7. リリアンの恋

 最近、学級委員長の様子がどうもおかしい。

 そう、この天照大付属学園、通称アマテラス校の真珠、才色兼備を絵に描いたような学園のマドンナ、リリアン・パスティムその人が、である。


「はーい、皆さん。御機嫌いかがぁ? リリアン・パスティムでーす」

 校内放送がやけにハイテンション。かと思えば……。何を思ったのか妙にしゅん、と授業中に沈み込んでみたり、珍しく独り食堂のカフェで物思いに耽る姿を放課後見たという目撃情報もある。


「ねぇねぇ。最近委員長、変じゃない?」

「そうよねぇ、何か話をしても常に上の空ってカンジ」

 クラスの女子の間では、先月転入してきたデュナンが原因、と見事に図星を突く者もいる。そう、それは確かにずばり図星であった。デュナン・リトラス。転校早々、その学園のマドンナの心を射止めた男。


「え、デュナンが? リリアン先輩のこと何か言ってなかったかって?」


 まず男子生徒から質問攻めにされたのは、彼と同室の睦月諒牙だった。普段から諒牙はデュナンのことを呼び捨てにしている。まあ一年飛び級の天才少年だけのことはある。決して彼は自分自身を過大評価しているわけではなかったし、一応は先輩である二年生たちを別に見下しているわけではなかったのだが。


 ただ単に誰に対しても無防備で無邪気なだけだ。次期イオリゲル候補生にしては、まるで緊張感ゼロであるが。だがそれは凡人にははかり知れない素養を持つ、純度120パーセントの天然素材それ自体の余裕とも言えるのだが。それは当然、同室のデュナンに対してもそうだった。


「別に。でも、ああ。確か昨日彼女に勉強会に誘われたって」


 ふと思い出したように彼との会話を反芻する。すると、ヒューそれって要するにデートのお誘い? 委員長も大胆だなぁ。無責任にも、口笛とともにそんな声が次々と飛び交う。それってちょっと違うと思うけど。そう思案する諒牙も実は、その勉強会に誘われていたのだった。


「睦月諒牙……」

 教室から寮に戻ってきて早々、諒牙はデュナンに珍しく声を掛けられた。


 だから、いい加減、諒牙って呼んでくれないかな。もうそろそろ一ヶ月になるのに、ルームメイトに対して未だフルネーム呼び捨てっていうのも、どうなの。相変わらずの仏頂面をぶら下げているデュナンを前に諒牙は内心溜息をついた。


「お前、彼女について何か言ったか?」

「彼女って誰?」

「リリアン・パスティムだ」


 当然彼には目の前の人物の言いたい事は全部解っていたのだが、わざわざ今気付いた素振りをして、ああ、と声に出してみせた。さすがに諒牙は昼間のちょっとした騒動のことを思い出した。椅子の背もたれに全身を傾けると、先輩のこと、どう思う? むしろ、そう訊ねてみた。


「どうと言われても。賢いとは思う。ただ相手の言うことを鵜呑みにしがちな部分はあるな」

 その的確な人間観察はさすがと思うが、そういうことじゃないんだけどなぁ。と、がっかりしたように呟いてみせる。


「どうもリリアン先輩はデュナンのこと、意識してるみたいだよ」

「ん?」


 年下の癖にこいつ、と思わず小突きたくなる衝動を押さえ、デュナンの中で実は乙女心そのままにハラハラしている誰かさんがいるようだが、当のデュナン自身はかまわず、相変わらず素っ気無い返事を返した。しかし、


「意識するとは、どういうことだ……まさか!」

 確かにあの時、あの瞬間の記憶は完全に消したはずだが。そう思い巡らす日神に、思わず顔の前で違う違うと横に手を振る中の女子ひと一人。


 なんていうか、リリアン先輩もだけど、この人も時々よく解らないリアクションするよなあ。その意味では二人とも同類かもしれない。そんな諒牙の内心を他所に、目の前の仏頂面の美男子いろおとこは、そんなわけがない。何かを納得したように、そう独り呟くと自分の机に向かった。


     *


 そういえばデュナンについて常々思っていた不可思議なことがある。諒牙は殊更に訝しがった。相手の思っていることに、いちいち霞がかかっているのだ。通常の人間ならば、諒牙はすべて相手の考えていることがほぼ見通せた。確かにこの能力は事によっては危険だ。例えばテスト問題の内容など、学校の授業に関することなどにはフィルターを自らの思考にかけ、敢えて全て読み取れないようにする。その“フィルタリング”の技も、デュナミスを操れるイオリゲル候補生だからこそ、自在に出来ることだった。


 そう、彼らはそうしようと思えば、できるのだった。つまり自分自身に暗示をかけ、全てを読み込むことを停止する。さすがにそうでなければ、まともな日常生活は送れない。しかし、自分自身が相手のことを知りたいと心底から思っているような場合は無駄である。その無意識の関心や未知のものに対して際限なく拡がる探求心の前では、このフィルタリング能力も見事に無効化する。


 諒牙は、確かにデュナンについて、もっと色んなことを知りたいと思っていた。それくらい、相手に魅力があったということだ。だが、そう思えば思うほど、デュナンという未知なる人物への探索の旅は苦境に立たされる。やはり見えない何かが障壁となっている。


 そういえば、兄の真吾が瑠美那さんについて、同じようなことを言っていたっけ。これは偶然なのだろうか。龍蛇の巫女。彼女自身に憑いている龍神を彼女は、ルミナスと呼んだ。


 ルミナス、か。瑠美那さんだけに。でも、光り輝くものとか、なんて素敵なネーミングセンスなんだ。デュナンへの好奇心と共に諒牙は、ますます瑠美那自身をも知りたいという思いを深めていった。


     *


 ――ごめんね、諒牙君。“私たち”のことを知られるわけにはいかないの。


 デュナンの中で瑠美那は思った。本当は私も君たちに会いたいよ。でも……。“デュナン”の在る同じ場所へは、あたしは行けない。勿論、彼がいないなら話は別だけど。――会いたいなら、会わせてやってもいい、だが余計な危険を冒すべきではない。あたしという肉体をどうも今支配しているらしい日神は、そう言った。わかってる、わかってるよ。要するに今、あたし自身には自由はないみたい。さすがに、そういう場合じゃないっていう自分の立場は理解してるつもりだけど。だけど、でも。


 “瑠美那”としてのあたし自身は、未だに納得がいかない。ルミナス、あたしは貴方のなんなの。いいえ、貴方はあたしの……!ああ、こんな堂々巡りの押し問答、一体何回続けてるんだろう。でも幾度繰り返しても答えは出ない。そうそれでも、何度嫌いだって思っても、それ以上の好きという、ワケのわからない果てのない想いに飲み込まれていくんだ。


 いや、本当は好きとか嫌いとかじゃない。そんな次元とうに超えてる。

 これが龍蛇の巫女の宿命。怖い……まるで宇宙そのものに恋したみたいだ。


 普通科の授業は、沖縄はニライカナイの学校とそれほど変わらなかった。

 確かにそれはありがたいといえば、ありがたかった。ただでさえ混乱することばかりなのに、これ以上個人的な日常生活でまで、要らぬ負担を抱えたくない。確かにそれはあたしにとって切実な願いだった。


 それでも、もうこんな人並みの普通の生活、また送れるなんて正直思ってなかった。確かに決して普通ではない。普通であるはずがない。それが証拠に、まるで大臣の待遇のように、学校の行き帰りの送り迎えから、何から何まで人の手が加えられていた。要するに、いつ何時も監視の目を怠るな、というわけか。考えてみたら、皮肉なものでデュナンとして覚醒している時の自分の方がずっと自由であることに変わりない。


 自由? まさか。文字通り自由になったのは、あたしじゃなくてルミナスの方でしょ。確かに彼は日中でも自由に出歩ける“身体”を得た。これまでの小綺麗な幽霊みたいな姿じゃなく。よかったじゃない。そんな皮肉でも吐いてやりたいくらい。そのくらい彼は今、自らの自由を失ったあたしの代わりに、まさに自由奔放に行きたい所へ行って、やりたいことをしているようだ。勿論学生という身分の上では、そのすべてが可能というわけじゃないけど。


 一見、平和な日常に潜んでいる悪魔みたいな非日常。それを身をもって体験したあたしには、すべてが突然、胡散臭く思えてしまう。それはこの、アマテラスでの生活もそう。一見してニライカナイよりは、ずっと進んだ都会だけど、何かがものすごく嘘臭い。もしかしたらイザナギという、この国を実質支配しているかもしれない超大国ガイア。そう言われてみれば、確かにそうなのかもしれない。


『瑠美那――、ガイアというこの国のすることに気をつけて、』

 真吾にまで、そう言われた。彼自身、ガイアの軍隊に所属しているにも関わらず、だ。本当に久しぶりに生まれ故郷に帰ってきたっていうのに、何だか全然知らない土地に迷い込んだみたい。


「瑠美那さん、この家を自分の家だと思って、ずっと居てくれていいのよ」

 そう優しく告げるバーミンガム理事長。確かにその優しさには嘘はない。それはまごう事なき、母として家族としての優しさだった。こういうやけにそれっぽい暖かさに不慣れなあたしだから言うんじゃない。決して何かに騙されての言動じゃない。この人は本当に子供というものに恵まれなかったんだ。リツコ婦人もとい理事長は、ガイアとか全く関係のない、普通に一般人の穏やかな優しい匂いがした。


「ありがとうございます……」

 それだけに、その形ばかりの言葉の裏に、いつかはこの人の善意を裏切らなければならない予感に申し訳ない思いがよぎる。

 ――申し訳ないなどということはなかろう。実際彼女もガイアの手の内の人間だ。ただそれに自分自身気付いていないだけだがな。


 あっけらかんと言うルミナスにさすがに腹が立つも、それは確かに一つの事実であることに、あたし自身も気付いていた。誰がこんな姑息なトリックを仕掛けてるの。あまりにも平和な日常に隠された、それは緻密で何の抜かりのない巧妙な大仕掛け。その網の目のように巧みに張り巡らされた企みに吐き気まで覚える。


 ……そうだ、それが奴らのやり方だ。覚えておけ瑠美那。決して奴らの間には、情などという余計なものは介在しないのだと。自らの目的のためには手段は選ばない、それがやつらだ。


 その言葉を聞いて、あたしは絶句する。もしかしたら既にルミナス自身が……その覇王の摂理に染まっているんじゃ。弱肉強食。それはまるで映し鏡のようだ。目には目を、歯には歯を。報復と報復が交互に織り重なり合い、永遠の螺旋を描いていく。確かに人間の歴史とはそうしたものだ。人は憎悪と戦いとを決して忘れられない存在なのかもしれない。


 その中で愛情さえも、いつしか歪んでいく。誰かを守る為じゃなく、誰かを奪うために。奪い奪われ、いつか人は戦うことでしか自身を肯定することができなくなる。現にルミナスは……。


 どうしてそんなに哀しいをするの。ルミナス、本当は貴方は。


 何度かの心の邂逅の末、あたしたちはとうとう、その憎しみの連鎖に組み込まれ、ルミナスはあたし自身を文字通り奪い乗っ取ることで、その哀しみを癒そうと試みた。ねえ、そうでしょう。しかし誇り高い日の神は、それ以上答えることをしなかった。


     *


 スサノオ、ツクヨミ、そしてアマテラス。


 どうして、そんな名前なんだろう。日本神話における三貴子――。建設中の三大ドーム、その先駆けであるアマテラスドームを前に、よく思ったものだ。


 それは「時を停める」装置。そう、いずれこの日本は文字通り“時を停める”。そして新しい国家として生まれ変わるだろう。たとえそこに自分自身がいなくとも。この国は、そして世界は、新たな時を刻み始めるんだ。


 しかし、この大いなる三大ドームに集約される“イザナギ”は……時を越え、いにしえの時間を歩み始める。いや、あるいは、それは新たな「未来」か。


 瑠美那……アマテラスを――お前の貴き神宝かむだからを……頼む。


     *


 ――父さん!「……ッ」

 誰かの短い悲鳴に不意に目を覚ます。ああ、お前か、瑠美那……。


 どちらにしても、こちらが目醒めたということは、あちらの肉体は眠りに落ちたというわけか。とんだ眠り姫だな。肉体は眠っているのに、その実、常に目覚めている。まるで決して醒めない悪夢の中にいつもいるようだ。悪夢、か……。


 デュナンは、先程の瑠美那の意識の最奥が見せた夢を思い出した。父さん、どうして。瑠美那自身の精神は近頃、かなり不安定に揺れているようだ。そう、あたし……最近、父さんの夢ばかり見るの。そんな風に、この身体に相応しくない女々しい感情おもいに度々満たされる。それほどまでに死んだ父親のことが恋しいのか。


「ふっ……」

 デュナンは鬱陶しく寝汗に光って張り付く額の黒髪を掻きあげた。季節感なぞ、とうに失ったこの国で、奇しくもドーム都市内は、出来る限り自然の風や天候、季節を演出している。それがまた酷く鬱陶しい。何言ってるの、そんなことない。あたしは好きだよ。


 瑠美那の声が自身の中で囁く。帰りたいな、沖縄……。

 奇しくも季節は、初夏を少し過ぎていた。


     *


 なんだかんだで、その勉強会とやらは結局、夏休みに移行されてしまった。延期の理由は、何のことはない。結局リリアン自身が忙しいから、という身も蓋もない単純な理由からだったのだが。確かに彼女は、学級委員長としての務めは勿論のこと、所属クラブの放送部や、そしてその他の部活動にも度々駆り出され、普段からその“才女”ぶり多忙ぶりを発揮していたのだが、その実本当の理由は、もっと別なことにありそうだった。


 ただでさえ近頃デュナンの前に出ると、平常心を保つのもやっとなのだ。とにかく、やることなすことトンチンカンになってしまう。本当にわかりやすい人だな、諒牙は思った。思っていることがすぐ顔に出るようなこの人なら、別に敢えて心を読む必要なんてない。……そういうシンプルさ、僕はすごく好きだけど。


 結局、問題のデュナンをはじめ、自分もそしてヴェルトーチェカも当然誘われていた勉強会は、改めて夏休みに日程を組み直しましょう、そういうことになった。


「ねぇヴェル、最近私、変じゃない?」

 ――あなたが変なのは、別に今に始まったことじゃないけど。

 相変わらず素っ気無い内心の皮肉を胸中で呟きつつ、ヴェルトーチェカは、そのまま顔を縦に振る。

「やっぱり、そう思う?」

 はあっと思わず大きな溜息が出る。


 ……そうなのよね、自分でもここのところ、ずっと変だと思ってるの。何だか胸がドキドキして、まるで自分が自分じゃないみたい。遅れてきた思春期おめでとう、そう思いながら、こちらも隠れて小さく溜息をついた。


「デュナン」

「えっ」

 えっええっ――。

 その名を口にしただけで、ほら、この通り。まるで恋する乙女のように慌てふためいて、以前の天真爛漫委員長は、どこへ行ったのか。

「……大丈夫よリリアン」

 ふと口を開いたヴェルトーチェカの眸に釘付けになる。深いブルーグレイの瞳は静かに語った。

『彼に好きな人は、今のところいないから――』


 その言葉をどう取ればよいのか、リリアンには解らなかった。ただヴェルトーチェカに言われると、妙に落ち着いた。貴方は、その時まで待てばいい。きっと大きなチャンスが巡ってくるから……。


 だから、いつもの貴方らしくしていて。

「あ、ありがとうヴェル」

 少し戸惑いがちに頷くも、やっぱり持つべきものは友達よね、とリリアンは明るく微笑んだ。

 

     *


「ねえ、デュナンは本当に何とも思ってないの?」

「だから、何をだ」


 ……何って、今さら。諒牙は既に学校中の噂と化している二人のことなのにと、またしても溜息をつく。でも、半分どことなく面白がっていそうだ。当然デュナン自身も知らないわけがなかった。ただ、そんなことにかまけていられない、それが彼にとっての真実だった。実際、至極迷惑な話だ。


 だがその実、彼女を格好の情報収集材料と定めたからには。それなりに彼女自身に近づく必要もあった。――実際、そのつもりなんでしょ。だってキスもしたんだし。何だか中にいるあいつが少々不貞腐れているような気がする。あんなに寂しそうだった気配が、少しだけ荒く息づく。ああ、そうだ、私を誰だと思っている。売り言葉に買い言葉。勢い余ってそう告げ、


『彼女はもう私の手の内にあるのだからな、』

 覇者の魂を持つ龍神としてプライドの高い日の神として、当然のその言葉に間を置くと、しかし少しだけ後悔する。後悔? 馬鹿な――。


 ただ、あいつを悲しませたくないだけだ。私の伴侶は瑠美那、永遠にお前だけなのだから。


     *


『ん……はぁっ』

 時々こうして、二人して生まれたままの姿で交わり光に抱かれる。先程の減らず口はどこへ行ったか――、当たり前……そんな余裕なんて、ない。


 特に最近は、あたし自身の霊力、感応力が弱まっているせいか、こうでもしなければ互いの力を保てないのだという。それがルミナスの言う行為の名目だったが、瑠美那でもない、そしてデュナンでもない肉体を介さない場処で、やっと初めて夫婦としての営みを続けられるだなんて。


 夫婦、伴侶。何かが違う。こんな言葉で本来言い表せるような関係じゃない。ちょっと悲しい。でも……。


 光の皇子みこルミナスは、身に纏っていた帷子や衣を脱ぎ捨て、はじめて光そのものになった。ただ太陽の光とは無縁の漆黒の闇そのものを映したような、そんな長い黒髪だけが映え、文字通り手足に絡みつく。そして光が満ちるこの場処で、快楽のままにあたし自身を求めてくる。もしかしたら、さっきの小さな喧嘩が火をつけたのかもしれない。こうしている時だけは、本当の己自身を曝け出してくれている?日の神の誇りとかプライドとか、そういう面倒なものは、この際一切邪魔だ。


『や、あぁっ……っ!』


 熱い舌がその場所に触れると、灼けるような快感が弾け、全身を駆け抜ける。あ……あ、あ。溶ける。溶かされる。仰け反った姿勢のまま、思わず掴まれた両足があふれる蜜に震えてしまう。よい反応だ、もっと耳に心地よい声を聞かせておくれ。そう低く囁かれて、あたしは蛇のように絡みついてくるルミナスにしがみつく。長い指でたくさん慣らされたその場所は、二人が繋がる水門を嬉々として押し広げる。


 本来ならば、こんなことをせずともよいのだが……それでも今のお前自身が望んでいることだ。そう、あたし自身が。本当の体温のぬくもりが欲しくて、その幻を脳内にあふれさせ、溺れる永遠の刹那。――もっと舐めて、キスして。その懇願する声に応え、切なく絡め取られる魂。しっかりと結び合う指先。秘められた蜜壷よくぼうに容赦なく落とされる啄むような口づけ。


『ん、ん、ん……んっ』


 たくさんの愛撫の末、あたしは只のはしたない雌になる。ううん、ルミナスはそれでいいって言うけど。こうして、たくさん愛されて、たくさん求められて、あたしは初めて実感する。どうやってあたし自身が生まれてきたのか。


 もしかしたら、ここは海。うねるように、ひたすら波打つ波間が続き、その中で光と水が光合成する。その泡立つ青い輝きの静寂しじまの中で、数多の命が生まれる。潮風がそよぐ沖縄の海岸で見つめていたのは、きっとこんな果てしのない水平線の彼方だったんだ。


 ――ねぇ、ずっと抱いていて。ニライカナイ。本当の神の国へ連れて行って。

 相手が恐怖という冠を戴く龍蛇の神であることも忘れて、あたしは。鎌首をもたげて、放たれた精がどこに向かうのかも、わからないまま。


     *


『明朝03、被験者をツクヨミドームへ移送する』

 その情報を今回は早い段階で掴むことが出来た。それだけでもクロエにとっては幸いだった。だが……。


 既に対象者は、かなりのハイペースで“浄化”が進んでいる可能性がある。浄化……なんと都合のよい言葉だ。むしろ獣化、とでも言った方が相応しい。それでも奴らにとっては、彼自身をどう扱おうと自由だった。彼らにとって都合よく扱うための処置。それを何と呼ぼうと彼らの勝手だ。


 それにしても――ツクヨミドーム。そこは牧草地や田園風景の広がる、いわゆる緑化ドームである。農作物の収穫を行うのが、その主目的だが、確かに医療施設や介護施設、サナトリウム、さらにはバイオ研究所なども備えている。のどかで緑豊かなため、敢えてここに移り住む人たちも多い。無論アマテラスにも緑がないことはないのだが。まさにそこは人工の巨大ビオトープだった。


 そこへ移送されるアグニ。要するに考えられるのは、サーペント化した心と肉体を落ち着かせる、目的はそんなところか。極端なスピードで急激に龍蛇の血に慣らされた身体には、とりあえずの休息が必要だ。ただでさえアグニは瀕死の状態。それにたとえ適合者であったとしても、心臓など、その元々の身体機能への耐性を確かめるためには、少なからずの時間が必要なのだろう。


「アグニのこころに呼びかけるには、今をおいて他にないか……」

 比較的、警備の目も他の二大ドームに比べて環境上、厳しすぎるということもない。ただ問題は、やはりアグニ自身にあるだろうことはクロエにも解っていた。


 どのくらいの割合で獣化が進んでいるかもだが、それ以上にアグニ自身の心が応えてくれるのかどうか。その状態によっては、かえって自身に救出を拒まれる可能性もなくはない。加えて問題は龍蛇の血だ。従者であったクロエ自身も殊更に怖れる、かの人の本能を蓄えたその血潮。基本的にあまり耐性の無いただの人間に宿ることで、どのような獰猛性を見せるとも限らない。


 だが、チャンスはもう一度きりしかない。どうあっても、私は彼を救い出す。この繋がれた命に誓って。

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