6. 真実と誓約

「ねえ、少しだけあたしの話をしてもいい?」

 あたしは半分試すようにルミナスに声をかけた。


 今まさに夜明けの朝陽が穏やかに差し込む浜辺には、まばゆい波間の光が乱反射していた。不思議な静けさを満たす波音だけが、あたしたちを包み込む。不思議ね、怖いくらいにあんなに綺麗で、この世のものとは思えなかったひとが、今はなんだか昔からよく知っている“誰か”みたいな気がする。友人、いいえ家族……もしかしたら、恋人?


 やだ、何考えてんのあたし――、少しだけ恥ずかしくなって、あたしは寄せては返す波打ち際に一歩足を踏み出す。


 ふと振り返った背後に佇むルミナスは、確かにそこに”存在”していた。幽霊なんかじゃない、ましてや神様? 未だにあたしには、そのことが信じられなかった。確かに得体が知れないだけじゃなくて、強引でいきなりで身勝手で、でも……。


「……あたしが生まれた一七年前、世界中を揺るがすような天変地異が起こったの。その時あたしは、あたしの父さんを――、」

 そう言いかけた途端、思いがけずルミナスが言葉を継いだ。

「――知っている。お前の父親が、その時どれほどお前を呼んでいたか……」


 え……、思わず言葉を失ってしまう。知っている……それって、どういうこと? どうしてあなたはあたしの父さんのこと……。神様だから、なんていう理由も勿論ありかもしれないけど。でも、あたしは。


 そもそもルミナスがこの世に現れたのはなぜなのか。あたしはその根本さえ何も知らなかったんだ。ルミナスは父さんのことを知っている。あたしが不思議に彼に惹きつけられてしまうのは、これまで一度だって一言も嫌だなんて言えなかったのは。


「どうして……」

 波打ち際で一人立ち尽くすあたしに、ルミナスは思いも寄らぬ真実を告げた。

「あの天変地異は、おそらく我ら神人が引き起こしたものだ――」


 そ、んな……。あたしはしばらくそこから動けなかった。ただ声も出せず、毅然としたルミナスの紫水晶の眸を見つめるだけだった。それじゃあ、父さんが死んだのは……。それでもルミナスは無情に続ける。


「この世界が新たな時代を迎える度、古来より連綿と続く荒魂あらみたまの軋轢によって目に見えぬ大地の裂け目が次第に拡大していった。大陸だけではない、大海を流れる海流にも影響を及ぼし、今現在それは文字通り次第に停滞しつつある――大規模な気候変動による海水温の上昇、そしてそれに伴う海面上昇。それはお前たち人類にも少なからず心当たりがあることだろう」


 地球温暖化、確かにそれは過去の人類がその発展のうちにもたらしたものだ。いや……むしろ海全体の僅かな変化が、この惑星ほしの帰趨を決する。全球の七割を占める海洋こそが、その生命線とも言えるのだ。確かに地球が青いのは、その七割を占める大海原があるからこそ……。


 ルミナスの言葉が、まるであたしたちを包み込む波音のように次第に意識に沁み込んでいく。それは必然的な浸透圧のように、あまりに自然に。リトマス試験紙を浸されたのは、むしろあたしの方かもしれない。


「お前たちは仮初の大地に安住し、それを自らの城として、欲しいままに発展を続けてきた――そして今そこに君臨する超大国、神聖ガイア。それこそが真に諸悪の根源なのだ」


 諸悪の根源――、その言葉はまるで、あたしたち人類そのものまでをも差している言葉のように聞こえた。確かにガイアは、前時代の人類の発展そのままに今世界に君臨していた。


「未だ浄化できぬ荒魂が、ダークホライズンを呼ぶ……」

 そこまで続けると、不意にルミナスは額を押さえ、苦しげに片膝をついた。

「ルミナス……!」

 一気に流出してきた記憶のせいなのか、それとも……。


 あたしは一時いちどきに押し寄せてきた動揺と少なからずの衝撃に襲われながら、それでも半ば倒れ込むルミナスに駆け寄った。神人と人間、その狭間に潜む罪という存在に苛まれながら。なぜ、どうして……。でも違う、ルミナスのせいじゃない。


「……瑠美那、お前は私とここまで来た。その意味が解るか?」

 もう一度、あたし自身の意思を確認するかのように、ルミナスは答えを促す。そして不意に立ち上がり、呆然と見上げるあたしの震える頬に右手を添える。そして持ち上げるように顎にその長い指を滑らせると、ゾクッとするような声で告げた。


「私と一緒ともにくのだ――、」


 最後の最後で覚悟を迫られた、そんな気がした。怖い。初めてルミナスが怖いと思った。何度もう戻れないと思っただろう。でも、その度にあたしは躊躇し立ち止まっては、一人駄々を捏ね続けていた。でも、もう……逃げられない。


 そう思った瞬間、吸い込まれそうに綺麗なルミナスの瞳が近づいてくる。あたしは目を閉じることもできず、ただその場に釘付けになった。まるで蛇が絡みつくように、全身が凍り付いて動けない。有無を言わせぬ瞳の力。やめ、て――、


 でも不思議にあたしは拒否することができなかった。なぜだか身体の奥が熱くなる。このまま心を侵されてもかまわないような気がした。そうルミナス、あなたのためなら……。


 ふいにあの時、二人が初めて一つになった瞬間、よみがえった記憶の断片が再び脳裏を掠めた。どうして、なぜこんなに懐かしい気持ちになるんだろう。あの時、あそこで泣いていた子供。あれはやっぱり……。


 まるで何かの儀式のようだった――戸惑いながら、目を閉じる。確かにこれは誓いの儀式なのだと、おぼろげながら思った。


「瑠美那……」

 そう名を呼ばれ、ふと瞳を見開くと、目の前の光の守護神は驚くほど優しげに微笑み、愛しそうな眼差しで、あたしを見つめて囁いた。


「……やっと逢えた」

 ――ドクン!


その穏やかな表情が、なぜだかまだ見ぬ父に重なり、あたしはさすがに動揺する。でも……無性に惹かれてしまう。あたしの中に眠る、これは誰かの記憶? それがあたし自身を揺り動かしては離さない。あたしはルミナスを愛していた。確かにそのひとは、かつて心身を捧げた唯一の存在に他ならなかった。


 しかしそれも刹那、一時の幻のようにルミナスは元の真剣な顔に戻ると、改めてあたしに告げた。「私と誓うのだ――たとえどんなことがあろうと、共にいると」


 誓約。それがどんな意味を持つのか、あたしにはわかっていた。あたしはただ、ルミナスにすべてを捧げて。身も心も、そう、あたしのすべてを――。


 ――はい……誓います。あたしは当然のことのように、そう応えた。


 なぜだか胸が一際ひときわ高鳴り、意識が遠のき朦朧とする。身体が言うことを利かない。目の前にいる太陽神、いや光の守護神は龍蛇の王。そして父さんの仇……なのに。相変わらず響く波音だけが、意識の片隅で遠くさざめいた。


 その返答を待つと、光の守護神はあくまで一つの儀式のようにそのまま近付く。

 ルミナス……。


 その瞬間、眩しい何かが心の深遠で弾けるのを感じる。生まれたばかりの黎明の眩い光の中で、あたしはその唇を奪われた。


     *


「あ……、」

 瞬間、胸の奥の熱い何かが全身に膨れ上がり、尾骨から脳天まで甘い痛みが駆け上がって、あたしはまともに立っていられなくなる。ただしっかりと抱き寄せるルミナスの腕に身体を預け、まるで精神が抜け落ちた抜け殻のようになり、感覚そのものが拡散する。


 や……あっ……。


 何、これ。意識の内側で強い光の奔流がほとばしり、あたしの服がビリビリに裂けて散った。でも恍惚の坩堝に放り込まれたあたしは、ただ溶けるようにルミナスの気だけを欲し、生まれたままの姿で全身を仰け反らせる。


 ……ルミナス、もっと……もっと。


 まるで光そのものになったみたいだ。重なり合い触れているすべてがルミナスを欲し、そして同時に文字通り、引き合う磁石の両極になったように、あたしのすべてがルミナスに流れ込んでいく。それは、あの時の融合のように強く熱く、けれどもっと違う潜在的な何かがあたしを満たしていく。広がっていく、もっと愛しくあたたかい、確かな何か。


 一瞬、真っ白な瞼の奥に何かの景色が広がった気がした。とてもとても懐かしい、その風景。まるで空を飛んでいるみたい。いや、茫洋とした波間を漂う、あたしはただの貝殻だった。その瞬間も、しっかりとルミナスがあたしの手を握ってくれていることを感じると、……嬉しい。この上ない喜びに満たされるのを、あたしは感じた。永遠なんて言葉、信じるわけじゃないけど――。


 うっすらと閉じた瞳から、いつしか涙があふれ、ツ――と一筋頬を伝った。まるで、ゆらゆらと揺れる水面みなもを漂うように、拡がる波紋。込み上げる愛しさが停まらない。その限りない感情の高まりが、いつしか引き金となった。


 先程の静寂が嘘のように、島全体が不思議なあかとき色のオーラに包まれる。いつ戻ったのか鳥が啼き、さっきまでひっそりとしていた辺りが俄かにざわめき出した。まるで島全体が、そして青い海が、突然、生命の揺りかごであることを思い出したようだ。


 その時、“それ”が目覚めた。まるで空と大地を結ぶ虹のように……。それは満ち潮の海に突然、弧を描いた。一声地鳴りのような咆哮をあげると、まるで天を貫く激しい火柱があがるように、その長い尾を一振りさせて海を裂き、あかみがかった鈍色の一匹の巨龍が忽然と姿をあらわした。


 その鱗は朝陽と飛び散った飛沫を受けてキラキラと輝き、今にも火を噴きそうな、火龍サラマンダーそのものの赤く巨大おおきな口を開けて再び啼くと、“彼”は主人との再会を心から喜んだ。


「カグツチ――」

 夢から目覚めたばかりのように、呆然としたままのあたしは、ルミナスとともに、その巨大な火龍を見上げた。確かにあの幻の闇龍とは違う。その光り輝くような堂々たる立派な佇まいには、まさに龍王としての圧倒的な風格と存在感があった。


「すごい……」

 ルミナスに手を取られ見上げたあたしは、思わず感嘆の声を上げる。不思議と怖い、という意識はなかった。それは奇しくも、まるでルミナスに対する時と同じように、あたし自身を自ずと惹きつけた。


 ルミナスはあたしから離れるとカグツチに近づき、その虹色に照り輝く鱗に手を触れ撫ぜる。すると火龍は、嬉しそうにグルグルと神妙な声で啼いた。

「本当にドラゴンなんだ……」

「ああ」


 あたしはルミナスに声をかけたが、先程の恥じらいを思い出し、思わず頬を赤らめる。そんなあたしを、心なしかカグツチはその長い頸を傾げると、興味ありげに紅い宝石ルビーのように煌くひとみで視つめた。


「瑠美那、お前に挨拶がしたいそうだ」

 ルミナスがそう言うが早いか、カグツチの鼻先がすぐ目の前にやってきて、瞬間あたしは腰を抜かしそうになる。でも――、怖がらなくても大丈夫だ、ルミナスの言う通り、すぐにあたしたちは仲良くなった。


「案外、おとなしいのね……」

 さっきの接吻くちづけと恍惚の余韻がまだ残っているのか、まともにその顔を見れなかったが、あたしは背後のルミナスに囁いた。


 不思議なことに、このカグツチのひんやりした鱗の感触が初めてではない感じがして、なんだかやっぱりそれはルミナスに対する時と同じだ、と思った。なぜだろう、なんとなくルミナスに似ている感じがする……それに。


 龍王。それはまさしく龍蛇の中の龍蛇、王の中の王だった。それを己の楯と矛として所有するルミナス。それはとりもなおさず、ルミナス自身が、その神格に値する高貴な王の中の王である証に他ならなかった。

 一瞬、あたしは人知れず身震いした。


 ルミナスは改めてカグツチの頭に手をやると、目を閉じ、己の霊力との同調を試みた。すると、まるで焔のようなオーラが辺りに立ち上り、龍との接点である額のチャクラが輝きを増す。その瞬間、文字通り火龍と主人である光の守護神は一体となった。それはまるで、先程のあたしとルミナスとの誓約の儀式にも少し似ていた。


「大丈夫のようだな……」

 少し安堵したように、そう呟く。とりあえず、空を飛行するだけの力はあるようだ。もし目覚めたばかりで無理なようでも、ルミナス自身とあたしの霊力でなんとかなる。そうルミナスは言った。


 そうなんだ、やっぱりあたしはルミナスと――、

 そう思うと、また身体が熱くなる。やだ、どうして……。


 愛とか憎しみとか、好きとか嫌いとかじゃない、そんな個人の感情を超越し無視した、それは有無を言わせぬ禁忌の衝動。それがどうしようもなく、あたしとルミナスを惹き付ける。思わず自分の腕で自分を抱き締める。さっきのは幻。裂けたと思った服が元通りであることを改めて知っても、不覚にもあたしは、密かに鼓動が早鐘のように鳴り響くことを止められなかった。


 ほんと、ルミナス、全部あなたのせいだよ。


     *


 確かにそんな予感があった。しかし、実際に“それ”をこの目で見るまでは、アグニには信じられなかった。本当に龍蛇がそこにいるなどと。


「俺はアスラで出る。ヴァルナ、船のことはお前に任せる。くれぐれも周辺海域の監視を怠らぬよう。それと――、」

 アグニは自身専用スーリヤ“アスラ”に跨ると、後ろを振り返った。

「来い!」

 そう言うが早いか、クロエが無言で飛び移りマシン後方に跨る。ま、当然だろう。やっこさんもそれが目的で俺たちの船に便乗したんだろうしな。


 発進するや否や、真紅の機体アグニのスーリヤ・アスラは唸りを上げ波間を前進する。まさに海馬、だ。エアバイクのように水面抵抗を減らした身軽な機体は、この海賊集団にはもってこいだった。しかも海を滑り手下たちの海馬スーリヤを従えたその姿は、まさに光り輝く太陽神のようだ。


 しかし、アグニたちがその島影の沖合いに近づいて間もなく、それは起こった。突然島全体が光り輝き、異様な生気に満ち溢れた。そして突如唸りを上げるその咆哮。その、この世のものとは思えぬ生物の声が、この海にやってきた者たちを殊更に恐怖させた。


「ナーガ、なのか……!?」

 長い黒髪をはためかせるアグニの肩越しにクロエは見た。夢にまで見た、見覚えのあるドラゴン、あの火龍サラマンダーの雄姿すがたを。


「カグツチ――クスヒ様……!」

 カグツチが目覚めた。ということは……。


 いや、そんなことはとうに解っていた。“アイツ”はきっと既にかの人と……出会っていたんだ、私が出会うより先に。本当は認めたくなかった。認めたくはなかった、それが避けられぬ運命と知りながら。運命――誓約のことわりが、龍蛇であるかの人とその依人との約束の在あり処かを目覚めさせる。すなわちナーガラージャ、真の龍王の誕生である。


 そうであろうとなかろうと、この忠誠心は変わらないはずだった。いや、本来ならば喜ぶべきところだ。そう自分自身を納得させようとしながら、どこかクロエの心は虚ろだった。


「ナーガラージャ……」

 アグニは瞳を見開いた。今眼前に起こっていることこそが、アグニたちインディアの部族に伝わる伝説そのものの光景だった。正義という名目でテロという破壊行為に明け暮れながらも一時たりとも忘れなかった、それは彼らの念願、いや悲願といってもいい。本当の意味で求めていた再生の光の象徴。


「……そうか、やはり実在たんだな」

 半ば呆然と笑いながらアグニは呟いた。世界を壊し、そして世界を創造する。その象徴が龍蛇の中の龍蛇、王の中の王、伝説のナーガラージャ。彼らの名パルジャミヤでさえ、それに従属する神の名だった。アグニのスーリヤ、アスラはそのまま、その入り江へと滑り込むように接近する。そこに現れる“罠”の存在も知らずに。


     *


「聡介、どうしてあなたは私を怖れないのですか?……そればかりか」

 どこか憂いを含んだ月の神の涼やかな眸を、少年は真っ直ぐ見つめ返した。


 ここは一体どこなのか。それすら分からない目覚めの瞬間でさえ、聡介には解っていた。“この人”が真に悪い人なのではないということが。それなのに月神、ツクヨミはこの少年をいずれ己自身の中に取り込もうとしている。それが悪でなくてなんなのだろう。


 だのに少年は、その己自身の運命を知ってか知らずか、その好奇心そのものの純真な瞳を眼鏡レンズの向こうで瞬かせる。それは決して裏切ることを知らない、嘘をつかない真っ直ぐな瞳。


「いつだって僕は貴方のことを見ていた気がする……」


 それは本当だった。数多くの星々を覗くのが目的の天体観測ではあったが、その中でも月は無意識のうちに、そのはかりしれない存在感で彼を魅了し続けていた。殊更に太陽と月の神話は聡介の気持ちを、この月の神に寄り添わせた。


「僕にも好きな人がいたんだ。でもその人は、まるで太陽みたいに明るくて、僕にとってはものすごく眩しい存在で、――たぶん片思いなんだろうね」


 そして少しだけ淋しげに笑った。ああ、そうなのですか。あなたも……、いえ。ツクヨミはそのほっそりした指を伸ばして背後から近寄ると優しく抱き締める。ひんやりとした冷気が瞬間、聡介を包み込んだ。


「大丈夫、ですよ。きっといつか、その想いは届きます。きっと、ね」


     *


 そう、瑠美那。聡介、あなたの想い人がそうだったのですね。ならば、話は早いというもの。ツクヨミは一人ほくそ笑むと、目の前の水晶球を視つめた。冷たい水底を映した丸い水鏡のようなそれは、眩い光の奔流を映し出していた。あの島……やはり。


 きっと私たちが行くより早いでしょう。その神の咆哮に引き寄せられた者たちが自然と。そう思うとツクヨミは冷たく微笑んだ。クスヒ、貴方にもいずれ再び出逢えることでしょう。そう、焦らずとも近いうちにきっと。その時、貴方が貴方の分身を躊躇うことなく己自身の中に取り込んでいることを祈っていますよ。


 それでこそ、龍蛇おうの中の龍蛇おうの証。恐怖を導く真のダークホライズンから生まれ出る、愛しい人。その畏怖の前に、あまねく者たちは平伏すのです――。


 その海に拡がる光環。それが、おそらくすべてのはじまり。


     *


 たくさんの人が死んだ。突如太平洋上に落下した、いや発生した光の球。それが今や発展の最盛期にあった人類の歩みを停めた。本来ならば、誰も生き残れない、そんな本当の灼熱地獄がそこに拡がっているはずだった。だが――。


 海面ごと地表をえぐるような、その急激で巨大な衝撃は、それが起こったことですら、地上の誰一人に教えることはなかった。ただ、真っ青だった空が、突然深紅に塗り変えられ、水分が一気に蒸発し大気はその意味を成さなくなり、呼吸することさえ出来なくなったことも知らず、無数の人という人が都市まちごと飲み込まれ、灼け死んで消えていった。ただ一握り幾つかの「光環ひかり」に守られた人々を除いては。


 父さん……。


 あたしの知らない、父、金城隆志の面影。島嶺叔父さんが話してくれた思い出話は、その断片のすべてが懐かしい記憶おもいに満ちていた。でも……その“光”に隠された“影”の部分が、やけに濃い陰影を落として、あたしの脳裏にくっきりと映っている。瞼にこびりつく、そんなヒリヒリするような深く昏い闇。


 もしかしたらあたしは、その「秘密」に触れたくて、アイツと誓約したのかもしれない。それは、怖いくらいに揺ぎの無い真実。きっと「嘘」から生まれる真実まことだってあるよね……。


 瑠美那とルミナス。あたしと同じ、その名前。まるで兄妹きょうだいみたいな、あたしたち二人。その先に続く無限の闇。螺旋の運命に飲み込まれ、吸い込まれていくような、そんな言いようのない絶望と衝動、その限りない陶酔感。何もかもを置き去りにしたまま、ただ廻り続け、そして宇宙そらの深遠に上昇しながら落ちていく。そう、上も下もない宇宙に吸い込まれるのって、本当にこんな感じなんだ。


 でも、ルミナスに抱かれながら堕ちていくなら、何も怖くない。これってつまり“手遅れ”ってこと……?


 でも。……父さん。



     *


 なぜガイアの技術者たち――ガイアの前身であるリベルテ――は知っていたのだろう。“それ”が起こることを時前に察知していなければ、アマテラスは生まれなかった。まるでムー大陸が一夜にして海底に沈んだように、あたしたちの世界は一瞬にして、かき消えた。業火に焼かれ、朝も昼も夜もない日々がしばらく続いた。どこにも逃げることのできない絶望。“最期の日”って、案外いきなりやってくるものなんだね。


 それでも地面が裂けて堕ちる寸前、あたしたちはそのブリッジに飛び乗った。最後の瞬間に、まだ赤ん坊だったあたしを母さんの手に渡した、その人は……。


『瑠美那、お前は母さんと生きるんだ――』

 あたたかい、その声を最後に聞いた。いや、ただ一つ記憶に残っている、それが最初に聴いた父さんの声。


 光は、闇から生まれる。朝は夜から始まる。闇夜がなければ、きっとあたしたちは光の存在でさえ気付かなかった。今にも壊れそうな、その眩しい奇跡に気付けないまま、きっと。だから……限りない螺旋の闇に抱かれた、それは儚い生命いのちの奇跡。


 まるでメビウスの環みたいに、あたしたちは遠く近くどこかに還って往くんだ……ねえ、そうでしょ、ルミナス。


「まさか、すべての人間の記憶を操作したなんてこと……そればかりか」

「それが出来るのが、我々ガイアの科学力なのです――いや、」

 そう言いかけて一旦言葉を切った相手に、女は核心に迫るように念を押す。


「いいえ、ワイズ博士はくし。あなたの仰りたいことは解っています。やはりレムリアンが関与しているのですね?」

「レムリアン……失われた幻の大陸に存在していたという。いや、大陸などという物質的、即物的な捉え方は正しくない。むしろ霊界、そう神界とでも言えばよいのか……」


「神人。つまりそう仰りたいわけですね」

 銀色の光が満ちるその部屋に木霊する密かな会話。それは誰も知る由のない、この世の真実を語る全てに満ちていた。


「イエス、と言いたいところですが、……草薙女史」

 草薙と呼ばれた女は、眼鏡の奥の眸を微かに震わせた。やはり只者ではない、その言葉の端々からそれが感じられ、思わず緊張する。


「あなた方は既に掴んでいるのでしょう――コードLの発現の事実を」


 コードLとは、彼らの組織の間では特A中の特A、そう最重要機密事項だった。それをこの男が知っていないわけはない。なぜなら彼は、我々が強く協力を仰いでいる大国の科学技術庁、ガイア特務機関の最高技官だからだ。男は銀縁眼鏡の奥の銀緑色の瞳を光らせた。最高技官とはいえ、まだ三十代半ばの白人。だが、どこか油断ならない輝きをその瞳は放っていた。


「しかも、既に接触しているのですね。そう、その神人とやらと誓約した人間――その少女と」


 金城瑠美那。“あの”金城隆志の忘れ形見。その存在までも、既にっているというのか。確かに隠したところで、全てはいつか露呈する明白の事実なのだ。私たちはただそれを、ありのままに報告するだけ。だが、それでも……。


『利用する』――逆に彼らに利用されていると分かっているところで、我々の真実は何一つ変わらない。それはイザナギという失われたこの国の民族であるという以上に……。


「島嶺君、そして海堂教授によろしく……どうぞ御手柔らかに、とね」

 ふふ、と口元だけで冷たく笑うとロベルト・ワイズ博士は扉の向こうに消えた。


     *


 天変地異、か。それだけで全てが片付けられるわけがない。確かに事実はその通りだった。だが肝心な事が巧妙に隠蔽されている。十数年。そんな短期間で大陸移動や列島の沈降が起こるはずがない。それに……すべてが最初から“仕組まれた”ことだったら。一体誰に? いや、もしかしたらそれは人ではないのかもしれない。神人……そんな馬鹿な。


 とりあえず沖縄から帰還した草薙瑞穂を会見に差し向けたのは正解だった。ともすれば先回りされかねない、相手はガイアの最高機関である。ガイア――今や破滅と混沌を経た世界のすべてを掌握し支配していると言っても過言ではない、その超大国。その名ですら、神を冒涜していると言えなくもないが。まあ、今はせいぜい静観しておくさ。


 ここイザナギの地には、元々龍穴が存在していたと言われている。そう、まだ列島という姿形で本土があった頃の日本という国に、だ。その最も強力なパワースポットであった富士山は今はもう見る影もない。いや山体の形こそ崩れ、山頂を残して小さな小島になってしまったとはいえ、まだそこに存在している。火山として姿を顕していたマグマのエネルギーは海底深く沈んだだけだ。それに何より……確かにアマテラスをはじめとした三大ドームは強大だが、そんなものはお飾り、ただの慰めに過ぎない。


 だから、神人様が降臨なさったというわけか……生命の揺りかごである海を司る龍神。


 ピピピッ――その時、手元の通信機が鳴った。無言で受話器を取ると、乾いた女の声が響いた。

『そちらは変わりないかしら?』「ああ、相変わらず暇なもんさ」

 そうわざとつまらなそうに言ってみせると、あら?そんなこともないんじゃない、そう切り返されて、思わずニヤリと笑う。


「で――、どうだった」

『あちらも随分と動きが早いわね。例の沖縄の異常現象以来、既に新たな動きを掴んでいるようよ』

「ああ、こっちも受信を確認した……やっこさん、とうとう本性を顕したようだな」


 神隠し、言い得て妙だな。彼らがコードLと呼んでいる霊体現象、それはどうやら確固とした人格を有しているようなのだ。いや、この場合、神格か。それに彼の姪である金城瑠美那が深く関与していることは、最早疑いようのない事実だった。神人に選ばれし誓約を交わす依人よりうど


『瑠美那さん……』

「あいつなら、大丈夫――な、わけねえか」

 さすがに今回ばかりは、御得意のなんとかなるなる、というわけには……、そう瑠美那の天真爛漫そのもの性格を思いながら、それでも何かの確信をどこかで島嶺は感じていた。


「なんせアイツの娘だ、それでも案外図太かったりしてな!」

 ……酷い叔父さん、草薙は回線越しに苦笑いしてみせるも、確かにそう思った。


 そう、確かに彼女は金城隆志の娘、なのだ。それが何を意味しているのかは、現状を鑑みれば既に理解できる。先程観測されたばかりの、二度目の発動。それが彼女が選ばれし人間であることの何よりの証拠なのだ。


「で、既に確定ポイントに“罠”を張っているってわけか」

『まあ、可哀想』


 そう半ば茶化しつつも、草薙は内心で慄いていた。ガイアという大国の容赦のなさ、そして決して躊躇いを見せないその執拗なまでの素早い決断力。もしかしたら神様でさえ、その力の前に屈服し圧倒されてしまいかねないほどの。


 だから、それを冒涜というのだ。いつか神の怒りを買う。いやもう十分買っているのかもしれない。でももしそれが、この宇宙に存在する一つのエネルギー体が姿を変えたものだとしたら。それさえも利用しようとするガイアの、人類の科学技術はそれ自体が神への冒涜だというのか。


「すぐさま現地集合、と言いたいところだが――、」

 今回の件に、どうやら例のテロ組織パルジャミヤが絡んでいるようなのだ。どういうわけか、彼らの海賊船団が当該海域に姿を現したのだという。


「神様と海賊……か、これも龍神様の御導きってやつか」

 そう呟きつつも、一戦どころか三つ巴の大決戦になりそうな予感に心がはやる。

 その中心にいるのが、奇しくも瑠美那――金城瑠美那。


     *


 琉球弧は奄美諸島近海の孤島に現れた海賊パルジャミヤと謎の発光現象。前者の捕縛は当然として、問題は後者である。評議会はそれが先頃、沖縄で起こった異常現象に関与していると言及していた。睦月は母艦アステリウスにて再びマシンの調整を行いながら、次第に迫り来る孤島へ向かう波頭を見つめていた。


 ――ガイアが誇る精鋭特務部隊、イオリゲル。


 彼はその隊員でもあった。何人なんぴとも不可侵の力、デュナミスを操る彼らは、まさしく「選ばれた人間」であった。それは確かに超能力と呼べる類のものかもしれない。だがしかし、デュナミスは思いの力の強さが優先的に作用する。だからこそ「信じるもの」を強く持つ者たちは誰でも、その適正が強いと言えるのだ。誰がいつ、どこで発見したのかもさだかでないそれは、それでも睦月ら、イオリゲルの配備する人型マシンD-2の力の源でもあった。


「睦月、準備はいいか?」

 最後の調整を終えた瞬間、彼の背後から精悍な顔つきの男がそう声をかけた。

「はい、キリアン隊長」

「今回の作戦は極秘任務だそうだ」その言葉に思わず眉を顰める。


「……あの噂は本当なんでしょうか?」

 あの日沖縄本島で姿を消した一人の少女。彼女が取り込まれた怖れのある「龍神」を撃て、と。それが今回彼らに課された命令だった。


「だとしたら自分は――、」

「我々はテロ海賊組織パルジャミヤを迎え撃つ、ただそれだけだ」

 イオリゲル隊長としての任務遂行がすべて、ただ固い表情で呟くキリアンは手元のマーキングに照準を合わせた。


     *


 元々あの部隊は寄せ集めではあるが――、

 ワイズ博士は、おもむろに腰掛けた椅子から立ち上がり窓際に向かった。


 デュナミスを操れる、その事実だけは本物だった。それでも、まだ歳若い少年少女たちも所属する彼らはエスパーまがいのように扱われ、実際、時折暴走者も現れることから、表向きの真価や地位とは裏腹に一部では上層部らから煙たがられてもいた。


 ことに彼らは「龍神」との感応も強いようだ。まるでイルカの脳波のように、それを敏感に感じ取るのだろうか。それはまさしく“同類”の如く。


 だからこそ彼らが必要なのだ。実際、今回の作戦には彼らの能力が不可欠だった。そう、予め龍蛇の出現すると思われる場をピックアップする。これまでの経緯もあるが、今回は特にその“兆候”が強く出た。いや「其処」は確かに特別な場所なのだ。


 ああ、そうそう……。

「デュナミスは、このガイア創生の源でもあったね」

 ただ強い想いがすべてを駆逐し支配する――それこそがこの世界の真実。 


     *


 光も闇も、すべてを飲み込み、ただ崇高な魂を得るために。


 だからスサノオとともに貴方を生み、この世界をあまねく照らす輝きを生み出した……。このアマテラスを討つために――。


 母さま……。

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