第14話 死神と『死神』

 午後5時50分。ハリアル訓練学園第二闘技場。

 『死神』は、自分の目にした光景を信じられないでいた。

 確かに、警備兵達は鎌で切りかかっていた。それは上下左右、斜め全ての角度から。

 その刃はハリスの寸前のところまで迫っていた。どう考えても抜け出せないような近さまで。

 しかし、ハリスは一瞬の内に警備兵達の外に回りこみ、全員の首や足を斬っていた。それも、やっとのことで目にできるほどの速さで。

「何が……」

 血を滴らせる短刀を右手で握り締めたハリスは、こちらに背を向けている。奇襲をかけるなら今だが、それは危険だと体中が鳥肌で警報を鳴らす。

 ハリスはそのまま動かない。何もせず、ただ立ち尽くしている。しかし、隙だらけのはずなのに、誰一人動くことはできない。それは、ハリスが放っている冷たく、恐怖感を感じる雰囲気のせいだった。

「……どうした、こねえのか」

 ゆらりと、ハリスが向きを変える。先ほどの閃光のような速さとはまるで違う、ゆっくりとした動きで『死神』の方を向いた。

「だったら、殺していいんだな?」

 ハリスが右手を横に上げる。しかし、その手には先ほど握られていた短刀は無い。どこかに仕舞った動きは見られなかったので、あれが男のハリアルだろうと、『死神』は考えた。ならば、これからどう攻撃を仕掛けるのか。『死神』はハリスの右手を見つめて警戒していた。しかし、次の瞬間。

 ハリスの右手には、大鎌が握られていた。

 何が、起こったのか。地面に転がっている大鎌を拾ったような動きはない。瞬きすら許さないほどの、刹那的な時間で。漆黒の鎌がハリスの手に握られていた。

 あれがハリスのハリアルなのはありえないことだった。ハリスは既に短刀のハリアルを生成させ、消滅させている。ハリアルは1人に1つの大原則がある以上、あの鎌はハリアルではないだろうと、『死神』は考えた。

 仮に、もし仮にあれがハリスのハリアルだとしても、だ。この暗闇の中、ハリアルを生成する際に発生するはずの、閃光の気配すら感じられないのはどういうことか。そんな戸惑いが『死神』を支配する。光は微塵も感じられず、ハリスの手には漆黒の鎌が握られていた。

 『死神』が知る限り、どんな熟練者でもハリアル生成の際には光は生じるし、多少の時間はかかる。あんなに刹那的な時間で生成できるようなものではない。

 それを感じ取ったのか、悟ったのか、他の警備兵達も驚愕している様子だった。

「……ほら、行くぞ」

 次の瞬間。ハリスは消えた。『死神』や警備兵達の視界から。

 そして響く悲鳴。それは、『死神』の後ろにいた1人の警備兵によるもの。それを聞いて慌てて『死神』は振り返るも、そこにはもうハリスはいない。

「な……っ!」

 そしてまた悲鳴。悲鳴のする方向を見ても既にハリスは消えている。

 蹂躙が、始まっていた。対処できない速さで襲われ、次々と警備兵が死んでいく。蹂躙が行われているとわかっていても、『死神』は助けることもできない。敵を捉えることすらできなかった。

 何も出来ない恐怖が『死神』を、警備兵達を支配していく。

 そして、『死神』や警備兵達はこの恐怖を知っていた。過去に体験していた。何もできないまま、ただ狩られる恐怖を。抵抗すら許されない、ただ一方的な恐怖を。

 一方的な恐怖が、体に植えつけられた記憶を思い起こさせる。故郷が狩られたあの日のことを。

「そんな、なぜ……」

 恐怖は加速する。次々と上がっていく悲鳴。逃げようとすれば、すぐに殺される。立ち尽くしていればすぐには殺されないが、いつか順番はやってくる。

 この恐怖はあの日の恐怖とまるで同じ。死神に憑かれ、身動きを封じられ、死を待つだけの恐怖。

 そして彼らは理解する。

 自分は今、死神に憑かれている。あの『死神』に、再び憑かれた、と。

 突如、悲鳴が止まる。警備兵はまだ残っていた。しかし、殺戮が終わってなお、誰一人動けない。

 恐怖で立ち尽くす『死神』達をあざ笑うかのように、彼らに憑いた死神が舞い降りる。

 『死神』からは10mは離れている場所に、ゆっくりと、隙だらけのまま、ハリスは舞い降りた。そして、ハリスは口を開く。

「どうした、『死神』さん。少しは抵抗してみろよ」

「……っ」

 『死神』は口を開けない。恐怖に身が竦む。しかし、何とか体を動かす。

 ユイの首に当てたままだった大鎌を握りなおし、鎌を引こうとする。愚かな行為だと分かっていても、ハリスの怒りを爆発させる行為だと分かっていても、『死神』にはそれしかできなかった。

 せめて、自分達の故郷を奪った復讐に、この少女だけでも殺してしまおう。

 そう決意した『死神』は、鎌を持つ手に力を込めた。

「おいおい、言ったろ?」

 しかし、そんな『死神』の行動を遮るように、ハリスが呆れたように頭を掻いた。遠くで呆れた様子のハリスを、『死神』は睨みつける。

「愚かなことはするな、って」

 その声は、『死神』の耳元から発せられた。

 一瞬。ほんの一瞬のうちに、ハリスは『死神』のすぐ目の前に来ていた。それも、『死神』の大鎌の柄を握りながら。

 常識を逸したその速度により微かに巻き起こる砂埃が、僅かながら現実感を持たせる。だが、予備動作すら感じずに行われたそれは、驚愕と恐怖により、『死神』の体を硬直させた。

 ハリスは落ち着いてユイの首元から鎌を離していく。『死神』は力を込めて抵抗はするが、ゆっくりと鎌は動いていく。

 完全に鎌がユイの首元から離れたとき、ハリスが『死神』の鎌を横に弾く。そしてそれと同時に、ハリスとユイはその場から消えた。気付けば、ハリスはユイを抱きかかえ、観覧席にいた。

「ハリ、ス……」

「悪いな、ユイ。少し、待っててくれ」

 ハリスはそれだけユイの耳元でささやき、ユイを静かに椅子に下ろす。短刀のハリアルでユイの両手両足を縛る縄を切ると、再びアリーナ部分に舞い戻った。すぐに消えたハリスを見ながら、ユイは呟く。

「今のは、ハリスだった……」

 一瞬の間感じられたハリスの温もり。そして微かに見えた暖かい目。それは、ユイが知るハリスの目。

 だが、今アリーナ部分に戻ったハリスが持っている雰囲気は違う。冷徹な、嫌な雰囲気だった。

「さて、終わりにしようか」

 冷徹な雰囲気を纏ったまま、ハリスは『死神』達の下へと歩み寄る。動けば何をされるか分からないという恐怖から、何もできなかった警備兵たちの下へと。

「『死神』さん。あんた隊長だろ? こんな時くらい、部下を守ったらどうだ?」

「……」

 『死神』は黙ったまま、持っていた大鎌を構える。ハリスを精一杯睨みつけながら、突撃しようと脚に力を込めた。しかし、そんな行為を嘲笑うかのような口調で、ハリスは口を開いた。

「ま、それが出来ればの話だけどな」

 それだけ言ってハリスは姿を消す。

 死神と化したハリスはもはや気配など持っていなかった。気配も無く警備兵たちを殺し回っていた。ハリスが残した、強く蹴られた足跡から『死神』はハリスのいる場所を予測しようとするが、遅かった。

 悲鳴が第二闘技場に響き渡る。そして『死神』がハリスの姿を見つけられぬまま、ハリスの声だけが『死神』の耳に届く。

「ほら、『死神』さん。早くしろ。せめてこの無防備な部下どもに臨戦態勢くらい取らせたらどうだ?」

 気付けば、警備兵たちは臨戦態勢を取ることすらしていない。

 恐怖からか武器を落として立ち尽くす者、うずくまって頭を抱える者、座り込んで神に祈りをささげる者。そんな者ばかりであった。

 こうなってしまうのも、あの日の恐怖を思い出したトラウマからか。それを理解していても、警備兵たちの体たらくを見た『死神』は少しの苛立ちで声を荒げる。

「……武器を取れ! 戦え! 復讐心を燃やしてみせろ!」

 そんな声も無駄なのは理解していた。助けることも出来ない自分が言う義理は無いのも理解していた。しかし、そう声を荒げるしかなかった。

 そして『死神』の理解通り、反抗しようとする者は誰一人としていない。皆、生を諦めている。

「まあ、トラウマってのは強く心に残ってるからな。どうしようもないさ」

 その言葉と共に、姿を消していたハリスが『死神』の正面に現れた。そのままハリスはゆっくりと、『死神』に近づいていく。

「これ以上蹂躙してもいいんだが、こんな時にあんまり長引かせるのもな。……後は、『死神』さんだけで勘弁してやろうか」

 その言葉を聞いて、警備兵たちは一斉に第二闘技場の出口へと走り出した。慌てて走る警備兵たちを見ながらハリスは愉快そうに笑う。その様子は、先ほどまでの冷徹な雰囲気を持ったハリスとはまるで違かった。

「おーおー、あんなに一生懸命に。隊長の手助けになる気もないか。やっすい忠誠だな」

「……別に、忠誠などあいつらには求めていなかったさ」

 『死神』は、突如変わったハリスの様子に警戒しながら軽く反論した。それと同じタイミングで、ハリスは『死神』から十分な間合いを取って立ち止まる。そして、おもむろにマスクとフードを外し始めた。

「もう、これをしてる理由もないしな。息苦しいだけだ。ほら、てめえも外したらどうだ?」

 『死神』は黙ったまま、何もしない。そんな様子を見て、ハリスは首をかしげる。

「……ま、いいけどな。んじゃ、ハリアル出せよ。何の抵抗もしないで死にたくはないだろ」

 余裕を持った口調でハリスはそう話しかける。『死神』はその様子に軽く苛立ちつつ口を開く。

「その余裕、俺がハリアルを生成している隙に倒せる自信があるってことか」

「……さてね」

 図星を突かれたのか、ハリスはわざとらしく、肩を上げた。それを見た『死神』はため息を1つつくと、手に持っていた大鎌を投げ捨てた。

 そして、暗闇を照らす一瞬の閃光の後に『死神』の手に握られていたのは大鎌。ただ、今まで手にしていた大釜や、ハリスの漆黒の鎌とは違う、銀色の美しい鎌だった。それを見て、ハリスは口を開いた。

「お仲間さんか。……てか、さっきまでと武器同じじゃねえか」

「こっちの方が、俺は使い慣れてるんでね」

 『死神』はその言葉と共に、感触を確かめるように鎌の柄を両手で握り締める。『死神』によって軽く揺らされた銀色の鎌を見ながら、ハリスは言葉を続ける。

「それにしても、お前の鎌はキレイだな」

「……俺は、このハリアルは嫌いだがね」

「ん? なんでだよ。せっかくキレイなのによ」

「自分の故郷と家族を滅ぼした犯人と一緒のハリアルで、嬉しいと思うか?」

 その言葉を聞いて、ハリスは納得したように、あー、と声を漏らした。その表情は、とても興味がなさそうな表情。その表情は、先ほどまでの冷徹な雰囲気を纏っていた人物が出すような表情ではなかった。『死神』は疑問を投げかける。

「……戦う前に、聞きたいことがある」

「どうぞ」

「なんで急に態度が変わった?」

「……別に理由なんてねえよ」

 『死神』は、そうか、と呟いて少し俯く。軽く深呼吸をして、少し俯いたまま次の質問をした。

「次。……お前が、俺らの故郷、ディード・タイロスを潰した『死神』で間違いないな?」

「ああ、その通りだ」

 その答えを聞いて『死神』は大きく息を吐いた。そして、自身のハリアルを強く握り締め、顔を上げる。その目は、強い憎しみの目。

「そうか」

 それだけ言って、『死神』はハリス目掛けて駆け抜けた。その勢いのまま、『死神』は鎌を縦に振るう。その速さは常人からすれば相当な速さではあるが、ハリスはそれを意にも介さずに自身の鎌を軽く振るう。

 漆黒の鎌と、白銀の鎌がぶつかり合う。そして辺りに響く大きな金属音。そこからすぐに動くのではなく、鎌と鎌をぶつけ合ったまま『死神』が口を開く。

「……死んでいった家族、仲間、そして滅ぼされた故郷の復讐の為にも、俺はここでお前に勝たなければいけない」

「勝てると思ってんのか?」

 鎌と鎌が離れ、両者の距離が開く。距離は開いたが、すぐに攻撃に転じられるように『死神』は武器を構えながら返答する。

「無理だとしても、やらなければならない!」

 言葉と共に、勢いよく『死神』は駆ける。今度は刃で斬りかかるのではなく、柄の先端部分でハリスを突きにかかる。

「お前には、わからんだろうな!」

 ハリスはそれを横に避けるが、『死神』は鎌を勢いよく横向きに回す。結果、刃の部分がハリスに襲い掛かる。

「この、憎しみは!」

 勢いよく振られた鎌を、ハリスは鎌の柄で防いだ。そして辺りにまたも大きな金属音が響く。

 防がれた鎌を引いて、『死神』は再び距離を取る。

「そんなベラベラ喋りながらじゃ、舌噛むぞ?」

 茶化すように、そうハリスが言う。それを聞いて、『死神』は鼻で笑った。

「自分の復讐心を奮い立たせているんだよ。手加減しているお前に勝てるようにな」

「ああ、なるほどな」

「それに、復讐なんて、とお前は笑うだろう? そんな力を持っていて、敗者にならないお前は、復讐する者の気持ちなど知りようもないだろうしな」

 『死神』が期待していたのは、ハリスが自分を嘲笑って本気を出さないことだった。しかし、そんな期待とは裏腹なことをハリスは口にする。

「いや、復讐ね。いいと思うぜ?」

「……なに?」

 期待とは反対のことを言われ、『死神』は少し戸惑った。それを気にもせずハリスは言葉を続ける。

「いいじゃねえか。最も単純で明快な行動理由だ。ただの自己満足だが、許される自己満足だと思うぜ。……けどよ」

 そこでハリスの言葉は途切れる。それと同時に、突撃の姿勢をとる。

「その自己満足に俺達を巻き込むな」

 ハリスがすさまじい速さで突撃する。『死神』は、速さでは勝てないのを理解しているために回避を選ばず、防御の選択を取った。再び鎌と鎌がぶつかり合う。そしてそのままハリスは言葉を続けた。

「別に、他の生徒達を人質に使って、もしくは殺して、交渉に使うなら構わねえよ。俺だって、大人しく人質をやってやった」

「……なんだと?」

 信じられない言葉を耳にした『死神』は一瞬硬直する。それとは対称的に、ハリスは微笑んでいた。

「オレはな、ユイと聡が無事ならそれでいいんだ。他の人質共の命がどうなろうが知ったこっちゃない」

「にわかには信じがたいな。ここに来るのが遅くなったということは、他の校舎を制圧して時間がかかったからだろう? 他の人質を救ってるじゃないか」

「世間体さ。他を見殺しにしてみろ。オレはここにはいられなくなる」

「それだけのためか?」

「ああ」

 そこで会話は途切れ、両者の攻防が再開する。『死神』は縦や横に斬ったり、回転斬りをしたり、時にはハリスの後ろに回ったりと激しい動きでハリスを翻弄しようとする。しかし、ハリスはそれを軽く弾いて対処していく。

 両者の大きな鎌が大きな動きでぶつかり合うことで、衝撃と金属音が激しく辺りに響き渡る。そんな中、月明かりに照らされた白銀の鎌と、『死神』がマントに背負った白の十字が、薄い暗闇の中で存在感を増していく。それとは対称的なハリスの漆黒の鎌と漆黒の姿は、何か不気味なものがあった。

 ユイは観覧席からその光景を眺めていた。ユイがハリスを見つめる眼差しは、恐怖の眼差し。怯え、淀んだ視線。しかしそれはハリスの不気味さから来るものではない。ハリスが、自分の知っているハリスに戻ってくれるかどうかの恐怖からだった。

 そんな恐怖を持っていても、ユイはどうすることもできなかった。『死神』とハリスの戦いはユイが止められるようなものではない。そして、戦いをやめてと叫ぶこともできない。今叫べば、それはハリスの邪魔になる。ただ、願うことしか出来なかった。

「お願い、ハリス……。ちゃんと、戻ってきて……」

 ユイの願いなど露ほども知らないハリスは、防御を続けていた。しかし、それは余裕からくる防御。まさに遊びのようなもの。それを悟った『死神』は一旦攻撃をやめ距離を取る。

「くそっ、なんなんだその強さは……」

 『死神』はハリスを睨みつける。先ほどの警備兵たちを大量殺戮したときもそうだが、明らかにハリスの強さは化け物じみていた。そして、それと共に浮かんだ疑問をハリスに投げかける。

「……お前、歳はいくつだ?」

「ん? 22歳だけど?」

「22、だと?」

 ハリスが言った年齢を聞いて、『死神』は驚愕で目を見開く。

「戦いを始める前、お前は『死神』だと言ったな? 5年前、俺らの故郷を滅ぼした、あの『死神』だと」

「ああ、そうだな」

「なら、あの時、お前の年齢は17歳だったということか?」

「え?んっと、そうなるか」

 ありえん、とだけ『死神』は呟いて首を横に振る。そしてそのまま感情に任せて言葉を発していく。

「お前は、たった17のときに、国を滅ぼしたというのか!? そんな歳で、何も感じなかったのか!? 人を殺すということに、大量殺戮ということに!」

 怒りや戸惑いといった感情が混ざり、『死神』が声を荒げる。『死神』は少なからず困惑していた。

「いやまあ別に、そういう環境で育っちまったからな。あの戦争が始まったときからずっとそうしてきたんだ。あの時だけ何か感じるなんてこともねえ。それに、色々とあったしな、あのときは」

 ハリスは、その質問に当然のように答える。質問の答えを聞いてなお、『死神』の困惑は収まらない。

「開戦から……? そんなの、わずか13か14くらいだろう? そんな力がどこに、どうやって……」

「……物心ついた時から強制され続けてきた戦闘訓練に、薬や手術でいじられまくった肉体、そして無理やり植えつけられたハリアル。それに加えて殺戮は正しい、という洗脳。これだけ揃えば、異常な力は手に入るさ」

 何を言っているのか、『死神』には理解できなかった。小さな子供に訓練を強制し、肉体改造や洗脳を行う施設が存在すると言うのか、そしてそれを、戦場に送り出す国のことも、『死神』には信じられなかった。

「何がなんだか、わからんな。どこまでが真実でどこまでが嘘だ? ヤジダルシアがそこまで腐りきっていたというのか?」

「全部本当さ。この国がおかしいってのもな」

 あまりにも驚愕する事実に、『死神』は頭を抱える。この話は到底真実には聞こえないが、嘘だとしてもハリスの強さに納得がいかなくなる。顔から察するに年齢も嘘ではないだろう。ならば、あの若さでここまでの強さを持つ説明をするには、ハリスの話を信じるしかない。

「……ということは、お前がたった2人だけのために行動したと言うのも嘘じゃなさそうだな」

「まあ、真実の話だしな」

「ここの学生なのだとしたら、大戦が終わってからお前は普通の日常を過ごしてきたはずだ。恥ずかしくないのか、人として。人を簡単に見殺しにできるような神経など、普通じゃないぞ」

 その言葉を、ハリスは鼻で笑った。その笑いは、クロウと同じく自分が化け物だと理解しているからこそ出る笑いだった。

「別に、なんとも思わないね。普通の生活をしていても、俺が化け物だって事実に変わりはねえしな。ズレてるとは思うぜ? だからこそ世間体なんぞ気にしてるんだ」

「ならお前は」

「ったく、ゴチャゴチャとうるせえんだよ」

 ハリスが鎌を横に振るう。それと共に広がる衝撃。衝撃は風となって『死神』を襲い、白十字のマントを強くはためかせる。

「俺はてめえとおしゃべりするためにここに来たんじゃねえ」

「……すまないな。確かにそうだ、俺たちは殺し合いをしている」

「殺し合い?」

 肩を軽く震わせてハリスが笑う。その笑いが理解できない『死神』は怪訝な顔を浮かべる。

「何言ってんだ、これは殺し合いなんかじゃねえ」

 ハリスはそこでゆっくりと、『死神』に向かって歩き始める。対して『死神』は少しずつ離れて距離を取っていく。

「蹂躙だ」

 ハリスが、姿を消す。『死神』はそれをなんとなく予感していた。ハリスが先ほど笑ったときから、彼の持っていた冷たい雰囲気はより一層冷たく、不気味になっていたからだ。

次の瞬間、響く金属音。それは『死神』が予感していたからこそ、後ろから襲い掛かるハリスの攻撃を防御できた為に発生した音。

「お、やるじゃねえか」

 それだけ言うと、ハリスは再び『死神』の目の前から消え去った。一瞬の内に『死神』の後ろに回りこんだハリスは、鎌の柄で『死神』を勢いよく殴りつける。防御すらままならず、衝撃で『死神』は横に飛ばされる。

 『死神』は吹き飛びながらも、ハリスの足から目を離さない。いつ消えてもわかるように、察知できるように。地面に倒れ、起き上がる最中も視線だけはハリスの足にあった。

 しかしその努力も無駄に終わる。再びハリスがその場から消え去る。そしてハリスが放った攻撃に対して、『死神』は防御はもちろん察知すらできずに、その身を飛ばされる。

 『死神』は倒れ付さない様に足だけをつくが、ハリスはそれを見透かしていたかのように『死神』の横に現れる。ハリスは『死神』の足元で鎌を左に振り、足を払う。そして鎌を右へと振りなおし、再び『死神』を殴りつける。

「う、ぐ……っ!」

 ハリスの攻撃は『死神』の腹を捉えていた。『死神』が吹き飛ばされ、地面に倒れ付す。『死神』は腹を抱えたままゆっくりと立ち上がることしか出来ない。

「ほら、立てよ。俺に復讐するんだろ?」

「く、そ……」

「ここまで来たら、いっそ殺してもいいんだがな。俺を怒らせちまった罰だ。家族の仇を前に復讐できず、一方的に蹂躙されて、苦しみ抜いて死んでくれ」

 そう言ってハリスは『死神』のマントを掴み、無理やり立たせた。『死神』は痛みで腹を抱えながら、なんとかハリスの手を振り払い2、3歩後退する。

「ほら、行くぞ」

 そして、蹂躙が始まった。

 漆黒の鎌で行われる、打撃による蹂躙。

 回避も、防御も行えない高速の中での蹂躙。

 鳩尾を殴られ、全身の各所を打たれた『死神』にとって、その打撃は何よりも苦痛のものだった。

 そんな蹂躙の中、ハリスの表情は変わらない。

 クロウの様に楽しそうに笑うわけでもなく、怒りに顔をゆがませるわけでもなく、無の表情で蹂躙を行っていく。

 それはまるで、慣れ親しんだ作業を行うかのような表情。何の感情すら生まれていないことが、手に取るように分かる表情。

 そして、ハリスが蹂躙を行う様子を、遠巻きから静かに見つめるユイ。

 ユイは目を背けることはせず、変わってしまった想い人を見つめる。

 蹂躙を行う想い人からは、何の感情も感じ取れない。怒りすらも。ユイはそれをただ不気味だと思った。

 しかし、突如その視界を暗闇が支配する。

「え、わっ、何!?」

「こんな光景、あんまり見るもんじゃねえぞ?」

 後ろから聞こえるクロウの声。ユイの視界を支配した暗闇は、クロウがユイの目を後ろから手で覆ったことによる暗闇だった。

「クロウ、さん?」

「おう。しっかしあいつ、完全にブチ切れてるな」

「え、っと、わかるんですか?」

「まあな。ああなったらもう、止めるのは面倒くせえ」

 ユイはクロウの手を離そうとするが、なかなか離れてくれない。クロウの手に力を込めてみるものの、全くビクともしなかった。

「あれはもうハリスであってハリスじゃないって感じだな。嬢ちゃんもわかるだろ?」

「なんとなくは、ですけど……。いつものハリスとは、全然違う、怖い感じ、です」

 クロウはその言葉を聞いてカッカッカッ、と笑う。その拍子に力が緩んだのか、ユイはなんとかクロウの手を引き剥がすことができた。

「怖い、ね。まあ普通ならそうか。あいつは普段は温厚な方なんだがな、ブチ切れるとこうなって、手も付けられん」

 ユイの視界を塞ぐことを諦めたのか、クロウはユイの後ろの座席に座り込む。ユイはクロウの方を見ようともせず、会話を続ける。

「……なんとか止めたいんですけど、クロウさん、なんとかなりませんか?」

「んー、なんとかなるけど、なんとかしたくねえな」

 クロウは悪いな、とでも言うようにユイの頭をポンポン、と叩く。

「あいつがブチ切れるなんて、最近無かったからな。久しぶりに見たいんだよ」

「見るって……、あんなに痛めつけてるんですよ!? あの痛めつけようは普通じゃないですよ!」

 ユイが勢いよく振り向きながらそう言った。あまりの勢いに、クロウは一瞬目を見開く。しかし、すぐさま楽しそうに微笑むと、クロウは返答した。

「そうだな、普通じゃねえな。でも、俺はそれが楽しいんだ。悪いな」

 その言葉が信じられずに、ユイは脱力する。なんとなくだが、クロウには説得も意味が無い気がした。

「じゃあ、どうすれば……」

「見てるしかねえな。敵さんが死ぬか、ハリスが飽きるか」

「そんな……」

 ユイはひどく残念そうに俯いた。自分にはどうすることもできないのだと理解し、落胆する。その様子を不思議に感じたクロウが、ユイに質問を投げかける。

「大体よ、なんでそんなに止めたがる? ハリスが痛めつけてるのは所詮、悪人だぞ?」

「確かに、あの人は悪い人ですけど……」

「それとも何だ、ハリスに惚れてるから、ってか?」

 ユイをからかうように、軽く笑いながらクロウがそう口にした。そのからかいに頬を赤くすること無く、ユイは真剣に答える。

「そう……です。私は、あんなハリスは見たくないんです。それに……」

 椅子にもたれかかったままで、クロウは真剣な様子のユイを見つめる。

「……あのままじゃ、ハリスは人じゃなくなっちゃう気がして」

 振り返ったまま掴んでいた椅子の背もたれを、ユイはぎゅっと握り締めた。そして目からは一粒の涙がこぼれる。

 クロウは、それを黙って見ていた。そして、未だ蹂躙を続けるハリスの方に目を向ける。その目はどこか暗い雰囲気を漂わせていた。

「……ったく、わかったよ。止めてきてやる」

「……いいん、ですか?」

「お前さんを泣かして何もしないってなったら、それこそハリスに殺される」

 クロウは椅子からゆっくりと立ち上がり、軽く首を回す。それから、クロウは右手をユイに差し出した。その意味が分からず、ユイは首を傾げる。

「……え、っと?」

「ただし、お前さんのハリアルを貸せ。それで止めてきてやるよ」

 クロウは、非常識なことを口にした。普通なら、他人にハリアルを貸す事などはあまりしない。ハリアルを誰もが持っている世界では、最後の自衛手段を失うということになるからだ。

 しかし、ユイは躊躇わずに自身のハリアルを生成し、クロウに渡す。ユイの学園内ランクは1325位。生徒数が5000人を越える学園内では高いほうだと言えるが、学園内で7番目の強さを誇るハリスの戦闘に介入できるほどの腕は無いことがわかっていたからだった。

 そして、クロウに渡されたユイのハリアルはハンドガン。バレルやライトなど、大掛かりな改造は施されていない。

 クロウは渡されたハンドガンを見回しながら数秒眺めた後、口角を大きく上げた。

「いいね、こういうタイプの武器は久しぶりだ」

「……大丈夫ですか?」

「任せとけ。ハリスを撃ったりはしねえよ」

 心配そうに見てくるユイを無視して、クロウは観覧席とアリーナを隔てる壁を越え、アリーナへと降り立った。

 歩きながら、ハンドガンのセフティを解除し、スライドを引く。銃を握った右腕を前方に伸ばし、片目を瞑って『死神』に標準を合わせようとする。しかし、高速で動くハリスが邪魔でなかなか標準が合わない。

「んー、やっぱ適当にやろうとしてもダメか」

 そう言うと、クロウは銃口を天に向けた。そして、二回ほど引き金を引く。

 銃声が闘技場内に響き渡り、それによりハリスの動きが止まる。蹂躙が止んだ『死神』は地に倒れる。そしてクロウは、驚愕の表情を浮かべていた。

「うおっ、銃ってこんなに衝撃あったっけ? ま、いいや」

 そのままクロウは歩きながら、倒れ付した『死神』に標準を合わせる。

「ハリス、そいつを殺すのは俺が変わってやる。嬢ちゃんのところにいきな」

「……何のつもりだ」

 煩わしそうに、ハリスは鎌の刃部分で『死神』を守った。クロウからは、ちょうど急所に当たらないように。

「だーかーら、変わってやるって」

「そうじゃない。その銃だよ。それ、ユイのだろ」

「おー、よく分かるねえ。さっすが」

 ため息をつきながら、ハリスは左手で頭を掻く。そして、面倒くさそうに口を開いた。

「色々聞きたいことはあるけどさ、なんでここでお前が出て来るんだ。お前なら喜々としてこの光景を見てるだろ? それか、乱入してくるか」

 クロウはそこで立ち止まる。『死神』に向かって標準を合わせたまま。

「ま、な。けど俺は、情に厚くて義理堅い、やっさしーい男なのさ」

「は?」

 ふざけながらクロウが口にした台詞を聞いたハリスは、怒ったようにそれだけ口にした。それを見たクロウは、カッカッカッ、と楽しそうに笑う。

「そんなに怒んなって。大体、俺がこんなことしてる時点で察しはつくだろ?」

「……まあ、お前が喜々として乱入してこない時点で違和感はあったけどな」

「俺だってよ、女子に泣かれりゃあ弱いわけよ」

 クロウは銃口をハリスの頭に向けた。後ろの方で、ユイが慌てるのがなんとなく分かった。しかし、それとは反対にハリスは全く動じていなかった。それを分かっていたかのように、クロウはふざけた口調で口を開く。

「今すぐ『死神』さんから離れろ。さもなければ撃つ」

 それを聞いたハリスは鼻で笑ってから、漆黒の鎌のハリアルを消滅させた。そして、クロウを馬鹿にするような表情で口を開いた。

「セフティ、掛かってんぞ」

「あら、バレた?」

「今さっき掛けてたろうが」

 そう言うと、ハリスはクロウの後ろに目をやる。ユイがこちらに駆けてくるのが見えていた。ユイはハリスの下へたどり着くと、そのままの勢いでハリスに抱きつく。

「ハリスっ!」

 ユイは抱きついたあとに、すぐにハリスの表情を確認した。そして、涙目になるとハリスの胸元に顔をうずめる。

「……よかった、ハリスだあ」

 その言葉の意味を、ハリスは一瞬理解できなかった。しかしなんとなく理解して、ユイを抱きしめ返し、頭を撫でる。

「ごめんな、ユイ」

「うう……、バカ……、心配したんだから」

「いやあ、お熱いこって」

 クロウがニヤニヤしながら2人に近づいていく。そしてハンドガンをユイに差し出した。

「ほれ、閉まっとけ」

「ありがとう、ございます」

 ユイはハリスの胸元から顔を離すと、鼻をすすりながら銃を受け取った。一瞬銃が光り、ユイの手元から姿を消す。それを満足げに見ると、クロウは口を開いた。

「お熱い展開は後だ。とりあえず、他の様子でも見に行かねえとな」

「……そうだな、第一闘技場もそうだし、一号館とか他の校舎の様子も気になる」

 ハリスはユイの頭を撫でながら、真剣な表情でクロウに答える。それから、思い出したようにクロウに問いかけた。

「そういえば、リーダー格の足止めはどうなった?」

「ああ、どっかで倒れ付してる。多分、動けないんじゃねえか」

 適当に対処したかのようなクロウの言葉を聞いて、ハリスは呆れたようにため息をついた。

「多分って……。縛ったりは?」

「してない。俺がそういうのしないのは今に始まったことじゃねえだろ?」

「……ま、そうだけどさ」

 クロウは、倒れ付していた『死神』の下へと歩み寄る。

「うわ、こいつ息微かだぞ」

「まだ生きてるだろ。尋問には使える」

「ま、そーね」

 そう言ってクロウは『死神』をボールのように足で軽く蹴りあげて、『死神』を肩に担ぐ。

「ユイ、俺らは校舎を軽く見回るけど、お前はどうする? ついてくるか? それとも、聡達のところに行くか?」

「……ついてく」

「そうか」

 ハリスはユイの髪の毛を乱すように撫でまわす。嬉しそうな悲鳴を上げるユイを見て、ハリスは優しく微笑んだ。

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