5. 龍蛇の巫女

 結局、睦月君のことは言い出せずじまいだった。まずは彼自身に話すのが先決とも思ったが、それでも、とりあえずは先に教室を後にしたデュナンを掴まえたい衝動に駆られた。休み時間も、それに授業の合間の教室移動の時もそう。ほんと、いつでも不意にいなくなってしまうんだから。こんな時、あたしにもデュナミスが使えたら、なんて思った。睦月君ご兄弟のように。そうしたら、こんな面倒な堂々巡りしなくてもいいのにね?


 でも、本当に人と人とは直接の意思の疎通を解して、真に解りあえるものかしら……。確か噂では、イオリゲル内部で全く問題がないというわけでもない、そんな話もちらほら聞いたりする。だって、そんな風に直接、気持ちと気持ちが通じてお互いが解ってしまったら……逆に取り返しのつかない大きな溝が出来てしまう気がする。それでも、本当の意味で人と人の気持ちが深く通じ合ったのなら、こんなに素晴らしいことは他にないのに。


 そんなことをふと思いながら、リリアンは教授棟の竜堂教授の執務室へ通じる3階へ続くエレベーターの前まで来た。さっき私がデュナンに拒否されてしまったのは、あたしが睦月君たちイオリゲルじゃないから。違う、そんなことじゃない。でも、きっと。きっと彼なら解ってくれる――。不思議にそんな思いが胸に駆け巡る。


 ボタンを押し、1階まで降りてきたエレベーターの扉が開く。何故だか知らないけど、どこか知らない世界へ繋がる未知の扉みたいな気がした。学級委員も務めていたリリアンは何度かここへ来ていた。なのに――今日に限って妙な胸騒ぎがする。夕闇迫る校舎の独特の雰囲気も手伝い。でも、それってやっぱり、デュナンのせいなの?


 やっぱりヴェルトーチェカに一緒に来て貰えばよかった、そんな一抹の後悔に襲われる。


    *


 ねえ、リリアン。あんまり彼に深入りするのはどうかと思う。

 くすくす、笑いながら彼女は彼女の中の誰かに向かって続けた。


『そう、瑠美那がいるんだ――……』


 彼女の中のもう一人の片割れには、それはあまりに信じがたい事実だった。でも、事実は事実。それを受け入れて、それからどうするか。まず、そのことを考えるべきだ。……私たちだって、こうして一つになってしまったんだから。


 ヴェルトーチェカの白銀の髪が揺れる。だが、その眸は何も視てはいなかった。


   *


 瑠美那の魂と同調し身体を二分して、それは少し経ってから感じたことだった。


 あの“勾玉たま”の力を強く感じる。確かに瑠美那とのシンクロニシティは完全にして強力だった。それはこれまでも何度か自ら実感、もとい体感してきたことだ。だが――なぜ、この学園に来てから初めの頃は感じなかったことを、今になって強く感じるようになったのだ。


 やはり“欠片”を渡した者がいる。誰だ。「アレ」は我が祖国と同じ時代に生きた者でなければ手にすることは叶わぬもの。まあ、いい。そのおかげで「アレ」の実体の足がかりを容易に掴めるというものだ。


 デュナンは殊更に神経を研ぎ澄ました。案の定、勾玉たまのありかを知る者は、執務室へやに居るようだ。もしも拒むようなら、本来の己の力を使って――、だが、それは些か物騒すぎる結末のようだ。さっきから何度も、胸の奥底で愛しい巫女の悲鳴が木霊する。ああ、心配するな。決して血を見せるようなことはしない。そう胸中で呟きながら、既に湧き上がる日の神の本性に無表情だった眸の奥の妖しい輝きを隠せない。


 そうだ……そうやって、あの時も俺は母様を。


 忘れたはずの遠い記憶が今になって鮮明に蘇る。だが、そうしなければ世界は救われなかった。いや、決して世界を救おうなどという思いは欠片もなかった。ただ、あいつが――どうして幼馴染などという嘘をついたのだ。そうであれば、あんなにも心を許さなかったものを。だが、事実は事実だ。己の魂は、いにしえのあの時から既に穢れているというのに……。


「う……っ」


 突然、激しい目眩に襲われ、膝を折る。目頭を押さえ倒れ込む視界の先に、しかし確かに禍々しい気配を感じる。どうであれ、先に進むしかないか。ルミナス……。そう何度も囁く微かな声を耳にしながら。


    *


 島嶺黎司から渡された“オーパーツ”が、要するに単なるレプリカであることは解っていた。だが、そうして彼を泳がせておくのは、こちらとしても都合がよかった。


 海堂教授は腹の底で笑わずにはいられなかった。ほほ。リベルテ、自由か。だがその実、その「自由」が我々人類の足枷となるのだ。そして、いずれ時が来る。その時、あの宝を制するものが、この世界の覇者となる。


 ――いや、そんな大それたことは誰も望んじゃおらんよ。

 だが、やつらは危険じゃ。大国ガイア、そしてその真の源となるイザナギの神。

 ……なぁ島嶺君。


「どちらにしても、その勾玉たまは大事に扱ってくれたまえ……」

「何を大事に扱うんだ」

 不意に背後から声を掛けられ、ギクッとした教授は思わずデスクの椅子から転げ落ちそうになった。


「だ、誰だ?」

 そそけ立つようなあかく妖しい光をその眼に宿した黒髪の少年が薄明かりの中、一人立ち尽くしていた。ただ校庭の常夜灯の明かりが反射しているだけなのか、それでもただならぬ気配を纏った新入生に戸惑う。

「きき、君はっ」

 本当にいつ入ってきたというのだ。確か執務室の扉には鍵を掛けておいたはず。

「な、何か用かね?」

 呼吸を整え、何とか平静さを装うように海堂は尋ねた。

「ええ、教授。先週こちらに転入してきたばかりのデュナン・リトラスです」


 さも、おとなしい転入生のごとく、デュナンは落ち着き払った穏やかな声で告げた。しかし確かに部屋に木霊する、その声色の冷たさ。其れを渡せ――、全ての者を強く圧するような有無を言わせぬ威厳に満ちた言葉の響き。決して言語ことばにせずとも、異様なデュナンの眸の輝きは、そう語っていた。


「……実は教えていただきたいことがありまして」

 滑らかに口をついて出る白々しい言葉に乗せ、それとは判らぬ脅迫の時は続く。

「なんだね、授業で解らないことがあるなら、いつでも訊いて構わんよ」

「そうですね。そちらは追々――、ですが」


 だが、早急に知らねばならぬことがある……!

 デュナンの眸から言葉にならぬ言葉が発せられた。

「ぎゃあぁぁ――ッ」


    *


「え?」

 身の毛もよだつような、その悲鳴を耳にしたリリアンは思わず全身を膠着させた。まるで絞め殺されるような、魂ごと恐怖に晒されるような。ぞっとするような何かが今この暗闇の建物内で起きている。


 デュナン! 訳も分からずリリアンは胸の内でその名を叫んだ。何だか嫌な胸騒ぎがする。そう思うと勝手に身体が動いていた。


「ただ、こちらの質問に答えてくださればよいのです」

 海堂は相変わらず、蛇に睨まれた蛙のように硬直していた。

「大国ガイアの膝元、ギルガメシュ財団から、もたらされたいにしえの秘宝。それを探している」

「な、なぜ、それを君がっ」

「知れたことでしょう。あなた方は我々が誰か知っていて事を起こそうとしている」


 ま、まさか……!

『ええ、そのまさかです』

 少年の声が途絶え、代わりに脳内に直接“声”が響く。

 ぎゅうぎゅうと見えない力に締め付けられ、海堂は息も絶え絶えだった。しかし、

『大丈夫ですよ、殺しはしません。あなた方が誰に牙を剥いているのか、よく知っていますから、だがしかし――』

「もし“彼女”に何かしたら赦しはしない!」

 少年は強い語気も激しく平然とそう言い放つ。

「教えろ――、」


「やめてデュナン!」

 不意に響いた少女の悲痛な声に振り返る。いつのまにか全開にされた執務室の扉。リリアンの血の気の引いた凍りついた表情かおがそこにあった。“その姿”は、まるでお伽噺に出てくる龍神のようだった。赫光に輝き、逆立つ黒髪。そして全身を覆う鱗にも似たオーラの輝き。何にも増して恐怖を煽り立てるのは、その赫く輝く両眼だった。


「……ッ」

 小さく叫んだ後、リリアンの顔が、みるみる蒼白に染まっていくのが分かる。

『――見るなっ!』

 無駄とは分かっていても、デュナンの意識はそう叫んでいた。

「………」

 リリアンが気絶するのと教授が脅迫の鎖から解き放たれる瞬間は同時だった。デュナンの眸から怪しい光が消え、倒れ込む少女に駆け寄る。


「あなた……は……っ」

 ――今見たことは忘れろ。

 ふと少女に覆い被さる黒髪。不意に触れた唇の感触も曖昧に、リリアンは意識を失った。

「すべて忘れた方が、お前は幸せだ……」


    *


 翌朝、リリアンはいつものように寄宿舎のベッドで目覚めた。 

 隣のベッドでは、珍しく同室のクラスメイト、ヴェルトーチェカが先に起きて身支度をしていた。


「おはよう、リリアン」

 そのヴェルトーチェカの無愛想な挨拶も、いつもと何だか違って聞こえた。


「あふ、おはようヴェル……」

 狐につままれたような心地で静かに起き上がる。何か、何かが昨夜あったような。


「ねぇ、昨日あたし一人で帰ってきたっけ?」

 それさえも全く覚えていない自分。そう。確か昨日、教授棟で何かが……。


「デュナン」

「え?」

 話を聞けば、ヴェルは昨夜携帯で呼び出され、外に出ると女子寮門前でリリアンを抱きかかえたデュナンが立ち尽くしていたのだという。


 まさかあたし……、図書室で眠りこけてたぁ? 第一発見者としては、確かにそれをそのまま放っておくわけにもいくまい。でも、だけど。確かに昨日何かがあった気がする。物凄く大事な何かが。その予感のままに、リリアンは己の唇に残る何かの微かな感触に気付いた。え、もしかしたら、キス?


 デュナン……どうして……。

 いきなり不可思議な転入生を強く意識し始める自分に激しく動揺する。


    *


 本当に不思議な人だ。諒牙は、そう思わずにはいられなかった。


 先週、この学校に転入してきた日系ブリティッシュのデュナン・リトラス。両親は例の文字通り世界を揺るがした一七年前の大災厄のため他界。それまでガイアで叔父に引き取られて育てられたというが、その叔父も三年前に病死。それからは、たった一人で生きてきたという。たとえガイア人の裕福な叔父に育てられたからとはいえ、彼自身の発する、他人を寄せ付けない冷たさまでも感じる厳しい雰囲気、なのに思わず人を惹きつけずにはおけないカリスマ的な静かなオーラのようなものは、もしかしたらどこかの皇族の出ではないかとまで思わせた。


 皇族? そんな馬鹿な。きっとデュナン自身が聞いたら、そんな風に鼻先で笑うかもしれない。いや、とはいうものの彼自身、滅多に笑うことなどなかったのだが。


 その日、諒牙は久しぶりにイオリゲルの任務から戻った双子の兄の真吾と会った。

「明日から例の金城瑠美那さんって子が、そちらに通うことになった」

 おいおい、会って早々その話ですか。

「ん……なんていうか、とにかく心配なんだ。だから」


 確かにこの全寮制の天照大付属学園、しかもイザナギの中核であるアマテラスドームに居を構えるここは、エリート中のエリート校といっても過言ではなかった。そんな中で、たとえ同じ高校とはいえ、沖縄はニライカナイ出身の彼女が上手くやっていけるのか。ま、確かに実際彼女が通うのは、一般生徒が通う普通科なのだが。


 そもそも、このアマテラススクール自体が一種の学園都市のようなものだった。だから一連の研究施設を設けた大学棟に、それに隣接した形で高等部、そして中等部も配されている。また、それぞれ特に高等部には、一般生徒の通う普通科もあるってわけだ。


 それはともかく、実質高校一年生である僕諒牙は、一年前までその普通科の中等部にいたわけなのだが、今は飛び級して三年生の授業まで受けている。確かにだから、僕を突然変異だのと、類まれな神童扱いする人は多い。次期イオリゲル候補生ということは別にしても、僕自身としては、それくらいで神童?とか、思っちゃうんだけどね。


「とにかく瑠美那さんは普通科だね。でも、そのうち僕みたいに思わぬ才能発揮して、こっちに来たりしてっ」

 冗談めかして言う諒牙に、真吾はあの奄美諸島近海の無人島の龍蛇絡みの事は黙っておくことにした。いや、無駄か。もう彼にはお見通しかもしれない。いや、だって実際そうだから。


「そうだよ、ごめん兄さん。もう全部知ってるよ」

 兄さんが彼女に抱いてる気持ちのことも……。


 時々、自分たちのこの能力を恨めしく思うことがある。本当はお互いのために隠しておきたいこともある。けれど、僕たちイオリゲルには、それは許されない。だから――。


 そのために事実、仲間内でいがみ合ったりしたこともあった。互いの腹の内が読めてしまうのって、実はとてつもなく辛いことだ。だから僕たちイオリゲルは、仲間であって仲間でいられなかった。それぞれ個々人が限りなく孤立し独立していた。


 それだけにキリアン隊長や、それから諒牙とは、たとえ互いの心が読めてしまっても大丈夫なくらいの何かを共有していた。それがいわゆる、信頼ってやつかな。やはり人間には、そういうものがないとダメだ。それでも壊れることはある。イオリゲル同士、人間同士でもそうだ。僕たちは解り合えそうなのに、解り合えない。


「きっと僕たちは普通の人とじゃないと結婚できないだろうね」

 確かに個体数が限られているイオリゲル同士、よりはずっと可能性としては高いわけなのだが。それでも事実、生涯独りでいる可能性の方が圧倒的に高い。


「たとえ瑠美那さんがその龍蛇の巫女だとしても――、きっと大丈夫だよ」

「諒牙……」


 応援する、それが何を意味するのかも全て理解していて、僕たちは手を取り合う。キリアン隊長はともかく(実際は、これにも問題があるのだが)まずガイアの上層部が許さないだろう。きっとそのうち僕たちは危険視される。それまでは……。


「それはそうと、そのデュナンってやつのこと、もっと聞かせてくれないか」


 突然、さりげなく話題を変える。相手の思考さえ読めば、そんなこと知るのは朝飯前なのだが。それでも真吾は兄弟同士の当たり前の会話を楽しみたかった。うん、それがさ、顔に似合わずスポーツ万能で……。確かに真吾はデュナンという転入生についても些か興味があった。


     *


 どうしてあたし、こんなところにいるんだろ。


 これまでのことを色々考えてみる。どちらにしても、すべてはルミナスと出逢ったことからが始まりだった。ルミナスはアマテラスに行くと言った。でも、結局あたしも同じ場所に行くことになるんだね。


 ――もう一人の“あたし”がいる、あの学校。確かに「あたしたち」は、真っ向から面と向き合うことはないだろう。というか、それは物理的に無理だ。だって、あたしが起きている時はアイツが、そしてアイツが起きている時はあたしが眠っているんだもの。アイツの言う理屈ではそうだ。でも、もし万が一そんな事態が起きたら……あたしたちだけの問題じゃない、この世界そのものが破滅する。


 そんなことは、もう金輪際、嫌だよ……ねぇ、父さん。


 あれから睦月真吾と別れて、あたし瑠美那はアマテラスの天照大付属学園、その理事長さん宅に預けられた。

『瑠美那、今はまだ無理だけど――そのうち君を迎えに来る』


 真吾の言葉の真意を反芻する。これって、もしかしてプロポーズじゃ? 言葉通りに解釈すると必ずしもそうじゃないだろうけど、だけど、でも。真吾には迷惑掛けたくない。あたしはルミナスと「誓約」した。もう、あいつのものなんだよ。それでも「待っていて」。心から、そう言ってくれる彼。


 真吾、ごめん……あたしは。

 そのどことなく懐かしいあたたかな温もりを思い出したら、涙が出た。


「あなたが金城瑠美那さん、ね」

 この学校を実質的に束ねる、理事長先生。リツコ・キリエ・バーミンガム先生。話には聞いていたけど、やっぱりガイア人なんだ。ルミナスが言っていたように、確かにこのイザナギという国はガイアに支配されていた。たとえその強大な庇護の下、独立という名目を得ていても。その司令塔であるかもしれない、このアマテラスドームの天照大付属学園。学園そのものが、アマテラスの研究施設みたいなものだ。ルミナスがここに狙いを定めたのも、ある意味無理はなかった。ここアマテラスドームに何があるのか、まだ何一つ教えてはくれないけど。


 バーミンガム先生は、見るからに高等教育そのものという感じの厳格だが品のよい婦人だった。けれどガイアの人間には一瞬たりとも気を許すな、というルミナスの言葉が、あたしの心には相変わらず巣食っていた。


「今日からここがあなたの部屋です。自由に使っていいわ」

 沖縄の家の屋根裏部屋とは似ても似つかない、天井の高い、豪華な広々とした部屋。案内してくれた理事長先生が出て行き一人残されると、うわー、そんな歓声と共に思わず部屋中を見回した。


 確かにここは一種の小綺麗な鳥籠だ。本当なら、あちらの寄宿舎に入れて貰うのが筋というものなのだが、あたし個人に限っては、そうはいかなかった。何せ、龍神と誓約した「龍蛇の巫女」。あたしはあたし、のはずなのに。もうそんな自由は、あたしには一切ないの?


 だから、真吾はいずれ迎えに来る、なんて言ったのかな。それ自体はものすごく嬉しいけど、でもあたしは、別に高い塔に住むお姫様でも何でもないんだよ。


『確かに、そんなお転婆な姫君はどこにもいないな――、』

 部屋のベランダのテラスを何とか乗り越えようとしていると、ふと耳元にその声が響いて、あたしは床に尻餅を着いてしまった。いたたた、


「もう、ルミナスったら――っ」

 思わずそんな声を上げたあたしは、あたし自身驚いた。もう前みたいに、こんな風に明るくやり取りできないと思っていたのに。確かにルミナスは、以前のような綺麗なだけの存在ではなくなってしまった。決して夢でも幻でも何でもない。ルミナスは、あたしにとって……。


 ――そんな風に想って貰えるとは、光栄だな。


 ククッと笑うその声に、また思わず硬直する。そう、最愛の人であり、そして同時に最大の……敵。あたし自身、もう彼と離れ離れになれないからこそ。ねえ父さん。どうして、いつも黙ってるだけなの。こんな可哀想なあたしをどうか救ってよ。


『“あそこ”には、大したものは何もなかったようだ』

 しかし、冷静なルミナスのその言葉に我に返る。そう。あたし自身もデュナンとして体験したことだ。本体の身体は眠っていても、意識自体は目覚めていて。ものすごくややこしいけど、男の子になった、もう一人のあたし自身。


 ――だが、まだ油断はできない。


 ルミナスはそのまま、あたしの意識からいなくなった。けれどあたし自身は、デュナンという、もう一人の個体を介して、いつでもルミナスと一緒にいるのだ。本当は怖いから眠りたくない。この間、強制的に昼間眠ってしまったと思ったら、いつのまにかデュナンとして覚醒していた。結局、ルミナスの意のままってこと?


 でも、それを結果的に許してしまうのは、やっぱりルミナスが好きってこと……?


 ――それなら、また気持ちの良いコトでもするか……。

 そんな声が聞こえた気がして、不意に奇妙な熱い震えを振り払う。

「や……、」

 リリアンってにキスした癖に。

 ――あれは、仕方がなかったからだ。

 確かにルミナスにとって、あの娘は何でもない娘よね。

 ――そんなことはない。あの学園における格好な情報探索装置のようなものだ。あれは恐らく今後も大いに役に立ってくれることだろう。


 ……やっぱり。

 そんな風に、あたし自身の身体を使って、他人ひとを便利に使わないで!

 ――……。

 朦朧とする意識の中、そんなやり取りをその日、最後にした気がした。


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