ゴブリンの哀傷-2

「......?」


 水軌はその光る粒子の集合体をいぶかしげに凝視する。

 最初その煌めきを目に捉えた水軌は、水溜りが太陽の光を反射して生じたものだと考えたが、見れば見る程それとは全く別の現象だと思い知らされる。

 まるで綺麗なガラスの球体を粉々に砕いた時に舞い散る欠片、それが地に落ちずゆらゆらと漂っているのだ。

 しかもそれは、時間が経つと共に量が増幅していき、もはや粒子ではなく可視光の塊と姿を変えていた。


「アイラ、あれは一体何だ?」


 もしかしたら敵が放った魔法かも知れない。

 このゲームに関して無知な水軌は、アイラが使用した三種の魔法しか知らないのだ。

 一見無害そうでも、一瞬で命を奪い取る強力な魔法、という事も無くはない。

 人は見かけによらず、それと同じで魔法も見かけによらないという事も肝に命じた方が良いだろう。

 アイラはこちらを振り返り光の集合体を見るとほんの小さく歓喜の声を上げた。


「あれはモンスターがスポーンする時に生じる生命の光。これが徐々にモンスターの形に姿を変えていくんだ。今はゴブリンの面影すら無いがな」


 生命の光。

 あの砂つぶより小さい光が、モンスターの体の一部と化ける。

 あれほど綺麗で幻想的な、どんなに高いダイヤを光で照らしたって再現できない生気の塊が、醜いモンスターへと姿を変えてしまう。

 人間だって同じだ。いくら自分の赤子が美しくて愛おしくて、目に入れても痛く無い程可愛くても、時が経てば醜いモンスターになってしまう可能性がある。

 次第に黄金色の光は、ゴブリンの体色である深い緑色へと変わっていく。

 それを見てやっとモンスターがスポーンするんだなと実感した水軌は、息を吐いて自分の肩を揉んだ。

 原子の森そのものを表しているような深い緑色の光は、緩やかにゴブリンの姿へと形を変えていく。


「今のうちに近付いて行こう。反抗されたり逃げる真似をされたら面倒だ、出現した瞬間に有無を言わさずその木の杖で殴れ」


 アイラに先導されて水軌も、電磁波から生き物へと姿を変えようと右往左往している光束の元へと歩みを進める。

 もうその光束は、幻影のような手で触れられない代物では無くなっていて、実際に手で触れて体温を感じる事が出来るような気さえする。

 そのような事を頭で考えているうちに、深い緑の光は水軌の不意をつくように、突として自らの光度を上げていく。

 目の前で懐中電灯を照らされたのか如く眩い光に水軌の目は押し負けて反射的にまぶたを閉じてしまう。

 目を瞑った水軌の前で、先程の光線の残りカスが、暗い暗い眼球の中で踊り狂っていた。


「今だ! 攻撃しろ!」


 乱舞している光の残りカスはアイラの声によって吹き飛ばされて、今何が起こっているのか、それを推測していた水軌の思考すら頭の外へ吹き飛ばしてしまう。

 鋭い光の不意打ちよって受けたダメージを回復した水軌の目は、一粒ほどの涙を体外に放出する為、そしてゴブリンを倒す為に上開きのカーテンを開いた。

 水軌の目の前にはゴブリン。

 その幼稚園児程の身長に不相応な大きい棍棒を抱えた哀れなモンスターは、産声を上げる事無くこの世に生を受けた。ハイドランジアの手駒として。

 自分とは関係の無い、勝手な都合の為人柱になる程腹立たしい事はないだろう。

 前世は大量の金銭に目が眩んだ悪質プレイヤーによって無残にも殺害され、もしくはアイラの放った業火によって体を焼き尽くされて死亡した。

 次はこの場にスポーンした途端、こいつは考える暇も無く背後から鈍器で頭を殴打されて息絶えてしまうのか。


「ごめんな」


 水軌はいたわしい限りのゴブリンを木の杖で頭を打ち付けた。

 謝るくらいなら倒さないでくれ、そんなゴブリンの訴えが聞こえた気がした。

 確かにそうだな、でも。

 これはゲームなんだ、現実とは違う。

 現実とゲームの世界に存在する常識は全く違う、でも、何か太い線で繋がっている様な気がした。

 自分でも何を言っているか分からない。

 そんな割り切れない気持ちが、このゲームをやっているうちに解消されれば良いな。

 緑色の体に似合わず赤い赤い血を出し崩れ落ちてゆくゴブリン。

 ゲームも現実も人々が娯楽に陶酔している間、水面下で苦しんでいる者達が少なからず存在している。

 自分だけが楽しい思いをしているわけじゃないんだ。

 しかし受難している人だけでは娯楽ではない、それはただの地獄だ。

 苦しい思い、楽しい思い、2つが融合してやっとアミューズメントが生まれる。

 世界はこの2つの思いの脆い関係性によって成り立っている事を忘れてはいけない。

 水軌がゴブリンの境遇を考えて感傷的になっているところを狙うかのように、無駄に明るい音楽がイヤホンから鳴り響く。

 画面には クエスト成功! と無機質なデジタル文字が、画面いっぱいに表示している。

 このゲームは、異様にテキストやウィンドウの自己主張が激しい。

 シリアスなゲーム内容とは対照的過ぎて、少しだけ薄気味悪い。

 というか、クエストをクリアした後は一体どうするのだろうか?

 色々と確かめようとするが、クエスト成功! という7文字が画面を占有していて、つぎはぎにしか外の様子が見れない。

 どうにか消す事は出来ないのか、水軌は色々なキーを押してみたり、マウスで画面をクリックしたりと四苦八苦する。

 しかし何を試しても視界を隠すように体を押し付けている クエスト成功! が消える事は無い。

 アイラに助けを求めてみるが、返事が一向に来ない、どうやらボイスチャットが切断されているようだ。

 依然、水軌が耳に付けているイヤホンから、テーマパークで流れていそうな無駄に明るい音楽が、流れ込んでくる。

 もしかしてゲームの不具合が起こってしまったのだろうか?

 まだ画面が動かなくなってから10数秒しか経っていないのに、良からぬマイナスなイメージな事を考えてしまう水軌。

 ネガティヴな事だけすぐに脳裏を掠めてしまう水軌。これは悪い癖だ。

 勿論これはゲームのバグでは無く、マップの切り替えやその他諸々の情報を整理する際に生じるロード時間だ。

 圧倒的なグラフィックとボリュームを誇るルピナス・ストーリー・オンライン。

 しかしその二つがもたらす恩恵は、良い事だらけでは無く、ロード時間が長いという欠点があった。

 クエスト成功から30秒ほど経つと、画面は前触れも無く暗転する。

 ディスプレイに映る自分の顔を確かめる間も無く、ミズキの体ははじまりの街の大広場の一角に存在していた。


「良かった...急にゲームを終えたらデータが消えるかもしれないしな。不具合じゃなくて助かった」


 オンラインゲームをやった事が無い水軌の脳は、相変わらず時代にそぐわない考え方である。

 おおかたオンラインゲームはオートセーブであり、セーブというのは今まで楽しんできたゲームの内容を保存する行為の事。

 そのゲームの自分の立場、自分の性格、自分が積み上げてきた功績、それらを全て保存できる便利な機能。

 そのゲームの世界で大変な不祥事を起こしてしまってもセーブさえしていれば、完璧だった自分の頃へ戻す事だってできるのだ。

 オートセーブというのは水軌がやってきた従来のゲームとは違い、人の意思なんか頭越しにして勝手にプレイヤーの状態を秒単位で保存してしまう。

 失敗してもやり直す事は出来ず、常に一発勝負だ。

 これは現実でも同じ。

 常に一発勝負、やり直す事は出来ない。

 不届きな行為をしてしまったら最後、ゲームオーバーだ。

 更に秒単位どころじゃない、神様は水軌達を0.00000000......1秒単位よりも小刻みに、そして丁寧に、億劫なんて一切思わない、労なんて惜しまない、不眠不休で、対価を求めず、人間達一人一人を自分の大きい大きい頭の中へインプットしてやがる。


 とにかくこのルピナス・ストーリー・オンラインはオートセーブであり、常にサーバーが水軌の状態を保持している為、急にゲームを辞めたって、PCの電源を切ったって画面の中の水軌は無かった事になんてならない。


 水軌はこれから何をしようか、考えながら辺りを眺めた。

 時刻は夜の8時を回る。

 よい子はもう寝る時間にも関わらず、はじまりの街を大広場は、沢山の人間達で活気に満ちていた。

 原子の森は、現実の時刻が夜になっても相変わらず太陽が地を照らしていたが、はじまりの街はどうやら地球の時刻と同期しているようだ。

 物理では証明出来ない謎の方法で行き来している為、原子の森とはじまりの街がどれ程離れているのかは分からない。

 原子の森は現在昼で、ここは夜。

 という事はこの街の真反対に位置しているのだろうか?

 いや、もしかしたら全く別の世界かもしれないし、今水軌はどうやって原子の森は真反対だと思った?

 ここは地球のように丸くないかもしれないし、サイコロのマップの様な平坦な世界かもしれない。

 無粋だが想像して見ると意外と楽しいメタフィクション的な事を考えてみる水軌。

 そういえば今アイラは何処に居るのだろうか? と考えようとした矢先、やるべき事を記憶の片隅から掘り起こした。


「ギルドの部屋へ行かないと!」


 色々と濃密な出来事が沢山あった為その事をすっかり忘れていた水軌。

 思い出した途端体に電撃が走り、あっと声を出した。

 ひょっとしたら既にアイラはギルドルームで水軌を待っている可能性がある。

 せかせかとメニューをクリックして、ギルドの項目を開く。

 ギルド、ワスレナグサの詳細情報の下部分にある入室ボタン。

 このボタンを1回押すだけで水軌の体はギルドルームへとワープする。

 クエストが終わったらギルドルームへ向かうと約束したにもかかわらず、入室ボタンをクリックするのを躊躇ためらう水軌。

 これはゲームであり、これから出会う人達と現実の世界で関わる事は恐らく無いだろう。

 そう体に力を入れないで、カジュアルな心持ちで向かえば良いだけ。

 しかしこのゲームのリアリティさと水軌の不器用さが相交わってしまって、頭から足の爪先全てに緊張が駆けていく。

 水軌が今体験しているこの感覚は、青春真っ盛りの学生が転校する感覚に似ていた。


 今自分は、転校先の学校に居る。

 目の前には新しいクラス、そして約30人程の見知らぬ人達。

 早くトビラを開かなければ。

 皆自分の身なりを見てどう思うのだろうか。

 陰口を言われたりしないだろうか、クラスから除け者にされないだろうか、自分と友達になってくれる人は居るのだろうか。

 暗澹としてしまって、扉の前で懊悩(おうのう)してしまう。

 扉の向こう側、静謐せいひつな空気漂う教室に入りたくない、そんな気持ちが頭の中ですし詰め状態。

 とは言っても一回入ってしまえばこっちのもん。

 教室で皆の前に立ち、自分の少ない少ない特徴を、ありきたりな趣味を話す。

 そんな事をしている間に先程の懸念事項は忘れている。もはや懸念でもなんでもない。

 自己紹介が終わり、新しく用意された自分の席に座る。

 勿論机に落書きをされているわけでも無く、隣の席の女の子がとびきり美少女なわけでもない。

 気が付けば友達も出来て、部活で熱く煮えたぎり、惰性で続けているバイトに対してため息を吐いたり、やっとの思いで出来た彼女の事を思っているうちに学生時代なんて光の速さで駆け抜けてしまう。

 青春なんてそんな物だ。

 速すぎて、速すぎて、じっくりと目に、耳に、脳に、感じ取る事が出来ない。

 ゲームだって同じだ、やる前にうじうじ悩んでも不毛以外の何物でも無い。

 行動に移してしまえばこっちのもんだ。

 そう水軌は心の中で呟き、入室ボタンをクリックしした。

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