ギルド加入-1
「無茶苦茶だ...」
ゲームを始めて2時間半程だろうか、デスクトップでも無く、特別高性能という訳でも無い水軌のPCは火傷しそうな程熱を帯びていた。
そろそろゲームを始めてから2時間程経過する。
事故の影響をモロに受けた水軌の足腰は、尿意や便意を察知する事が出来ない。
そういった障害を抱えてなお下穿きを汚さない為には、尿意や便意を感じずとも数時間置きに手洗いへ身を運び、用を足す必要がある。
今がその時間帯なのだが、どうやら水軌はそれを忘れてしまう程夢中でプレイをしている様だ。
「このゲームのシステム、失敗したクエストには24時間挑戦できない。僕達はそれに着目したんだ」
何故ここまで内部の事情をペラペラと話すのだろうか。
ただ単にお喋りなだけか、それなら良いが。何か目的があるなら厄介だ。
なんて事を考察している水軌をお構い無しにハルトは話を続ける。
「まずは僕達ハイドランジアがクエスト1に棲息するゴブリンを殺しまくる。そうするとほら、何も知らない初心者達はゴブリンを全く見つける事ができずやる気を失くすんだ」
「少し前の俺達の事だな」
「そう、尚且つそこが殺し時なんだよ。僕達が活力を失いかけている初心者共を、魔物使いが飼育している異様に強いゴブリンで滅多打ちにしたり、不意打ちで首を跳ねてクエスト失敗に追い込む。つまりクエスト1を24時間挑戦できない状態にするんだ」
分かった、そういう事か。
初心者狩り、と言ってもただクエスト失敗に追い込むだけで、このゲームがプレイ不可能になる訳ではない。
初心者達を、自主的に、ゲーム引退へ追い込むんだ。
「勘の良い水軌さんならもう分かったかな? つまりクエスト失敗したプレイヤーは、このゲームは1番最初のクエストの癖に難しいな。しかも丸一日経たないと再挑戦できないだと? 辞めてやるこんなクソゲー。こういった状態に陥ってしまう」
「そうすれば新規参入者は自然と減り、お前達ハイドランジアのボスが恐れている事も綺麗に解消されるって事か」
「ご名答!」とハルトは手を叩き声を上げる。
成る程、水軌は理解した。
しかし理解したからこそ、また一つ謎が生まれた。
「俺達が初めて出会った時、何故音を立てて自分から姿を現したんだ? そのまま隠れ狩りを続行すればこんなややこしい事にはならなかったじゃないか」
水軌とハルトが初めて顔を合わせた時の事を覚えているだろうか?
文月が何者かに殺されて、水軌達は周囲に注意を向け続けている時、ハルトは音を立てて自分の存在を曝け出した。
あれはミスでは無いのなら誤手としか言いようが無い。
何か目的があれば別の話だが。
「ああ、あれは僕のミスだよ。森の中で標的を漁っていた時に、丁度身を屈め薬草を探している水軌さん達を見つけたんだ。殺しちまおうと喉笛を狙っていると急に女の首が吹き飛ぶんだからびっくりしたなぁ。慌てず体勢を整えたつもりだったが音を立ててしまった」
先程のハルトの発言と一致していた。
つまり水軌達が薬草を求め地面に目を凝らしている際、同時に不特定多数の初心者狩りに狙われていたという事だ。
全く、油断も隙もならない。
「水軌さん達は複数の初心者狩りに命を狙われていた。2人、もしかして3人、4人かもしれない。それほどクエスト1にはハイドランジアのメンバーが息を殺し潜んでいるんだ」
これで謎が全て解けた。
しかしまぁ、ここまでペラペラと話して良いのだろうか。
恐らくハルトは意地でも、脅してまで水軌の事をゲーム引退へと追い込むつもりで話しているのだろう。
とはいえそれは無理な話。
ハルトどころか、ハイドランジアのボスでさえ水軌を引退へ追い込む事はできないだろう。
水軌は杖を握りしめて、戦いの姿勢をとった。
「有難う、丁寧に説明してくれて。そしてお前達ハイドランジアを許さない。折角見つけたんだ。俺はもう絶対に、例え画面の向こうでも、自分の足を失いたくはないんだ」
決して大声では無いが静寂を切り裂く水軌の声。そして決意は電脳世界の森の中へ浸透していく。
「あれあれ、今まで水軌さんにはクールなイメージを抱いていたけど意外と熱い男? いつもは無口だし、ほんと分からないなぁ。水軌さんみたいな人は扱い辛くて大嫌いだよ」
水軌とハルト、互いに構えていつ激突してもおかしくない。少しの摩擦で爆発してしまいそうな程ピリピリとした空気が辺りを漂う。
気持ちの強さだけなら水軌の方が勝っている。
しかし気持ちだけで勝てる程ゲームの世界は甘くない。
いくらハルトのレベルが水軌と同等でも知識、技量、経験、全てに置いてハルトが勝っている。
このままではハルトが九割九分勝利するだろう。
そしてその九割九分を十割たらしめる最悪の出来事が水軌を襲う。
「やぁ、遅かったね。ここまで時間稼ぎするのに随分手を焼いたよ」
なんとハルトの仲間、ハイドランジアのメンバーが水軌の四方を囲んでいるではないか。
ハルトは何も考えず、ほぼ無関係である水軌に内部の事情を一から十まで説明していた訳では無い。
仲間がこちらへ来るまでの時間稼ぎ。
一対一でも九割九分勝てる、しかしハルトは一分の可能性を危惧したのだ。
「随分と
少し幼いとは思うが、最後の最後だ。
水軌は強気を装って減らず口を叩く。
最早これまでか、自分では最善の注意を払っていたつもりだったが。
どうやら水軌はハルトの術中にまんまとはまってしまった。
だが今こいつらに倒されてクエスト失敗しても、水軌はこのゲームを辞めるつもりは絶対に無い。
何度も何度も挑戦して、絶対にクエスト1をクリアしてやる。
その水軌の情熱の強さがハルトの誤算の一つだった。
「水軌さんだって小さい頃蟻を虐めて楽しんでたでしょ? 僕は今それと同じ気持ちかな。蟻に何を言われても僕は何も感じないよ」
「そうかそうか。か弱くちっぽけな蟻を目の前にして、それでも一対一で掛かる勇気が無いお前は無様に仲間を泣きついたって訳か。物量作戦に頼る辺りお前も蟻と変わらないな」
「こんな時だけお喋りになりやがって。黙って殺されれば良いのに」
手の平で遊ばせていたナイフをぐっと握りしめるハルト。
自分の存在が水軌と同程度と言われたのが余程頭に来たのか、ハルトは自分の中に潜むトゲトゲしい敵意を初めて水軌に見せた。
「死ね」というハルトの掛け声に呼応して、水軌を囲むように潜んでいたハイドランジアのメンバーが一斉に襲いかかる。
また明日文月達と一緒に頑張ろう、と既に諦めムードに入っていた水軌は、疲れた目をほぐしてため息を吐く。
今目を開いたら画面の向こうの自分がナイフで滅多刺しにされているのかな。
そう思って少し憂鬱な気分になる。
よし、目を開けよう。
腹を括ったその時、自分の耳に差し込んでいるイヤホンから不可解な音が聞こえてくるのが分かった。
パチパチと、焚き火をしている時の様な音。
それだけでは無い。
轟々と、肉食獣の唸り声の様な音が自分の耳を震わせている。
一体この物音の元は何だろうか。
水軌は画面の向こうの自分の状態そっちのけで、この音の正体を確かめる為に目を開く。
水軌の目に飛び込んできた光景は、予想と正反対のもの。
死んだと思っていたもう一人の自分は、
いや、目の前だけでは無い。
猛炎の壁は水軌を取り巻く様に360度に渡って燃え上がる。
威厳さえ感じ取れる炎は草木だけでは無く、ハルト達及びハイドランジアのメンバーを有無を言わさず燃やし尽くしていた。
紙一重で炎の餌食になる事を回避した水軌は、結果的にこの紅蓮の炎に命を救われたという事になる。
しかしこの不可解な燃え方をする炎は一体何だ?
火の手は決して体に触れようとせず、水軌を中心としたドーナツ型に燃え盛る。
こんな奇妙な炎の上がり方は現実ではあり得ない。
しかしこの世界なら、魔法という物がある。
恐らく通りすがりの何方かが初心者狩りに襲われている水軌を助けてくれたのだろう。
水軌はこの
それにしても上手く炎の挙動がコントロールされているな、と水軌は舌を巻く。
灼熱の壁に遮られていて、奥はよく見えないが大火が起こっているのは恐らくこの場所だけと思われる。
まさかタイミング良く森林全域に渡る大火事が発生し、水軌の所だけ燃えていないという偶然が起きている訳無い。
水軌の知らない凄腕の魔法使いが、ピンポイントでハルト達を殲滅したのだ。
然しその仮定で話を進めると、何故クエスト1に凄腕の魔法使いが居るのか、不審さを覚えてしまう。されど今はもう一人の自分が焦げ臭い空気を吸って生きている事に感謝しよう。
草や木、そしてハルト達可燃物を焼き切った炎達は、もう食料が無くなったと確認するやいなや徐々に姿を縮小させていく。
もはや厳かな体裁は見る影もなくなりつつあった。
下を見ると白い物体が炎達に骨の髄までしゃぶり尽くされているのが分かる。
その白い物体が、つい先刻まで人を殺しまくっていた殺人マシーンだという事を忘れてしまうほど程弱々しく、何もできない無力な物体と化していた。
水軌は、火の手が弱まった事によって辺りの様子が見える事に気が付く。
予想通り火の奥は濃い緑色に染まっていて、対極に位置する炎と植物の融合は、神秘的だった。
だが今はそれに見惚れている場合ではない。
水軌の予想でしかないが、辺りに自分を救ってくれた凄腕の魔法使いがいる筈だ。
何故凄腕のプレイヤーがクエスト1に取り組んでいるのか少し疑問に感じながらも辺りを見回す。
すると水軌の予想通り、炎の奥に人影が見えるではないか。
安っぽい茶色の皮のコートを肩から羽織りコートは小汚く、凄腕の冒険者という雰囲気は一切感じられない。
それに加え顔も、服に搭載されているフードを深く被っていてよく見えず、悲壮感漂う不衛生な身なりはスラム街の孤児を連想させた。
本当に自分を助けてくれたのだろうか?
どこからどう見ても住処を探して彷徨う浮浪者にしか見えないが、格好で判断してはいけない。
水軌は食料を失い衰えきった炎をジャンプで飛び越して、予想ではやり手の魔法使いの元へ向かう。というかそうであって欲しい。
近付けば近付く程コートの汚れが躊躇なく目立ち、自分の元へやって来る水軌に対して一切の反応を見せず不気味だ。
思わず声をかけるのを尻込む水軌であったが、勇気を出してお礼の言葉を口から引っ張り出した。
「あの...貴方が助けてくれたんですよね? 有難う御座います。お陰で助かりました」
水軌は頭に手をやりヘコヘコと頭を下げる。
一体どんな反応をされるのか、無視されるんじゃないか、それとも気紛れで殺されてしまうのではないかと少し怖かったが、そんな考えなど一瞬で吹き飛ばされてしまう。
「今君を助けてくれた魔法は大地の
コートを羽織った人物は顔を上げ、水軌の面と自分の面を合わせる。
水軌は予想よりも何ヘルツも高い声音に、度肝を抜かれてしまう。
声だけではない、綺麗で形が整った、つり目の女性の様な顔に心底驚く。
いや、この汚い被布を纏う冒険者は声といい顔といい正真正銘の女性だった。
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