4. ルミナスの策謀
ツクヨミの一件で軸がぶれ、つい失念してしまったが、どちらにしても、もう一度あの島嶺黎司に近づかねばならないようだ。“あれ”の気配が濃厚にあの場所にあることは確かだ。あの時はあれ以上リサーチすることは叶わなかったが……と、またしても忌々しげに舌打ちする。
そのために彼女という存在がいたことは、確かに好都合だった。
自分一人が行ったのでは格好が悪い。それに、やはり何かの表向きな理由が必要だ。そのため彼女を利用するのは、最早何より手っ取り早い方法だった。そうと決まると、まるで何かのスイッチが入ったように、日神は頭の中で計算を巡らせた。本当、今までは何の関心もなかったのに……何よ。
あたしは何だか嫉妬しているようないないような、不思議な感覚に襲われた。だってデュナンはあたし自身の身体でもあり意識体でもある。そのあたし自身であるところのデュナンが、これから文字通り攻略しようとしているのは、彼に気のある他の女の子。そもそも、それをあたし自身が応援したいなんて口を滑らせたのがまずかったんだけど……。
とにもかくにも、あたしは自分自身が、とある女の子に接近しようとしている姿に嫉妬している。ああ、なんてややこしいんだか。
――やっぱりツクヨミのこととか、自分自身のこととか、色々あったからなのかな。
何か壊れた玩具みたいに誤作動し始めたようなルミナスが気にかかる。確かに表向きには、それで目的は達成できるのかもしれないけど。目的、か。あたしは再び島嶺叔父の研究について考え始めた。本当は一時でも忘れていたかった、その真実。この間のルミナスの言葉も気になる……父さんと叔父さん、やっぱり何かあるの?
――でも、ルミナス。
『……絶対に彼女を傷つけないでね』
その巫女の懇願の言葉に、心配するな。私はフェミニストだからな、どこで覚えたのか、そう冷酷な表情で、さらりと言ってのけられた。
*
「委員長」
「え?」
それは、あろうことかデュナン自身からの誘いの言葉だった。
要するに自分の用事に付き合ってもらいたいのだが、という内容だったが、捉え方によっては、これが一種の隠された意思表示でないとも言い切れない。リリアンは思わず面食らった。というか目眩に襲われた。
「……やはり君が必要だ」
そんな風に情熱的に迫られたら(彼女にはそう思えた)誰だってそうなるに違いない。どちらにしても今、真剣な表情の色男デュナンその人が、まさに彼女の目と鼻の先にいた。
「あの、デュナン」
「だから、君が必要だと言っている……!」
願ってもみない展開に、かえって思わず身を引くリリアンに殊更、歩幅を縮める。
「委員長、いやリリアン・パスティム。君はあの髭面の助教授にいたく気に入られていたようだったからな、だから、ぜひとも同行を頼みたい」
――え?
リリアンは瞬間的に凍りついた。
*
今度の道程は二人きりだった。
デュナンが突然切り出した提案に、リリアンは同意せざるを得なかった。というより、別に反対する理由が見つからない。というか他ならぬデュナンの頼みでもある。リリアンは快く承諾した。本当は内心嬉しさで飛び上がりそうだったのだが、それは持ち前の理知的な対応で何とか隠し
あの研究所に、いや島嶺助教授の研究そのものに興味がある。その割には、あの時は気のなさそうな素振りで話を聞いていたけど……などと余計なことは思わない。でも、だったら睦月君とかも誘ってみたら? さすがに二人では色々な意味で心もとない。
しかし、「あいつはダメだ……いや、なんでもない」そうボソッと呟くとデュナンは続けた。
「他の者が一緒に行ったのでは台無しだ、リリアン。いや、リリアン先生」
確かに別の意味で真に台無しなのだが、リリアンには、委員長の頼もしい所をぜひ皆に見せたいだろう、などと言って
「そ、そうね。みんなを驚かせてみるのも面白いかもしれないわね?」
相槌を打ちながら、内心冷や汗をかきながら、にっこりするリリアン。
――なーんか、色々考えてた割に、ものすごく単純な理由ね……。
まんまと引っ掛かったな、単純なヤツめ、そうニヤリとしていた所を、同じくそう瑠美那に突っ込まれ、うるさい!日神は思わず声を荒げた。
*
そんな経緯で二人は、以前登った山道を逆ルートから島嶺助教授の研究所を目指すこととなった。今度はきちんと時前に道程をリサーチしてやって来たから心配なかった。それでも途中、何度も山道で足を滑らせそうになるリリアンに、デュナンはその度に手を差し伸べ紳士的に助け起こした。
「あ、ありがと……う」
その度に互いの物理的距離が接近し、リリアンは顔を赤らめる。一度は本当にデュナンに抱きついてしまった。リリアンの肩にかかるふんわりした髪の感触がデュナンの頬を撫で、鼻と鼻がくっつきそうになるくらい縮まった距離に彼女はドギマギした。
ご、ごめんなさい……いや大丈夫だ。そう言いつつ、しっかり彼女の身体を抱き止める。何だかデートみたい。まだ一度も告白してもいないのに。リリアンは二人きりのこの登山を思う存分、心に刻み込むのだった。
「あとどれくらい、かしら?」
「――そうだな、あと二時間というところか」
そんなに……さすがにそろそろ休憩が必要だ。リリアンの体力のことも考え、二人はある沢の近くで一休みすることにした。
歩みを停めて草の上に腰を下ろすと、途端に汗が吹き出してきた。しかし、ふいに吹き渡る風が心地よい。それに突然、自然の森の数多の声が耳に聞こえるようになってきた。そういえば、川の流れる音がする。
「デュナン、こっち! 水が冷たくて気持ちいいわよ!」
掌を器にして清水を掬うリリアンの姿が目に入った。二人きりという照れ隠しもあるのか、リリアンは、はしゃぎながら裸足になり一人でパシャパシャやっていた。日の光に水滴が光り、濡れた前髪にも、その光の雫が光っていた。
「デュナン!はやく」
やおらリリアンはデュナンの手を取る。
「委員長、そんなにはしゃぐと危な……」
きゃ!
つるっと岩肌の苔に足を滑らせ、二人は小さな沢の流れにバシャッと尻餅をついてしまった。当然、二人ともびしょ濡れだ。
「ごめんなさい……」
濡れた服と身体を乾かすために焚き火を起こし、二人はその沢で予想外の足止めを食らうことになってしまった。お約束の展開にリリアンは悪びれるも、やっぱりどことなくドキドキ胸が高鳴っている。こんな風に男の子と二人っきりで過ごすのって初めて。あたかも、そんな初々しいときめきが彼女を包んでいた。
勿論、互いに半裸状態だったので、焚き火を囲んで背を向けてはいたが。とりあえず簡単なランチは持参していたので、それをつつきながら、しばし休むことにした。
「ねえ、デュナン……」
彼がずっと沈黙しているので、リリアンはそれとなく声をかけた。
何も話すことがないので、などと言うわけにはいかなかったが、それでも、
「あなたの話が少し聞きたいなって思って――、」
そう、おもむろに切り出した。こんな風にあなたと二人だけで過ごすことって、これまであんまりなかったから……そんな言い訳っぽいことを言ってみる。勿論、デュナン自身も彼女の気持ちは察してはいたから、それを無碍にすることはなかったが。ただ、
「俺の話など、面白くも何ともないが……」
こちらも弁解するように前置きしてから、記憶を辿るように話し始めた。
記憶を辿るように――確かにその通りだ。私は自分自身のことなど何も知らないに等しい。なのにこの娘は俺に話せという。それは、なんという苦痛か。だが。不思議なことに作り話でもするように、次の瞬間すらすらと言葉が出てきた。
「俺の育った所は緑が美しい光り豊かな国だった――名をアマテラスという」
「アマテラス?」
奇しくも、あたしたちのドームと同じ名前ね。奇異に思いながらリリアンは耳を傾けた。
「天気のよい日は馬を駆り、よく従者たちと狐狩りに出掛けたものだ……ちょうどこんな木漏れ日が眩しい森に迷い込んだり、夜は月明かりの元で……、」
デュナンの話は、まるでお伽噺か何かを聞いているようだった。なんだかどこかの国の王子様みたい。それでも、どことなく懐かしく心地よい響きに満ちたその声色に蕩けるようだ。だが夜の場面にシーンが移ると、その調子に次第に不協和音が混じるようになった。
「そう、夜は月明かりの元で――」
気付くと次の瞬間、デュナンは俄かに苦悶の表情で眉を顰め、頭を抱えていた。
「う、うあ――ッ」
「え? デュナン、どうしたのデュナン!」
背を向けていたリリアンは、思わず向き直ると立ち上がって下着姿でデュナンに駆け寄る。しかしデュナンは、苦しげに
*
その美しい弦の調べは、月夜をあまねく満たしていた。
『――クスヒ、私たちはこれからも、ずっとこうして共にいられるでしょうか?』
『何を言うツクヨミ、私たちはいつまでもずっと一緒だ』
その言葉はまるで永遠の誓いのように心に響いた。そう、あの月影の夜のことは、ずっと忘れない。忘れるものですか……一時たりとも。瞬間ぞっとするような冷気と共に微かな月の光が閉じた瞼に差し込んだ。
ハッとして目覚める。最初に視界に入ったのは、半泣きで自分を見つめるリリアンの心配そうな表情だった。
「デュナンよかった! 一時はどうなることかと思ったのよ」
見渡せば、すっかり日は落ち、ただ焚き火のパチパチと爆ぜる音だけが響いている。
――すまない。とんだ足止めを食らってしまったな。そう言いつつ、ゆっくり起き上がろうとする。が、
「うっ」
呻くと、デュナンは再び倒れ込んでしまった。酷い頭痛がする。
「まだ起きちゃダメ、おとなしくしていて」
そうは言っても……濡れたハンカチの置かれた額を手で覆いながら考える。するとリリアンの声が追いかけてきた。確かにここは携帯の圏外だけど、きっと明日の朝には何とかなると思うわ。そうだな――そう低く呟くと今度は異様な眠気が襲ってきた。
*
夢魔の統べる眠りの縁へようこそ。そんな声が耳元で響いた気がした。
かと思うと、天地がひっくり返るような目眩を感じて、次第にどこか奈落の底へでも落ちていくような感覚に捕らわれる。『デュナン、デュナン!』リリアンの叫び声が小さく聞こえたが、それも次第に聞こえなくなった。気が付くと彼は仄蒼い月光に包まれていた。そして聞こえる、妙なるハープの音色。
『お帰りなさい、クスヒ』
またしても、その穏やかな声が出迎える。
その声の主は竪琴を手にしたまま、にこやかに微笑んだ。何だかとても安らかな気持ちになる。
『それはそうです、貴方はやっと帰ってこられたのですから』
――ツクヨミ。そう呟くと疲れた身体を寝台に横たえる。北の民の遠征は何とか圧し留めた。これでしばらく此処は安泰だ……そう夢見るように目を閉じ呟く。気が付くとツクヨミは肩のヴェールを羽だけ、ベッドに腰掛けていた。美しい人――ぬばたまの黒髪、
思わずその細い手首を掴むと、強引に抱き寄せる。
「ああっ!」
だが、高い声を上げたのはリリアンだった。
眠っていたデュナンに突然手首を掴まれ、驚いて身を引く間もなく、リリアンは強い力で抱きすくめられた。
「デュナン!やめてデュナン!」
そう叫ぶも、その言葉は彼には全く届いていないようだ。ようやく温まった残りの体温を奪うかのように、デュナンはリリアンの上着を羽織っただけの肌着姿の背中とウエストに手をかける。その探るような指先の仕草に次第にリリアンも正気を失いつつあった。
次の瞬間、反転してリリアンの上に覆い被さったデュナンは、据わった眼差しのまま、その唇を唇で塞いだ。
「ん、んん……っ」
息も絶え絶えに、とろんとした瞳になったリリアンは強引に求めてくるデュナンのなすがままだった。僅かな息遣いの隙間に半開きになった唇から舌を滑り込ませてくるような濃密なキスは、勿論初めて。はぁ……っ。まるで荒れ狂う波に揉まれるように、リリアンは身を捩り必死に抵抗するが「!」次の瞬間、下着の上から両乳房をまさぐられ、ハッとするも時、既に遅しだった。
リリアンの胸はスタイルのよい外見からも判るよう、平均的なガイア人のそれ以上の両の手に余るような豊かなものだった。それを文字通り鷲掴みにされ、思わず声を上げた。それでも嵐のようなデュナンの愛撫はやむことなく続き、そのもみくちゃの愛撫に次第に自然と腰が浮き上がるような自身の動きにリリアンは我を失った。
この感じ……時折一人で自分を慰める時に感じる――濡れることがこんなに気持ちいいなんて。でも今は、自分の身に覆い被さる男性それ自身からもたらされる強い力で。その何ともいえない高揚感に、蹂躙という言葉でさえ心地よくすら感じる自分を自分で疑った。
――ねぇ、……て……して。そう心ならずもねだっている自分自身が確かにどこかにいる。え、何を?
「ふぅ、ん……」
ついには肌着を肌蹴られ、つんと桜色に尖った頂点を口に含まれる。そして今度は四つん這いにされたあげく高くあげられた腰をしっかりと鷲掴み《ホールド》され……やあっ。しかし、いけない夢想はそこで終わった。
――ダメ! 起きてルミナス!
「瑠美那……っ」
え? 半眠半覚醒状態だったリリアンは耳を疑った。デュナンの口から確かに零れ出たその名前。うそ……。
自分でも、どうしてそんなことをしたのか覚えていない。
ただ、やつの、ツクヨミの姿を夢の中に見た気がした。どうやら森の夢魔に半分意識を喰われていたらしい。神人のままでいればこんな失態は冒さないものを。奴らは消耗しきった者が眠りに就く頃を見計らってやってくる。こんな人工のドームにも精霊が住み着くようになったか、やれやれ。
――やれやれ、じゃないわよ!しかし、瑠美那のけたたましく響き渡る声にムスッとする。確かにお前の声を聞き、その名を呟いた瞬間、ようやく目が醒めた。だが、あれは私の本意ではないのだぞ。あくまで夢魔が彼女自身の隠された欲望を解き放ったまでのこと。それに……。
ルミナスは再び忌まわしい月神の姿を思い出して眉を顰めた。そして異物を飲み込んだように、苦しげに喉元を押さえた。あんなものに愛撫され、それを欲していたなどと。それでもルミナスの苦しみは、そんな単純なものではない気もした。
そう。言ってみれば、このドームは私自身……。すっかり冷え切った夜気に満ちた
そんな無粋なことはいたしませんが――。それでも少しずつ、そう少しずつ。繰り返しやってくる、この夜のように。大切なのは、何を思い出して何を思い出さないか、ではありません。それはまるで満ち欠けを繰り返して何かを人の心に浸透させる、月の魔法そのもの。その想いの反芻こそが。そっと肌にかけられる絹のヴェールのような月光は、いつにも増してこのツクヨミ・ドームの夜に美しく照り映えた。
夢。……そう、あれは夢だ。現にデュナンは目の前で何事もなかったかのように迅速に身支度を整えている。そして私も。リリアンは眩い朝日が差し込む川縁で、そのことにほっとするかのように一人溜息をついた。でも。
確かにあの時デュナンは「るみな」という名を囁いた。そのことだけは不思議と夢ではないと思える。女の子の名前……あたしったら、どういうつもりなの。思わず寂しげに人知れず頭を振る。彼が誰と知り合い、これまでどんな時を過ごしていたかなんて、あたしには関係ないことじゃない。というより一人で舞い上がっていたのは、あたし。だから、あんな突拍子もない夢を見るんだ。
「どうした、委員長」
ううん、何でもないの――不意に声をかけたデュナンに何事もなかったように言葉を返す。それよりよかった、今日の午後には何とか島嶺先生の研究所に着けそうね。ああ。平静を装い、その無表情の横顔を見つめながら、それでもリリアンは、どことなく淋しい思いを拭えなかった。
*
要するにこいつの存在が、全ての元凶であり始まりだったってわけだな。
相変わらず死んだように眠り続ける“胎児”を見下ろしながら苦々しげに笑った。実際、実験に参加していた島嶺自身にも「コレ」が何なのか判っていない。当たり前だ。もしかしたら前時代どころか有史始まって以来の発見になるかもしれない、そんな物の正体がそうそう解ってたまるものか。
だが、どちらにしろ、こいつがヤツをおびき寄せる大きな餌になることだけは事実だった。蛇の癖に卵でもない
ふっ――こいつぁ嫌でも女ぶりが上がるってワケだな。
……そう、嫌でも。
「今度は正面から乗り出してくるかもな、」
その島嶺の予感は確かに的中していた。遠からず、確かにたった一人ではなかったが、瑠美那とその龍蛇の神は再び此処にやって来ようとしていた。
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