3. オタクの見る風景
近年、あたしを久々に夢中にさせた作品がある。
それは言わずと知れた、スタジオネプチューン制作の『ルミナス・コード』である。監督の竜崎作品としては、これで三作目か。副監督作だった『ガイアギアス』、そして続く初監督作品の『アクエリアン・サーガ』。同じくネプチューン制作作品の『アーケイディア』。どれもそれぞれの味があって面白かったが、このルミナス・コードは、どこか何かが違っていた。
本当になんだろう、この気持ち――それはさしずめ“恋”という言葉のような。そうか、こんなあたしもいっぱしの乙女だったというわけか。そんな風に自分を俯瞰し茶化している暇も碌にないほど、あたしを虜にさせた一人の男。はは、そうだよ。相手は見事に二次元のアニメキャラ。だが、確かにコイツは生きている。生きてここで呼吸していると感じる。単純に声を当てている声優のせいなのか。確かにキャラクターに命を吹き込む職業、というフレーズは声優の代名詞だけど。
だが、それだけではない不思議な何かが、このルミナスにはあった。
その射抜くような灼ける瞳の引力が、やけに心を熱くさせる。
けど、基本的にはどこまでも我がままで唯我独尊。誰がなんと言おうと我が道を行く、という性格がいただけない。それでもコイツのそんな不遜な態度がまたよいという感想もよく見かける。でも、こんなやつ本当に現実にいたら、あたしは絶対に願い下げだな。そう薄ら笑いを浮かべながら、さっき届いたばかりのイベント詳細通知の封筒を開いた。そこには一期のお決まりの文句、本作品「ルミナス・コード」のキャッチコピーが踊っていた。
『あなたのために誓約します――』
そうなんだ。うん、あたしは結局この一言にやられたんだろうな。今の時代、絶対に日常会話なんかには飛び出さない古風な台詞。ある意味、中世ヨーロッパか何かの時代の文句みたい。そこにはガイアギアスの男臭さやアクエリのクールさなどとはまた違った何かがあった。
あ、そうか。考えてみれば、これって結婚……の言葉が出掛かって、あたしは唖然とする。常日頃、うるさく親から聞かされていた二文字。まだだまだだと思いながら、世間的に考えても、それなりに意識を刺し貫かれ続けていた忌々しいあの言葉。
なんでこんな所で――そう思いながら、あたしはかぶりを振った。
そうそう、それどこじゃないんだったわ。
――『ルミナスコード・スペシャルイベント! 見事当選されました会員様には、本イベントのチケットを同封いたします。ここでしか見れない聞けない、あれやこれやにあなたの目は耳は釘付け――まさに世紀の人気アニメイベントがここに開幕! 主催:スタジオネプチューン MCXテレビ 後援:フォーチュンヴィジュアル シャインプロモート』
……ったく、竜崎氏も偉くなったもんだなー。十代の頃から氏が関わった作品を見続けてきていたあたしは、このこれでもかとデカデカと銘打たれ、数々の社名の綴られた記事を眺め回して、しみじみとした感慨に耽った。
どちらにしても、賽は投げられた――。
まさに出たとこ勝負の一〇万分の一の確率。仮にルミナスのファンがそれくらい、いたとして。『賽は投げられた』? でもコレ一体どういう意味なんだろう。この最後の一文に少しだけ引っ掛かったが、そんなこと気にしている場合じゃない。
――『うへー当たったのん? お宅スゲーじゃん』
――『あれって会員じゃないと当たらないんだよね? やっぱりアタシも入会しとけばよかった』
――『ルミナスの中の人も当然来るんだよねー』
――『俺ぁ、瑠美那役の水澤ひとみタンに会いてぇ』
そんな会話を数々のネット掲示板などで日々みかけるようになり、否応なしに期待と胸の鼓動が高まる。
そういえば、神代未玲って。同姓同名にしては……かなり珍しい名前だしね。あたしの心には、やはりあのルミナス公式サイトのスタッフクレジットが焼きついていた。見間違い、じゃないよね。それは何度も確認したから、あたし自身の目の錯覚ってわけじゃない。
未玲――まさか、ね。
それでもあたしは、半分はその事実を確かめるために、その都内イベントに足を運ぼうとしていた。
*
「海神―wadatsumi―」……ルミナス・コード公式FCである。
思えばコレに入会したのが、あたしの運の尽き、いや運命の分かれ道だったのかもしれない。会員には番組詳細情報、そして諸々イベントの案内やオリジナルグッズ販売などの会員特典が与えられる。ここまでは普通のFCと一緒だ。だがルミナスFCが特異なのは、他にはない、その突っ込んだイベント内容にあった。当選者には、制作現場訪問や、出演声優スタッフなどとの座談会などへの参加が認められる。それは勿論、後に発売されるDVDやBlu-rayに収録されるものなので当然、希望者のみだが。
だからある意味で、このスペシャルイベントも、その様相を呈していたのかもしれない。最初は単なるよくある続編発表イベントくらいに思っていたのだが。ところがどっこい、やはりそこはルミナス。なのであたしは、ほんとに当たってラッキーだったと思っている。いや幸運とか不運とかじゃないな。とにかく気になっていたんだ、ずっと未玲のことが。
本当は少し怖い。確かに彼女はマスコミ系の専門学校に通っていたから、同人誌制作経験者ということでも、ある意味で夢を叶えたということなのかもしれない。もし、あのクレジット名が同一人物だったとしたら。だからこそ久々に再会できるかもしれない未玲が、突然遠い人になってしまったようで……。
でも、あたしは行かなきゃ。やっぱり会いたいよ、未玲。
けれど、その時のあたしはまだ何も知らなかった。その、まさかの真実に。あたしが未玲と同様、ルミナスに選ばれた人間だったなんて――。
*
その日、あたしは久々に顔を出したチャットで不思議な体験をした。
そこは、いまや男女問わず人気のルミナス公式サイトのチャットルームである。日々様々な人間が、まるで有名サロンにでも入り浸るように大勢出入りしていた。だいたい世の公式サイトと名の付くものには、掲示板ならまだしもチャットというものが存在するのは、ほとんど稀だった。それは具体的にNGワードが設定されていたり、いちいちサイト管理者の承認が必要だったり、掲示板のように根本的な管理そのものが今の所十二分にできないからなのだが。
だが不思議なことに、このルミナス公式は別物だった。掲示板はおろかチャットまでもが併設されているのに一度も荒らされたことがない。普通、人気作品というと様々なアンチが犇めき、それゆえ翻って、それが人気作の証であるという一つのバロメーターともなっているのだが。単に規制がなく自由でリベラルなのはよいとして、一体どんな仕掛けがあるんだろうか。様々な謎がひしめくルミナス・コード。この公式サイトの一件も、その七不思議の一つだった。
それはそうと、仕事が休みだった土曜のその夜、あたしもいつものように、例に漏れず入室。深夜2時を回った頃から人が少なくなり出した。そして……。
3時か、さすがにもう寝るかな。そろそろみんな落ちる頃だし。と、退出ボタンをクリックしかけた、まさにその時。
――riya『コンバンワ』
相手に合わせ、慌ててキーを叩く。
――namihei『ども、こんばんわ』
――riya『namiheiさん、面白い名前ね。クスクス』
――namihei『あはは、ほとんどギャグですギャグ』
――riya『ルミナス、スキですか?』
――namihei『そうっすねーもう最高っすよ♪』
――riya『それはよかったです、私も大好き』
……と、こんな感じで話題は当たり障りなく進行していく。でも別れ際、あたしたちは実に信じられない約束をしてしまった。それはほとんど、この相手に乗せられてしまったからなのだが。
――riya『namiheiさんは、今度のイベント当選した?』
――namihei『うん、ほんと信じられないくらいラッキー☆』
――riya『実は私も……それで一つお願いがあるんだけど、いい?』
――namihei『え、なに?』
――riya『……私と会ってくれないかな――伊勢崎ナミさん』
……え?
その瞬間、突然相手の声がリアルに頭の中に響いた気がした。パソコン画面の文字から想像していたのは、十代くらいの可愛らしい女の子。でも、その時あたしの脳内に聞こえたのは……。
ぞっとするほど綺麗な女の人の声、だった。
その瞬間、あたしは突然ワケのわからない目眩に襲われ、いつの間にかキーボードの上に突っ伏していた。翌朝目が覚めると、件のチャット画面はキレイに空っぽになっていた。
*
あたし伊勢崎ナミが、この「ルミナス・コード」に夢中になった要因がもう一つある。それは海――要するに海洋都市――が舞台である、ということだ。
子供の頃からあたしは、妙に海という場所が好きだった。つまり海辺。元々海とは縁もゆかりもない内陸部出身だったからだろうか。それだけに子供の頃、夏休みに家族で出掛けた海水浴などが切っ掛けで、それまで普段感じることのなかった海の気配……いつからか無意識のうちに潮風や潮の匂い、潮騒などに殊更に心酔するようになった。夏が終わり冬が来て春が足早にすぎ初夏と梅雨が来て。その雨だれのさなか、どこかで夏の海の気配は少しずつあたしの意識を支配していた。はやくはやく――。それは半ばもう恋煩いのように。
しかし成長するに従い"海"という場所は、次第にあたしから少しずつ遠ざかっていった。
けれど高校時代に未玲というオタ仲間である友人に出合ってからというもの、海は再びあたしに近づいてきたような気がするから不思議である。考えてみれば、年二回夏と冬に開催されるオタクの一大イベントである通称コミフェ――コミックフェスタ――は、開催初期は晴海にある東京国際見本市会場がその舞台だった。そして今現在も場所は違えど、同じく東京湾埋立地である有明の東京ビッグサイトにて行われている。
あれは一体なんなのだろう。なんだったのだろう。元々人ごみは大の苦手だった。そして実際、未玲に手を引かれるまま、高校三年間の夏と冬、足を運んだあの場所。有明に舞台が移った今では、たった一度しか行っていないけれど……もう蕁麻疹が出そうなほど苦痛だった。
それなのに、あの場所の異様な熱気に中てられたのか、今では不思議に恋しいとさえ感じる。そして、そこにもやはり吹いていた、響いていた。つんと鼻腔をくすぐる潮風と、妙に耳について離れない微かな潮騒のざわめきが……。
その友人、神代未玲が第二期の脚本家として(実質的には副シリーズ構成サブ脚本名義だが)名を連ねていたルミナス・コード。これは何かの偶然なのか、単にあたし自身がその必然的意味を頭の中で捻り出しているのか、本作の舞台も海だった。実際に感じることはできないけれど、やはりそこにも潮騒と潮の薫りはしっかり存在していた。まるであたし自身のDNAに必然的に組み込まれているかのように。
……そう。DNA、遺伝子。海って実は、人間本来の故郷とも言えるんじゃないだろうか。いや、実際そうなんだろうけど。だって人間のみならず、生物というものすべて、その
まあ、それでかなんでか、あたし自身が異様に海を恋しいと感じるのは、やはり少なからずそんな理由があったりするのかどうかは――確かに少しばかり出来すぎって気もするけど。それはともかく、本作ルミナス・コードの舞台である、かつて日本だったイザナギの海。もうすっかり四季がなくなり、よいのか悪いのか加速した温暖化のなせる技ということか、そこには珊瑚礁が広がる南海が広がっていた。……いや、違う。そこはもしかしたらもう、地球じゃないのかもしれない。
これが現実なら本当は憂慮すべきことで、ものすごく怖いことでもあるんだろうけど――それでも、あたしはそんな現実離れした美しい海に、とても憧れていた。そう、現実なんて、とうにどこかへ吹き飛んでしまっている。ただ青い海と空だけが、どこまでも広がっている。本当になんなの、これ。何が起こっているの、今。
そして無意識のうちに、あたしはルミナスの
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