ルピナス・ストーリー・オンライン-3

 退院祝いの宴も終わり、外では太陽の明かりが淡い余韻を残しながら消えていく頃おい、水軌は好物で一杯になった腹を抱えながら新しい自分の部屋を眺める。

 両親は脚が動かない息子の為に配慮し、水軌の自室を1階のトイレやリビング、バスルームへ一番近い部屋へと移動させた。

 家の階段事情も不安の種の一つであった水軌は、ほっと胸を撫で下ろす。

 前の部屋は6畳、今の部屋は5畳と部屋の広さは劣るが、車椅子に乗ったままでも不自由なく生活出来る様、家具や実用品などに細かい労りが行き届いていた。


 水軌は自分のパソコンが置いてある机へ車椅子を動かす。

 常に車椅子に乗っている状態の為、椅子を置くスペースを取らなくて良いのは車椅子生活になってからの数少ないメリットだろうか。

 早速ノートパソコンを開いて電源を付ける。

 何故パソコンの電源を入れたのか、目的はただ一つ。

 以前文月に勧められたネットゲーム、ルピナス・ストーリー・オンラインをプレイする為だ。

 今水軌が手を伸ばそうとしているルピナス・ストーリー・オンライン、通称RSOには他のオンラインゲームとは全く違う点が存在する。

 恐らく今まで、そしてこれからもこのシステムは絶対にRSO以外に導入しないであろう。

 一体そのシステムは何か?


 このゲームに存在する最難関のダンジョン、それをクリアした者には賞金10億円。

 そしてこのゲームを作り上げた、RSOの生みの親である会社、SecondEarthが現在誠意製作中である新しいオンラインゲームをいち早くプレイ出来る特権を受け取れる。

 正直、会社の最新作を先行して楽しむ事が可能な権限には興味は無い。

 それ程10億円という大金が水軌の頭の中で、脳内にある視界を埋め尽くすかの如く札束がパラパラと宙を舞っていたのだ。

 10億円があれば、感覚が無くなる程重い重い錘が脚に巻きついていても、不自由なく天命を全うする事が出来るかもしれない。

 だがそんな簡単に手に入れる事は出来ないだろう。

 水軌が今こうして慣れない手つきでパソコンを弄っている間にも、得体の知れない最難関のダンジョンをクリアする為切磋琢磨している猛者が居る。

 それでも挑戦するに越した事は無い、どうせする事もあまり無いのだから。


 水軌は検索サイトでルピナス・ストーリー・オンラインを検索して、公式サイトを発見する。

 サイトはとても精巧に作られていて、現在行われているキャンペーンやイベントなど事細かに綴られている。

 端部まで色鮮やか、そして大小様々なゴシック体の文字で充実させているRSOの公式サイトは、見るだけでこのゲームがどれ位繁盛しているのか手に取る様に分かる。



 一人称視点の完全3D。

 まるで現実の人間と見間違う程人間味を帯びたモブキャラクター。勿論フルボイス

 数千、数万通りのスキル、装備を使いこなし電脳世界の自分を作れ。

 完全フルボイスチャット、話したい時は会話したい相手に近づけば良いだけ、現実と同じ様に話しかければ良い、無駄な操作は一切無し。

 遠くに居る相手とコミュニケーションを取りたい時も、うつつと同じ様に大きめの声を出せば良い。

 更には声質の僅かな変化でプレイヤーの感情を汲み取り、自分のキャラの感情を変化させる事が可能。

 より繊細な意思の伝達がプレイヤー同士で行う事が出来る。


 最近のゲームはここまで進化しているのか。

 水軌は公式サイトに書かれている謳い文句を読みながら感心する。

 ゲームは皆が考えている数十倍、数百倍の速度で進化をし続けている。

 いつしかゲームの世界が現実を侵略する日もそう遠くはないだろう。


 RSOのゲームクライアントを公式サイトからインストールして、デスクトップに新しく四角いアイコンとして表示されたRSOを2回クリック。

 10秒足らずでそれはPCのディスプレイ一杯には広がり、水軌のパソコンを支配する。

 恐らくログイン画面だろうか。

 ゲームタイトル、そしてログインフォームが画面に表示されており、その裏、ログインフォームに少し隠れる形で剣と鎧を装備した少年少女の美麗イラストが描かれている。


 最初に自分のIDと名前を決めなければいけないらしいが、そんなに悩む必要もない。

 IDはmizuki1010、名前はミズキ。

 1010は水軌の誕生日である10月10日に所以(ゆえん)している。

 パスワードやメールアドレスの確認など単調で退屈な作業を一通り終えた後、いよいよ本題である水軌が操作するキャラクター、つまりもう一人の自分を作らなければいけない。

 これから長い付き合いになると思うし、何よりも自分の権化なんだ、有耶無耶うやむやにせずちゃんと決めよう。

 顔のパーツは勿論の事、輪郭、身長、髪型、肌の色、最後に大まかな体格など細かく設定する事が出来る、だがそれは面倒臭がり屋の水軌にとっては不満点であり、好みのパーツを見つけるので四苦八苦。

 パソコンを開いた時点で、時計の針は酉のとりのこくを刺していたが、やがて水軌がキャラメイクを終えた時にはほぼ1時間後の19時、キャラメイクだけで1時間程費やしてしまう。

 それだけの時間を使って一体どんなキャラクターを作ったのか、と思いきやPCの中に潜んでいたのはなんと水軌そっくりの少年。

 最初は水軌も漫画の主人公の様な格好いいキャラクターを作りたかったのだが、いかんせんパーツが多い、このままでは日を跨いでしまうと悟った水軌はゲームのキャラクターをそのまま自分の顔にしようと思い切ったのであった。



 さぁ、キャラクターを作り終えた。

 今からこことは違う別次元、電脳世界で自分だけの物語が始まるんだとワクワクしていると、突然確認ダイアログPCの画面に現れる。

【貴方は15歳以上ですか?(このゲームには過激な描写が含まれています)】


 謂わば年齢確認、公式サイトにも明示されていたな。

 水軌は16歳の高校1年生の為、あまり気にはしていなかったがまさかこのタイミングで警告されるとは思わなかった。

 恐らく公式サイトをよく見ていない人の為の最終確認だと思うが、たかがネットゲームに年齢制限が必要なのだろうか?

 そもそもタイミングがおかしい、面倒な設定を終えてからでは遅いのではないか。

 仮に水軌が10歳の子供だとしたら、今までのキャラメイクなどが全て水の泡になってしまう。

 まぁ水軌の性格からいって自分の年が対象年齢とかけ離れていても、恐らくプレイを強行するであろう。

 水軌は少し疑問に思いながらもはいをクリックする。

 すると画面の右下にNowLoadingの文字、ゲームを読み込んでいるのだ。

 ゲームをした事あるなら誰でも体験した事があるだろう。

 誕生日プレゼントで親に買って貰ったゲームソフトをゲーム機に装着、電源ボタンを押してゲームを起動、すると右下に現れる

 loadingの文字。

 まだかなぁ、早くプレイしたいなぁと意気揚々とテレビの前で居座る至福のひととき。

 勿論水軌もさっきまでその至福のひとときを味わっていた。

 ネットゲームの類はあまりした事が無く、全てが新鮮だから。

 しかし先程の年齢確認によって少しだけ水軌は鼻白んでしまう。

 水軌の頭はワクワクやドキドキ、そして自分の足の事を忘れてゲーム一色になっていたのだ。

 だがそれは一つの四角い平面によって現実に引き戻される。


 しかしそんな事はもうどうだって良いのだ。

 水軌は今まさにPCに表示されているその光景に全てを持っていかれる。

 そう、水軌が今目にしている薄っぺらい液晶には映るその世界には、酸素が通っていたのだ。

 人が作った仮想世界、2つしか無い次元、所詮ただの電脳遊戯。

 されどRSOの世界には、カラーフィルタという葉緑体を通して酸素を作り出していた。

 今ミズキはこの世界の酸素を吸って生きている。

 画面の向こう側は現実と何も変わらない、もう一つの地球だった。

 水軌は少し高ぶった感情を抑えて、今置かれている状況を確かめる。

 どうやら自分は何も無い、無駄に開けた広場に居る様だ。

 下を向き、地面を眺める。

 地面を構成する砂の一粒一粒がリアルに再現されており、まるで自分は今、約2ヶ月ぶりに大地に足を下ろして立っているんじゃないか、そんな錯覚さえも覚えた。

 水軌は上を向き、青空を眺める。

 まるで漫画の様な大きい大きい入道雲がどっしりと、まるでこの青空の主だと言わんばかりの存在感を放っている。

 そして1億、10億、100億のダイヤモンドより美しく、しかし何億積んでも自分だけの物にはできない儚い輝きを太陽がこの大地に、水軌に、惜しみなく放ち続けている。

 これが、ゲームの世界。

 これが、たかがゲームの世界。

 ゲームを操作しているのはPCの画面の外にいる雨音水軌だ。

 だが、水軌の意識は、心は、ゲームの中にあった。

 水軌の心は現実から離れて、ゲームの中のミズキに憑依する。

 しかし水軌の心はある事を思い出し、ゲームから現実へと次元を移動する。


「そうだ、一緒にプレイするんだから夢路と文月に連絡しないと」


 水軌は逸早くプレイしたかった。

 今すぐあの体で、もう一つの自分の体で走り回りたい。

 スマホの電源を入れて、LIMEという無料で通話、チャットをする事が出来るアプリをタッチして開く。

 LIMEという連絡アプリケーションには、チャットを通し大人数で対話をする事が可能なグループトークという物がある。

 水軌達もLIMEというアプリを頻繁に利用しており、グループトークという機能も勿論活用していた。

 おもむろに水軌は三人四脚という題名のグループトークを開く。

 水軌、文月、夢路の三人は何時も一緒に行動している。

 何も設定を弄っていない初期状態から搭載されている1対1の個人トークでは三人にとって些か不自由であった為に、前々からグループトークは利用していた。

 しかし何故グループの名称が三人四脚なのか、それは文月が病院で水軌に言った言葉に由来する。


「三人四脚で頑張っていこ」


 脚が動かなくなってしまった水軌に対して自分達は今まで以上に団結しようという意を込めた文月の言葉だ。

 文月が勝手にグループ名を変えた時は、ついつい尻こそばゆくなってしまい猛反対したのだが、大変気に入った様子の文月がこれが良いと駄々をこねる為渋々了解したのである。

 今でもこのグループ名を見ると小っ恥ずかしくて鳥肌が立ってしまう。

 まぁ今それを言っても仕方が無い、まずは連絡だ。

 水軌は軽快なタッチで文字を打ち込んでいく、PCとは大違いだ。

 同じ所といえば指一本で打ち込んでいる所だけ。


『文月が言ってたゲーム始めたよ』


 水軌がそう送ると矢庭にレスポンスが返ってくる。。

 この時間帯は皆が夕飯を食べているであろう時間の為、直ぐには返ってこないと推測していた水軌は面食らってしまう。


『もう私達ははじまりの街でずっと待ってるよ』


 返答の送り主は文月の様だ。

 文面から察するに夢路も文月と同じくはじまりの街という場所で待機しているのだろう。

 はじまりの街? というのはけだしRSO内に点在する街の名称か。

 水軌は目先を携帯からPCへと移して、メニューを開きマップを見る。

 いくらネットゲームをあまりやっていなくてもこういった操作は直感で把握していた。

 小学生の頃、マイクロモンスターという携帯機のゲームが流行していた所為だろう。

 何事もメニューから始まる。

 メニューから道具を使い、メニューから設定を開き、メニューからマップを目にして、メニューからセーブを行う。

 今思うとあの頃はシビアな世界で暮らしていた。

 クラスで流行しているゲーム、玩具を持っていないと話についていけずすぐに仲間外れになってしまう。


 閑話休題。

 どうやらはじまりの街、というのは今水軌がいる場所の北へすぐ近く。

 北方を見ると確かに街が見える。

 遠目だが街の雰囲気は中世ヨーロッパの街並みの様な、例えるならばドイツのローテンブルク。

 まぁファンタジー系のゲームならお約束と言っても過言ではない、王道だ。

 しかし何故ローテンブルグの様な都市景観がファンタジー系のゲームにとってオーソドックスな形となったのか。

 それは単純明快、美しいからだ。

 水軌は少し心を躍らせながら街へと歩みを進める。


 RSOはファーストパーソン・シューティングゲーム、略称FPSと同じ操作方法を扱っている。

 マウスを動かして照準変更。

 移動はW、A、S、Dキーを使う。

 何故移動キーがWASDなのか、不満げに眉を寄せる。

 矢印キーではいけないのか?

 

そんな懸念を抱えながらも、水軌は何度も操作ミスで狼狽しながらも街の入り口へと辿り着く。

 靴と砂利が擦れる音を耳で堪能しながら。

 道中、背の高い草が風に揺れて体を大きく揺らす事があった。

 勿論気流は一定の方向からではなく、様々な向きから走り去っていく。

 背の高い草はその風の繊細な動きに一切のブレなく、息を合わせて体を動かす。


 今水軌がいる街を含め、雑多なビルや家が横行している日本では見れない様な景色を目一杯に堪能する事の喜び。

 勿論本やネット、動画などで何度も見た事がある。

 だがそれには無い臨場感がそこにはあった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る