4. 友人の面影


 ふと我に返ると、あたしはイベント会場である都内某所にいた。

 規模的に割と大きめのコンサートなどのイベントによく使われる某ホール会場である。会場には既に長蛇の列が出来上がっていた。ルミナスの会員って一体何人いるの? 結構人来てるじゃない。確か当選者数は……。


 それはそうと、元々人ごみが大の苦手ってことで、コミフェ経験者だってのに時間まで並んで待つのは、あまり好きじゃない。それでも病院で処方された薬のおかげなのか、この手のイベントにも最近では少しずつ慣れてきていた。だいたい高校三年間、何とかコミフェの荒波を乗り越えてきた自分が何を言う。だけどその時は必ず側に未玲がいた。そして今度のイベントも、半分はその未玲と会うのが目的だった。


 だけど未玲……本当にあなたなの?


 半分は、まだ半信半疑。だけど、いくらなんでも同姓同名ってのも。確か彼女は、東京ジャーナリズムなんとかっていうマスコミ関係の専門学校に通ってたんだっけ。学校の専攻からして、その後はどこかの出版社にでも就職できたのだろうか。そのくらいのことも、あたしは何一つ知らない。ほんと、これでも友人って言えるのかどうか。


 そもそも、どうして未玲は突然あたしの目の前から姿を消したのだろう。本当に何の前触れもなく。そのことが今でもずっと心に引っ掛かっている。だから、あたしは、その理由を確かめるために未玲に会おうとしているのかもしれない。そうこうしているうちに列は次第に縮まり、チケットの半券を係員に渡す順番が回ってきた。


「ルミナスの試験会場へようこそ!いや、オーディション、かな?」

「……え?」


 一瞬、あたしの聞き間違いかと思った。けど、その男性係員は確かにそう言ったのだ。しかし他の入場者には、訝しがるような人間は誰一人としていない。


 席に着いて開演時間を待つ間も、先ほど入場の際、係員にかけられた言葉が気になっていた。むしろ、ぐるぐると頭の中を無制限に回っていた。試験って何、オーディションって……? これって「ルミナス・コード」のスペシャルイベントだったよね? 当選した興奮のあまり、きちんと内容確認してなかったかな。まさか、そんなこと。そういえば、よくよく思い出してみると、実際の内容については一切詳細が書かれてなかったような気がする。慌てて郵送されてきた当選通知、そしてチケットを改めて鞄から取り出してみる。


 入場時に配られたパンフレットにも記載されていたが、当日の出演者は……進行役の司会者、MCXテレビの某アナウンサーはともかく。金城瑠美那役の水澤ひとみ、ルミナス役の篠崎聡己、ルミナスの幼馴染であるツクヨミ役の寺嶋彰などの人気声優は勿論のこと。監督の竜崎悟朗、脚本シリーズ構成の円城寺冬華、主題歌担当の男女混合ヴォーカルの人気ユニット、Luna-Mariaなど……まさにそうそうたるメンバーが揃っている。けど、そこには神代未玲の名前はどこにもなかった。


 当たり前……なのかな。もし未玲が副シリーズ構成に抜擢されたとしても、突然こんなトコに出てくるわけもない。無論多分まだ、かけだしの新人だろうし。そう、必ずしもここで会えるとは限らないんだ。でも……。


 そんなことをぼんやり思案しているうちに、いつのまにか開演時間が近づいてきていた。まさに全身を耳にしてコトの仔細を確かめなければ。そう思うと、急に心臓の鼓動がドキドキと早鐘を打ち始める。


     *


『ルミナスコード―Luminous Code―02〜くれない幻影ミラージュ

 その日発表された、第二期正式タイトル。


 思えば本作「ルミナス・コード」の前シリーズである第一期は、沖縄の女子高生、金城瑠美那の力を借り、大地殻変動を経て海洋都市国家となった日本によみがえった古の皇子ルミナスが「世界」を相手に反旗を翻すまでの物語だった。そこに真意があるのかないのか実に解りやすい、その以前は日本であったところの海洋国家イザナギの体制の細胞奥深くにまで入り込んだ大国ガイア――右だか左だかよく解らないけど、こういう毒気テロっ気のある思想をさりげなく盛り込む所などは実に才気あふれる新進気鋭監督である竜崎悟朗氏らしい。


 でもその実、ルミナスとともにダブル主人公の一方である女子高生、金城瑠美那はその毒っ気のかけらもない、実に明朗快活な女の子だ。そんな瑠美那を演じる若干二二歳の今をときめく人気声優である水澤ひとみ。彼女は、まるで瑠美那を演じるために生まれてきたかのような、やはり明るく天真爛漫で輝きに満ちた将来有望な女性声優であり、同時に歌もソツなくこなす文字通りのアーティストでもあった。そう、今風の声優(これは特に女性声優に顕著だが)は、そういった歌方面は勿論、テレビの顔出しなどのビジュアル面での人気も不可欠だった。


 それはともかく、この「ルミナス・コード」はそういった大河ドラマ的な政治要素やメカものアクションもふんだんにありながら、同時にパートナーとして深い絆を築くことになる瑠美那とルミナスの、幾分陰影を含んだ恋愛的な物語展開も、その人気の一端を担っていた。


 そう――その主にルミナスなどの女性ファンの多くを獲得するに至った本作こそは。ルミナスと瑠美那の表面的な恋愛パートのみならず。いやむしろ、この二人の主人公の関係が、あまりに普通ではないためか……? どちらにしても、そういったありきたりな男女間の恋愛関係に飽き足らない人種を、その大きなターゲットとして獲得することと相成ったのである。


 それこそが腐女子……やおいやらBL《ボーイズラブ》やら、男性キャラクター同士の恋愛関係を好む、その女性オタクである彼女ら腐女子が主に餌食とするのは、本作ルミナスコードにおいては、瑠美那というよりは、表面上ルミナスと敵対するツクヨミというキャラクターとの絡みにおいて集約される。勿論、主役級である男女二人の物語展開を含めた間柄も、十分魅力的なのだが。


 他にも瑠美那のクラスメイトである天文部員、石室聡介とツクヨミ、あるいは海賊仲間のアグニとヴァルナというカップリングもあったりするが、やはりいわゆるツクルミ(もしくはルミツク)の最強カプには到底及ばない。……というのが、彼女ら腐女子の総合的な見解なのである。


 そういうニーズを見越してか、はたまたそうでないのか、ルミナスと瑠美那の正規カップリングは勿論のこと、ルミナスとともに女性ファンに絶大なる人気を誇る、ルミナスとは対極にある存在の闇の守護神であるツクヨミという、もう一人の陰の人気キャラクターを生み出したのが、このルミナスコード脚本家である、円城寺冬華の一つの手腕でもあった。


 だから、ある意味で監督の竜崎は、本作で初めてコンビを組むこととなった、女性だからこそ発揮できる、円城寺脚本の妙味に絶大なる信頼を置いているのだ。


 ルミナスとツクヨミという二大人気キャラが意味するもの……。


 巷で今世紀始まって以来?と謳われるほどの人気作となった、本作ルミナス・コードがルミナス・コードである所以――それは多くの女性ファンが、その人気のコアたるものを築いていることにこそあるのだが、美形キャラだけでなく一種の萌えキャラも網羅しつつ、そして作品全体を貫く大河ドラマ的妙味も忘れていない。まるで少年漫画のような王道といえば王道と言えるのだろうが、例えアニメ界といえど、そういった確かな地盤を持つ、時代の空気を読んだ作風が大きなヒットの一因となったことだけは確かなのかもしれない。


     *


 開演直前、緊張する自身の肩を後ろから不意にポン、と叩かれ、あたしは思わずビクッとする。


「あなた、namiheiさん……?」

 耳元に声をかけられた、そのほぼふざけたハンドルネームに、あたしはさらに膠着する。

「あの、riyaです。覚えてませんか?」


 ふと、どこかで聞いたことのあるような名前だと思った。っていうか、なんでこの人あたしだって判ったの……どうして、あたしのこと知ってるの?


 そう訝しがりながら恐る恐る振り返ると、後ろの席でエレガントなツバ広帽を被りサングラスをかけた美女がにっこりと微笑んでいた。未だ深まる警戒心を解けず一言も返せずにいるあたしに、その女性は柔らかく微笑んだまま、軽く会釈した。


 当然自分から名乗り出ない限り、ネットの住人同士は互いを確定できない。その当たり前の法則でさえ易々とクリアするかの如く、相手の女性は不思議な引力であたし自身を特定し、その意識を捉えた。いや、不可思議な磁力といった方が相応しいかもしれない。


 それだけにあたしは、やはり恐る恐るそのriyaと名乗った女性に半ばしどろもどろで答えた。考えてみれば、人違いですと言えば済むはずなのに何を正直に……。


「ど、どうして……」

「ああ。ごめんなさい。私、読心術が使えるんです」


 その一言に殊更にギョッとする。は、読心術?……ますますもって怪しすぎる。ていうかさ――むしろ、やばすぎるよ、この人。


「そうね、人の心を読むなんて非常識すぎる……ふふ、そんなことより伊勢崎ナミさん」

 まただ。まさかパソコン画面通じてでも、人の心が読めるとか言うんじゃ……。


 数日前、ルミナスのチャットで出会った彼女riyaのコトを忘れてたわけじゃない。そのはずなのに、今の今まであたしは。まるで何かのロックがかかっていたように、こうして声をかけられるまで、ずっと彼女の存在は意識にすら上らなかった。そして……riyaはあたしの脳髄にある鍵穴に、おもむろにそのキーを突っ込んだ。


「もうすぐ始まるわ――そう、未来のあなたに通じる扉が今、開かれる」

 そう囁かれた瞬間、目の前が真っ白になり、意識がどこかへ飛んでいく。そこまでは微かに覚えていた。


 そこで彼女も待ってるわ……。


 未玲……。


 最後の一言に思わず脳裏に浮かんだのは、その懐かしい友人の顔。

 そう、少しだけ淋しそうな。


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