3. 海賊と魔女

 ――何だか随分と長い時間、こうしているような気がする。

 それはまるで脳内が沸騰するような異様な感覚が繰り返された末に、やっと呟いた言葉のようだった。


 アグニの身体は確かに以前の身体ではなくなっていた。しかし、なぜだかそれを自分自身はどこかで望んでいたような気もする。どうあがいても、ただの人間ヒトでしかない圧倒的な絶望感。それは明らかに暴力と揶揄されるテロという手段を用いてきた自分とて変わらぬ宿命だった。とうに衰退した王朝ヴァシュラート、そのたった一人の生き残り――まさしくお笑い草だ。だが己には己の使命があると、ずっと信じてきた。いや、使命などという、そんな綺麗事ではない。それが証拠に既に血で穢れきった自分の掌。今さら何に変わろうと大した違いはないだろう。しかし……。


 ――アグニ!


 誰かがどこかで俺の名を呼ぶ。ついにそんな幻聴まで聞こえるようになった。いやアグニ、これは決して幻聴でも何でもないぞ……! 


 クロエは必死に消えかけたアグニの魂に呼びかける。お前に救われた命の主が今ここにいるのだ。そんな風に簡単に気力を失われては困る。せめてその思考回路への直接介入を阻む障壁さえ取り除ければ。そう、今クロエの念力を閉ざしているのは、この執拗とも思える強力な思念バリアだった。


     *


「おいヴァルナ!一体いつまでこんな所で燻ってなきゃならねぇんだ――、」

 まさかおかしらがいいというまで、なんて言わないだろうな?


 そんな手下どもの辟易した言い分をこれで何度聞いただろうか。だが、確かにこの入り江に停留して早半月。複雑な形状の岩場が海沿いに続き、ここは身を隠すにはもってこいだった。少なからず傷ついた仲間の治癒や船の修復作業には、まだ足りないくらいだが、おそらく戦の神パルジャミヤも嘆いていることだろう。


「そのまさかだ。アグニは決して早まった行為を許さないだろう。だから何らかの動きがあるまで、我々はここを動かない」


 それは航海士として船を守る使命からも、そしてアグニの心根を知る信頼に足る部下の一人としても変わらぬ選択だった。常に戦いの先手を切って最前線に飛び込んでいく、そんな彼の後方をいつ何時も自分は守らねばならない。安心してお前が戻って来れるよう……そうだろう、アグニ。


 そのヴァルナの揺るがぬひとみかに、散々文句を垂れていた野郎どもも、さすがに口篭る。王朝として黄昏を迎えたヴァシュラート、その最期の王子を護る。ヴァルナは簧室の最盛期以前、ほぼ少年時代からアグニと共にいるのだ。その年月を越えた物言わぬ絆に勝るものは何もなかった。そう、あの運命の天変地異でさえ、何事もなかったとは決して言えないが、それでさえ共に掻い潜ってきたというのに……。


 ――たとえ、あの混乱に乗じて反旗を翻した反抗勢力に実質的な政権を奪われたとしても。我々は海賊パルジャミヤとして生き残った。王子としての地位を捨て、囚われの日々を送るより、そのプライドを護るがためにアグニは自ら覆面テロリストとして、だが。


 度重なる海上生活によって、その肌は以前以上に野生そのもののように浅黒く日焼けし、しかしそれもよしとして本来の肉体的な健全性を彼は取り戻した。だから皮肉にも、野性味の中にも、その元からの気品あふれる素顔を覚えている人間は皆無だろう。第一その頃アグニはまだ少年だった。そう王子として堅く護られた――。それにたとえ屈辱的にその素顔を晒されたとて、きっと彼は不敵に笑っていることだろう。


 テロという行為も、すべてはこの荒廃しきった世界で生き延びるための一つの手段だった。すべてを搾取し支配する大国ガイア。ほぼ標的はその得体の知れぬ超大国のみだ。王朝を滅ぼした張本人が奪った祖国インディアナも、イザナギ同様その大国の支配に組み込まれていた。そうだ、復讐以上の何かに突き動かされ、我々は――。


 だがただ一つ、ヴァルナは何かを危惧していた。


 ……重要な案件は、あの島で何が起こったのか、ということだ。あの日もやはり後方で待機していたヴァルナたちには決して窺い知れなかったこと。しかしアグニがガイア軍によって連れ去られたことは事実だ。事の次第如何によっては、彼が尋常でない危機に晒されていることも考えられる。ただ、その情報が何一つ今は得られないのだ。手下たちの焦りも解る。俺だって本当は真っ先にアグニをたすけに行きたい。初夏を迎え洋上にギラギラと光る太陽が笑っている。それは奇しくも、まるで囚われのアグニを誘っているかのように思えた。


     *


 そんな、ルミナス……あなたはお母さまを。そうだ、私は母上を。


 でも、あたしが彼の意識体を介して知り得たのは、まだ不完全な情報でしかなかった。それでも、あの月の神からもたらされた真実は、彼の過去を垣間見るのに十分だった。彼がどこか遠い過去の王国まほろばの神であることは推測していた。だけど、それがどれほどの昔なのか、それにどんな国だったのかも未だに分からない。当然それは、その記憶の主であるルミナス自身も同じなのだろう。


 しかしツクヨミ……彼はルミナスのかつての幼馴染だった(あたしが意識内に“ダウンロード”した事実ではそうだった)。その親しい関係の相手が……まさかルミナスを殺そうとするだなんて。いや、要するにそれは、ものすごく歪んだ愛情なのだろうと思う。歪んでいる、か。それを言ったらルミナス自身だって――でも、それでも。あたしは怖かった。だってルミナスを欲している月神と魂を共有していたのは……あろうことか聡介君だったなんて。


 確かにあの月食の夜、あの後、彼がどうなったのか、あたしは全く知らなかった。まさかそんなことに巻き込まれているなんて何一つ知らずにあたしは。そう自分の身に起こったことだけで精一杯だった。当たり前だ。聡介君は、てっきり沖縄に残されたものと当然思い込んでいたんだから。そして――。


 あたしは、彼に“告白”された。なのに、その凍えるような冷たさに思わず恐怖した。聡介君、どうして……。


 どうして、あなたはツクヨミと一緒にいるの。それはまるで太陽神、ルミナスと一つになったあたしと対を成すよう。あの“接吻くちづけ”は、聡介君とあたし、それにツクヨミとルミナスの再会の合図だった。そう、身も凍るような――。


 心なしか、どんどんルミナスが遠くに行ってしまうような気がする。気のせいか、本当はもっと大事な真実を知ったのに、あえてあたしに悟られまいとしているような、何となくそんな気もした(――現に今だって、ずっと押し黙っている)。


『これで、お前がルミナスと呼ぶ御神を……』


 ふと、あの日クロエから託された深緑の勾玉の首飾りの存在を思い出す。色んなことがいっぺんにあって、しばらく忘れていたけど。物言わぬ艶やかな碧緑に、何となく吸い込まれそうになる。試しに陽にかざしてみたけど、どう見ても単なる石にしか見えない。その真ん中に開けられた小さな穴から、変わり映えしないアマテラスの日常が覗いて見えた。

 

     *


『そうだ、そちらの導火線をゆっくり外せ』

 睦月真吾はキリアンの指示に従い、汗ばむ指先でそっと作業を続けた。


 その爆弾解体作業は、確かに本物そっくりのホログラフィが作る幻影の中で行われていた。が、もし万が一失敗した時は、これも本物の衝撃が脳髄を襲うという、たいそうな代物だった。アステリウス内部のシミュレータールームにての訓練。軍司令部から出動要請がない際には、彼らは常にそういったシミュレーターによる訓練に明け暮れていた。


 ふぅ。“当然だがイオリゲルも楽じゃない”……ふと誰かの呟きが脳内に飛んできた。睦月がヘマしたら、こっちまでありがたくない衝撃を喰らう所だったんだからな。誰が、とは言わない。それはおそらく隊の中で誰もが思っていることなのかもしれないのだから。


 イオリゲル第三小隊。小隊長のキリアンや曹長の睦月含め九名で構成された部隊だ。全部で第九まである中でも(ちなみに先の無人島の戦闘で第七から第九がほぼ全滅)エリート中のエリート。そのせいか、隊の中に渦巻く感情もやっかみや嫉妬などマイナス感情の率が高い。それでも何とか一つの隊としてやって行けているのは、事実隊長であるキリアンの実力や人徳、そしてそれに従う尊敬の念などが隊員たちの中にあったからだ。キリアンは締める所は締め緩める所は緩めるという、メリハリの利いた独自の采配で隊をまとめていた。時には軽い冗句も言ってのける。そういった気さくさが時にいつ何時も緊張に晒されている隊員たちの心を解きほぐしてくれた。当然そういったマイナス感情についてもだ。


 特に昨年入隊したばかりだが、慎重ながら目覚ましい活躍で実績を上げていった睦月真吾に対して噴出した悪感情は、隊そのもののバランスを突き崩すものだった。何かと真吾が精神攻撃される度、


『お前たちは一体何がしたい。何を求めてこのイオリゲルに入った――?』


 そう揶揄し諭した。その求めるものを目指す際に邪魔者が同じ隊にいたら、まずはそいつと上手くやることを考え攻略しろ。頭で考えるな。ただ心に従え。お前たちの“神”は正直だ。その思いを共有するのは何より同じ隊の者たちだとまず知ることだ。


 睦月、睦月真吾はキリアンに何度救われたか分からない。それは実戦においても、そしてこうした隊内でのいざこざが起きた際にも。真吾自身、キリアンの上への進言で曹長に抜擢されたという経緯もあるが、だからといって当然、特別扱いされているわけではなかった。それでも常に標的の的にされる真吾にとって、このキリアンは何より深く敬意を払うべき先輩にして心から信頼のおける存在であることは確かだった。


 とっくに通過儀礼として慣れた脳内へとぶつけられる様々な悪感情を気にすることなく、真吾は最後の調整を終えてシミュレーターから降りた。すると、


「睦月曹長、軍のお偉方がお前に用があるそうだ」


 キリアンの人懐っこい鳶色の瞳が出迎えた。しかし、どことなくいつもの気さくさの中にも、どこか引き締まるような緊張感が漂っている。――どうして自分が? やはりあの無人島で出会った「龍蛇の巫女」金城瑠美那に関することなのだろうか。


『いや、お前の思っていることは当たらずも遠からずだが……それでも少し違っているようだ』

 キリアンが直接脳内に話しかけてきた。隊長それは?


 だがそれはイオリゲル小隊長のキリアン自身にも詳細は一切伝えられていなかった。なぜ自分が。それは――やはり。真吾自身にもそれは窺い知れぬことでしかなかったが、それでも不可思議な予感が彼自身の心をよぎるのだった。


     *


 アマテラスに続き、軍施設がひしめくスサノオドームに寄航した母艦アステリウスは、イオリゲルの脳波増幅装置も兼ねているマシンD-2の整備も済ませ、あとは上からの指示を仰ぐばかりだった。本来ならこのままツクヨミドームへでも足を伸ばして特別休暇くらい貰いたいもんだがな、先の戦闘の激しさからか、案外それが隊員たちの本音だった。


 そんな隊を離れ、一人真吾はイザナギのガイア軍司令部へと向かった。極秘の伝令で伝えられたその場所は、その中でもスサノオドームの最奥にある研究実験棟である。


 ――こんな場所に、どうして自分が……。


 正直言って瑠美那さんをどうにかしろ、とかまた何か言われるのかと思っていた。だが、この場所はどう見ても彼女には関係なさそうだ。無機質な廊下を行きながら、デュナミスは到着まで封印するように、との上からの御達しを思い出す。無論それは、当然自らやろうとすればできないことではない。


「イオリゲル第三小隊、睦月真吾曹長、参りました!」

 そう告げると、真吾は予め指示されていた、ある扉の前で立ち止まった。


     *


 イオリゲルの操る人型マシンD-2には、多種多様な名称がついていた。古くは古代メソポタミア神話の神々アヌンナキに由来する。ウル、マルドゥク、エンリル、ネルガル、イシュタル、エレキシュガル、バラシャクシュ、ナムティラク、ザハリム、ルガルドゥルマハ、ラマシュトゥ……操縦者の個性により形状も色彩も千差万別だが、大元の固有名詞自体がシンプルな記号めいたものだけに、それぞれの想いが描く地平は自由自在だった。真吾の機体はエンリル、風と嵐を司る神。けれど真吾は、それが自分にとって具体的にどんな意味を持つのかなどと考えたこともなかった。ただ自分は、自分に与えられた機体を常に整備し、それを円滑に使いこなすだけだ。


 イオリゲルの誇る思念パワーによる動力。その振動する波動を電磁波に変えたものがそれだ。いわばその動力源は睦月真吾たちイオリゲル隊の一人一人であると言える。いうなれば、よく出来たデヴァイス。その核たる部品の心臓部である彼らなくしては起動しないマシンなのだ。通常はバイク型の水陸両用機だが、それが真の意味での力を発揮するのは、飛行形態に移行してからだ。この地球上で、どこへも行けれぬ場所はない。それはデュナミスの思いの力のまま、まさに思う所どこへでも、だ。大海原へ、そして遥かな空へ――。


 D-2の機構を開発したのは、現ガイアに連なる基盤を創設したトップクラスの人々であると教えられているが、それがどのような人々であったのかも無論よく知らない。むしろ、それ自体が謎に包まれており、知らされているのは、そのマシンとしての基本概念と特別、形としての武器などが必要ないこと(すべて光の粒子――プライム・パーティクルがそれに相当する)それと実際に感じているマシンを起動させる際の独特の不思議な高揚感のみだ。それはもしかしたら慎吾たち、イオリゲル隊員の「命」そのものなのかもしれない。


 古来、人は自らが持ち得た能力を超えた力を欲した。その一つが空を飛ぶこと。しかし人は、元々本当に望むなら飛ぶことすら可能なのかもしれない。ただ“できない”という思い込みが全てを拒絶し不可能にしてしまう。そのマイナス意識をどうプラス意識へと変換していくか、というだけのことなのだ。ただ単純に「できる」と思うだけで簡単に人は空へと舞い上がれる。真吾は今さらながらイオリゲルという遥か未知の星の名を名付けられた自分たちの真実に思い至った。


 それにしても、どうして自分が――龍蛇の巫女、金城瑠美那と出逢ってから、彼自身の周辺が突然大きく変化し始めたような気がする。ただ自分は極々平凡な、そう思いかけて違うな、と改めて思い直す。そもそもデュナミスを操れるという時点で決して凡人ではないだろう。それでもイオリゲル隊は全部で九つ。自分はその中の隊の一つのうちの、至極“ありふれた”隊員の一人でしかないのだ。


『貴方の考えていることに答えてあげましょうか?』


 突然、想念“テレパス”が送られてきて面食らう。そしてシュッと自動的に目の前の扉が開いた。目の前の椅子に足を組んで腰掛けていたのは、プラチナブロンドの髪がひときわ輝く、不思議な少女だった。


 ――どうしてこんな女の子が、こんな所に。そう自然に思うほど、自分が呼ばれた場とその少女とは実に似つかわしくないものだった。年の頃は一三、四歳くらいだろうか。幼さの中にも不思議と落ち着きのあるブルーグレイの瞳。そして現場の科学者らしく白衣を羽織ったその姿。しかし丈の短いミニスカートから、すらりとした脚が覗いている。


「落ち着きなさい、睦月真吾」


 そしてさらに突然、今度は生の言葉を発せられ、真吾は初めて自分が些か動揺していることに気付いた。毅然と言い放つ少女。その言葉には年下であることを微塵も感じさせない凛とした響きがあった。


「私はベアトリーチェ・アンカ……この研究施設の研究主任です」


 ベアトリーチェと名乗った少女は、自分の座高より少し高い椅子から、ひょいと飛び降りると、すたすたと真吾の前までやってきた。――あなた、本当にイオリゲル?そう面と向かって訊ねられ、些かムッとする。


「まぁいいわ。とにかく今回の経緯を説明しましょう」


 先頃、海賊パルジャミヤの首領がガイア軍に拘束された事は知っているわね。というよりそれは、我々イオリゲルが直接介入した事項でもあるのだが。相手に見透かされていることを薄々知りながら、「は、はい」それでも素直に頷く。


「その首領が実は高度な適応力を持つ逸材であることが判明したの」


 適応力、逸材。一体何の話をしているのかと思ったが、要するに我々イオリゲルのように、ということなのか。それにしても、あの海賊の首領が……名を何と言っただろうか。確かアグニ、アグニ・ヴァシュリスク……いや、そもそもフルネームで名乗るはずがない。


「どうして、あんな海賊が……とか思ったでしょ」


 少女は悪戯っぽい表情に小悪魔的な笑みを浮かべた。本当にワイズ博士も酷なことをするわね。そう言いつつ自らもどこか楽しそうだ。あんな逸材は、そうそう手に入りそうもない。そう、あなたたちイオリゲルも相当興味深いけれど。そういうこのもデュナミスが使えるんじゃないのだろうか。


「睦月真吾曹長、神聖皇国ガイア上層部からの命令を伝えます!」

 しかし、突然命令口調でベアトリーチェに告げられ、――ハッ! 思わず自動的に敬礼する。


 今回の貴方の任務は、後にイオリゲル部隊と平行して「龍神」確保の任を与えられる、被験体アグニ・ヴァシュリスクの監視兼、そのマシンのメンテナンス。要するに暴れ馬の手綱を握れということ。わかる? あなたは「龍蛇の巫女」金城瑠美那と接触し、直にその心を開いた。まあ別に今回もその被験者の心を開けというわけじゃないけど、要するに調教……、


 そう笑った刹那、次の瞬間より冷たい声になり、言った。


「あなたたちイオリゲルも相当の暴れ馬。その中であなたとあなたの小隊の小隊長は唯一人の痛みを知る存在と言っていい――だから、もっと冷酷になりなさい」


 ぞっとするような、その言葉。真吾はここへ来て初めて、背筋が凍るのを覚えた。


 ……そうだ、あなたも双子だったわね。知ってる? 私にも双子の姉がいるってこと。確かあなたの弟の睦月諒牙が通っている学校の同じクラスに在籍しているはずよ。ヴェルトーチェカ・アルマ。彼女は本当は一四歳なの。でも見た目よりずっと知能は発達してるから。要するにあなたの弟と同じね。そして姓が違うのは姉が別の家に引き取られたからだ、とベアトはさらっと言った。


 だけど双子って面倒。どうしてあんな姉としょっちゅう……そこまで口を滑らせ押し黙った。


 そして、被験体自身は今、ワケあってここにはいないけど、彼のマシンを見て行って頂戴。そう言ってベアトリーチェはガラス張りの部屋の眼下で現在、調整中の真紅のマシンを指差した。


 今はここの研究主任をしているけど、以前はあなたたちのマシンD-2の開発プロジェクトの主要メンバーだった……ベアトリーチェ自らが許したのか、彼女の意識から垣間見た情報はそう語っていた。要するに自分たちが彼女の御得意先であり、同時に彼女自身が自分たちの御意見番であると言いたいのか。


 ――だからさっき、答えてあげるって……。


 そこまで考えて、真吾はやはり自分はこのマシンとイオリゲルである自分自身との関係性について深く知りたいのだと思った。それにどうして、捕虜となった海賊の首領アグニが自分たちと行動を共にするのか、それになぜ自分が抜擢されたのか。自分が優しいから? 調教? ベアトはさっきそう言った。それに彼が被験体と呼ばれていたのも気にかかる。


 無数のプラグが繋がれた状態で今、眼前に鎮座する真紅の機体。確かにそれは自分たちのバイク形態のマシンと著しく似通っていた。いや、似通っているなんてものじゃない。これはまさにD-2そのものじゃないか! そう気付き瞬間的に絶句する。


『――どうしてかって? それはガイアを創造した“人たち”に訊くのが一番の早道だけど』

 いきなりベアトリーチェの思念こえが頭の中に響き渡った。


 あなたにそれをレクチュアしたところで今さら何かが変わるわけじゃない。そうだ、それを訊いたところで自分に何かが出来るとは思わない。『『それでも知りたい?』』


「さっきから気付いてるとは思うけど……」

 振り向くと、徐にその場にやってきたベアトが口を開いた。


 私もあなたたちと同じ力が使える。でも、そっちより研究者としての才能の方が勝ったみたい。案外そういう人間は他にも沢山いるみたいだけど(例えばワイズ博士みたいに……)。


「要するにあなたたちは使い捨て。そのために選ばれた人間なのよ」


 言葉は冷たいが、どこかその声色には憐憫に似た感情が漂っていた。いや……違う。ああ、そうか……この子はそのために肉親を失ってい、る? そこまで思って瞬間的に雷電のような衝撃に阻まれる。あまり関心しないわね!とは言っても、人の心を覗くのはイオリゲルの専売特許だったかしら。そう厳しく揶揄するも、彼女の心のどこかに隙が生まれていたのは事実だった。


「使い捨ての癖に……!」

 そう言い捨てると、ベアトリーチェは続けた。


 被験者アグニは、あの龍神のサーペントの体液を新たな血液として体内に試験投与されている。それで何が起こるのかは分からない。だから被験体なのよ。要するにあなたたちも平たく言えば彼と同じね。傍目にはガイア軍のエリート部隊として優遇されてるけど、それは単にその能力が高いからでしかない。それを忘れないように!


 ああ、そんなことははなから解っていた。でも、それは自分の意思とは関係ない。自分は……自分がイオリゲルとしてガイアに忠誠を尽くすのは。いや、そうだな。瑠美那さんのことといい、もしかしたら自分は危険分子なのかもしれない。自分がここに呼ばれたのも、あながちおかしくはないことで、既に軍に全てをサーチされているからなのかもしれない。それでも――。


「あなた、死ぬわよ?」

 ベアトの瞳が突き刺さる。どうでもいい、言葉ではそう言っているけど。


 あなたたちイオリゲルも、そして龍神も、それに海賊の首領、いいえヴァシュラートの元皇子アグニも、元は同じ起源を持っていたとしたら? ヴァシュラート?今初めて聞かされる言葉に真吾は真実の一端に触れたような気がした。


 ふ、そうね、そんなわけ……でも、そうでも考えなければ説明のつかないことばかりよ。D-2の動力源は光の波動。それはあたかも生命活動の神経細胞パルスそのものだ。そう、あなたたちの命が動力源。理論的に言えばイオリゲルと同等の思念パワーさえ持っていれば、誰でも扱える。そういう面白い機体なのよ。


 でも、私はそんなこと全然面白くない――より思いの強い者が全てを制する。じゃあ、そう信じて報われなかった者はどうすればいい? 思いの強さイコール生命体としての強さだなんていう戯言はあたしは信じない!


 その辺りの空気を圧する言葉が、人気の絶えた実験棟の研究ブース内の高い天上に木霊し、吸い込まれていく。生命としての強さ、か。じゃあ、きっと僕も失格だな。ふと、そう思って瑠美那さんの顔を思い浮かべる。


 しかし、


「金城瑠美那を手に入れるのは至難の業かしらね?」


 不意にそう問われて思わずベアトを見る。虚を突かれたような表情かおの真吾に何を今さら、といった風に彼女は口元だけで笑う。


 ああ、そう。弟さんとヴェルトーチェカによろしくね。特に姉には。まあ今のところ、あなたに会う時間は取れないだろうけれど。それでも真吾は、諒牙にまた近いうちに連絡を取らなければと思っていた。


『オセッカイ』

 その言葉を背後に感じながら、真吾は実験棟を出た。

   

     *


 真吾がそう思った瞬間に、既に諒牙の元にその“連絡”は届いていた。

 ――兄さんの今度の任務は。


 やっぱり一度、瑠美那さんに会わなければならないかな。そう考えながらも、諒牙の脳裏には不思議な思いが浮かんでいた。なんだろう。なんだかもう僕は瑠美那さんに会っているような気がする……。


『なかなか鋭いな、睦月諒牙』

 無論、その声は諒牙には届かない。デュナンは苦笑いを口元に浮かべた。


 そう、デュナンが読み取った諒牙君の思考を通じて、あたしにもその情報が流れ込んできた。真吾、やっぱりあたし。でもデュナンとして行動している限り、あたしはルミナスの支配の元を離れることはできない。勿論、瑠美那自身としても、この監視の目を掻い潜ってどうにかできるとも思えない。諒牙君、やっぱりあなたに頼るしか――。


 そんな風に会ってもいない彼女に思考を読まれているとも知らずに諒牙は思った。でもヴェルも双子で、何よりそんな妹さんがいるなんて想像したこともなかったな。というより、僕が彼女に対してデュナミスを使えなかったのは、単にそれほど知りたいとも思ってなかったから、なのか……いやそんなはずは。デュナンもだけど、本当にヴェルは不思議な人だ。


 諒牙はそう思いつつ、改めてヴェルトーチェカ自身に関心を示す自分自身を感じた。


     *


 だが、しかし――そのヴェルトーチェカ・アルマは、例の月神ツクヨミの隠れ蓑だった。それがどんなからくりなのか仔細は窺えないにしても、我が身と同じアマテラスの神人ならば。


 その真実を知ったあとで、こちらとして、どう出るか。いや、やはり今は相手の出方を窺うしかないのか。要するに我々は常にあの月神の側にいるということになる。この学園に在籍している限り、だ。だが、その後ヴェルトーチェカはいたって以前通りで、何ら変わった様子もなくツクヨミのツの字も出てきそうにない。単にその無口な仮面の下でこちらの様子を窺っているだけなのか、それが判りかねるのがどうにも不気味だ。


 何も窺い知れぬということは、本当にやっかいだ。


 デュナンは蒼白に近い色白の表情をピクリとも動かさぬヴェルの横顔を講習中にふと見やった。こうなったら、こちらから――いや、何を言っている。誰が好き好んで、わざわざヤツの手の内になぞ。思わずチッと舌打ちする。


 しかし、その様子をそっと盗み見ていた恋する乙女がいることなど、彼自身はまったく夢にも思わなかった。


 ――どうしたのかしら、デュナン?


 何だかさっきからヴェルの方ばかり、ちらちらと見ている気がする。やっぱりあの日、何かあったのかしら。私自身もあの温泉での出来事は何一つ覚えていないんだけど。そういえばヴェルとデュナンって、何となく雰囲気が似てるよね。


 そう今さらのように思い立ってドギマギする。やだ、どうしたんだろう、あたし……。


 そういえば島嶺先生も言っていたっけ。『お前ら、まるで兄妹みたいだな』そ、そうよ。ほんと兄妹みたいによく似ている二人よね。具体的にどこがどうというわけじゃないんだけど。そう胸の内で呟いて自らを納得させる。いつかも、あたしをヴェルの所へ連れてきてくれたのもデュナンだっていうし。リリアンは転入当初、デュナンに記憶を封じられた日の出来事を思い出していた(無論、肝心のことは何一つ覚えていなかったのだが)。



 デュナンがツクヨミinヴェルに気を取られている間じゅう、瑠美那の意識であるあたし自身は、その恋する視線に気付いていた。こういう時、女の勘、いや分離融合体というのは実に便利だ。それにしても、リリアン……困ったな。ルミナスは当然、放っておけと言うに決まっているし、第一あたしたち、実際それどころじゃないんですけど、っていうのは事実だった。彼女のことなんかより、よっぽど真吾のことの方が心配だ。というのが、やはり本音。でも、


 でも、こういうのって何だか平和でいいな――。


 思わずそう感じてしまう。そういう意味では、すごく彼女自身が羨ましかった。本当に純粋で初々しくて。それ以上に龍神とかガイアとかイザナギとか、そんな不毛な世界とは無関係な、普通の高校生が普通に誰かに恋する気持ち。当然あたしには、もうそんなもの許されない。だから何となく応援したい気持ちになっちゃうんだけど……。


 冗談を言え!そこまで思って、どうやら“彼”が気付いたらしい。


 第一どうやって――だが日神はふと表情を変え、ふふっと笑った。やはりお前も直々に彼女と付き合いたいというのか。ならば、そうしてやらないこともない。いや、やってやろう!


 えっ? ちょ、ルミナス……!

 慌てて前言撤回しようとするも、もう遅かった。


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