期間限定クエスト-1
折角先程の険悪なムードから、明るい空気へと転じかけていた所であったのに、男が水軌に放った酷薄な二言にまた雰囲気は暗く重く下降していく。
「はぁ...」と、肩を落として、溜息を吐くアイラ。
この状況、どうしていいのか分からない水軌は無意識にアイラと目を合わせていた。
アイラは水軌と目が合った途端、ぎこちない作り笑顔を見せる。
「ごめんな、水軌。あいつはあんな奴なんだよ。根は良い奴なんだけどな、不器用でどうも空回りしてしまうんだ」
顔をしかめながら嘆くアイラ。
先程カウンターを自分の手によって破壊してしまった為、
にしてもアイラが激怒した時、モブのお爺さんは平常通りガラスで作られたコップを手放さなかった。
目の前でカウンターをまるで瓦割りのように割られて、木片が自分の顔に飛び散っても、真正面で自分を雇ってくれたギルドの長が怒りを剥き出しにしても、自らの与えられた役目を全うする。
単純な作業を自らの体が朽ちるまで永遠に繰り返している工場のロボットみたいだ。
水軌は最初、このゲームのモブを見た感想として、現実の人間と変わらない挙動だと称した。
それに対してこのお爺さんは、人間味の欠片も無く、外見を拘ったあまり中身を粗末にしてしまった失敗作のロボットのよう。
このゲームに存在するモブは皆が皆ヒューマニティー溢れる訳では無く、無味乾燥としたモブも居るんだなと、水軌は頭の中のメモ帳に書き留めた。
閑話休題。ふと時計を見ると時刻はもう9時30分を回っていて、住宅街から光が徐々に消えてなくなる時間帯へと差し掛かっていた。
近々寝ないとな、と時間を気にしながら欠伸をかく水軌。
昨日まで入院生活を送っていた水軌は、病院特有の早寝早起きのリズムがすっかり体に染み付いていて、10時頃になると眠気で頭が緩んでしまうようになっていた。
どうやら睡魔は水軌を含めたこの場に居る4人全員に忍び寄っているそうで、「今日はもうお開きにするか」とアイラが声をかけるとウララとミツヤが「賛成ぇ〜」と呂律が上手く回らない幼児のような声を出す。
2人の緩みきった態度に釣られてか、思わずアイラもリラックスして欠伸をかいてしまいそうになるが慌てて嚙み殺し、咳払いをして取り繕った。
ウララとミツヤが足早に部屋から出て行ってから、ギルドルームに居るのは水軌とアイラの2人だけ。
お喋りな2人が退室して、
アイラは相変わらず自分の太ももに肘を突いて何かを考えていた。
本人は意識しているわけではないが、黙々としている時のアイラの顔は、近寄り難く重々しい雰囲気が辺りに漂っている。その為話しかけるのも勇気が必要だった。
特に話す事も無く気不味い思いをしていた水軌は、「じゃあ俺ももう寝るよ」とアイラの耳に届いてるが定かではないが一応別れの言葉を言って退室しようとする。
が、「ちょっと待て」と声を出し水軌を引き止めるアイラ。
水軌の頭の中は、風呂場で使う入浴用チェアが病院と同じ物なのか、という話題で持ち切りだった為、意想外な呼び声に肩を持ち上げる。
後ろを振り向くと可憐な笑みを浮かべたアイラが椅子から腰を上げて立っていた。
「明日は日曜日だが、
アイラはやれやれといった感じで額に手を当てる。
言葉を続けて「水軌は明日何か用事はあるか?」と問い掛けた。
水軌は頭の中をまめまめしく確認して、用事と言っていいような事は何もないと伝えるとアイラは目に炎を灯して手に握り拳を作る。
「それでは早速、あのハゲを見返す為に私とゲームをしようじゃないか!」
あのハゲ、というのはアイラと
アイラは先程その男に対して、水軌の主張をよそにこのギルドに見合う実力を付けると誓約した。恐らく誓いを果たす為の修行とでも言った所だろうか。
特に予定も無く、自分の不自由極まりない体故、する事が限られている水軌は貴重な休日をネットゲームに捧げても何も後ろめたい事はない。
だが、アイラはそれで良いのだろうか。
しかしアイラという人間を何も知らない水軌がそんな事を考えてもナンセンス。
水軌は考えるのを辞めて、アイラのご厚意に甘える他選択肢は無かった。
今度こそギルドルームから退室した水軌は、セーブ
その瞬間水軌は久々に、今ここにいる自分が本当の自分だと感じ取って、先程までマウスを握っていた右手を開いたり閉じたりする。
気付かぬうちに背中から大量の汗が吹き出していて、シャツと肌が汗を介してくっ付きなんとも言えない不快感が背中を襲う。
長時間無休で起動させたPCのように熱く火照った体を冷ますように上着を脱いで、強張った筋肉を伸ばしていく。
その程度のわざわざ文字に書き起こす程でもない仕草を行いながら、不便過ぎる自分の体に少しばかりの憎悪を抱いていた。
2月14日、日曜日の朝。
日が地表に差し込むと共に雪が溶け出し、川のせせらぎのような音を奏でている。
東の空は明るいオレンジ色の光を放ちながら、陰気臭い住宅街に一色を加えた。
そんな色の変化など気にも留めず、雨音水軌はまだ電源を入れたばかりのPCの画面を凝視している。
アイラとゲームをする約束をした水軌は、経緯はされど自分がアイラという人物に頼り切っている状態の為、せめてもの礼儀として相手を待たせまいと早起きしてPCを起動した。
ルピナス・ストーリー・オンラインにログインをして、抜け殻状態であったミズキに魂を吹き込む。
するとPCの画面は目を覚ましたミズキの視界を映し出し、目の前を通る有象無象の人間達に水軌は少し驚いた。
どうやら以前活動を止めた所からゲームが開始されるらしく、ちゃんとセーブもされていた。
しかし水軌が驚いたのはそこではない。
目の前を駆け抜けていくバラエティに富んだ人達を見て、水軌は目を見張る。
勿論多種多様なプレイヤー達に今更怖気付いているわけではない、肝心なのは人の多さだ。
水軌が最初に広場へと足を踏み入れたのは土曜日の夜だった為、多少人が多くても気にはしていなかった。多少どころの騒ぎでは無かったが。
ところが今の時間帯は早朝、いくら日曜といえど前日仕事だった社会人が疲れを癒したり、学生は部活に朝早くから励み、10歳にも満たない子供達はまだ寝ている時間だ。
でありながら、この広場は時間という概念を忘れさせてしまう程雑多な冒険者達に満ち溢れていた。
この世界の神様はここに集まる溢れ返るほどの人間達を見てどう思っているんだろうか?
俺ら人間が甘い甘い餌に集まるアリを見るのと同じで、少しカラフルな10億円に群がるアリ程度にしか思っていないんだろうか。
これ以上人混みの一部になりたくない水軌は、メニューのギルドを開き、ワスレナグサの入室ボタンを押した。
まるでゲームセンターの如くノイズが多い空間から逃げるようにギルドルームへと押しかけた水軌は、聴きなれたウィスパーボイスに自分の耳を撫でられる。
「おお水軌、ここまで早く馳せ参ずるとは思わなかったぞ。あのハゲに嫌気をさして来ないかと思っていたよ」
その声の主は全身を黄金と純白の装飾に染めたアイラだった。
昨日の小汚い動物の皮で作られた茶色のフード付きコートでは無く冒険者としての正装で、ギルドルームに
金白のコルセットドレスを着たアイラは、目を細めてしまう程美しくて、着る人を選ぶコルセットドレスを完全に着こなしていた。
いや、むしろあのドレスがアイラに服従しているようにも見える。
水軌は自分の飾り気のない装備を見て少し不甲斐ない気持ちになり、それを紛らわす為アイラに話を振った。
「アイラはいつ頃ここに到着したんだ? 装備といい随分気合いが入ってるな」
ギルドルームへ出向いたのは水軌も同じだが、それを上回る速さで現地入りしたアイラ。
待たないで済んだ事は水軌にとって嬉しい誤算でもあったが、同時にアイラに対してけったいなイメージを持つ。
アイラは目の前にメニュー画面らしき板状の光を浮かび上がらせていて、まるでタブレットを扱うように指先で画面をなぞり、何かを物色しているようだ。
「何も予定が無い休日となるとゲーム以外にやる事がないからなぁ」作業の片手間と言った感じで水軌の問いかけに返事をするアイラ。「後、現実世界から自分の体をシャットアウトしたいというのもある」
「シャットアウト?」
水軌は寝起きの為、瞼に溜まった血液をほぐそうと目を擦りながら小首を傾げた。
「そう、このゲームをやっていると稀に自分はどちらの世界の住人か分からなくなってしまう。でも私はゲームをプレイしているうちにやっとその疑念を解明する事が出来た」
メニュー画面から水軌の顔へと視線を移したアイラは、自分の心の中にある思いを力説する。
「たった今のようにRSOという電脳世界の大地に立って遊んでいる時は、現実では無くこの世界の住人だと思っている。例え自分のキャラクターを操作しているのが現実世界の自分だとしてもね」アイラはカウンターに付いている木製の丸イスに座って再び視線をメニュー画面へと戻した。
「簡単に言うと大嫌いな現実から逃避する事が出来るんだ。今の私は現実世界には居ない、電脳世界の空気を吸って生きているんだ」
アイラの声高な主張に、水軌も大いに共感してしまう。
確かにこのゲームをプレイしていると、自分の意識という名の魂が、画面の中の自分へと乗り移っているような気がするのだ。
その自分を思うままに操っているのは現実に居る自分だと言うのに。
そういえば、あまりにも自然で特に意識せず見過ごしていたのだが、先日アイラが叩き割ったカウンターのテーブルが新品同様に復活していたのだ。
バーのマスターらしきお爺さん(モブ)も、年中無休、老いを感じさせない働きぶりで未使用のガラスのコップをひたすら磨いていた。
「確か水軌は依然としてレベル1だったな」
話は変わり水軌の育成について考えたアイラはまず、水軌のレベルの低さに着目した。
「お恥ずかしながら...」と情けなく頭の後頭部を掻く水軌を見て、アイラはカウンターテーブルに両肘をついた。
「恥ずかしい事なんて何も無い、私だって最初はレベル1だったんだ」と水軌の肩を持った後、何かを考え眉間に皺を寄せる。「そうだな...クエスト2にも初心者狩りのような悪質なプレイヤーが居るかもしれない。よし、まずはレベルを上げる事にしようじゃないか」
甘く暖かい10億円に群れ集う蟻達は、これからも電脳世界の空気を吸って活動していく。
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