第12話 対峙

 午後5時38分。ハリアル訓練学園敷地内道路。

 第五宿舎から飛び出したレッドは、四号館に向かって走っていた。この学園の膨大なまでの広さに苛立ちながら。

「よく、この距離を、毎朝、通うものです」

 レッドは小言を呟く。遠くに見える四号館を睨みながら。これなら、宿舎の近くに大きな駐輪場があったのも頷ける。こうなるのなら自転車や自動車の1つ拝借しておけばよかった、とレッドは後悔した。

 そんなことを考えながら、レッドは道を曲がる。そのまま走り抜けることもなく、レッドはそこで足を止めた。

 レッドの視界の先。進路をふさぐように立つ、1つの影。

「探したぜ。て言っても、たまたま見つけたようなもんだけどな」

 その男は、ゆっくりとレッドの方に向かい歩みを進める。

「……誰ですか、あなたは」

「正義のヒーロー、ってところか。カッカッカ」

 調子よくその男は笑う。レッドはそれを無視し、男との距離を予測する。その距離おおよそ50m。このくらいの距離なら数歩、といったところか。

「ま、一度しか言わねえからよく聞けよ」

 レッドは背負った大鎌に手をかける。引き抜こうとしたその時。

「クロウ・オーラフォードだ」

 その言葉は、50m先から発せられていなかった。発せられたのは、自分の目の前。クロウは、レッドの目と鼻の先にいた。

「なっ……!」

 大鎌を背中から引き抜きながら、レッドは慌てて後ろに下がる。クロウは、先ほどまでレッドがいた場所で、カッカッカ、と高笑いしていた。

 レッドは気付いていた。体験したことのある速さ。この男とは、一度、戦っている。

「貴様、昨日の……っ!」

 大鎌の柄を強く握り締めながら、怒りの感情をレッドはあらわにする。

 ここまで如実に感じる力の差。速さ。それを前に感じたのは、昨日の午前2時。路地裏で、レッドはそのときは『死神』として、クロウと戦っていた。

「ん? 昨日の? ……あー、ってことはお前、あの弱かった『死神』か」

 クロウは余裕そうな態度でまたも、カッカ、と笑う。そのクロウの姿にレッドはさらに苛立つ。

「なーるほどな。あれがお前だったのか。なんか納得したわ」

「納得……?」

「ああ。お前さっき、二号館で見回りしてよ、警備兵と話してたろ? あれな、俺の仲間だぞ」

 その言葉を聞いてレッドは驚愕で目を見開く。

「しかもそのとき二号館はもう制圧されてたってオマケつき。そりゃあ弱いんだもんな。気付かねえわけだよ」

 レッドはより強く大鎌の柄を握り締める。クロウの挑発とはわかっていても、苛立ちを抑えることはできなかった。

「雰囲気は強そうだと思ったんだが……、勘違いか」

「……黙りなさい」

 耐え切れなくなり、レッドは言葉を発する。そして同時に、手にしていた大鎌を背負いなおした。

「そんなに殺して欲しいなら、望みどおりにしてあげましょう」

 苛立ちにより、レッドの頭からは、四号館に向かわねばならないことは抜け落ちていた。戦闘するならば、連絡はしてからではないといけないことも。そんなことも忘れていそうな様子のレッドに気付いて、クロウはニヤリ、と微笑む。

 木々に囲まれた暗い道路の中で、一瞬だけ光が生まれる。そして光が消えたと思えば、レッドの右手には長い一本の鞭が握られていた。

「ほう、鞭。それがてめえのハリアルか、随分珍しいもん持ってるじゃねえか」

「後悔しても、知りませんよ」

 先ほどとは違い、レッドとクロウの間は50mも無い。この距離ならばやれる。そう確信したレッドは、手にした鞭を勢いよく振った。鞭が空気を叩き、辺りに強烈な破裂音が響き渡る。

 そしてそれと同時にレッドは駆け出し、鞭をなぎ払うようにクロウに叩きつける。

 クロウは当然のようにそれを飛んで避けるが、レッドの狙いはクロウに鞭を当てることではない。レッドはもう一度、飛んでいるクロウの足に向かって鞭を振るう。

 空中にいて避ける手段のないクロウの足に、鞭が勢いよく破裂音を鳴らしながら当たる。それと同時に鞭がしなり、クロウの右足へと巻きつく。

「お、巻きついた」

 だがクロウは、それを意にも介さずにそんなことを言いのけた。レッドはその余裕を見て、鼻で笑う。

「これで、あなたの機動性はなくなりました。さあ、本気を出さないとこの鎌に切り刻まれますよ」

 レッドが絶対的な自信を持っているのは、この鞭が理由であった。クロウは明らかな余裕で手加減をしてくる。ならば、そこにつけこめばよい。鞭でクロウの足を縛ってさえしまえば、クロウの武器ともいえる機動性はほぼ弱体化する。弱体化してしまえば、レッドならば追いつける自信はあるし、大鎌でクロウを斬ればよい。

「本気、ねえ」

「それとも、諦めますか?」

「いやあ、俺が本気なんか出したら、お前死んじゃうぜ?」

 この状況にあって、この男はまだここまで余裕でいられるのか。ポケットに両手を入れて、まるでハリアルを出す気すら感じられない。

 クロウの余裕をレッドは正直信じられなかったが、本気を出さないのなら殺すしかない。

「わかりました。なら、死んでください」

 レッドは左手で背中の大鎌を取り出す。そして、ためらいなくクロウへと斬りかかる。

 だが、その刃先は、クロウのおでこで動きを止めた。

 大鎌の刃先は、確かにクロウの頭めがけて振り下ろされた。クロウが両手を出して柄を掴んでいるわけでもない。

 レッドは目の前の光景が信じられなかった。そして、理解できなかった。クロウの頭になにか鋼の板をしこんでいるわけでもない。音もなく、大鎌は動きを止めた。

 そして何よりレッドが信じれなかったのが、どんなに力を込めても、押すこともできないし引くこともできないことだった。

「な、にっ……!」

 レッドは昨日の光景を思い出す。大鎌を指で摘むだけで止めてみせたクロウの行動を。ただの握力だと思っていたが、何かが違う。何をしたのか。

「さて、それじゃ、よっぽど本気を出して欲しいみたいだし。ほんの少し、本気を出してやる」

 クロウの足元が、強く光る。だがそれは先ほどまでの光り方ではない。赤く、炎のような動き方をしたオーラがクロウの足元を照らす。

 そしてそれと同時にクロウの足を縛っていた鞭がはじけ飛ぶ。何の予備動作すらなく弾き飛ばされた鞭の先は、所在無さげに地面に横たわった。

 レッドは戦慄し、手から大鎌を離して大きく後ろに後退する。しかし、それでも大鎌は浮いたままで、クロウのおでこから動かなかった。奇妙な光景にレッドの戦慄は増していく。

「おいおい、くっついたままじゃねえか」

 手を伸ばし、クロウが大鎌を掴む。すると、先ほどまでの光景が嘘のように大鎌はクロウのおでこを離れた。

「返すぜ、ほれ」

 クロウが大鎌を放り投げ、レッドの足元まで音を立てて大鎌が転がっていく。レッドは大鎌を拾い上げ背負いながら、目の前の光景をどう解釈すればいいのかわからなかった。

 こちらまでゆっくりと歩きながら、クロウの足元は未だ赤いオーラに纏われている。そして歩みと同時に、地面のタイルがひび割れていく。

「おっと、これじゃあ道路が壊れちまうな」

 そう言うと、クロウの足元のオーラが変わった。瞬きすら許さぬ一瞬の内に、炎の様な赤いオーラは足を包み込んで静かに揺らぐ黄色いオーラに変わる。

「あなたは一体、何をしているというのですか……!」

「何って、これが俺のハリアルだよ」

 レッドには、とてもその言葉が信じられなかった。ハリアルには特殊能力など存在しない。しかしクロウのやっているそれは、明らかに特殊能力、という類の物だ。

「カッカッカ、信じられないってか。じゃあ、ちょっと昔話をしてやろうか」

 歩みを止めて、クロウは楽しそうに語り始める。だが、その話は遮られる。

 暗闇からクロウの後ろに現れた、1人の巨大な男によって。

 男は大きく拳を横に振るう。屈強なガントレットを装備したその拳は、クロウをしっかりと捉えた。ものすごい衝撃で殴られたクロウは吹き飛び、近くの木に激突してしまう。

 大きい音と共に、木が折れ、クロウに覆いかぶさる。巨大な木が倒れるとともに、ブラックやレッドからはクロウが見えなくなる。

「遅れたな、レッド」

「ブラック……! 来てくれましたか!」

 ブラックは腕を慣らすように回しながらレッドに近づく。レッドも小走りでブラックに近づくが、クロウに対する警戒は解いていなかった。

「気をつけてください。彼は得体の知れない能力を使います。何が起こるか、わかりません」

「ああ、後ろからみていたが、足元を覆っていたあの光……。あれは一体なんだ?」

「私にも想像がつきません。彼はハリアルと言っていましたが」

「あれが? そんな馬鹿な」

 2人は戦闘態勢でありながら、ゆっくりとクロウのところへと近づいていこうとする。しかし、その歩みはすぐに止まる。

「おいおい、昔話の邪魔すんじゃねえよ」

 クロウの声が、2人の耳へと届く。だが、その声は信じられない場所からだった。

 慌てて2人は後ろを振り向いた。そこに聳え立つ1本の木の、頂上。そこにクロウはあぐらをかいて座っていた。

「人がせっかく種明かししてやろうと思ったのによ」

「どうやって……」

 ブラックがついついそんな悪態をつく。だが、レッドは別のことに気がついていた。

 先ほどまでの赤や黄色いオーラとは違う、青いオーラがクロウの足全体を覆っている。そのオーラは、炎の様な動きをするでもなく、静かに揺らぐ動きをするわけでもない。やわらかい曲線で包みながらも全く動かず、鋼鉄のようにクロウの足全体を照らしている。

「今度は、青ですか……」

「ああ、安心しろ。これで最後だよ。……よ、っと」

 クロウは軽く木を飛び降りる。そして余裕そうな微笑みを浮かべながら話し始める。

「さて、昔話の続きだ。むかーしむかし、あるところに1人の少年がいました。彼はとあるプロジェクトの人体実験の被験者です。そしてもう1人、少女がいました。彼女は人体実験の材料です」

 今度は、レッドやブラックを無視してクロウは勝手に昔話を始めてしまう。

「大人たちは、少女からハリアルを抜き出し、少年の体へと無理やり埋め込みます。当然、そんなことをすれば少年の体を激痛が襲います。しかし大人たちは構いません」

 この男は何を言っているのだろう。レッドは素直にそう思った。人の体からハリアルを抜き出し、埋め込む。そんなことができるはずがない。聞いたこともない。

「さて、人体実験は進みます。今度は別の少年を連れてきて、またハリアルを抜き出し、埋め込みます。次は大人の男性、女性。老若男女お構いはありません。次々と、何百人、何千人と」

 だが、レッドやブラックはその話を聞きながら動けなかった。ありえない話なのに、なぜか聞き入ってしまった。

「人体実験を行っている国は世界一の広さ、科学力、資金を誇る国です。捕虜や罪人は尽きることを知りません。どんどんその人体実験は進んでいきます。さて、ハリアルを埋め込まれた少年が痛みを耐えて、なんとか生き抜きました。その体には、数万のハリアルが埋め込まれていました」

 クロウは、まるで劇を演じるかのように、大げさな手振り身振りを交え話を続けていく。そのあからさまにふざけた態度でも、レッドとブラックは茶化すことなく聞き入ってしまった。

「人体実験は次の段階に進みます。大人たちはこれまで、他の人間で、別に行っていた人体実験で得ていた技術を使います。攻撃性のあるハリアル、防御性のあるハリアル、そして機動性を持つハリアルの3種類に分けていきます。もちろん、少年の体の中をいじくり回すわけですから、少年には再び激痛が伴います。しかし、少年は激痛の変わりに、力を手に入れました」

 そこでクロウはふう、と小さく息をはいた。先ほどまでの劇を演じるかのような口調とは打って変わった、冷めた雰囲気で話を続ける。

「これが、その力だ」

 そう言って、クロウの足元が黄色に光る。それと同時に、右手が赤く、左手が青く光る。

「赤が攻撃、青が防御、黄色が機動。耐え難い激痛を耐え抜いて得た力だ。さっき鎌を止めてたのも、木の上にあぐらをかけたのもこいつのおかげ。何かを巻き込んで青いオーラを出せば、物体はそこにとどまるってわけだ」

 右手を軽くクロウが振るう。すると、その動きに合わせて、クロウの体を覆っていたオーラが全て消えてなくなった。

「さあ、感想は?」

 しばしの静寂の後、ブラックが口を開く。

「……色々と信じられんが、まず機動性を持つハリアルなど存在するのか?」

「……希少性はとても高いですが、稀にそういったハリアルが存在すると聞いたことがあります。血液型にも希少性の高いものが存在するように。それに、あれを実現可能とする技術があるのなら、機動性を持つハリアルを生産、量産することも可能かと」

 ブラックの疑問に答える形で、レッドも口を開く。

「しかし、信じられませんね。ヤジダルシアでそんなことが行われていたとは」

「ちなみに、俺が属してたのはフォードだ。もしかしたら、てめえらも知ってるかもな」

 クロウが口にしたフォード、という名前にブラックは聞き覚えなさそうに首を傾げた。しかし、レッドの反応は全く別のものだった。

「フォード、と言いましたか……?」

「ああ」

 その名前を聞いて、明らかにレッドから怒りの感情が噴出するのがわかった。レッドが怒りに震える様子を見て、ブラックは不思議そうな顔を浮かべる。

「どうした、レッド」

「私たちの国、ディード・タイロスを潰した男は、戦争中に何と言われていたか知っていますか?」

「……『死神』だ。俺たちが『死神』の格好をしているのも、それが理由だろう」

「カッカッカッカッ!」

 突如、クロウの笑い声が響き渡る。そしてクロウは笑いをこらえながら、言葉を続ける。

「なるほどな、なんで『死神』なんか、名乗ってんのかと思ったら、そういうことかよ。てめえらディード・タイロスか! カッカッカッ!」

「……どういうことだ、レッド。まさか」

「そのまさかですよ。『死神』は、フォードに属していたと言われています」

 その言葉を聞いて、ブラックの目が大きく見開いた。ブラックから怒りの感情が噴出する中、クロウの笑い声はまだ辺りに響き渡る。

「いいねえいいねえ、因縁の勝負ってわけだ! フォードに属していた俺が! フォードの『死神』に潰されたお前らと! 真剣に殺し合う!」

 クロウは両手を広げて空を仰ぐ。その様子は、ひどく楽しそうだった。この状況を楽しんでいるのが、レッドとブラックを更に苛立たせる。

「カッカッカッ! お膳立てはここまでだ! 俺は手の内を明かした! お前らの怒りは頂点に達した!」

 そして、クロウは両手を胸の前で交差させてから一気に外に振り抜いた。その手は、炎のように、赤く光っていた。

「さあ戦おうぜ! そして、オレを楽しませてみせろ!」


 午後5時42分。ハリアル訓練学園第一闘技場。

 『死神』は、静かにアリーナ部分の中央に立っていた。

 アリーナ部分の端には集められた人質たち。それを囲む警備兵。

 アリーナ部分の外周に円を描くようにして並んでいる大勢の警備兵と、それを見下ろすように、外壁にも立っている大勢の警備兵。

 この状況の中、侵入者あるいは反抗者はどこから現れるのか。『死神』にとってそれが純粋に興味深くあり、楽しみであった。

 そして場を支配する静寂。その静寂は、人質たちの死の恐怖を加速させる。この状況が続いて数分。果たして侵入者あるいは反抗者は現れるのか。そんな不安も人質たちを震わせていた。

 第一闘技場に、1つの強い風が吹く。風が、『死神』達のマントをはためかせ、その音が場の静寂を破る。

「……おでまし、か」

 『死神』がそう呟いた。それからすぐ。外壁を蹴り上げ、上空を飛ぶ1つの影。その影に気付いているのは、この場では恐らく『死神』のみだろう。影は、素早くこのアリーナ部分に落ちて来て、その姿を見せた。今は顔を伏せるように、地面に片手をついたまましゃがんでいる。

 突如、第一闘技場に舞い降りた1つの影。警戒を厳にしている中、上空から現れたその影は、警備兵達と同じ格好をしているが、その雰囲気は味方の雰囲気ではない。その影に気付いていなかった警備兵達はざわめきながらも、慌てて戦闘態勢へと移行する。

 影は、地面に降り立った姿勢のまま、つまり地面に片手をついたままその場を動かない。第一闘技場全体に緊張が走る。

 『死神』は影を観察し、警備兵たちは大鎌を構えていつでも戦闘に入れるようにする。人質たちは突然起こった出来事に、息をのんでいた。

 数十秒経っただろうか、それとも数分か。短く、長く感じられた静寂を断ち切るようにゆっくりと、影が立ち上がる。それと同時に、警備兵たちは一歩ずつ、少しずつ間を詰めていく。

「……誰だ、貴様は」

 威圧を込め、声を低くし、『死神』は問いかける。影は何も答えず、わずかに見えるその視線で『死神』を睨んでいた。そのまま、再び静寂が場を支配する。影と『死神』の睨み合い。警備兵たちは動くこともせず、攻撃の機会をただ窺う。

「誰でもいいだろ、別によ」

 そして静寂を断ち切ったのは、男―ハリス―の声。

「なんでもいい、ユイを返してもらうぞ」

 その声に、その言葉に、人質の中の何人かが反応した。『死神』はその様子を見て、男の正体に検討をつける。

 考えられるのは、ユイ、という娘の肉親、あるいは知り合い。問題は、外の人間か、それとも学園の人間か。前者なら侵入者を許したことになり、後者なら学園内で反乱が起きていることになるが、今の状況では、侵入者か反抗者かの断定はできそうにない。

 『死神』は人質たちを見る。この人数の中から、ユイという娘を見つけ出すのは苦労しそうだ。ならば、時間を稼いでもらう必要がある。相手の戦闘力を少しでも把握するためにも、警備兵たちに戦ってもらった方が、都合がよさそうだ。

「……やれ」

 『死神』の一言で、警備兵たちがハリスに襲い掛かる。ハリスはそれを見て、わずらわしそうにため息をついた。

「めんどくせえなあ」

 ハリスはそうつぶやくと、そのマントを翻し、襲い掛かる警備兵たちを1人ずつ倒していく。襲い掛かる大鎌を短刀でいなし、蹴りや拳で確実に警備兵たちの意識をそいでいく。その動きに無駄はない。隙も微塵すら見受けられず、戦闘力の高さがうかがえる。

 『死神』はそれを注意深く観察しながら、残っている警備兵に耳打ちで命令する。あの戦闘の様子では、そう長くはもたないだろう。

 ハリスは警備兵たちを倒し終えると、こちらに歩を進めようとする。だが、その歩みはすぐに止まる。『死神』が行っていることの様子に気づいたようだ。立ち止まるハリスを見て、『死神』はつぶやく。

「……利口な判断だ」

 ハリスが目にしたのは、ひどく簡単な脅迫だった。1人の男子生徒の首に突き付けられた大鎌。それ以上動けば、この生徒の首は切る、という簡単な脅迫。

「君の戦闘力は高いようだ。それは認めよう。だが、こちらもなりふりかまっていられないんでね」

 精一杯の余裕を込めて、ハリスをあざ笑うかのように『死神』は話す。

「君もバカではないだろう。こうなることくらいわかっていたとは思うが……」

「なあ」

 『死神』の言葉を遮るように、ハリスが口を開く。

「あんまり、そんな愚かな手を使うなよ」

「……」

「そんなことくらい予測できるさ。予測できて、なぜ突入したと思う?」

 余裕を込めた、あざ笑うかのような口調でハリスは話を続ける。

「こうなるからさ」

 一瞬、その言葉の意味が、『死神』には理解できなかった。だが、すぐさまその言葉の意味を理解する。後ろにいた警備兵が倒れ伏す音を聞いて。

 『死神』が振り返って、倒れた警備兵の様子を確認すれば、腹の部分から血を流して倒れている。『死神』が急いで周囲を確認すると、外壁の部分。ちょうど先ほどハリスが蹴って来た外壁の部分に、2つの影。

「あれは……、スナイパーか?」

 この暗闇の中でも、『死神』はなんとか視認する。月明かりがちょうど手助けをしてくれた。そして人影を確認すると同時に『死神』は小さく舌打ちをする。

 スナイパーは恐らく1人だろう。だが、影は2つ。もう1つの影はおそらく護衛だろう。スナイパーがあの距離からこの暗闇で正確に打ち抜けると言うことはよほどの戦闘力であることが窺える。となると、その護衛も相当の実力と考えてよさそうだ。

「分が悪いな……。仕方ない」

 『死神』が手を上げ、いくつかサインを出す。そのサインが終わると同時。ハリスを囲っていた警備兵の大部分はスナイパーの方へと向きを変える。そして、ハリスがそれを警戒した一瞬の隙に。

 『死神』は近くにいた女子生徒の首根っこを乱雑に掴み、その場を飛び立ち、外壁を越えて外に出る。ハリスも慌てて『死神』を追いかけようとするが、何人かの警備兵に阻まれる。

「くそっ、邪魔だ、どけっ!」

 すぐにその警備兵達は蹴散らされるが、これで『死神』とハリスとの距離は開いてしまった。ハリスは急いで後を追う。

 だが、意外にも簡単にハリスは『死神』に追いついた。彼らが降り立った場所はすぐ隣の第二闘技場。そのアリーナ部分で、『死神』は女子生徒の背に立っていた。

 『死神』は大鎌を取り出し、女子生徒の首に大鎌の刃の部分をあてがう。そして、少しだけ大鎌を引いて、その首に傷をつける。

「こちらもなりふり構ってられないんでね。悪いが、強攻策をとらせてもらったよ」

 『死神』のその声と共に、何十人もの警備兵達が第二闘技場に降り立ち、『死神』とハリスを半径15mほどで取り囲むように並ぶ。

「どうせ時間も稼げない。手短にやろうか」

「お前は……」

 ハリスが、俯きながら声を出す。その声は、怒りに支配されているのが明らかだった。

「……お前は、本当に運が悪い。こんなに簡単に俺を怒らせてよ」

 何を言ってる、と思った『死神』が眉をひそめる。そして『死神』は1つの結論にたどり着いた。

「なるほど。彼女がユイ、という少女か」

 その言葉に、女子生徒が身を少し震わせる。『死神』が適当に選んだ女子生徒だったが、どうやら当たりだったようだ。『死神』はその事実に少し歓喜する。

「ならば話は早い。さあ、投降したほうがいいぞ」

「……うるせえ」

「何?」

「そんなに死にてえか」

 ハリスが、顔を上げる。マスクとフードの間から望むその瞳からは、強烈な怒りの感情。

「……やれ」

 『死神』は、それを危険と判断した。この男は、何をしでかすだろうか。とても、放ってはおけそうにもない。

 その『死神』の命令を受け、何人かの警備兵が一斉に襲い掛かる。『死神』はハリスをじっと見つめるが、ハリスは武器を出す素振りをしない。

 警備兵達の鎌が、振り下ろされる。そして周囲に響く、マントを切り裂く音。

 その瞬間。ユイは、ぎゅっと目を閉じていた。

 そのあとユイの耳に飛び込んできた、体が複数倒れ付す音。

 音を聞いて、ユイは1つの疑問にかられる。音は複数聞こえたのは、なぜか。

 疑問を確かめるように、ユイはそっと目を開いていく。ユイの目に飛び込んできたのは、先ほど襲い掛かった何人もの警備兵達が血を大量に流し、倒れている光景。

 そしてこちらに背を向けつつも、倒れた警備兵達の傍らに立つ、血のついた短刀を持った1人の男。

 顔は、見えない。だが、ユイはそれが誰だかなんとなく悟る。

 それと同時に頭の中で、1つの疑問が浮かんだ。

 

 あれは、ハリスだろうか?

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