反撃の勇者

「行くぞ、ニーズヘッグ」


 ドラゴンに声をかけ飛翔する蓮。呼応するように人々のときの声が上がる。

 蓮は威嚇するように上空に留まると剣を振って合図を送る。

 それを機に自陣から矢が飛び出した。間断なく降る矢の雨を縫って蓮は敵陣へと攻め込む。


「一ヵ所に追い込め。柵の他の場所に近づけさせるな」

「魔法使いは二手に分かれろ。防御班はこっちで障壁を張れ」

「こっち矢が足りない!」


 低い位置を滑空するドラゴンの上で剣を振るう蓮にも石や矢が飛んでいく。柵のこちら側の指示も、聞こえてくる要請も、あまり楽観的な状況じゃない。

 ああっ! また矢が連に向かう。見てられない。待ってろって言われたけど、どうしたらいいの? なにかした方がいいんだろうけど。それよりこっちに矢を射られたらどうしよう。怖い、怖い! やっぱり言われた通り待っていればよかった。

 よろよろと後退ると、トンッと何かにあたった。


『ご主人? どうした』

「ボルドール……」


 心配そうな目があたしをのぞき込む。


「ボルドールお願い、あたしを乗せて飛んで」

『よいのか? ここにいろと言われたのでは……』

「お願い! とにかくここから離れたいの!」


 不思議そうに首を曲げたドラゴンを急かして空へ。

 逃げた。

 呼吸が荒い。息苦しくてめまいがしそう。

 いけない、過呼吸気味になってる。ゆっくり息を吐いて落ち着いて。そんなことはちゃんと頭に浮かぶ。


 逃げて、きちゃった。

 だって怖かったもん。現代日本じゃこういうことは起こらないもん。剣や弓で戦うなんて、しないもん。


 蓮、こういうことずーっとやってたのかな。当たり前な顔で剣を抜いて、当たり前な顔で敵を倒して、そういうこと、ずーっとやってきたのかな。

 大学にいる時、そんな顔してなかったじゃない。あたしは優しい顔とかふざけた顔とかそんな顔しか知らない。戦ってる顔なんて知らない。

 知らなかった。あたしは蓮のこと、なんにも知らなかったんだ。


 つい、下を見てしまう。ああ、あの辺り。壊れかけの柵に群がる人と緑っぽい人型。ほんとにファンタジー小説のまんまだ。

 壊れかけた柵を守りながら、そこを更に壊して入り込もうとするゴブリンと戦っている人達。壊れていない柵の向こうへは、近づけさせないためだろう矢と土煙と火花が散る。


 これは違う。小説なんかじゃないんだ。

 あたし達が来た方向に目を移す。

 青い空と緑の野の中を道がうねる。そこをかなりのスピードでこちらに向かってくる一団が見えた。


「あれは……?」


 騎馬の集団が街道を走ってくる。


「そういえば増援が来るって言ってたよね」

『そうだな』

「じゃあ、あれがそうかも?」


 戦いの場所以外の景色は本当にきれい。あたしできることは本当になにもないの? 見てるだけしかできないの?


「……ねえ、ボルドール。大して役に立たないだろうけど、あたしにもひとつできることがある」

『ご主人?』

「今、森の中だけど、あの増援の人達のところまで行ける? 状況を伝えるくらいならできると思うの」

『並走すればよいのだな』

「うん。お願い」


 せめてこのくらいはしよう。逃げてきちゃったお詫びにもならないけど。ってか、全然気にもされてないだろうけど。


「行こう」


 すうっと降下しながら彼らに近づく。先頭で馬を走らせている人、あれってラウールさんって人だ。

 あたし達は彼の斜め上空に寄せて並んだ。


「あの、ラウールさん」

「つかさ様? どうなされました。勇者様と陣におられるはずでは」

「すみません、ちょっと……あの! 今、柵を越えて入り込もうとしてるゴブリンをなんとか止めてるところです。まだ入り込まれてはいませんが、こちらから見て右手はちょっと危ない感じで」


 うなずいたラウールさんは後ろの騎馬隊に向かって叫んだ。


「急ぎます! 到着次第、二小隊は北の集落に近い方の援護に行ってください」


 後ろから応、と声が上がる。


「ありがとうございます。状況がわかるのは助かります。陣に戻られたら伝言をお願いできますか」


 急ぐ馬の足も止めず、ラウールさんはあたしを見上げてくる。

 この人、もしかしてあたしが逃げ出したのわかったのかな。考えてみれば逃げ出したからってこの世界に行き場はないんだ。あはっ、戻って陣にいろってことなんだね。

 あたしの表情になにかを感じたのか、少し固い口調でラウールさんは言った。


「陣で指揮を執っているトゥロという者がいます。我々が到着するまで持ち堪えてほしいとお伝えください。現在地を言えば到着時間は判断できるでしょう」

「わかりました」


 騎馬隊のスピードが少し上がる。

 あたしはドラゴンの高度を上げると今度はためらわず自陣へ向かう。

 うん、フラフラしてるほうが迷惑なのはわかった。

 陣に降りたあたしは近くにいる人に指揮所を聞く。


「あの人が?」


 お礼を言って、指差された先に向かって走る。


「あの! トゥロさんですか? 増援のラウールさんからの伝言です」


 陣のほぼ中央。がっしりした体つきと頼れる雰囲気を持った人が振り向いた。


「あと少しで森を抜ける、って所を走ってました。到着まで持ち堪えてほしいと」

「おい、聞いたな! もうすぐ増援が到着する! 踏ん張りどころだぞ!」


 トゥロさんの大きな声に、おおお! と熱のこもった声が応える。意気が上がる。

 伝令が数人、トゥロさんの言葉を伝えに走っていく。


「勇者様とご一緒に来られた方ですな。ありがとうございます。その一言でも士気が上がります」

「いえ、あたしはなにも……」


 逃げた先でたまたま、なんてこの状況で言えるわけもない。苦笑で返すだけしかできない。


「もし、お願いできるなら負傷者の処置を手伝っていただけませんか」


 所在なげな顔をしたつもりはないんだけどな。戦いも怖い、何もできない自分も歯がゆい、そんな気持ちを言い当てられた。


「……わかりました」


 多分、あたしは動いてたほうがいい。悩むよりできることはやらせてもらおう。


「ニコル!」


 トゥロさんは通りかかった女の子を呼び止めた。


「この方にもお手伝いいただける。教えてやってくれ」

「了解でっす!」


 よろしくお願いします、とトゥロさんに言われ、行きましょう、と女の子にうながされる。

 案内されて来た所には、見慣れたものがいろいろ並んでいた。


「こちらです。薬品などはまとめてここに置いてますから。えっと、どうかしました?」

「これ……」


 なんで消毒綿とか見慣れた包帯とかがこんなとこにあるのよ。


「蓮様が買ってくださったんです。なにかあった時に使えるようにって」

「あの、ここにあるのだと消毒と塗り薬を使うくらいですけど」

「あ……はい! 重傷者は優先で治癒魔法使いが対応します。魔法使いもほとんどが戦闘に参加してるので治癒のほうは人数が少ないんです。だから軽傷者はこちらで受け持ちます」

「わかりました」


 魔法で治すなんて便利なことができるのにやれないのか。小説みたいに魔力不足なんてのもあるのかも。

 使い捨ての手袋を着けて近くにいた人の腕の傷をみせてもらう。うわあ、これじゃあ洗わないと消毒どころじゃないと思うぞ。


「この人の傷口の汚れ落としてほしいんですけど」


 よかった。このくらいの傷ならあたしでもなんとかわかる。


「ここ、上から押さえて」


 そもそも、そんなに大勢がここに来るようなら負けるのが確実だもんね。あまり人が来ないってことは、皆ががんばってくれてるんだ。いつものように動いてることでやっと少し落ち着いた。

 わあっ! と柵のこちら側で歓声が上がる。

 ラウールさん到着したんだ。馬を下りて戦いに加わる人達。残りはそのまま通り過ぎて手薄だった所に向かう。


 よかった!

 蓮、大丈夫かな。空から見た時の攻めてきてたゴブリンの数を思い出して不安になる。

 弓と魔法で注意を引いて指揮官を叩きたいんだっけ。探すのに時間がかかってるってことなんだろうか。早く決着がつけばいいのに。


 その時なまじ目がいいあたしは、黒いドラゴンに向かって地上から放たれたものが蓮に当たったのを見てしまった。

 ゴッ、と音が聞こえたような気がした。

 頭が横に振られる。そこから赤く飛沫が飛ぶ。

 ドラゴンの背に蓮が倒れ込むのがコマ送りみたいに見えた。

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