4. イオリゲル

「ねえ、睦月の弟さんって」

 本当に双子なんだ、睦月の部屋のチェストの上に何気なく飾られた二人並んで映っているフォトスタンドを見て、あたしは感嘆の声を上げる。そこには瓜二つの青年が肩を並べて笑顔を浮かべていた。それでも正式な隊員の証であるイオリゲルの制服スーツをまとった慎吾と比べると、学生服を着込んだ隣の弟、諒牙りょうがは若干だが幼く見えた。


「あはは、改めて言われると恥ずかしいな」

「あたし母さんと二人の一人っ子だから。だから、何だか羨ましくって」 

 ああ、そっか……ごめん。心なしか声のトーンを落とす睦月にあたしは、

「や、やだなぁ――」

 思わず気まずそうに笑って誤魔化した。


 でも、羨ましい。そう思ったのは事実ほんとうだ。母親手一つで育ったあたしには、にぎやかな兄弟や家族の温もりそのものが、やけに眩しく思える。きっと睦月も弟さんとあったかい家庭で育ったのね、そう呟くと、


「うん。正確には“だった”――」

 あ……。背を向けたその背中が、微かに震えているのにあたしは気付く。

「君と同じに僕も例の地殻変動以来の混乱でね、色々あって今は弟の諒牙と二人きりさ」


 そうか。この人もその家族も、あの天変地異の犠牲者の一人なんだ。当たり前のようなその事実に、ふと胸が痛んだ。


「あたしこそ、ごめん……」

「はは。君こそ、やだなあ」

 お互い様だね、そう言って二人して、くすりと小さく笑った。


 だけど、あたしにとってそれは決して人事ではなかった。何気ないそんな瞬間がものすごく大事に思えた。そう、ただ同じ境遇の身であると当然のように励まし合えたら、どんなによいか。だけど「あたしは違う」。だって、あの天変地異は、ルミナスが。父さんが死んだのも……違う! 本当は何もかも信じたくない自分がいた。だけど、だけど。ねえ、神人ってなに? 答えてよ、ルミナス。混沌とした気持ちの中で、今は返事があるはずもない、その名をまた何度目か胸で虚しく呟く。


 一方、こんな風に親しげに話している間も、睦月の心には嫌な罪悪感が付き纏っていた。本当は自分が表向き彼女の保護と身の回りの世話兼話し相手役を命じられたのは。それは彼女が「龍神の少女」であるからに他ならない。おそらくアマテラスに到着してからも、彼女は――。


「監視の籠の鳥」……それどころか酷ければ、軟禁されてしまう可能性もなくはない。文字通りガイアという国の、それ自体がもしかしたら宿命なのかもしれない。自分がイオリゲル隊に入隊したのだって、ただ弟を普通に学校に通わせるため。それに何より自分たち兄弟が生きるためだ。実は諒牙自身にも、兄と同じくイオリゲルに入りたいという夢があるようだが、兄である睦月自身は、それ自体を感心しない。こんな危険な任務しごと、できれば弟にはさせたくない。


 元はイザナギの、日本人である彼がガイアの軍に従事しているのは、そういった様々な理由からだったのだが、元来がイザナギ自体、ガイアの庇護がなければ、ここまで復興できたかどうか。むしろ世界中には今も混乱が長引く国家も少なくないというのに。龍神の少女への執着、それはそのままガイアのイザナギへの執着にも思えた。


 とにかく睦月に課せられた使命は彼女、金城瑠美那から龍神に関する何らかの情報を引き出すこと。本来ならイオリゲルのメンバーである彼にって、それは朝飯前のはずだった。しかし、こと彼女に関しては実際、全てが無駄だった。そう、何か……障壁のような何かが彼女瑠美那の思考を読み取ることを阻止しているのだ。


 それだけに同い年で事実話も合いそうな睦月が適任というわけである。つまり心を読むというよりは、心を通わせる――。そして出来うることならば、肝心の重要な内容を聞き出す(さもなくば……)。そんな当たり前の単純な方法しか、こと彼女に対して有効な手段がなかった。だからこそ、内心睦月の心は二つに引き裂かれるようだった。


 ――ごめん。本当なら、もし叶うなら、君とはこんな形で出会いたくなかった。それにできるのなら……君を救いたい、守りたい。このガイアという強大な超大国から。そんな大それたことを心から願うほど、睦月はいつしか目の前の見たところ、平凡な少女に淡い想いを抱いていくのだった。


    *


 本当はあたしにだって何もかも解ってた。今あたしがいる、このふねの目的も、そして睦月がなぜ、あたし自身に優しいのかも。ただ今は彼に迷惑を掛けないようにと、おとなしくしてるけど。でも、それもいつまで続けられるの。いつまで、こんな穏やかな二人の時間が続くの。そんなわけない。事実は全然そんな綺麗事じゃないんだってば。


 いつかルミナスが言っていた、ガイアは諸悪の根源だという言葉が蘇る。じゃあ、睦月も? そんなこと。それにルミナスの言葉が真実だっていう確信はあるの? だってアイツは――父さんの仇。わからない、わからないよ……ねぇ教えて。答えてよ、ルミナス。


 そんなあたしの堂々巡りの不安をよそに海は変わらず青く波打ち、冷たい潮風をこの頬に届ける。そういえば最初にルミナスと出逢ったのも、こんな潮風の吹く海辺だった。南海の熱く、そして冷たい熱風。その黒潮に乗りアステリウスは太平洋を北上し航行する。一七年前あたしが生まれた、イザナギの首都アマテラスドームに向かって。


    *


「うん、よかった……兄さんが無事で」

 それだけ確かめられただけでも、諒牙にとっては大きな収穫だった。


 “普通の学生”であるなら、当たり前に携帯端末を使って会話するところだが、この睦月兄弟の場合は違っていた。そう、ただ念じるだけでお互いの思考が繋がるのだ。事実、睦月真吾の弟、睦月諒牙は次期イオリゲル候補生の最有力生徒だった。やはり双子である、ということも大きな要因なのだろうか。一卵性双生児は、それだけでいわゆるテレパシーのような能力を互いに持っているという。その上デュナミス特有の“想いの力”も強いとあれば。


「へぇ、女の子、転校生?」

 そのうち、そっちへ転入になると思うから、何かあったらよろしくな。そう兄が言うが早いか、諒牙はすかさず答えた。

「了解! そういえば最近、男子で見たところ東洋系だけど面白そうな転校生やつが入ってきたよ」

 デュナン、デュナン・リトラス。奇しくも彼は諒牙と同室のルームメイトでもあった。天照大付属のアマテラス・ハイスクールは全寮制高校なのである。


     *


 リリアンはすっかり閑散とした放課後の校舎敷地内を、教授棟へ向かって急ぎ歩を進めた。もう二年生になるのに、相変わらずこの学校の広大さには辟易する。それにもうすっかり日は落ち、薄蒼い闇の帷が降りてこようという時刻である。


 デュナンにここの場所を尋ねられて、すっかり失念していた海堂教授への提出物があったことを思い出した。それもこれも、当の彼が勝手な行動を――、そう思いながら先程のデュナンの怖いくらいの酷く厳しい視線を思い返す。


 何だか、ただの高校生には見えないような……それくらいの高圧的な態度、全てを許さぬ強い威厳、のようなものが感じられ、リリアンは思わず身を震わせた。そういえば、あの感じって。デュナミスという不思議な力を使うと言われているイオリゲル。世界各地で勃発するテロや暴動などの鎮圧で大きな功績を収めているガイアの特殊部隊。TVのニュースくらいでしか詳しいことを聞いたことがないけど。確か同じクラスメイトの睦月諒牙君のお兄さんが、その隊員の仕事をしてるらしいけど。でも、もしかしたらデュナミスの有無を言わせぬ強い力って。


 そんなことをぼんやり考えながら、既に所々電灯が付き始めた中庭を校舎の薄闇の降りた窓辺から眺めた。


「それにしても、デュナン――」

 転入時の提出物の提出漏れでも何かあったの? でも、それって学生課じゃないのかしら。それとも、授業で解らないことでも……。


 リリアンは彼のことが気になってしかたなかった。ちょっと無愛想で怖いところはあるけど、別に嫌なやつってわけでもないし。むしろ、その風情が少々ミステリアスに映らないこともない。はは、そう思ってリリアンは思わず一人笑いして顔中を緩ませた。


 どうでもいいけど、早く済ませて寄宿舎りょうに帰ろうっと。


     *


「ほう、金城瑠美那君が」

『ええ、来週にはそちらの転入手続きが取れるそうです』

 資料が山と詰まれた薄暗い執務室にくぐもった男の声が木霊する。

「それにしても、よかったじゃないか――というのが近親者へのせめてもの心遣いというものかな」

 TELの相手は、ははっと笑うと受話器越しに小太りの中年男へ言葉を返した。

『どうなんでしょうね、何せ相手は“龍神様の御手付き”ですから』


 そう、いつ何事を起こすかも解らない。とにかく相手は未知の神様である。そういう警戒もあっての特別措置なのだ。表向きは穏便に、だが常に監視の目を怠ってはならない。


「要するに巫女というところかな。憑依、シェイプ・シフト……そういう能力があるようだが」

 だからイオリゲルですよ、そういうことには彼らは適任、というか他にいないんですけどね。まるで人事のように話す男に、執務室の中年男はふぅと溜息をついた。


「まだ一年生だが、やはりここは睦月君に任せるべきか……なぁ島嶺君」

 この学校に彼女が転入してくる以上は、その適任者に対応を任せるべきだが、生憎と在校生にイオリゲルの正規隊員はいない。とすると、

『睦月諒牙。確か、睦月真吾の弟君でしたか。叔父としても頼みます、というところですか?』


 半分冗談交じりに瑠美那の叔父、島嶺黎司がそう返す。本当なら、その龍神様とやらに一度ご挨拶申し上げたいんだが……何せうちの大切な姪を好き勝手に自分の嫁にしてくれちゃって。結果的にそちらにお世話になるってことで、海堂教授にもお手数お掛けしますが。それを聞いて、ほっほっほ。海堂は思わず福の神のような腹を揺すって笑った。


 どちらにしても、この天照大には重要な研究室もある。それは歴史、考古学、物理学、生物学など、世界の真実を知る上で重要なポストを各セクションに配置していた。だから、それに付随するハイスクールも超一流のエリート校というわけだ。今やイザナギは、このアマテラスを中継点とするガイアの要といってもいい。かつては要塞の用途も担っていた(当時は被災に際するそれが主だった建造目的だったのだが)。それだけに各ドームの護りは万全である。


 今やイザナギは――ガイアは神にも匹敵する力を蓄えつつあった。いや、それは確かにそうかもしれない。何しろ超大国ガイアの陰の真の支配者は言葉通り“神”であるのかもしれなかった。「白のメシア」――噂に聞く生き神様である。


 本来なら、白のメシアに関する詳細な情報流布は御法度に近かった。というより、何もかもが文字通り謎のヴェールに包まれている。つまり本国の首都である聖都中心部に鎮座する水晶宮クリスタルパレスにその謎は集約され隠されているのだが、それ自体が聖域であると同時に禁域だ。数年に一度の聖教祭くらいしかメシア自身がお目見えすることはない。


「……すべてはギルガメシュ財団、そしてロベルト・ワイズ博士が真実を握ってるってことですかい」

 海堂とのTEL会話を終えて島嶺叔父は一人呟いた。


 ――あの銀狐め、一体何を考えていやがるんだか。だが早急にコトを進めては元も子もない。今はおとなしくあちらに従っているのが得策である。どちらにしても、瑠美那はこのアマテラスに「戻って」くる。沖縄のお転婆娘も、おっかねぇ生き神様の息がかかっちゃお手上げってとこかな。まあ、お手柔らかに頼みますよ。


 とにかくガイアの銀狐博士のスポークスマンは草薙女史に任せるとして――、差し当たっての問題は“コイツ”かな。野生児をそのまま成長させたような浅黒いかおを半ば歪ませながら、島嶺は目の前の一見して胎児のような勾玉状の赤黒い物体を一瞥した。


     *


 正直、信じられなかった。まさか自分が男の子になってしまうだなんて。


 あの時、強引にルミナスに唇を奪われて、それから――。眩い強い光に再び包まれたと思ったら、またビリビリに服を引き裂かれる夢幻ゆめを見て。そして気付いたら、いつのまにか此処にいた。さらさらと乱雑に切り揃えた黒い髪。黒い詰襟の学生服。まるで喪服のような。そして……や、だ。元々そんなにある方じゃなかったけど、胸の膨らみがない。その代わりに薄付きながら付いた筋肉。加えて股間に携えた妙な違和感。まさか……あ、あたし! お、男の子になっちゃったの!?


 ――そんなに驚くな。

 不意に鼓膜に響いた、その聞き覚えのある声に何故だか安堵する。ル、ルミナス、これって……。

 ――お前の本体は別にある。だから心配するな。


 心配するなと言われても。なんだか自分の身体を好き勝手にいじくり回されたようで、ちょっと嫌な感じ。それに……、あたしさっきまで泣いてたのよ……! どんなにやめてって叫んだか。やっぱり酷いよ。確かに貴方と誓約したけど。あたし……あたしは。


 途端に抗議したい気持ちがあふれる。切なくて悲しい、だけど、だからこそ伝えたい何かに導かれた想い。が、ククッ――その低く響く笑い声を聞いて不意にビクッとなる。押し殺したような、何かを征服した悦びを隠しきれないような。そうだ、ついこの間まで親しげにアンタ呼ばわりしてたっていうのに。……いつのまにか、アイツのペースに巻き込まれてる。


 って、そういう次元の問題じゃ。あ……、んっ 何だかまた、変な気持ちになる。

 ――瑠美那。もう絶対に離さない。

 そう耳元で低く囁かれてゾクッとする。ん……や。いや。


 その否定の言葉は肯定だった。あたしの身体で何かが弾け駆け巡る。まるでじっとトグロを巻いていた蛇が、体内で一気に自由に泳ぎ始めたみたいだ。そう思った途端、また意識を失った。


    *


 デュナン・リトラス。無論、偽名と瞬時にでっちあげた架空のプロファイル。だが、そんなものでも容易に信じさせてしまうのが、“この力”の真髄のようだ。だが、そんなことはどうでもいい。肝心なのは、潜入したこの天照大で“アレ”を探し出すことだった。


 我が祖国アマテラスより古くから伝わる力の源。要するに増幅装置。幻の最終兵器、オーパーツとも世の人間は呼んでいるようだ。その数は全部で十。十種とぐさ神宝かむだから――とも言われている。その中でも三種の神器と呼ばれている、剣、鏡、そして勾玉たま


 剣と鏡は特に重要だが、さらに勾玉は、それらを起動させるために必須なのだ。つまり起動キー……そこまで脳裏で反芻して絶句する。いつ思い出したのだ、そのような重要な事柄まで。これがあいつの力なのか。そして例の両頬を膨らませた怒った顔を思い出し、人知れず、ほくそ笑む。ルミナス――ふっ。本当に可愛いものだ。我が依代となる御神雛みかんなぎ、我が望みを叶えるに相応しい龍蛇の巫女よ。


 デュナンとして行動している時、あいつの本体は深い眠りに落ちる。そして我が身が鎮まる瞬間、あいつが目を覚ます。そうやって離れていながら相互に力を循環させるのだ。男や女などという性種の形態の違いは瑣末な問題だ。要は一つの生命として、どう躍動し円満に活動し続けるかだ。望むならば、デュナンとして覚醒し、活動している際のお前の肉体を愛撫してやってもいい。それで力がみなぎるならば、だ。


 ……まるで太陽と月だ。デュナンと瑠美那。ふと妙な符号に、いつしか望まぬ感傷に耽る。


 いつしか世界は男と女に分かれた。それが人間の業というものだ。だが一定の体温を保ち、子宮で育つ哺乳類である人類は、いずれ滅びに瀕する。男性種の消失。しかし龍蛇であるならば、生命は未来永劫栄える。そのために――。


 だが、一つだけ。絶対に二人はデュナンと瑠美那として出合ってはならない。対消滅、反物質エネルギー。その一瞬で世界が消滅し崩壊する。瑠美那、それだけは、ゆめゆめ忘れるな。


     *


『それほどまでに己の生まれ故郷に帰るのが怖いのか――』

 ――えっ?

 そのナイフのように凛と研ぎ澄まされた声色に思わず振り返る。まだ歳若い少女の声。それは耳に鼓膜に届くのではなく、直接心の中に響いてくるものだった。

「――こっちだ」


 今度はちゃんと「声」として聞こえた。一瞬戸惑ったけれど、少ししてその声の主が、つい最近出会ったばかりの人のものであると悟る。声のする方へ顔を向ける。それはふねの外、あたしのいる部屋の窓の外から聞こえた。ふと立ち上がって小さな窓を開ける。


「あなたは……っ」

「また会ったな。いや、正確にはこれで三度目か」

 かろうじて出来たパイプの出っ張りに手足を掛け、船体にようやくへばり付くようにして、その小柄な少女は笑いもしない無愛想な表情をあたしに向けた。


「お前に渡したいものがある」

 そう言って少女は手を差し出すように顎で促す。少女は腰に吊るしていた袋から、ある小さな石の塊を取り出し、石に付いていた皮の紐を咥えた。あたしの掌に転がるようにして収まった小さな緑色の石の塊。それは勾玉の形をしていた。エメラルド、いいえ翡翠だろうか。


「クスヒ様――、いや。お前の呼ぶルミナスという御神おんかみを、これで」


 突然のことに、あたしは何の反応も返せない。そう、この人はあの無人島で出会った女剣士だ。でも、なぜその人がこのふねに、それになぜルミナスのことを知っているの――え、今なんて言った? クス、ヒ?


「細かい説明はしていられない。私はこれからある人を救いに行かねばならない」

 ――それって、もしかして。唐突過ぎる話の中で、あたしはその存在に思い当たった。

「そうだ、その海賊の首領だ」

 えっ。少女はあたしの心の声を読み取るように答えた。どうして――。

 その心の裡の問いに答えることはされぬまま、少女の厳しい視線に捕えられる。


「忘れるな。お前があの方とともに居ることの真実を……」

 呟くようにそれだけ告げると、少女の姿は視界から消えた。その眸に一瞬宿った光を、あたしは見逃さなかった。そして掌に残された、深い緑色の石塊。


    *


 ――リュシフェラス・デュナム。

 なんていう得体の知れない名前かしら? ヴェルトーチェカ・アルマは思った。


 あの「白いメシア」……色々怪しすぎると普通思うじゃない。ふふっ――でも、あたしもその昔ベアトリーチェと呼ばれてたんだっけ。かの古典「神曲」の永遠の淑女にして魔女、ベアトリーチェ。魔女と悪魔、なんてお似合い……。


 でも、彼女の中の沈黙が何かを赦さなかった。あいつは嫌い、嫌いだ。そう、ひとりぼっちは嫌だ。私からすべてを奪うものは――。

「………」


 ね、ヴェル!

「ヴェルったら、聞いてる?」


 ……だから、いい加減その呼び方は。静かだった水面みなもが、いきなりざわつく。ヴェルトーチェカが一人辿っていた己自身のものとは思えない深い物思いから彼女を呼び戻したのは、相変わらず癇に障る甲高い少女の声だった。


「転入生のデュナンのことなんだけど、やっぱりあたしたちで何とかしてあげた方がいいと思うの」

 そうか?


「ほら彼、見たところ色々難しそうじゃない。ただでさえワケありのこの学校に時期外れで転入してきたってこともだけど、彼って性格的にも何となく難がありそう。クラスの皆に早く馴染んだ方が彼のためだと思うし」


 それは要するに色々と、ありがた迷惑と言うものじゃ……。早口でまくし立てるリリアンを他所にヴェルトーチェカは、その無愛想な“ワケあり”の転入生の顔を思い出した。


「ねえ、そう思うでしょヴェル!」


 沈黙は便利だ。この世の全ての厄介な問題を回避するには、それが最も早道……。な、そうだろ、“デュナン”。彼と似て非なる静かなる面持ちに全てを隠し、その唇に歪んだ微笑みを浮かべて薄闇に沈む校舎を視つめる。


「リリアン」

「え?」

 ヴェルトーチェカは、ふとこちらも無愛想な、何の表情も浮かべていない色白の自分の顔を自身で指差す。

「ルームメイト」

「……?」

 うん、そうよね。あたしたち。

 しかし何を言わんとしているのか、一向に察しのつかないリリアンを、頭はよいのに鈍いと内心罵りながら、ヴェルトーチェカは何気なしに続けた。


「睦月……諒牙」

「え。睦月、君?」


 あ、ああ。そっか! リリアンの突拍子のない声が放課後の教室に木霊する。

「そう、睦月君だったわね、彼のルームメイトって。確かに彼に頼むのが近道っていう気がするわ」


 リリアンは一つ年下の天才次期イオリゲル候補生を思い浮かべながら思った。そう、彼ならきっと。やはりエリート能力者集団、イオリゲルの候補生だけあると言うべきなのか、それとも。諒牙のほんわりとした雰囲気の、けれど、いかにも賢そうな聡明な瞳を思い出す。


 でも心のどこかで、そればかりじゃない彼の何かがきっと……。そんな不思議な予感に立ち上る淡い期待にリリアンは思わず笑みを浮かべる。


「じゃ、早速」

「リリアン……?」

「何事も早い方がいいでしょ!ありがと、ヴェル」

「………」

 そう言うが早いか、およそ三十分前に教室を出て行ったデュナンの幻を追って、リリアンは無言のヴェルトーチェカを残し、教室を後にした。

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