遅く起きた朝は異世界
油のはねる音やトントンと包丁を使う音。できあがった朝食をテーブルへ運ぶ。そしてまどろみの中にいる彼を起こしに行くの。
「ねえ起きて。もう朝よ、お寝坊さん」
そう言って頬をツンツンすると、彼はうるさそうにうっすら目を開ける。そしてもうちょっと……なんて言いながらあたしに腕を回してくる。うふふ……
「お前が起きろ、ねぼすけ」
ん? なんだこの口の悪いノイズは? ぼーっとしながら開けた目の前で蓮が真っ赤な顔をしていた。
「いつまでもニヤニヤしてないで、いい加減離せ」
「うおっ!」
ど、動悸が! 心臓が口から出そう。
人間、ホントにびっくりすると「きゃっ⁉」なんて声出ないんだな。静まれ心臓。
「び、びっくりした」
「それはこっちのセリフだっつの。起こしに来たのに、いきなり抱きついてお寝坊さんはないだろ」
そうだ、泊めてもらったんだっけ。
蓮が笑いながらカーテンを開けると朝の陽射しが入ってくる。窓からの涼しい風でやっと落ち着いてきた。
「疲れてたんだろ。ちゃんと眠れたか」
「うん」
よかったと言いながら蓮はドアを開ける。
「飯できてるから着替えてこいよ。お寝坊さん」
閉まると同時にあたしの投げた枕がドアにぶつかった。
「おはようございます」
食堂へ行くと皆が笑っておはようと返してくれる。うん、やっぱり夢じゃない。昨日会った人達がいる。本当に異世界ってとこにいるんだ。
改めて見ると木造二階建てのこの建物は他の建物に比べて格段に大きい。こんな風にいろんな人が集まるための建物でもあるんだろう。
二階の窓から見えた風景はとてものどかな雰囲気だったな。ゴブリンが攻めてきた、なんていうのが嘘みたいなくらい綺麗な緑が続いてた。
「お疲れだったでしょう。眠れましたか?」
朝日の中でラウールさんの長い銀髪が柔らかく光をはね返す。少し垂れ気味の細い目。笑顔が優しい。
「はい。すみません、ゆっくりさせていただきました」
「朝食をどうぞ、お口に合えばよろしいのですが」
今朝の食事はラウールさんが作ってくれたのだそうだ。料理が趣味なんだって。なんていい趣味だろう。心の中でこのありがたいお兄さん像を拝む。
いただきますの後は至福の時間だった。カリッと焼かれたトーストにコンソメスープ。言ってしまえばありきたりのメニューだけど、もうシェフの腕が段違い。目の前で焼かれてたプレーンオムレツもふわふわで美味しいなんてもんじゃない。
なんなのこの人。やっぱり神か。
きっと昨日のご飯もレシピはこの人のものに違いないわね。うわあ、一家にひとり欲しい人だ。
さらにおすすめは絶品フルーツ。ここの作物は向こうの世界に比べて大振りに育つらしい。そのくせ大味にはならず糖度も高い。
「わあ! これ美味しい」
「お気に召していただけてよかったです」
ラウールさんがカットしたフルーツに紅茶を注ぎ入れる。
「こうして飲むお茶も香りがよくて美味しいですよ」
しばらく待ってからカップに注がれた紅茶は、贅沢なほどに香りが高く飲み心地もよかった。
「はあぁ……朝からこんな豊かな食事がとれるなんて幸せ。もう、最後のお茶まで絶品」
「ありがとうございます。勇者様にもなかなか言っていただけないお言葉が嬉しいです」
そう言うラウールさんはちょっと恨めしげに蓮を見る。
「なんだよ、いつも通り普通に美味いから別にいいじゃないか」
「蓮、あんた贅沢ね。普通に美味いじゃなくて、これすごく美味いだよ」
「んー、でもずっとこれ食ってたからな。俺には普通の食事」
さらっと言われたけど、これは……ヤバい案件かも。どんな料理出しても低評価になりそうだわ。
ああ、おうちデートでご飯とか作ってとか思ってたあたしを殴りたい。作らなくてよかった。もっとお料理スキルのレベル上げとかないと別れるって言われそう。ラウールさん、お料理教えてくれないかなあ。
「朝から爽やかでもない話題で恐縮ですが」
そう言ってトゥロさんは厳しい表情を見せる。そうだった、襲撃の件があったのよね。この人は徹夜組だったみたいで目が赤い。
「やはり言い伝えの通りでしょうか」
言い伝え?
「『魔王が動き出した時、魔物の宴が始まる』という言い伝えがあるのです」
ラウールさんがあたしにそう言った。
魔王! 興味本位でつっこんじゃいけない。いけないんだけど……異世界物あるあるの単語に一瞬心が躍ってしまう。
蓮はラウールさんに渋い顔を向けた。
「確証はないだろう? 否定もできないが」
「では……」
「魔王討伐に出ることになるな。っていうか当面は調査だろう」
緊張したトゥロさんの声に頷いてみせ、蓮は宣言するようにその言葉を言った。
そう、だよね。勇者だもんね。
物語の中だと王様とかに頼まれて行くってのはあったけど、蓮は誰にも言われないのに行くの? 他にもそういう人っていないの? 他の人に代わってもらえないの?
「ん? どうした、つかさ」
「ううん、なんでもない」
あたしには、なんでもなくはない。けど、あたしよりもこの世界の問題が優先だもの。
「場所の特定はできたのか?」
「大まかにですが、なんとか」
ラウールさんが地図を広げる。
なんか日本地図みたい。よく見ると全然違うんだけど全体的な国土の広がり方とか受ける印象が似てる。四国や九州の方は繋がってるし、もう少し曲がってる角度が広くて、千葉、神奈川辺りに小さな半島がくっついて……んー、ざっくり言うとちょっと歪なナスっぽい形。そんで北の方にはトマトがあるって感じ。
「ここより北の方角千キロ程の地点から今までになかった反応が。細かい所までは確定できませんでしたが、近くまで行けばわかるでしょう」
千キロかあ。うんっと……東京ー北海道間くらいの距離かな。いいなあ、北海道かあ。ツーリングにいいよね。関東とか暑いし、どうせならじゃがいもとか、とうもろこしとか、蟹とか、ジンギスカンとか……
「……つかさ。おい、つかさ!」
「ん?」
「なに考えてんだ。お前は連れて行かないからな」
「え⁉ な、なんのことかなっ?」
「夢見るような顔してよだれ垂らしてたら、お前の考えてることなんて誰だってわかるわ」
「そんなことしてないもん」
言いながらこっそり口元を拭う。ほら、ついてないじゃない。
「ん? ちょっと待って。連れて行かないって」
「北海道までのツーリングじゃない。この世界の千キロ移動だぞ。魔物もいるし危ないんだから連れて行けるわけないだろ」
「あ、ああそうか」
そうだった、遊びじゃないんだもんね。ちょっとがっかり。
そんなあたしを見てラウールさんが気の毒そうに眉を寄せる。
いいんです、あたしそんなにがっかりしてませんから。ラーメンもチョコもソフトクリームも食べたかったけど、ほんとにがっかりしてませんから。
しばらく考え込んでいたラウールさんが唐突に顔を上げた。
「もしかして、勇者様のあちらの世界での位置がこちらに来られる場所と一致していませんか」
「そうなのか?」
「確か以前お呼びした時に、かなりの距離をドラゴンで移動されましたよね」
「ああ、あったな、確か名古屋行ってた時だわ。あ、それなら北海道まで行ってこっちに来るのもありか。それのほうが安上がりだったりしないか?」
「そうかもしれません。後で費用計算してみます」
蓮とラウールさんのこの話の流れなら、もしかしてワンチャンスあり⁉
「つかさ」
「はいっ」
「ツーリング、行こうか」
ありがとうございます、勇者様! 喜んでご一緒させていただきますとも!
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