第三章 想い人
1. 月のまぼろし
「それって一期の一話じゃない? うひょー既に懐かしー」
普段たむろしている、専門学校時代からの友人、斉木
「ねぇ未玲、二期の
風呂上りのスタイルで半ば興味本位に訊く桐子のその問いには答えず、再び画面に乾いた視線を戻す。そして不意に呟く。
「……嫌いなんだよねー、あたし」
「へ?」
ぶすっとした表情を膝の上に乗せ、床の上にしゃがみこんだ未玲。その眸は画面に映っている二次元のアニメを見ているようで、その実何も見てはいなかった。ルミナス、瑠美那、ツクヨミ? ばっかじゃない――あたしが嫌なのは……別にアニメそれ自体とか、いい歳してアニメに夢中になるオタクと呼ばれる輩たちじゃない。相変わらず未玲は醒めた眼線で画面の向こうの何かを眺めた。
本気で登場キャラ達とかに感情移入してしまえるヤツら……。
まあ、それはあたしも同じか。正確には“同じだった”。だけど――。
「ごめん、桐子。もう寝るわ」
プチッとリモコンで電源を落とすと、未玲は勝手に桐子のベッドに潜り込んだ。
*
“その瞬間”のことは、何も覚えていなかった。
ただあたしは、最後までぼぉっとした頭で閉幕時、興奮冷めやらぬ溜め息のような女の子たちのどよめきと、いつまでも鳴り響く拍手の音を聞いていただけだった。イベントは第一期の最終回上映と、それに続く第二期のプロモーション映像上映、そして出演者のトークや主題歌アーティストたちのオンステージと、いかにもありがちな内容だったようだ。
それでも、そこはルミナス・コード――決してタダでは起きない。そのありきたりのステージにさえ、尋常でない生感覚(当たり前だが)が宿っていたのは、さすがである。
……いや、それだけじゃない。少なくとも、こうして"ルミナスの宣託"を受けたあたしには。それは言葉ではなかった。そう具体的な言葉が何かあるわけではない。けれど……。
何だか寒気がした。いや違う。むしろ身体は少なからず熱く火照っている。頭の中心が真っ白に灼き切れそうだ――“その瞬間”あたしは確かに、絶対零度の焔の中にいた。
そのイベントを終えて、何の変わり映えもしない日常に戻っても、あたしは心ここにあらず、といった感じだった。この感覚を誰かに話したい、誰かと共有したい。話して、それが真実だったのか自分自身でも、もう一度確認したい。何だかそんな衝動に駆られた。
けど、あたしがオタだってことは家ではともかく、会社の誰にも話していない。当たり前だ。さしあたって話す必要なんかないからだ。自分がどんな趣味を持っているかなんて、親しい人以外に話す必要はない。それは職場での仕事や人間関係に一切影響しない。つか、どうだっていいだろ、そんなこと――ってカンジ。
そもそも私はアニオタです、なんて不用意に話したら一体どんな顔されるか。これだから一般人ってのは嫌なんだ……そういうのが、あたしたちオタ人間が、まず周囲に対して最初に必ず抱く感想なのだろうが、そういうことより、あたしはともかく「この件」に関しては、できるだけ慎重でいたかった。
そう、それくらい失いたくない大切な趣味なのだから。正直こんな言い方すると自分でも笑っちゃうけど、アニメっていう「文化」そのものをあたしは結局好きなのだ。
だから、というか、むしろ人に話したい気持ちは満々だったりするのだが――だが、それはことごとくキケンだ。海外は基より今や圧倒的に国民的人気を博しているスタジオギブリ作品だとか、かつての懐アニだとか一般人にも割と理解のある、彼らに通用するような話をするのではない。最近では、メイド喫茶などの話題を代表するアキバやコミフェ経由でオタクそのもののや、はては腐女子の存在でさえ一般メディアを介して巷の話題に平然と上るようになった。そして、そういった輩に自らなりきるフロム一般人な人種も多数存在したりもする。いやむしろ、それらオタ人口は日々際限なく増殖し続けている。
けど、あたしは今あたし自身の話をしているのだ。幸か不幸か、この職場にそんな殊勝な人間はまずいない。もしかしたら、あたし自身が変にガードを硬くしているだけかもしれないけど。どちらにしても、だ。だからこそ、そんな危険な賭けを自ら仕掛けてタブーを冒す必要などない。
まったく人と人とが妙な偏見を棄て、真に“解り合う”のって、至極難しいことなのだ。その距離が上手く測れないから、昔々からあたしは、この病を人知れず患っているのかもしれないけど。
何となくだけれどルミナスには昔、逢ったような気がしないでもない。何だかこれって作中の瑠美那みたいだ。結局、瑠美那はルミナスの……。そういう解釈が何度WEB上の掲示板やらアニメ誌やらで、まことしやかに議論され語られたことか。けれど、その肝心の本当のところは、まだ作中では具体的に何も語られていない。それを知るには、多分これから始まる新作の第二期を実際に拝んでみる他はないのだが。
そう思いながら、あたしは依然、霧に包まれたような頭のままで帰宅の途についた。始終ずっとこんな調子で、他のアニメ番組の放送のことなどすっかり忘れてしまっていたかもしれない。
あの時、リーヤが最後に言い放った言葉――未玲……。
結局、彼女にはあの会場で会えなかったけど、どうしてかあたしには決してこれっきり、という気がしなかった。そうだ、きっとあたしは近いうちに未玲と再会する。そんな確信めいた思いにまで支配され――、あたしはあのイベント会場の熱気にでも中てられたのかと思った。でも、確かにそれは、単なる
瑠美那が名付けた、ルミナスという彼に捧げた名前……それが奇しくも自分自身の名と同じであったことは、単なる偶然だったのか。“光”は“光”に惹きつけられる……だから。そして闇夜もまた、陽光を恋しいと思うのは、至極自然的な摂理であるのかもしれなかった。だから、こんなに懐かしいのかな。
けれどルミナスと瑠美那の真実に目を向けるならば、むしろそれは、恋人とか単なるパートナーの域を脱し、いうなれば肉親的な関係性、親和性にまで達していたのであるのだが。
*
『ビンゴ……! 決まり、ですね』
弾むような含み笑いするような、そんな嬉々とした女の声が携帯越しに鼓膜に伝わってくる。
「で――無論、“彼女”には話したんだろうな?」
『いいえ、まだ……でも、いずれ判ることでしょうから、特には』
昨日の例のイベントは、滞りなくすべて終了した。ほとんど付け焼刃で仕上げたような新作映像も、スタジオのアニメ制作スタッフが優秀だったおかげで、それなりに見栄えのよいものに仕上がった。だがまだ、すべては始まったばかりなのだ。
「まったく頭が下がるよ、お前さんのその相変わらずの放置プレイには」
『ふふっ、竜崎さんほどの鬼畜ではありませんよ――』
そんなまぜっかえしたようなやり取りの後しばらく会話が続き、おもむろに竜崎と呼ばれた男はふと右手に持っていた携帯を左手に持ち替え、小声で呟いた。
「ところで例の一件は、滞りなく進んでいるのか……?」
『――ええ、近いうちに。準備が整いさえすれば、すぐにでも』
すると翳り始めた夕闇の部屋に沈んだ竜崎の表情が、俄かにほくそ笑み、続けた。
「ふっ……スポンサーさえ手に入れられれば、こっちのもんだ。祭りはすぐ始められる、というわけか」
『祭り――マツリ、ですね。それさえ上手くいけば……』
いつになく、どことなく不安げな彼女の声が携帯越しに響く。
「……春の到来はいつしか雪解けから始まり、冬の鬱積を忘れさせる。植物が芽生え花開く増殖のスピードは、夏至を迎えても容易には終わらない。そうだろう、円城寺君」
まるで意味不明の呪文を唱えているような竜崎という男の言葉。それでもその女――円城寺冬華には、その言葉の真の意味が手に取るように理解できた。
『そう、だからこそ私たちは、ルミナスの――そして瑠美那の、』
「……そうだな、
女に、そう誰に語りかけるでもなく竜崎は一人ぽつりと呟いた。
…………
………………
…………………
そうか、そうだね。
『だから、あたしたちは、“この海で”出逢ったんだ――』
*
「どうして、
いきなりそう切り出された途端、あたしは徐に思わずアイツに食って掛かった。
「……お前は気付いているはずだ、既に事が始まっているということを――それが証拠に今目の前に私がここにいる」
そ、そりゃそうだけどさ……確かに得体の知れない不安はずっと続いていた。あの日、コイツと出遭った瞬間から。でも、だからって……。
「――お前にはすまないと思っている……だが、これは運命なのだ」
「ちょ、何よそれ……ッ」
けど、伏せた後に凛とした強さまで伴い見開かれた眼差しに、また身動きが取れなくなる。
うんめい、ね。なんて都合のいい言葉なんだろう。久々に姿を現したアイツを前に月明かりに照らされながらあたしは、不思議に切ない気持ちに支配されていた。そう、あたしはいずれコイツの言葉を受け入れる。受け入れてしまう……不思議なくらい快く。
自分でもどうかしてると思う。だから今驚きを隠せずに、こうして精一杯反論してる、自分自身に。この得体の知れない、ワケの解らない、愛おしさにいつしか飲み込まれてしまうんじゃないかって。つまり、そういう漠然とした不安。
「で……、あたしは、あたしたちは一体どこへ行けばいいのよ?」
怒りとも戸惑いともつかぬものがないまぜになった身体の震えを抑えながら、あたしは訊ねた。
「わからない。だが、差し当たっての目的地である行先は“アマテラス”だ」
「アマテラス――」
そこは先日、黎司叔父さんが旅立ったばかりの場所だった。考えてみればアマテラスは、あたしの生まれ育ったもう一つの故郷でもある。でも“ルミナス”が言っているソレが、必ずしもこのイザナギの首都である巨大ドーム都市を差しているわけではない、ということを悟るのはもう少し先の話になる。
「正確には、我々は一つ処に留まってはいけない……なぜなら、」
傲慢そのものの太陽神の面影は、その表情にはない。整った顔立ちにさっと翳りが走る。伏せた睫毛の先の僅かな陰影に、とくんと心臓の鼓動が高鳴った。でも、それも一瞬だった。次の瞬間キリリと解き放たれる言葉。
「――龍神を……ダークホライズンを、この地に呼んではならない!」
それはいつだったか『全ての諸悪の根源であるガイアの息の根を停めねばならない』と、宣げた時の強く厳しい瞳だった。ぞく……、思わず背筋が寒くなるほど、それは冷たく凍り付いた決心だった。
*
だがあたしの、あたしたちの決意は脆くも崩れ去ることになる。
いや、それはアイツと出遭った以上、簡単に崩れるはずもない運命上の単なる一時的な突発事項だったのかもしれない。第一龍神? ダークホライズン? 矢継ぎ早に放たれる単語についていけない。しかし、そんな程度の驚きはアイツに出遭った時点で既に消化済みのはずだ。そもそもそれはヤツの行動原理であるところの願いとやらに、間接的どころか直結することなのだろうか。
でも、確かに何かの危機が迫っていることだけは、アイツの表情の厳しさからも読み取れた。ほんとにあたしは、どうしたらいい? 穏やかだった海が、いつしか荒波を立てるように、俄かに変貌しつつある、あたしの運命。何かに、そう得体の知れない何かに人知れず巻き込まれていきそうな不安。それでも……。
あたしはやっぱり、アイツのことを。
そんな中、翌日あたしはいつも通りに登校した。叔父さんが旅立ってから早くも二週間が経っていた。いつも通りのクラスメイトとの会話。そしていつも通り始められる退屈な授業。けれどそこに怪しげな不確定要素、イレギュラーが潜んでいることに、あたしはまだ気付かなかった。
三時限目は歴史。それは、あたしの叔父さん島嶺先生の替わりに赴任してきたばかりの例の草薙先生の授業だった。
「……かつて日本をフォッサマグナで東西に分断し海底に沈めてしまった大地殻変動は、代わりにアマテラスという箱舟を我々に授け、イザナギというこの新たな海洋国家をここに生み出すに至ったのです」
何度も聞き飽きたこの国の歴史。それは今更、勉強する必要性もないほど、あまりに当たり前にあたしたちの意識に染み込んだ一般常識だった。
「確かにこれは当たり前すぎて特に復習する必要もなさそうな私たちの国の史実ね。でも今だからこそ、もう一度復習して欲しいの」
今だからこそ……思わずアイツの顔が浮かんで心なしかびくっとなる。
草薙瑞穂――彼女は島嶺先生、叔父さんの大学の後輩だという。確かにこの学校は天照大の付属高校だから、そこから叔父さんの替わりに赴任してくるというは至極自然な流れだ。でも、そこに確かに潜んでいる本当の事実。そもそもアマテラスはどうして、ここ沖縄の地にこの天照大付属高校を作ったのだろう。突然降って湧いた疑問に、あたしは不意にテキストから顔を上げた。
その視線が教壇の上の草薙女教師とぶつかる。いや、正確に言うとあたしの視線は捕らえられたのだ。ふと、にっこり微笑うこの得体の知れぬ美貌の持ち主に。
「……さん、金城さん」
「え、あ、はい!」
一瞬、あたしは不思議な幻の中にいた。そこから脱するのに数秒を要したあたしは、自分の名前を呼ぶ声に気付くのにも数秒遅れた。いや、なんだか随分長い時間が経っていたような気もする。そして慌てて叫んでいた。
「ふぇっ!な――なんとかなるなるッ」
途端にどっと湧く教室内。
「どうしたの? もしかして居眠りしてた?」
「い、いえ! ちょっとぼうっとしてただけです、すみません」
顔を真っ赤にするあたしに、再びクラスは偲び笑いに包まれた。でも、思わず全身を包んだその羞恥と困惑とが、あたしの意識を弛緩させたのだった。
「……じゃあ、質問に答えて――金城瑠美那さん、確かあなたはアマテラスの出身だったわね。アマテラス建設に多大なる貢献をしてくれた超大国、神聖ガイア。じゃあガイアは何故、この海洋国家イザナギの建国に力を貸してくれたのかしら?」
そんなの答える間もなく回答が既にテキストに用意されている。ガイアはかつて今はなき合衆国の米国と盟約を結んでいた経済大国であった日本を蘇らせるべく、あくまで人道的観点から私たちの国を救ってくれたのだ。そして日本は文字通り海洋国家イザナギとして生まれ変わった……むしろ海があることが、あたしたちにとっては幸いだった。
「それはイザナギが、かつての日本がガイアにとって必要な国だったからです。アマテラスに住んでいた頃、叔母さんや伯父さんがそう教えてくれました」
「そう。あなたのお父さんは……」
ふと淀む声色。おそらく黎司叔父さんから聞かされていたのだろう。あたしの心は不意に今は亡き父さんへの思いにさまよう。
「ごめんなさい――席に着いていいわ」
一体どう必要だったのだろう。着席してから、あたしはしばらく先程の質問内容について思いを巡らせた。こんな風に思ってしまうのは、やはりアイツと出遭ったからだ。アイツはきっぱり言い放った。イザナギはガイアに支配されているのだ、と。
表面上はそんな素振りは全く見えない。むしろイザナギは以前のようにガイアと同盟関係を結んでからというもの、目に見えるように復興し今新たな国づくりを推し進めている。磐石なる大地、国土を失った代わりに各地を結ぶドーム都市は、文字通りの海洋国家としての役割を十二分に担っている。文字通りの繁栄が約束された未来。だけど……。
*
『月の光は正直苦手だ……』
……ふと、そう搾り出すように言葉を漏らした太陽神の瞳は、確かにいつになく心なしか苦しげに切なげに揺れていた。そもそもなんで、アンタは満月の夜しか姿を現さないのよ、と何気なく、いつもの調子で憮然と振舞うアイツに対する、あたしの当たり前の接し方で言葉をかけた矢先だった。
不意に突然また表れる、あの淋しげな瞳の色にドキッとする。
まるでそれは、あるはずのない幻の月の海のようだと思った。それはまるで何か、あたし自身の中のどこかで眠る傷の痛みをよみがえらせるようだった。だから、苦しいんだ。何かがどこかで疼く。実体のない、儚げな眼差し。水を湛えているわけでもない、どこかもどかしい、その渇いたまぼろしのような眼差しがあたしも辛かった。
今は月明かりの中でしか、その実体を現せないアイツ。しかも一月に一度の満月の夜。そして次の満月の夜には、早急にこの沖縄を離れ出発するという。本当は何処へ? その真の目的がどこにあるのか、あたしには皆目見当もつかない。ただ一方的に、あたしに力を貸せだの、望みを叶えろだの……。
挙句の果てに、来月にも一緒にここを離れるだなんて。今更だけど、あたしはさ、母さんの生まれ故郷のここ沖縄が大好きなんだよ。もう一生ここで暮らしてもいいとさえ思うほど。まさにあたしにとっての理想郷“ニライカナイ”。なのに――ね、瑠美那は将来、一体何になりたいの? あたしはさーやっぱりアマテラスに行きたいなあ。そんで自分の生き甲斐見つけたいの!勿論、愛する旦那様とかもねっ。おいおい、自分ちの神社はどうすんのさ。そんな五月との他愛ないやり取りをふと思い出す。そうか、アマテラスはあたしの故郷……でも、何だか嫌な予感がする。どうしてだろ。ねぇ、その
そんな何気ない日常のさなか“それ”は、突然起こった。
*
「――“アマテラス”は、どうして滅んだのか知っているかね?」
「そんな古の
「ははは、その昔、日神は女神でなければならなかった。だからこそ疎まれたのだよ」
無機質なドーム都市には似つかわしくないアンティーク調の執務室兼、研究室で初老の男が笑った。アマテラスという古の女神の名を戴いたこのイザナギの首都である巨大ドーム都市。その闇に沈む二人の会話は、どこかしら世界の秘密を紐解くもののようであるかのように、ひっそりとした密約の静寂に包まれていた。
一人はこのアマテラスの中心部に位置する天照大の大学教授、海堂道彦と、そしてもう一人は。
「ところで島嶺君、“彼女”は元気かね?」
「ええ、そりゃもう――憎たらしいくらい健全な南国の太陽をたっぷりと浴びて、ね」
テーブルを挟んで対峙したソファに身体を沈める男は、浅黒い髭面を撫でながらニヤリと笑う。
「……だがもう」
おそらく“出逢っているんだろう”かな――島嶺と呼ばれた男は、しばし沈黙に包まれた。
何しろあいつの親父と俺は、心底並々ならぬ関係だったからな……親友? そんな生易しいもんじゃない。どうでもいいが太陽ってのは、どうしてああも小憎らしいんだ。別に頼んだわけでもないのに朝になれば、ちゃあんとその季節毎の時刻に律儀に東の空に昇ってくる。俺はまだ暗黒モードのまま、あそこで不貞寝を決め込みたかったってぇのによ。なのにあいつときたら、俺を無理やり明るい朝陽の中に連れ出しやがった。ったく思い出すだけで反吐が出るぜ。
「月は日の映し身――でも、どうして月の神は海神でもあったんですかね」
「イザナギもイザナミも……そう、かつては海蛇の化身だったようだ」
「イザナギ、イザナミ――アマテラス、そしてツクヨミの生みの親、ですか」
こりゃ大蛇様が迎えにくるのも時間の問題だな。そんな切迫した案件を目の前のコーヒーカップの中の冷めた黒い液体とともにのほほんと飲み干すと、島嶺は言葉を継いだ。
「……確か明晩は満月。それも沖縄本島では皆既月食。文字通りの祭り、ですか」
浅黒い顔を一層強張らせながら、だがその眸は確かに一瞬ギラリと光ったようだった。
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