に視線を移す。次に見たのはアルカだった。

「アルカ、君はどこだったかな」

「各所に散らばっていた警備兵の排除。別行動だったけど、ダンテとウェルギリウスも同じよ。問題は全くなし。手ごたえはまったくなかったわ」

 アルカの発言にファディは頷くと、今度は周りを見渡すように視線を向けた。

「アザハートは四号館の監視だったね。溜まっていた警備兵達の排除は簡単だったろう?」

「ああ、まるで手ごたえの無い雑魚ばっかりだ」

「そうだろうね。僕も残りの施設の制圧に学園内を駆け回ってたけど、簡単すぎて退屈だったよ。やはり、この10人が行動すればこのくらいの事件なら簡単だね」

 ファディは満足そうに微笑み、周りを見渡した。アルカやゴードンが、誇らしげに胸を張っている。

「さて、本題はここからだ。ハリス君。君が制圧中に感じたこと、あるだろう? それを発表してもらいたい」

 突然話題を振られ、少し困惑しながらハリスは口を開く。

「え、っと。少し長くなりますけど、大丈夫ですか?」

 ファディはゆっくりと頷き、真剣な視線をハリスに向ける。ハリスは唾を飲み込んでから、話し始めた。

「まず、今回の事件のやり方ですけど、ちょっとお粗末な部分が目立ったように感じました。定時連絡にしても、兵士の練度にしても。騒ぎを起こしても気付かないような兵士を重要な役どころに配置するのが特におかしいと感じました」

 話しながら、ハリスは周りをちらりと見る。アルカやゴードン等、数人は話を真剣に聞いている。

「これは俺の推測なんですけど、もしかしたら、制圧されてもいいように仕組んだ気がするんです。そうすれば、色々足りない点にも納得がいく。でも、そうする合理的な理由が思いつかないんです」

「ふむ……」

 ファディは一言言うと、少し考え込む。数秒考え込んだかと思うと、すぐに顔を上げた。

「……その理由は、多分もう少ししたらわかるんじゃないかな」

「え、それはどういう……」

 ハリスの発言を遮るように、第三会議室の扉がノックされる。ファディはハリスの発言を手で制すると、扉の向こうの人に入室を促した。

「失礼します。警察のものです。事情聴取を行いたいのですが、よろしいですか?」

「ええ、構いません。順番に行いますか?」

「そうですね、個別に、数箇所で同時に行いたいと。えっと、ハリス・メイソンさんからお願いしたいのですが」

 警官は手帳を見ながらそう言った。それに答えるように、ハリスは立ち上がる。

「はい、俺です」

「それでは、こちらに」

 ハリスは第三会議室を出て、警官に案内される。

 それから約1時間ほど、事情聴取が行われた。


 午後8時40分。ハリス自宅。

「ただいまー、っと」

「おじゃまします、っと」

 ハリスとクロウが同時に自宅玄関に入る。

 事情聴取が終わった後、ハリスとクロウは合流してハリスの自宅へと向かった。そして、長い事情聴取を受けた2人は、疲れきった様子だった。

「おかえりー、ハリスー」

 すると、部屋の中からパタパタとユイが出迎えにやってくる。心なしか、ユイの顔は少し赤面していた。

「事情聴取、疲れた?」

「まーな。この後お前らからも事情聴取が行われると思うと……」

「まあまあ、そんなに厳しくはやらないからさ」

 ユイはハリスの背中に回り、ハリスの背中を押して部屋へと誘導する。その様子を見て、続いて部屋へと入りながら気だるげにクロウが口を開いた。

「俺はお忘れですかー、っと」

「おうクロウ、来たか」

 中では、聡が待っていた。ここにいるメンバーの中では、一番真剣な表情をしている。

 テーブルを囲む形で、4人がそれぞれ座る。しかし、しばらくは誰も言葉を発せず、無言の続いた。

 無言が数分続いた頃、意を決したかのように聡が口を開く。

「全部、聞いたよ。ユイから。色々と、聞きたいことはあるけど……」

 聡の視線は、誰を見るわけでもなく、机を見つめている。

「とりあえず、全部、聞きたいかな」

 視線を泳がせながらも、聡はハリスの方を見てそう言った。ハリスは、聡をチラリと見て、俯いた。

 ハリスはため息を1つつくと、頭を下げた。

「とりあえず、嘘ついてて、ごめん」

 突然ハリスが頭を下げて、ユイが狼狽する。それとは対称的に、聡は冷静にハリスを見ていた。

「いいよ、謝らなくていい。俺は、説明して欲しいんだ。な、ユイ?」

「あ、えっと……、そう、だね」

 ユイが、困ったように頬をかきながら答える。ハリスはそれを見て、困ったように笑う。そしてまた、ため息を1つついて、話を始めた。

「……俺の、本当の名前は、ハリス・ツインフォード。分かってるとは思うけど、フォードの一員だ。人体改造を施され、ハリアルの実験に使われた、化け物だ」

「クロウみたいに、特別な力があるのか?」

「いや、俺はあそこまで特殊能力みたいなものじゃない。ただ、2つ、ハリアルを持っているだけ」

「こいつは、フォードの一番最初の人体実験の被験者だ」

 ハリスの話を遮るように、クロウが口を開いた。

「だから、ハリアルはたった2つ。ただ、一番最初の被験者だから、誰よりも戦闘訓練を積んできた。その分基礎的な戦闘技術は誰よりもたけえ。そんで、人体改造でいじくられている箇所も一番多い」

 そのクロウの言葉に続くように、ハリスが口を開く。

「……ま、そうだな。かといって、それだけであそこまで非常識な速さが出せるわけじゃない」

 ハリスはそれだけ言ってから立ち上がる。そして、ユイと聡に脚が見えるように数歩後ろに下がった。

「よく、見ててくれ」

 そう言うと、ハリスの脚がゆっくりと、淡く光り始めた。それは、四号館を制圧したときに見せた淡い光と同じ光。

 突如光り始めた脚を見て、ユイと聡は驚愕で目を見開いた。

「脚だけじゃないんだが、俺の体全体の至る所に、クロウの黄色いのと同じオーラのハリアルが埋め込んである。と言っても、クロウほど速さが出るわけでもないし、ずっと使おうとすれば滅茶苦茶疲れる、欠陥品みたいなやつだけどな」

 ハリスは自嘲気味に笑う。

「ま、これだけでも十分な速さは出せるようになる。人体改造や薬で得た速さに比べて、このオーラを使用してしまえば、常軌を逸した速さを出せるようにはなる」

「……あの、ハリス?」

 おずおずと、ユイが手を上げる。

「そんなに速く動けるのはすごいけどさ、その、体のほうは大丈夫なの?」

「さあな、ダメだと思うぜ」

 ユイの質問に答えたのは、クロウだった。手を頭の後ろで組み、適当な様子で答える。

「昔の戦争のときならまだよかったけどよ、回復してくれる奴が今はいないからな。体は悲鳴を上げっぱなしだと思うぜ」

 そのクロウの発言に、ユイは首をかしげた。それを見たハリスが、口を開く。

「昔、フォードには俺らを回復してくれるハリアルを持ってる奴がいたんだよ。……今はもういないけどな。そいつのお陰で、昔は無茶ができた。でも今は、回復手段が無いから体はボロボロかもな」

「え、じゃあ、大丈夫なのか?」

 心配そうに、聡が尋ねる。苦笑いをしてから、ハリスは答えた。

「不思議なことに、体に異常は無い。どっかにガタがきてる様子も無けりゃ、壊れてる様子も無い。なんでかは知らないけどな」

「カオリの加護か、神様の加護でもついてるんじゃねえのか? カッカッカッ」

 ふざけた様子で、クロウがそう呟いた。それを聞いたハリスは、不機嫌そうな様子でクロウを軽く足で蹴る。

「カオリ……?」

 聞いたこともない人名に、ユイは首を傾げた。

「さっき言った、回復のハリアル持ち。随分前に、死んじゃったけどな」

 困ったように笑いながら、ハリスが答えた。

 その雰囲気は、どこか悲しげな、寂しげな雰囲気。まるで、ハリスが昔の想い人を思い出しているかのように、ユイは感じた。

 そこからまた、静寂が場に流れる。今度はすぐに静寂を破ろうと、ハリスが発言した。

「とりあえず、他に質問は?」

「えっと、1つ、いいか?」

 聡が、質問をしようとする。しかし、言い出せないのか、言いにくいことなのか、なかなか言葉を発しない。

 それから十数秒たって、ようやく、聡は言葉を発した。

「……あの、『死神』のことなんだけど」

 その言葉を聞いて、ハリスは一瞬目を見開いた。それからすぐに俯くと、言葉を発する。

「……俺は、あの戦争中、『死神』として色んな人から恐れられてた。それは本当だ。今回の犯人達の故郷も潰したし、他の国だって何カ国も潰してきた。俺の手は、血で真赤に染まってるよ」

「最近ここらへんで噂になってる、『死神』事件との関係は?」

「それはない。あいつらが、俺に復讐しようと、濡れ衣を着せようと、やったんじゃねえかな?」

 聡は、それを聞くと黙ってしまった。ハリスの言葉を疑っているのか、考えているのか。どちらにせよ、ハリスは聡を待つしかなかった。

 しかし、聡より先に、ユイが反応する。

「じゃあ今は、『死神』なんかじゃないんだよね?」

「ああ。……でも、つい数時間前に、『死神』に戻っちまった。あの頃の、『死神』と同じように、あいつをいたぶった……、化け物だ」

「でも、それは!」

 強く、ユイが反応する。

「私を、助けようとしてくれたからで、私のために、怒ってくれたからでしょ!?」

 そう叫ぶユイの目からは、涙が零れ落ちていく。

 その涙は、数時間前の惨劇を思い出したからなのか、ハリスの真実を知ったからなのか。

 とめどなくあふれる涙をぬぐいながら、懸命にユイは言葉を紡いでいく。

「ハリスが、フォードの一員だったってのは、すごく、すごく怖いよ。でも、きっと今のハリスは、昔のハリスとは、違う。それは、いつものハリスを見てれば、わかるよ」

 その涙は、惨劇のせいでも、真実のせいでもない。

「私は今のハリスが好きだから、今のハリスと一緒にいたいから、どんな過去だって、構わないから、だから、だから!」

 自分の好きな人が、自らのことを「化け物」なんて呼ぶのが、たまらなく悔しくて、悲しくて、辛くて、嫌で。

「そんな悲しく、笑わないでよ……」

 ハリスが浮かべる悲しい笑顔が、嫌なことの前触れな気がした。

 なんだか、このままハリスがどこかへ行ってしまう気がして。とても遠く、遠くに行ってしまうような気がして。

 そんなユイの気持ちを汲んだのか、聡も口を開く。

「そうだよ、俺は、お前の過去なんて気にしない。お前が人を殺してようが、『死神』だろうが、関係ない」

 その声は、涙のせいでボロボロだった。

「関係ないんだ。それだけで、俺が、お前の親友だってことに、変わりは無い。俺が望むのは、お前に謝って欲しいことでも、償って欲しいことでも、ない」

 聡も何か悟っていたのか、涙がとめどなく溢れる。

 思えば、ハリスが部屋に入ったときから、聡が真剣な表情だったのは、ハリスがどうするかわからない恐怖から来るものだったのだろうか。

「俺は、お前に、ここに、いてほしいんだ。ずっと、こうやって……」

 そこで、聡の言葉は止まる。それは、溢れて止まらない涙のせい。

 ユイと聡の声にならない声が、部屋に響く。

 その様子を、黙ったまま、俯いたまま、ハリスは聞いていた。

 自分のことをここまで思ってくれるユイと、聡。

 ここまで、幸福でいいんだろうか。血で、真っ赤に染まった自分が、幸福を浴びてもいいのだろうか。

 そんなハリスの迷いを悟ってか、クロウが口を開く。

「……なあ、ハリス」

 その雰囲気は、どこか悲しげで、嬉しそうな雰囲気。

「いいんじゃねえか、受け止めても。このくらいの幸福なら、受け止めたって、罰はあたらねえだろ」

 そう言って、クロウは笑う。今までの微笑とは違う、本当に優しい微笑み。

「俺らは今まで、散々不幸にまみれてきた。不幸が、俺らの人生を支配してきた。……だったらよ、そろそろいいんじゃねえのか? ちょびっとぐらいの幸福を味わったってよ」

「クロウ……」

 ハリスは顔を上げ、ユイと聡を見る。

 自分にとって、これ以上無いくらいの、宝物となった2人を。

「お前、らしくねえな」

 そうクロウに言ってから、ハリスは笑った。そして、笑顔と共に、涙が溢れてくる。

「ほんと、らしくねえよ。俺を泣かせるなんて、いつぶりだ?」

「……さて、ね」

 ハリスの顔が、崩れていく。涙でくしゃくしゃに、これ以上無いくらいに、泣き、叫ぶ。

 机に突っ伏すように泣き始めたハリスに、聡は近寄る。そして、肩を強く、強く抱きしめながら、2人で泣いた。

 そして、それに呼ばれるように、惹かれるように、ユイも2人に近づいて。同じように、ハリスに抱きついて泣いた。

 クロウはそれを見て、ただ微笑む。

 その微笑みは、クロウのものとは思えない、優しい、優しい微笑み。

「……さて、俺はそろそろ行きますかね」

 そして、ゆっくりとクロウは立ち上がった。固まって泣き喚く3人に背を向けその場を去ろうとする。

 しかし、その背中を呼び止める、ハリスの声。

「……どこ行くんだよ、クロウ」

 涙をぬぐってはいるものの、ひどい顔だった。くしゃくしゃに泣き崩れた顔。

 ハリスのくしゃくしゃな顔を見て、クロウは笑う。笑ってから、口を開く。

「俺に、お涙頂戴の展開は似合わねえ。ここにいる、意味もねえ」

 クロウは左手をゆっくりと上げて、指を弾いて音を鳴らす。それと同時に、淡い、赤いオーラがクロウの左手を覆う。

「俺が求めてるのは戦いだ。血で血を洗うような、醜い戦い。……俺がここにいても、俺の求める物は得られねえ」

 ハリスに見せびらかすように、左手を強く握る。それと共に、淡かった赤い光が段々と強くなっていく。

「お前はそのまま、綺麗なままでいればいい。もう、俺みたいなのと関わる必要なんてない。俺は闇に、お前は光の中で生きればいい」

「……クロウ」

 黙って言葉を聞いていたハリスは立ち上がり、クロウの下へ向かう。涙はもう止まって、真剣な表情になっている。

「外に、出ようか」

 そう言って、ハリスは1人で玄関の方に向かってしまう。クロウも慌てて後を追って、外に出る。

 外に出てから2人は無言で歩く。隣同士で歩くのではなく、一定の距離を開けて。

 そして2人は、マンションの屋上に出た。夜風が吹き、2人を優しく撫でる。

「お前が何と言おうと、俺は闇の住人だ。もう、光の住人にはなれない」

 ハリスはクロウに背を向けたまま、優しく話し始めた。クロウは、それを黙って聞く。

「でもよ、俺は光を求めた。それで、ユイと聡という宝物を得ることが出来た。そのお陰で、お前には俺が綺麗に見えたんだろ?」

 夜空を眺めながら語るハリスの背中を、クロウはただただ見つめていた。

「……それが、羨ましかったんだよな」

 その言葉を聞いて、クロウは何も言えなかった。

 ハリスとユイ、そして聡が抱き合って泣く姿を見て、クロウはただ羨ましいと思った。同じ化け物であるはずの自分とハリスを比べて、妬むのではなく、ただ羨ましいと。

 羨ましいから、自分には手に入らないものだと分かっているから。クロウは部屋を出ようとした。羨望が、嫉妬に変わる前に。

「……カッカッカッ、何でもお見通しってわけか」

「当たり前だ。一体何年間お前と一緒にいると思ってる?」

「俺が6歳のときに初めてお前と会ったから……」

「バカ、計算しなくていいよ」

 優しい笑い声が屋上に響く。

 つい数時間前、戦いで我を失っていた2人の物とは決して思えない、優しい笑い声。

「……なあクロウ」

「あん?」

「ここに残ってみないか?」

 その問いに、クロウは答えることができない。それを分かっていたのか、ハリスは言葉を続ける。

「ユイと聡は、優しい、いい奴らだ。俺にとってのあいつらみたいな、光となる存在を、お前にも見つけて欲しいんだ。……お前にとっての光は、たった1つで、それは変わらないんだろうけどさ。変わってみても、いいんじゃねえかな」

 クロウは、夜空を見上げる。それは何かを思い出して悲しむようにも、何かに悩んでいるようにも見えた。

 しばらくそのまま夜空を見上げていたが、息を少し吐くと、クロウは口を開いた。

「……でもよハリス、お前俺には会いたくないとか言ってたじゃねえか」

「そりゃ、ユイと聡に昔のこと知られるのを避けたかったからな。……でも、今は別だ。あいつらは俺の昔のことを受け入れてくれた。それなら、お前を拒否する理由はねえよ」

「お、ハリス君がデレましたねえ」

「うるせ」

 ハリスがクロウを小突く。その様子はまるで、じゃれている様に見えた。

 楽しそうに笑ったあと、クロウは俯き、微笑みながら言った。

「……そうだな、ここに残ってみるか」

「……ああ」

「まだ、約束だったお前との勝負も残ってるしな」

「なんだ、覚えてたのか」

「当たり前だ。俺が忘れるわけねえだろ?」

 そのまま2人は笑いながら、屋上を去った。

 屈託の無い、青年としての笑顔を見せながら。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る