2. ルミナス・コード
基本的に、あたしにとっての腐モードは別次元の世界だ。
世間で通用する一般常識からオタ世界へ突入して、さらにもう一段奥まった部分。その禁断の階層、秘密の花園はあたしも、そう何人でも冒せない。でも未玲の場合は、むしろ逆。そういった腐的思考が世界の中心。そして次第に無関心の外の世界へ意識が拡散していくのだろう。そこがあたしと彼女の根本的な隔たりの原因だったのかもしれない。そして、それ自体は至極付随的なハナシで、本当の原因はもっと別なところにあったのだと、後であたしは気付くことになるのだが――。
安泰な昼休みを終えて仕事に戻り、そして内容のあるような、ないような数時間を過ごしてから、ようやく帰宅。バス通勤なので三〇分置きに駅に着くバスの時間を確認してから、早速帰途へ。
バスの車窓から何気なく夕暮れの街を眺めながら、とりあえず無意識の関心事は、今ではめっきり減った夕方の某アニメの録画予約が上手くいっているかということ。そのためアフターファイブは、迷わずまっすぐ帰宅。もう笑わば笑え、の世界である。既にほとんど一般的な三〇代目前の姉ちゃんがやることじゃない。しかし、あたしは元々一般人から微妙に外れてるし。それに勿論オタであることと同義に、それ自体の行為も極自然な、当たり前に流れていく日々の延長線上に当たり前にある。だから別段おかしいとも何とも思わない。
無事タイマーが始動していることを部屋の録画機のデッキ液晶で確認してから、ほっと一息。早速着替えに入る。勿論、パソコンもその時同時に起動させとく。これでとりあえず準備ばんたん。夕食時まで一通りのサイト巡回はまだしも、メールチェックくらいは済ませておく。
あ、無論メールはスパムとその他のポイントサイト関連のメールの仕分けが最初の作業。それから各ポイントメールのリンクをクリック。この辺は別にオタでなくとも誰もがやってて全然おかしくないことだろう。因みに出会い系のスパムはたくさん来ても(ほとんどは迷惑メールとして弾かれてるけど)誰かネット上の知り合いからメールが来るってことも最近では随分と稀になった。勿論、リアルの友達など、いざ知らず。
ああ。未玲のメアドは……メールを送っても返事が来ないことが怖いから、しばらくそのままにしてある。もうとっくにメアド自体変わってるかもしれないしね。
「ナミ――御飯よぉ」
変に間延びした母の声が階下から聞こえてくる。
ほんとは家事でも手伝ってやりたいところだけど、でも実際あたしの出る幕は、ほぼない。ある意味、放蕩娘でごめん、母さん。この穴埋めは、いずれきっちりするから。と、とりあえず心の中で手を合わせてから部屋を出る。
因みにうちは父も母も健在。当たり前だけど。あたしとその両親との三人住まい。4つ下の妹は既に家を出て、今神奈川の大学に勤めてる。そ、あたしとはそもそも出来が違うってやつ。それでも姉妹だけあって一応あれも一種のアニオタだったりするのかなぁ。あたしほど無駄に濃くはないんだろうけど。
居間のTV画面に映っているのは、勿論七時のニュース番組。まちがってもアニメ番組なんかじゃない。第一アニメ自体、近年ではほとんどが深夜枠へと移動している。そのことが指すのは、アニメを見る子供が極端に少なくなったってこと。つまりその大まかなターゲットは――ほとんどあたしみたいな二〇代や三〇代。つまり定職に就き一定の収入があるアニメファン層なのである。無論それはDVDなどの関連グッズを惜しまず買ってくれるから。そして十代ファンもその予備軍ってことで外せない。こりゃあますますオタが棲み易い世の中になっていけねぇや。などと喜ばしいのか悲しいのか、よくわからない感想を思ってみる。
世間一般では、少子化とか結婚しない若い男女の存在が問題視されてるみたいだけど――それがイコール、オタが増えている傾向にあるのと関係あるのかないのか。でも結婚してるオタクも世の中にはたくさんいるけど、ね。下手すりゃ夫婦でアニオタとか羨ましい家庭環境だってあるらしい。そういう家の子供は、やっぱり総じてアニオタくん、アニオタさんになるんだろうか? まあ親がそうなんだから、すべからくそうなるのかもな。ほんとよくわからない世の中になったもんだ。
「ねぇナミ……あんた、つきあってる人とかいないの?」
唐突に母、澄江にそう切り出されて、思わす茶を噴き出しそうになる。
「まさか。何、今さら寝言いってんの」
あたしの性癖は既に知ってるだろうに、この母は。
それでも母のあまりに心配そうな表情にうんざりする。
「実はね、
ほほう――そういうことか。因みに
「で、それとあたしとどういう関係が」
「あんたも、そろそろ……」
という話が始まった時点で、ほとんど真面目に聞かないことにしている。
そりゃあたしだって一度や二度は真面目に考えたことはある。だけど、考えてもどうしようもないことだってある。なのに、まるでモノ欲しそうな顔して、手当たりしだい男あさりしたいとは思わない。だいたい数撃ちゃ当たるってなものでもなし、実に馬鹿げている。実際あたしは友達だって、ほとんどいないしな。そう……未玲以外は。
そんな安泰の孤独の中で、あたし自身をずっと楽しませてきてくれたもの。社会人になって一度離れかけたこともあったけど。そんなあたしを現実ではない麗しい世界に引き戻してくれた作品。――そう、それこそが。
*
ネットの某巨大掲示板にて今、噂になっている事象がある。
それはネット内に闊歩するオタク世界の中で怪情報も怪情報、ほとんど眉唾ものの都市伝説のようなもの、なのだが。
――『一昨年秋、放送が開始され、爆発的人気を呼んだ深夜アニメ「ルミナス・コード」の続編が近く制作されるらしい』ここまではいい。問題はそのあとだ。
――『その総監督である竜崎悟朗は、実は宇宙人である』
あはは、つまんね。
――『エエエどんな面白い続編ですか?』
――『竜崎が宇宙人なら円城寺はネカマとかな』
いかにもネット住人が喰らいつき、好みそうな話題である。ある意味ネタ的に、ではあるが。まああたし自身、そんな噂は箸にも棒にも引っ掛けなかった。そんな碌でもない怪電波もといクズカキコは綺麗にスルーするとして……、それより何より、その『ルミナス・コード』である。
あたし個人としても彼、竜崎悟朗監督の動向は常日頃から気になっていた。それくらい、いまや隠れた鬼才と囁かれ、アニオタの間では絶大な人気を誇る、知る人ぞ知る気鋭のアニメ監督なのである。そうそう、件の懐かしの『ガイアギアス』も竜崎監督参加の作品でした。未玲との懐かしき日々が瞬間、走馬灯のように脳裏をよぎった。でもそれも一瞬の出来事。
実はものすごい美人と噂の円城寺冬華。彼女と竜崎監督が恋人関係(しかも不倫?)……というのは、割とよくある噂である。でもそれにしたって、そんな根も葉もない戯言をまんま信じるなんて、お馬鹿すぎる。中の人――つまり声優自身のプライベートなど問題視しないのと同様、スタッフ間のあいだにどんな関係性があるかなんて問題外、無論ルミナスオタとしては、まさにそんなの関係ねぇ、である。
「どうでもいいけど、早くその新しいルミナス情報でもあげてくれよ」
そう思わず口にした途端、一通のメールが入った。
それはかねてから、いそいそと登録していた「ルミナス・コード」のFCメール。実は近く都内で開催される某イベントがあるらしい。『おめでとうございます。伊勢崎ナミさん、あなたは当選されました』――という地味な文面が、そのモノクロ画面に踊っていた。
どど、どうしよう、当たってしまった。夢じゃないよね。これってルミナスFCからの正真正銘のメール情報だし。決してガセネタでもスパムでもない。けれどあたしは、そのメールに記載されていたリンク先の先行情報の一つに釘付けになった。
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制作 スタジオ・ネプチューン
原案 竜崎悟朗
企画プロデューサー 蘇芳孝臣 進藤芳和 久米昭二
キャラクターデザイン A/R/C メカニックデザイン 佐原秀史
メインアニメーター 大森貴幸 若林聖子 美術監督 栗山義之
脚本シリーズ構成 円城寺冬華 副シリーズ構成 神代未玲
音響監督 平賀光雄 音楽 藤宮みつき
OPテーマ 「Luminous Code」/Luna-Maria
EDテーマ 「光のkiseki」/水澤ひとみ
監督 竜崎悟朗
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数々のスタッフクレジットに紛れ、そこにあったのは、忘れもしない旧友の名前。そう――神代未玲。
*
「ルミナス・コード―Luminous Code―」
地球温暖化の進行した2XXX年。大地殻変動によって北海道と沖縄などの各諸島、富士山頂のみを残し、日本列島が沈没した一七年後。数十個からなる海洋ドーム都市が集まってできた海洋国家イザナギは強国ガイアの支配から独立した――その海洋都市のひとつ、沖縄県ニライカナイに住む女子高生、金城
○海洋国家イザナギ
かつての日本が海洋ドーム都市として生まれ変わった姿。地殻変動によって日本列島全域が海中に沈んだ頃、地球温暖化によって日本海域は熱帯化し、珊瑚礁の広がる南海へと変貌していた。一七年前の大地殻変動から生き延びた人々は難民となり、強国ガイアに従うことで、なんとか自国を存続させてきた。その一七年後、ガイアの科学技術により、海洋都市国家イザナギとして日本は生まれ変わる。
○アマテラス、スサノオ、ツクヨミ
イザナギの三大巨大ドーム都市。それぞれの都市は海中トンネルにて速やかに結ばれている。これら三大都市にそれぞれ付随する五〜一〇からなるドーム都市によって、海洋国家イザナギは構成されている。アマテラスは政治経済など情報処理中枢の存在する文字通りの首都ドーム。スサノオは防衛庁直轄の軍事機能を有する防衛ドーム。ツクヨミは食糧生産中心の大規模な農耕ドーム。勿論それぞれに居住都市機能をも備えている。
○ニライカナイ
一七年前の地殻変動によって本土が没する中、逆に隆起し沈没を免れた沖縄諸島――その沖縄本島に隣接され建設された小規模のドーム都市。かつて日本だったイザナギが独立するまで、日本近海に建設された海洋国家イザナギの中で、その名の通りイザナギの楽園と称され、もてはやされてきた観光都市でもある。元からの南国気質がそうさせるのか、強国ガイアの支配という圧倒的屈辱の中においても、ニライカナイの人々だけは、根っからの明るさを失わなかった。
○神聖ガイア
誰もが予期しなかった、かつての大地殻変動にてユーラシア大陸とアメリカ大陸とが融合した末、その混沌のさなか誕生した一大強国。国家元首はいるが、その実質的な陰の支配者は“白のメシア”と呼ばれる少年リュシフェラス・デュナムである。その地球大異変のさなか、どこから現れたのか、神の仕業の如くの不可思議な神通力を操り鬼道を司るとされる。永遠に歳を取らないと言われ、その存在は神聖そのものの本外不出の身であるが……。その目に見えざる力で神出鬼没の悠久の大国を統治する。
○デュナミス
ガイアの力添えによって新たに国を建てたイザナギが有する特殊部隊イオリゲル・メンバーが持つ力。基本的に相手の心を読む千里眼やテレパシー的な精神感応力であるが、その真価は未だ未知数。本来人が持つ“想いの力”によって、いつ誰が発現するか分からない未分化の力で、能力が能力だけに時に暴走する危険性もあり、それゆえイオリゲルは表向き高度な特殊能力を発揮するエリートとされているが、基本様々な少年少女が集う寄せ集め部隊と揶揄されてもいる。
○アマテラス
生前、皇子であったルミナスの祖国。古来、神話の時代に存在したと言われている幻の国家。未だその所在地は明らかではないが、高天原かつての九州地方であったと諸説あるが推測されているも、ガイアの上層部はその正体が霊界、つまりアストラル体である神人が作った国家だと人知れず突き止めている。
○イザナミ遺跡
イザナギ近海の与那国島海域付近にあるという謎の海底遺跡。ルミナスの意識がランダムに記憶する暗号が鍵となり、幻のアマテラス神殿への扉を開くための入り口でもある。別称、イザナミの海。
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「で――」
TV局からの出向の蘇芳プロデューサーが唐突に口を開いた。
「これら前期の基本情報を踏まえても、続編二期の具体的な方策は未だ決定していないと」
途端に、殺風景なアニメスタジオの一角にある会議室内が微妙に凍りついた。
「例の新人、本当に使えるんですか?」
前期の基本設定以外、無様に空白を晒している企画書(しかも一期叩き台の頃のもの)を前に、制作進行が囁く。
「早晩こんな状態で制作を進められるんですかね。監督が直々に推された神代君は」
「ええ――その件に関しましては、どうか私に御一任を」
中央左席で宙空を薮睨んでいた一人の男。彼こそ本作『ルミナス・コード』監督、竜崎悟朗であった。どの事務所でも禁煙が暗黙の了解になっている昨今、平然と煙草をくゆらせる蘇芳に竜崎は落ち着いた声で言い放った。
「……監督、瑠美那役の水澤君は、既に」
周囲にはばかり皆に聞こえぬよう、小声で制作進行。
「大丈夫ですよ、乙部さん。そちらは私が」
長い黒髪、藍紫のスーツが印象的な美しい女性が傍らで微笑を含んだ声で魅惑的に囁いた。円城寺冬華。本作「ルミナス・コード」の脚本シリーズ構成を務める才女である。竜崎、円城寺両コンビは、近年頭角を現してきた新進アニメスタジオ、ネプチューンの二大柱であり、いまや今現在のアニメ業界において並ぶもののいない時の人となっていた。
その竜崎、円城寺以下、スタジオネプチューンの手掛けるルミナス・コード。前作は主題歌CDやDVD、Blu-rayなどの関連グッズセールスが、ネットをはじめ様々なショップで軒並み第一位を誇るトップクラス。無論オリコン集計も一般アーティストや映画などに届くほどの驚異的数字を叩き出した。大ヒットを記録したその一期終了から約一年後の今春、待望の続編放送も既に決定済みである。
だから、この決定事項は番組プロデューサーとしても絶対に覆せない。
「解ってるんでしょうね、竜崎さん」
「はい、これはビジネスです。私は皆さんを裏切りませんよ。いずれ視聴者であるファンの皆さんにも、満足の行く結果をお見せできるでしょう」
「その自信満々の発言、どうか、お忘れなきよう」
玩具業界から来ているトイ・プロダクツ関連のもう一人のプロデューサー久米が念を押すも、依然竜崎は不適な笑いを浅黒い顔に湛えたまま頷いた。
*
「ああ、そうだ。で、リベルテの上層部は何と言って来ている」
とある雑居ビルの一角にある小奇麗なオフィス。いや、正確には一種のスタジオである。その一室から男のくぐもった声が聞こえる。
『現状を維持――そのまま観察を続けよ、とのことです』
「……あいつらにしては、やけに悠長だな」
男はニヤリと笑うと、傍らのソファに腰掛ける美女にめくばせした。
電話で話しているような、そうでないような。どちらにしても、不可思議な光がその部屋から漏れ出しているのは確かだった。おもむろに通信を切ると、男は改めて女に向き直った。
「竜崎さん……いえ、ヴァルゴ。今回のイベントでは、なかなか面白い子がみつかりそうですよ」
「まったくお前さんには恩に着るよ――リーヤ。というのは、ここでは御法度だったかな」
「ふふ、もし誰かが聞いていたとしても、特別何かを感づかれることはないでしょう」
そう何しろ、この時代は……。誰かが知るわけがない、何一つ知りようもない。そうね、もしそんな存在があるとしたら――ルミナスと誓約した人間だけかしら。リーヤと呼ばれたその女性は、妖しげな微笑みを窓の外に投げかけた。
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