3. マツリとタブー
その女、円城寺冬華から連絡があったのは、それから半月後のことだった。
そろそろ春の日差しが感じられるようになったある日、あたしは久しぶりにルミナス限定の同人即売会に顔を出していた。一期での人気は衰えるどころか留まることを知らず、それはこういったファン同士のイベント会場の熱気にもそのまま表れていた。
本当は、基本的に人ゴミ苦手だし……でも、やっぱり気になる。何がって? 勿論ルミナス・コードもなのだが、それ以上に……。
ナミはあの日会えるはずもなかった未玲を思った。
きっと“彼女”はまた何らかのコンタクトを取ってくるはずだ。それを思えば多少なりとも空怖ろしい気もしないでもなかったが、だけどそれ以上に。第二期の制作は滞りなく進んでるんだろうか。確か彼女は言った。すべてはまだ完成形に至っていないと。そして是非ともあなたの力が必要なの、と。
……なんだか本編中の瑠美那にでもなった気分だ。
正直、本当は苦笑いする余裕もなかったのだが、あたしはそんなことを思いながら各サークルを物色した。
――うわ、エロいわーこれなんかかなり好みのシチュかも。やっぱルミナスは襲い受けかね?まあ相手がツクヨミの場合。いやま、場合によっては誘い受けや当然鬼畜攻めってこともありうるんだけど……。おいおい、思わずしかし我ながら苦笑い。改めて考えれば、そんなツッコミを自分で自分に入れてみたくもなる。取りも直さずこういう場所にいて、こういうことを内心で自然に思っている自分は、結構当たり前に腐寄りだったりするのかもしれない。
相変わらずのカップリングは、ダントツ人気でルミナス×ツクヨミ、もしくはツクヨミ×ルミナスカプが多い。だが、その陰で男女問わず人気を得ているのは、やはり正統カプであるルミナス×瑠美那……まあそんなもんでしょ。よくある女性向けロマンス系統の作風も持ち合わせているルミナス・コードだけのことはあるわ。その時、あたしは余裕でそう思っていた。
でもそれが、大きな間違いであると気付くのは、文字通り問題のルミナス第二期が中盤に差し掛かった頃だったのだが、この時のあたしに何が予想できただろう。……というか。そもそもが、そんなレベルの話じゃなかった。なんでツクヨミが? それはさしずめ、手負いの野獣。平気で物語を塗り替える意識の力。そう、どうしてあたしは。すべてが信じられない予測不可能の領域にあった。
本当は、あの時の彼女の言葉だって半分は信じていなかったのかもしれない。第一読心術なんてさ……あんまりウソ臭いよね。きっと何かの間違いだったのだとそう思いながら、ふと背中に冷や汗が流れるのをあたしは感じていた。
プルルルルrrrr……!
その瞬間、鳴った携帯にビクンと全身が跳ね上がった。
*
あたしは何を言ってるんだろう。未玲は、もどかしくも一人自問した。
“タブー”なんて最早、使い古された道具のひとつにすぎない。誰もが今やそれを求めるあまり、いつのまにか手垢にまみれ、本来の意味を失った哀れな楽園の末路を辿る。
でもその行為自体に何の意味もないのなら、それは既に禁忌とは言わない。ただの面白くもない独り善がりなデモンストレーションだ。言葉は、言葉以上の意味を持たない。そう、あまりにも皆、その“タブー”という言葉に寄りかかりすぎた。
それをすれさえすれば扇情的になる、それこそがセンセーショナルであるなんて、あんまり馬鹿げている。でも、あたしは違う。言い訳がましく聞こえるかもしれないけど、少なくともそんなあからさまな宣伝効果を期待してタブーを冒すんじゃない。
――そう。これは「あたしの中のあたし」が勝手にやろうとしていることなんだ。だから、あたし未玲自身が、何よりまるでらしからぬほど動揺してる。勿論、何度も抗おうとした。だけどそれ以上の引力で、あたしの中のあたしは理性を押さえつけ、好き勝手に主張してくる。なんなんだよ、これ。
正直、全然後先考えてない。ただ、好きっていう感情に突き動かされて……。
ああもう!だから、自分でも全然信じられないんだ……っ!
ほんとあたし、何やってんだろう。正直、馬鹿すぎるよ。
だけど、そんなあたしの中のあたしの人知れずの
でももう戻れない。ルミナス……あんたはほんとに綺麗だ。そう、本当に怖くなるくらい。
*
そんな知る由もない未玲自身の胸の内をよそに、あたしは、やはり混乱していた。
第一“あの人”の言ってることがさっぱり解らない。少なからず、そっちの才能のある未玲ならともかく、なんであたしが……。あの時、あの女の言った言葉が何度も脳内でリピートする。
『あなたはただ、そこにいてくれるだけでいいのよ』
は? いるだけでいい……? って、一体どういう意味なんだろ。第一手を貸せっていうこと自体、どういうことなのか。あの女リーヤがルミナス・コードの脚本家である円城寺冬華だったこと自体驚きだったが、それ以上にあたしには信じられなった。本当に何の取り柄もない、このあたしが。例のイベントで耳にしたオーディションという言葉が、ふとよみがえる。本当にあたしは"合格"したんだろうか。でも、一体何に?
『そう、合格よ――』
「っ?」
不意に鳴った携帯に出ると、開口一番“その女”は、そう答えた。“読心術”――まさか、本当にそうなんだろうか……いつぞやネットで見かけた竜崎監督が宇宙人だっていう根も葉もない噂。じゃ、このリーヤも実は――?
嘘と真実。脈打つ鼓動がその真実がどこにあるのか探ろうとして、焦りが溢れる。はは、まさか、ね。あたしは再び得体の知れない寒気が全身に走るのを感じた。いつでも一方的に世界は片目をその手で隠そうとする。一体、何がどうなってんの? まるで焦点の定まらない思考に、意識そのものが朦朧となる。
『リーヤ……いいえ、円城寺です。ごめんなさい、何だかまた驚かせちゃったかしら?』
リーヤもとい円城寺冬華は、どことなく楽しそうに鈴のような声で笑った。
それでも、あたしは怒ることも嫌がることもできず、ただただこの女に翻弄されるだけだった。いや実際、本当はとてつもなく怖かったのだが。それでも、何かに繋がるただ一つの一点があたしを捕らえて離さなかった。
「あの、本当にルミナス・コードの……」
『ええ、そうよ。何度も言うようだけど、今現在スタジオ・ネプチューンで制作してる、そのルミナス・コード脚本家、円城寺冬華……まだ信じられない?』
雑踏の中で、あたしは携帯を手にしたまま相変わらず一人凍り付く。それでも彼女、円城寺冬華は、かまわず続けた。
『おめでとう。とにかく、あなたは合格したの――伊勢崎ナミさん』
唐突におめでとうと言われて一体あたしは何を喜べばいいんだか。
『うふふ、そうね。でも、そのうち解るわ……だって“彼女”もあなたと同じに』
その瞬間、あたしの脳裏に未玲の顔が浮かんで消えた。
「まさか神代……神代、未玲っていうのは……!」
思わず口走ってしまったその名に、自分でも唖然とする。でもまあもし、あたしの思考が相手に筒抜けなら、別に気にする必要はないんだろうけど、それでもあたしは自分自身の普通の反応で返すしか、全然心の余裕がなかった。
『――友達、なのね。唯一無二の』
そうなんだ、唯一無二……。
ただでさえ引っ込み思案なあたしには、あれから誰一人として満足に友達が出来たためしはなかった。社会不安障害っていう厄介な精神疾患はともかく、それが何とか治まってからも、やっぱりあたしはずっと独りだった。何より自分から踏み出さなければ、世界は動き出さない。そんなあたしにとって未玲は……、変すぎ。これじゃまるで誰かに恋してる、みたいだ。
「重症ね――」
不意に後ろから声をかけられギクッとする。振り返ったそこには、同じように携帯を手にしてほくそ笑んだ、黒ずくめの女性が一人きり立っていた。
*
“それ”は、まさに“祭り”だった。
血湧き肉踊り、いつしか心そのものが、どこかへトリップする。実際、古来巫女が行った神事では、魂が肉体を離れ、そしてそこに存在するはずのないものの魂が、その肉体に宿ったりもする。事実、ルミナス・コード冒頭の舞台でもあった沖縄にはユタやノロという巫女が存在した。言葉通り巫女とは、元来女性がなるものである。あの卑弥呼や天照大神でさえ巫女だったように、沖縄の巫女であるユタやノロも漏れなく代々女性が務めてきた。それは遠い常世ニライカナイからの神の言葉を訊くため、その魂を宿す
祭りとはマツリ――まさに神聖なる神事である。そして一度巫女となった者は自我を失くし、文字通りのトランス状態に陥る。それこそが神世へと至る第一歩なのだ。炎上するブログとかウェブサイトでの「祭り」……今時の流行りのスラング的には、そういった意味もあったりするけど。
奇しくも人は何かにより心身が興奮すると、まさにこういったトランス状態に簡単に至ることができる。案外その“恍惚状態”を生み出すものは、日常生活の至るところに転がっている。リアルな恋愛や友情などの友愛関係を今まさに失いつつある現代人の病、いや違う。そういったこととは関係なしに。音楽、映画、舞台、小説――それを我々は総じて「文化」と呼ぶのだ。
私たちは、それらを日々鑑賞し堪能し、それらによる情動や感動を追体験して、さらにはいつしか己自身から、そういった創作物を生み出すことを夢想する。元来人間とは感情の生き物だ。その感情そのものが、諸々の思考を伴った哲学と出合うことで「文化」と称する一種のカタルシスを持つ創作物へと昇華する。それを言ったらアニメだって……。
「そうね、立派な文化かもしれないわ――」
微妙な濃淡のサングラスの奥の瞳が妖しく微笑んだ。
目の前の得体の知れない魔女に言われるまでもなく、あたし自身もいつしかそう確信していた。いや、あたしが心のどこかでそれを確信する以前に、既に世間一般だって気付いていたのかもしれない。第一アニメや漫画っていうのは元来子供のものだった。それが今や……喜ばしいことなのか、それともそうでないのか、大の大人が鑑賞しうる立派な世界観や価値観そのものを、その"文化"は獲得した。
いや、むしろ逆だ。本来元々がその可能性を秘めていたからこそ……それは文字通りの「文化」となり得た。だって今現在大人である誰しもが最初は子供だった。そして子供はいつしか成長し大人になる。その過程で大抵は、子供時代のことなどすっかり忘れてしまうのが普通なのだろうが、その成長過程で学ぶことは大人だって同じ。第一そもそもが、あたしたちの世代からそれは変わった。正確に言えば、ここまで面白おかしく発展してきた漫画やアニメの世界や文化それ自体が、そんな人種を増やすに至った。いつまでも子供の頃のままの心が輝きや柔軟さを失わない。いいや、誰だって――。
そうでなければ、人の
かつて手塚治虫が国内初のアニメーションを生み出してから、既にこうなる事は決まっていたも同然だ。もう戻れない――奇しくもアニメや漫画文化が今や世界中に蔓延ることでオタクが堂々と世間を闊歩することで、異様に世知辛いこの世の中の風当たりが幾分と和らいだ(そう、少なくとも、あたし自身にとっては)。アニメや漫画ゲームなどがその直接の原因ばかりではないだろうが、その反面、実際一昔はなかった数多くの不可解な犯罪も頻発してはいるし、肝心のアニメ制作側の実情も昔とは微妙に異なり、後継者不足など、今現在ならではの問題も噴出してきてもいる。だが……それでも。
手塚はそしてディズニーは今にして思えば確信犯だった。萌えもやおいも、すべからくが元来、昔から存在してきたものの延長線上にあるにすぎない。可愛らしいものを可愛らしいと思う。性別関係なく、愛しいと思うものを愛しく思う(それでも腐女子は、あくまで微妙に違ってるかもしれないけど)。要するにそれは
「そう――楽園。本当は誰もが辿り着きたい魂の理想郷……」
あたしの思考を結ぶように、やおらリーヤ、円城寺は呟いた。
第一あたしたちオタでさえ、そのうちオタでなくなりつつあるのかもしれない。それがあまりに当たり前になってしまった時点で、異端は異端でなくなる。オタクはオタクでなくなるのだ。既に時代は満ちつつある。畢竟年を取れば、どんなアニメファンだって事実上オタから足を洗うのだろうけど。それでも、そんな時代が来るだなんて、考えただけでぞっとしない。その瞬間、多分あたしは文字通りオタクを卒業するのだから。
それはともかく巫女とか祭りとかいった話が出てきた時点で、あまりに真実めいた胡散臭さMAXである。いや、それが実に本当のことのように思えること自体がやばいのだ。そう、それが真実であるのなら、なおさらのこと……。何だかあたし、とんでもないことに首を突っ込んで巻き込まれてしまってやしないだろうか。そんな得体の知れない不安が、ずいと鎌首をもたげてくる。
――ただそこにいてくれるだけでいい。
先日彼女があたし自身に告げた言葉を何気なく思い出す。そうか、もしかしたら――人は「ただそこにいる」だけで、既に何かを成し遂げているのかもしれない。そこに人が生きているという事実そのものが。第一あたし自身、ある意味ではオタという原罪を密かに公然としでかしてしまっているのだ。
そう……イエスキリストで言うところの原罪。人間が本来背負っている罪。誰もがそれをしれっと犯しているのだろう。歳を取らない魂、それが楽園を謳歌し続けることは、やはり罪なのだろうか。いつまでも子供のように無邪気に架空の夢物語の中に遊んでいたい。ずっと自分だけの世界に浸り続けていたい。その、どことなく病んでいる、オタクという永遠のモラトリアム。
そして未玲も……多聞に漏れず腐女子らは、どこかで現実を逸脱している。当たり前の男女の恋愛観とは違う、異なる異世界でただ純粋な夢を見続けていたい。もしかしたら彼女らは、そうすることで当たり前の自分自身が憧れる精神論としての恋愛観のスタイルを保っているのかもしれない。まあ恋愛に限らず、本来ありえないことを楽しむのがアニメや漫画の醍醐味なのだから。
男女間の現実の恋愛に本気になれない。いや、むしろ本気になるためにどことなくその恥ずかしさをはぐらかす。男×男の恋愛を描いていながら、その実、限りなくその本質は現実の女性が夢想する恋愛観そのものにどこまでも寄り沿い続けている。実際、男性向けのエロとはどこか性質が異なる。それは入れて出したら終わりという単純で即物的なものではなく、どこかとても情緒的で観念的な……実は腐女子とは、どこまでも
だけどそれを真顔でやったら、何とも格好がつかない。だから男同士、という架空の役柄を設定して自分たちだけの
*
「あたしもさぁ――最初、何となくそうだと思ってたよ」
おでこの広い眼鏡顔の桐子が、その眼鏡の奥の悪戯っぽい瞳孔を大きく広げて未玲を覗き込んだ。
「ん……最初はガチで断る気でいたんだ……だけど」
でもだからこそ、あたし自身チャンスだと思った。未玲は腐である自分に何の躊躇いもないはずだった。だけど、そういう自分がある時期臨界点に達した、のかもしれない。だから、もしかしたらその冥土の土産としての総仕上げ、だったんだろうか。どちらにしろ、あたしにとってのタブーとは。ただの一般の常人に戻ることとも微妙に違う。
別に誰の断りもなく腐であることは楽しかった。勿論、誰かに断る必要なんて毛頭ない。つまり腐女子にも色々ある。過去のあたしみたいな心底の真症から、なんちゃって腐女子まで。要するにオタも腐女子も、自分自身でも気付かずいつのまにか病状が悪化していることが多々あるものだ。まあ年に二回のコミフェ通いが常習化し、あれもこれもとまではいかないが同人誌を買いあさっているうちに、そしていつしか自分自身でもその作り手側に廻り、いわゆるその軽い罪(笑)の連鎖を繋ぐ役割を我知らず担ってしまう度に……。
ただあたしは、それだけで楽しかったんだ。でも――。
『あんたは何がしたいの、ナミ?』
いつか自分の相方だったあの娘に訊ねた言葉が、今度はあたし自身を貫く。本当は心から問い詰めたかったのは、あたし自身だったんだ。なのにあたしはあの娘に。そのことに今頃やっと気付いた。だから――、あたしはあたしの道を探したい。ここからどこに続いてるのかもわからない、行方知れずの
その途中のどこかで、あんたに会えたらいいな……ナミ。
「ごめん、ありがと――」
「んにゃ、いいって」
突然、呼び出されたにも関わらず、今現在も変わらず友達してくれている桐子は未玲ににかっと笑ってみせた。別段何か込み入った真剣な話をするでもないけれど。ただそこにいてくれるだけで未玲は気分が安らいだ。ほんとう、助かるよ……。
でも、あたしは。あたしの我がままでもいい、心から向き合いたい誰かが確かにいる。でも今は。正直今会ったら、自分でもワケがわからず、途端におかしくなりそうな自分がここにいるんだ。だから、ごめん。未玲ははにかむように、ふと微笑んだ。何かが確かに開けていくような感覚。その光の先にいるナミ、あんたにあたしは。
でももう、遅いのかもしれないよ……。
それでも、未玲もあたしも“その瞬間”まで、鏡の向こうの誰かがクスッと意地悪く微笑ったのに、まだ気付いてなかった。
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