3. 選ばれし少女


 それでも、やっぱり昼間の出来事が頭から離れなかった。正確には夕暮れ時、だったけど。


 なかなか寝付けないままに、あたしは自室である屋根裏部屋の窓を開け放した。それなりに海岸からは離れているっていうのに、それでもここまで潮騒の音が微かに響いてくる。それに火照った頬をくすぐる熱い微風にさえ、しっかり潮の匂いが染み付いている。


 やっぱりここは沖縄なんだ。ニライカナイのドームで暮らしていれば、こんな熱気を肌に直に感じることもない。それくらいドーム都市というのは快適なのだ。でも、それって何かが違う気がする。なんだか全然沖縄っぽくないよ……あたしはこの潮風とか波の音が好きなのに。ニライカナイの人工の日差しの中では、陸上部での健全なはずの活動も何だか嘘臭く感じてしまう。本物の汗ばんだ気配。それはやはり自然の風の中にしかない。まぁそれでも温度や湿度の設定は、かつての沖縄並にしてあるんだろうけどね。


 そんな風に取り留めなく無意識のうちに駆け巡る今日一日。その中でも脳裏に強く刻まれたのは、やはりあの不可思議な出来事だった。


 “あれ”は一体なんだったのだろう。あたしってば、夢でも見てたのかな?

 そう思えば思うほど、決して夢でも幻でもない気がしてくる。今でもまだ全身が震えてる。何よりアイツの眼差しが、強く心に刻まれてあたしを放してくれない。


 そう……あんまり眩しすぎて……。


 満月の光に中てられたのか思わずきゅっと目を閉じたあたしは、我に返って溜息をつくと、「あーもう寝よ、寝よ」何もかもを振り払うようにもう一度ベッドに潜り込んだ。


 ……瑠美那……瑠美那……。

 ――るっさいなぁ……もういい加減寝かしてよ……。


 自分でも気付かないうちに眠りに就いていたあたしは、ふと頭の中に響くその声に悪態をついた。


 ……起きろ、瑠美那。

「ああぁ――もうなんだってのよ!」


 しつこく亡霊のように纏わりつくその声を振り払うように大きく両手を伸ばしてあたしはベッドから飛び起きた。ふと窓の方を見ると、確かに閉めたはずの扉が大きく開いている。……っと。それだけじゃない。そのテラスに腰掛けた長い髪の背の高い男を見て、あたしは思わず腰を抜かしそうになった。


「あっあっあんった……!」


 どっから入ってきた、そう言おうとして、今コイツに掛ける疑問符はそういうことじゃないだろ、と自分で自分に突っ込み、何とか冷静さを取り戻そうとする。


「……まったく、お前は寝起きが悪いな」

 呆気にとられて口をあんぐり開けたあたしを余所に、涼しい顔をして腕を組んだ"太陽神"には、それでもどこかに違和感があった。


 そう、影がないのだ。まさか幽霊じゃあるまいし……。照明を消した室内には、満月の月明かりが大量に差し込んでいるのだが。昼間の時とはまた別の意味で、まるで場違いのようなふわふわとした違和感。……違和感といえば、今この時のコイツには、あの時のような矢のような眩しい後光がなかった。


「それはそうだ。あくまでこの姿は仮のものだからな」

 相変わらず平然と口を利くヤツに、あたしは開いた口が塞がらないまま、ただ口をぱくぱくさせていた。それでも、そいつは続けてこう言った。


「さっきお前から貰った生命エネルギーで、こうして何とかかつての姿をよみがえらせているのだ――」

 いけしゃあしゃあと告げるその言葉を聞いて、何だか冗談じゃないという気になってくる。

「何よそれ!あたしから何を貰ったってぇ?」


 思わず突拍子もない声が出る。一度も会ったことのない、得体の知れないこんなヤツに……。

 しかし、ぷるぷる震えながら拳を握り締めるあたしに、ふぅと溜息をつくと、


「大丈夫だ――貰った力は後できっちり返してやるから心配するな」

 あくまで、あたし以上の冷静さで答えた。それより……。


 誰よ、あんた。根本的なその問いを訊ねそびれたあたしは、まだその場にもどかしく膠着していた。第一なんだってこの幽霊もといおかしな太陽神は、あたしなんかの傍に現れたんだ。神話の神様の御神託じゃあるまいし。そんなあたしの素朴な疑問を余所に、目の前のコイツがまた喋った。


「初めまして……と言いたいところだが――残念だが生憎と自己紹介する名前がない」いや、思い出せないだけ、か……。え?


 ふと漏らしたその言葉尻に浮かんだ、心なしか哀しげなその翳りをあたしは見逃さなかった。そしてまた、あのワケの解らない切ない感情が湧き出してくる。でも、それもほんの僅かな瞬間だけだった。


「まずはお前のその疑問に答えてやることとしよう――ついて来い」

 は? その言葉にきょとんとする。見ると次の瞬間ヤツは窓の外へとひょいと身を乗り出した。いや浮かんだ、といった方が正確か。


 はあぁ――?

 続いて次の瞬間、自分の身体が得体の知れない光に包まれ、浮き上がったので気が動転した。


「ぎゃあぁぁぁ――!!」

「でかい声を出すな、集中力が乱れる」


 いつのまにか太陽神は、月光に包まれたようなあたしを抱いて、その口元を大きな手で塞いだ。そして、そのままどんどん夜空へ上昇していく。夢だ、絶対これ悪い夢だわ――相変わらずあたしは、今目の前で起こっている現実を、ヤツの腕の中でジタバタしながら否定し続けた。


 どこまでも澄み切った、頬に触れる夜風が心地いい。っていうか、あたし浮いてる、飛んでる!


「あれが何だか解るか?」

 しばらく上空に停滞した太陽神が、おもむろに口を開いた。


「何って月に決まってるでしょ?」

 その指先が指し示す先で煌々と闇夜を照らす満月を見て、あたしは憮然として答える。

「そうだ、月……太陽の光がなければ輝けぬ存在だ」


 何言いたいのさ、コイツは。そう思いながらも、ヤツの言葉に耳を傾ける。

「お前は知っているか、この時代、“この国”が今まさに置かれている状況を」


 そう言われて思わずついこの間独立したばかりのこの国、イザナギについて思い返す。確かに今この国はこれ以上ないほど平和で豊かだった。でも、それってあの世界の混沌を潜り抜けた賜物ってやつじゃない。


「いいんじゃない? やっと各地のドームも完成したし、ほんとようやく本物の平和が戻ってきたってカンジ」

「馬鹿か、お前は――ッ!」

 その強い叱責の言葉にびくっとなる。


「お前は何も知らないのだ。今この国イザナギは、畢竟あの月でしかないのだという真実を」

 そして、次に発したその言葉の激しさに、あたしは殊更に身を震わせた。


「ガイアは必ずや滅ぼさねばならぬ――倒さねばならぬ、諸悪の根源!」

 

     *


 部屋に戻って眠りに就いたあとも、アイツの話が頭から離れなかった。なんだよ、第一全然答えになってないよ……言ってることが全然わかんないし。


『お前は選ばれた人間なのだ――そう、この私に。いや、かつての日本という、このまほろばの国に……そしていずれ、私の望みを叶えて貰う』


 勝手に決めないでよ、それにあんたの望みを叶えるって、このあたしに一体何ができるっていうの。あたしは見ての通り、ただの一女子高生、金城瑠美那なんだから。


 でも、心のどこかに引っ掛かってる。このイザナギがガイアに操られているだなんて。確かに海の向こうの大国、ガイアの力がなければ、こうして日本は生まれ変われなかった。あたしたち日本人は救われなかった。それに例え民族の違いはあるにせよ、同じ人間じゃない……それを。


 それより何より、唐突な話である。アイツは――突然あたしの目の前に現れたアイツは、無責任にも何の関わりのないあたしに力を貸せ、だなんて言う。意味がわからない。何より有無を言わせぬ、高圧的なあの態度が気に食わない。ほんと冗談じゃないよ!


 だけど……。


 何かが引っ掛かる。ふとした瞬間に翳るアイツの眸。やっぱりどこか似てる……あたしの父さん、に。会ったこともない人に似てるだなんて、確かに何だか変な話だけど。でも、確かにそう感じるんだ。それは遠い、遠いまなざし。


 そういえば、何でアイツは自分のことを話さないんだろう。っていうかあたし、どうしてアイツと当たり前のように話してる自分を変だと思わないんだろ?どうして少しも怪しいヤツだと思わないんだろう。最初に出遭った瞬間とはまるで違う、ふわふわした弱々しい月光――太陽神らしからぬ、蒼い陰みたいなアイツをのことを。


     *


 翌日、いつもと変わらぬ平穏な朝を迎えたあたしは、いつもと同じよう制服に着替え、学校に通うため支度を始めた。


「ねぇ瑠美那、昨日は一体どうしたの?」

「え?」


 朝食時、何がしか、ぼうっと考え事をしていたあたしに、唐突に母さんが尋ねた。目の前のTV画面には、ついこの間、首相に就任したばかりの御統総理の会見が映し出されていた。


「――なんでもないよ。偶然、黎司叔父さんとばったり会っただけ。ただそれだけだってば」

 あたしは、半分笑いながら答えた。


 別に嘘をつくつもりじゃなかった。だけど、それにしたってあんなこと、普通に話して誰が信じる?突然、太陽神が目の前に現れました、だなんて。それでも母は心配そうな顔を隠さない。


「実は、その黎司兄さんがね、来月アマテラスの本庁に転任になるんだって。だから、あんたのことが心配で……」


 ああ、そうか。島嶺の――これまで、いつかはと何となく思ってはいたことだけど、それでも実際その時が来ると何だか淋しい。叔父さんの授業、面白いってクラスの皆の間でも評判だったのに、残念だな。というか、それだけじゃない。実際叔父さんは学校の人気者だった。あの飾り気のない叔父さんの気さくなさっぱりした気質は、ほとんどの生徒に好かれていた。それに、加えて誰にでも隔たりなく優しいしね。


 でも、そういえば、昨日は特別何も言ってなかったな。何の変わりのない、その優しさ。

 

     *


 相変わらず、ぼうっとしたまま、自転車のペダルを踏んだ。――"アイツ"はまたあたしの前に現れるって言ってた。何だかまだ釈然としない。そのせいで、いつもの調子が出ない。ナンクルナイサ、なんとかなるなる!でも……今回ばかりは、ちょっと、ね。何かがどこかで怖い気がして――本来の自分が、いつかどこかで覆されてしまう気がして。


 そう、あたしは同時に感じていた。いつしかアイツから離れられなくなってる自分を。何だかすごく気になる……それに、なぜだか忘れられない。自分の名前がないと言った、アイツの淋しそうな瞳の色を。


 学校に着くと、昨日と変わらない教室のざわめきが、あたしを出迎えてくれた。

「おはよ、瑠美那――昨日はどうしたのさっ」

 鞄を机の脇に掛けると同時に、前方から元気よく声を掛けられた。


「あーおはよう五月。ごめん、用事で部活休んじゃって」

「あそっか、昨日はお母さん迎えに行く日だったかぁ――毎月お勤め、御苦労さん」

 そう弾む声で茶化すのは、クラスメイトで同じ剣道部所属の藤宮五月とうぐういつき。彼女は、あたしの気の置けない大の親友でもある。


「ねぇねぇ島嶺先生、来月アマテラスドームに転任になっちゃうってホントなの?」

 すると、すかさず背後からそんな会話が聞こえてくる。

「えーショックぅ」


 確かにちょっと淋しくなるな……それは、何も身内であるあたしだけじゃなかったんだと、今更ながら思う。でも、叔父さんの大学での研究のことを思えば――と考えながら、そういえば、あたしだけが知ってるような気がしてたけど、実際あたし自身、叔父さんの大学での詳しい研究内容について何か知ってるってわけでもないっていう事実を今さらながら思い知る。


 ……十種の神宝。いつだったか、ふと黎司叔父さんの口に上った、例のフレーズの一部が脳裏に呪文のようによみがえる。なんだろう。たぶん、考古学か何かの研究?


 またしても思案モードになる。ここのところ、何だかぼーっとしてばかりだ。

「きりーつ、礼!着席」


 すると、いつの間にか教室の騒がしさがやんで、教壇の上に立つ担任教師の島嶺先生――そのあたしの叔父さんのよく見知った顔が、まるで寝起きのようにぼんやりしたまなこを出迎えた。


「既に知っている者もいるかと思うが、先生は来月で本校を辞めることになってしまった――だったんだが」

 その瞬間、えーっとか、島嶺センセやめないでぇーとか、特に女子の声があがる教室内。


「――申し訳ない。実は理由あって転勤が少し早まってな……」

 叔父さんこと島嶺先生は、途端に頭を下げた。

「……来週にも、向こうへ赴くことになってしまった」


 その新事実を知った途端、もはや教室内は阿鼻叫喚の嵐であった、特に女子の。あたしは別の意味で驚いていた。あの叔父さんが、あたしに時前に何も言わずに――そして少しだけ淋しくなった。確かに仕事のことだし、何か火急の事情があるのかもしれない。だけど……。


 ――誰にでも、突然の別れはあるものだ……。えっ?


 突然、頭の中で誰かが囁いた。まさか。アイ、ツ――。

 それでもなぜだか、その言葉の持つ意味が少しだけ解る気がした。特に生まれた途端に、父さんをなくしたあたしは……そしてもしかしたら、アイツ自身も?


「しかし、こちらへはまたそのうち、ちょくちょく戻ってくるさ。何しろ俺は生粋の沖縄人だからな!」

 お茶目にウィンクする叔父さんに、はたまたあがる黄色い女子の声。あたし自身はといえば、それを聞いて少しだけ安心する。


「それはともかく――新しい担任教師を紹介しよう」

 黎司叔父さんの目線の先に皆の視線が集中する。そして教室の扉が開き、入ってきた一人の美人教師。

「初めまして。草薙瑞穂と申します」


 その美貌に思わず教室中が静まり返った。そして、あちこちで漏れる溜息。こちらは主に男子生徒たち。

「草薙先生には来週から、このクラスの担任を受け持ってもらう。担当科目は歴史だ。とりあえず今日は見学ってことで、よろしく頼む」


 それから早速、教室は数学の授業に入った。


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