あたしの大事な宝物だから

 眞生さんとラウールさんが弾き飛ばされたように倒れた。


拘束魔法バインドを解除されました」


 黒い靄が一気に広がって黒玉を覆い始めると、それはバキンと音を立てて砕け散った。混じり合い、塊となって新たな核を作る。


「これで新しく魔王が生まれるってことだね」


 含み笑いの義経は期待がこもったような弾んだ声を出す。この戦場での顔はちょっと引くわ。

 そんな義経を与一さんと勇治さんは困ったような目で見ていた。


 核は魔素を集め次第に人の形をとる。あの少年魔王が大人になるとこんな感じなのか。

 眞生さんと同じくらい背が高い。無造作に髪をかき上げると整った顔が現れる。


「お初にお目にかかる、勇者殿。余がこの世界の魔王だ」


 声は穏やかな影のものだけど目には時折、剣呑な光がチラつく。

 蓮は布都御魂剣を向けたまま、なにも言わず魔王を見つめた。


「うむ、実体があるというのは良いものだな。余は世界に存在している」


 手を握ったり開いたりしながら、呟くように言った魔王に攻撃してくる気配はない。

 それでも周りを取り囲む皆は警戒を解かない。魔王だけが不思議に穏やかだ。本当に戦わないんだろうか。この言葉は信じていいんだろうか。

 魔王があたしに目を向けた。


「余が不戦を唱えるのが不思議か」

「だって前は煽るようなこと言ってたじゃない」

「あれは余にも魔力が必要だったからだ」


 くそぅ、しれっと言いやがってえ! あたしが突っかかっても返ってくる言葉は余裕でなんか悔しい。


「しばし、か」


 蓮はしばらく考えていたけど、ついと顔を上げた。


「いいだろう、その条件をのもう。ただし、相互に監視を置きたい」

「かまわぬ、好きにするが良い」


 魔王が言った瞬間、足元に魔法陣が現れた。蓮と魔王、二人の足元をゆっくりと魔法陣が回転する。

 今まで見た魔法陣は複雑な模様を組み合わせたものだったけど、これは簡単な幾何学模様が組み合わさったもの。子どもがするゆびきりみたい。


「元は魔法使い同士の小さな約束事だったと伝承にありました」


 小さなだけに大切なものだったと魔法陣を見つめラウールさんが呟く。


「互いを信頼すること。それが古の契約だ。そして互いの大事なものをかけた誓い。余は今後千年の魔族の進退を賭ける。そちらからは娘をもらおう」


 え?


「ちょ、ちょっと待て! なんでそうなる!」

「対価を示したのは娘ぞ?」


 対価って……まさかさっきのあれ?


「人間の心は面白い。特にその娘の感情は見ていて飽きぬ。それ故、手元に置いて眺めたい」

「へ? ええと、その言い方だと蓮と別れて魔王のところに行けってこと?」

「お主ら、つがいではないのか? 核が一つになっておったゆえの提案だったのだが」

「ちょおおおっと待ってえええ!」


 待って待って。落ち着くのよ、荻野つかさ。深呼吸、深呼吸。きっとこの魔王はなにか勘違いをしてるんじゃないの。

 蓮も頭を抱えた。


「もしかして人間と魔族の組成の違いから話さなきゃならないのか? 俺達は魔族と違う。核を取り込んで、ひとつになるとかできないぞ」

「そうなのか? さっきの核の重なりは、それとは違うのか」

「違う。お前には似たような感覚に思えたかもしれないが、だからといって俺とつかさが同じ人間ってことじゃない」


 あたしを後ろに庇い、蓮は魔王に殺意のこもった剣先を向けた。


「だから無理だ、契約は無し」

「ほう?」

「こいつを渡すくらいなら刺し違えててでもお前を倒す」


 それは……それは、だめだ。

 あたしの存在なんてちっぽけだ。この世界の安定と天秤にかけられるほど大きくない。


「蓮……それはだめだよ」


 世界とあたしはつり合わないけど、魔王がそれでいいって言うんなら。


「つかさ。いいんだ、お前を守るのは俺だからな。お前はそこで待ってろ」

「対価は払われねばならぬ。ならば……これで良い」


 これで? なんのことだろう。

 魔王の手に光る玉がある。あ、なんかすごく大事なものな気がする。


「娘そのものでなければ良いのだろう? ならばお前達の物語をもらおう。最初から見返すのも面白そうだ。それに『たとえもう一度出会いの前から始めてもまた蓮を好きになる』そう言ったのは娘自身だ」


 嫌いになれるわけがない。いなくなったらって思うだけで心が潰れそうになる。どこまでも追いかけて、ずっと一緒にいるんだから。


「そうよ、あたしは出会いをやり直せって言われても絶対蓮を好きになるわ」

「だめだ!」


 蓮の手があたしの背中に回る。抱きしめられるとあったかくて大好き。

 そんなのはだめだと、声と雫があたしに落ちてきた。

 そして、あたしの中からなにかがなくなった。


「契約は成った」


 その瞬間、魔法陣が光を放った。


「ん? わああ! ご、ごめんなさい。なにがあったかわかんないけど離してもらっていいですか!」


 彼氏でもない男の人に抱きしめられるのは困るんだよう。けど、涙? 男の人の悲しそうな涙を間近に見るのは心が痛む。どんな事情かわかんないけど、すごくショックだったんだろうな。

 なにか気が休まる話題でもと周りを見回す。


「え! わらしちゃんと童子くん⁉」


 甲冑とか馬とか。ええ⁉ なにこれ、撮影会かなんかかな。

 うはあ! よく見たら、この人達めっちゃイケメン揃いなんですけど! やだ、マジで緊張する。


「コスプレのコラボ⁉ 写真撮っていい……って、なんでスマホ持ってこなかったんだあ!」

「知ってるの?」


 あたしはその声に振り向いて興奮気味に言った。


「遠野のゆるキャラなんですよ。すごく可愛いと思いませ……」


 鎧兜の美少年が顔をのぞき込んでいた。

 どひゃあああ! やめて、直視できない。無理無理無理! 思わず顔を覆ってしまう。

 美少年過ぎる人はクール系のお兄さんにやめとけと引っ張られていった。

 ふわあ、まだドキドキしてる。美少年の破壊力ってすごい。


「あの、コスプレの撮影会とかですか? えっと、ちょっと事情がわかんない、かな……です。あたしお手伝いとかで呼ばれてましたっけ?」

「嘘だろ……」


 あ、この人は知ってる。


「ええ⁉ つかさちゃん! こいつのことわかる?」


 ものすごい勢いで茶髪のワイルド系イケメンがあたしの隣にいる人を指差した。ちゃん呼びはちょっとチャラすぎませんか……


「あ、えっと、はい。市川蓮さんですよね。大学の女子の間でわりと有名ですよ」


 マジか、と言ったきり茶髪の人は絶句した。


「個人的なことは忘れてるけど、世間一般で知られてることは覚えてるみたいだね」


 この声はさっきの美少年だな。ちょっと言ってる意味がわかんないけど、なんだろうなあ、この微妙な雰囲気。帰りたくなってきた。


「ってことは僕らのことも覚えてないか」

「政宗様は強烈だけど藤次郎じゃな。無理じゃね?」

「うっさいわ」


 誰だろ。三人組。伊達政宗のコスプレなのかな。

 眼帯してくれたら完璧だわ。ってかオッドアイなの?


「コンタクトですよー、眼帯も持ってきてますけど付けてみます?」

「へえ、カッコいいね!」


 おおお! 眼帯を付けてあげるのがもう一人の子って! マジで伊達主従みたいでいいわね! なに、この子達のわかってる感。


「お姉さんもジャケットカッコいっすよね」

「えへへ、ちょっと奮発しちゃったの。初めてツーリング……いっしょ、に……」


 あれ? あたし誰かとツーリング来たんじゃなかったっけ。

 なんかすごく大事なことを忘れてる? 心におっきな空洞が空いてる。ここには、もっとたくさんいろんな事が詰まってた気がする。


「結果的に俺から対価を取ったも同然だな」


 市川さん? なんでそんな悲しそうな目してるの?

 あれ? なんでかなあ、この人が悲しそうだと胸が痛い。


「さて! 今回の撮影会はこれでお開きです。皆さん撤収しますよ!」


 銀髪の、この人は魔法使いって感じかな。糸みたいな細い目でニコニコしながらそう言った。

 黒髪のモデルみたいな人は魔王役なんだろう。雰囲気もそのままにちょっと怖い。

 あたしが会釈を返すと少し眉根を寄せて小さくため息をついて、もう一人、角をつけた人に言った。


「満足か」


 どひゃああ! いい声。魔王役を声で選んだのかってくらいハマってる。


「うむ、面白い」


 この人はなんだろう、この人も魔王役? なんだろね、魔王二人いる世界観ってどんなんだろ。

 そうだ! きっとさ、勇者の魔王討伐にどっかの魔王と勇者が助っ人に来るんだよ。周りの人もきっと勇者の旅してきた町とか村の人達で、最終的に魔王を倒すって場面で皆が集まってくんのよ。


「つかさ……」

「ん? あ! ご、ごめんなさい。あたしたまにこういうのやらかすんで、ごめんなさい! 友達にも独り言が多いとか妄想たくましいとかって笑われちゃってて。ホントごめんなさい」


 あああ、やっちゃった。もう変な子だって思われたよね。穴があったら入りたい。


「いいよ」

「市川さん?」

「俺はかまわないし、そういうとこ好きだよ」


 あああ! 顔も耳も手も熱い。心臓が痛い。す、すす好きって! 頭がくらくらしてきた。

 目の前が真っ暗になる前に、ドラゴンの飛ぶ真っ青な空が見えた。

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