タマモの恩返し?
球磨創
第1話
むかしむかしあるところに、というにはけっこう最近のお話です。
北陸のとある地方にナオキという少年がおったそうな。
ナオキは『正直に生きる』と書く名前に負けず、とても素直でまっすぐな、馬鹿正直な子でした。というかバカでした。
もう中学も二年生になるというのに、放課後に木の枝を振り回しながら山登りをしているんだから、これはもうバカと言わないでなんでしょう。目的がよく山に捨てられているエロ本だというのが、せめてもの中学生らしさでしょうか。
大声で戦隊ヒーローの主題歌を歌いながら、ナオキは獣道を進みます。その先に、見慣れぬ金属の光が見えました。
それは、トラバサミでした。地元の猟師が仕掛けたのを忘れていってしまったのでしょうか。可哀想に、一匹のキツネが罠にかかって動けなくなってしまっています。
「おー、キツネだ。かわいいー」
ナオキが近づくと、キツネは最後の力を振り絞るように立ち上がり、逃げ出そうとします。けれど当然、トラバサミに捕らえられた足は一歩も動きません。
「うへぇ、痛そうだな。おりゃおりゃ、外しちゃるよ」
しかしナオキは、野生のキツネには触ってはいけないと大人が言っていたのを思い出しました。とはいえこのまま放っておくわけにはいかず、手に持っていた木の棒でトラバサミを外そうと試みます。
それは偶然にも、テコの原理を利用したものでした。とうぜんナオキはバカなのでそんなの知りません。ただそのおかげで、子供のナオキの力でもトラバサミの隙間は広がりました。キツネは待ってましたと言わんばかりに抜け出し、足を引き摺りながら茂みへと向かいます。
「元気でねー」
ナオキがそう言って手を降ると、キツネは一度振り返りました。けれどすぐに顔を戻し、茂みの中へと隠れて見えなくなってしまいます。
良いことをして気分のよかったナオキは、そのまま山を降ります。腕を振り振り、歌謳い。最初の目的を忘れているところが、とてもナオキらしいです。
◇◇◇
それから一月ほど経った日のことです。学校から帰るナオキに、一人の女性が話しかけます。
「ね、君。お名前はなんていうのかしら?」
紺のブレザーにチェックのスカートを穿いた、制服姿の女の人でした。特徴的なのはその髪の色で、外国人のように美しいブロンドに染まっていました。鼻の高い顔立ちも相まって、なんだか日本人離れした妖しげな雰囲気を纏っていました。
「ん、なにキレイなお姉さん? オレはナオキだよ」
そんな女性を目の前にしても物怖じすることなく、ナオキは応えます。けれどしっかり、鼻の下は伸びています。
「あら、光栄ですわ、ナオキくん。私はタマモでございます。以後お見知りおきを」
「はーい。えっと……タマキンさん」
「……タマモでございます。どうして今言った名前を間違えるのですか」
「ごめん、名前覚えるの苦手で……」
そう言うナオキに、タマモは苦笑します。明らかに記憶力の問題ではなかったからでしょう。
「でも大丈夫、もう覚えたよ。タマタマさん」
「タ・マ・モ・です! 覚えにくいのでしたらタマでも構いませんから、繰り返さないでください!」
「えー。分かったよ、タマ」
ナオキは言われたとおり、タマと呼び捨てで呼びました。
タマモは大きくため息をついたあと、ナオキに顔を近づけます。風もないのに髪が揺れ、良い匂いがしました。
「あの、私。ナオキくんをお慕い申し上げておりますの」
相手を間違えたかなぁという彼女の心が透けて見えるほど、芝居のかかった台詞でした。
「んへ? どゆこと?」
けれど、ナオキはタマモの香りにメロメロでした。単純すぎて、完全に目がハートマークです。
「そうですね……。スキ、ということです。一目ぼれで、ございます」
タマモはナオキの耳元で囁きます。スキと言うときだけ、吐息が多かった気がします。
「よし、結婚しよ」
ナオキはタマモの肩をがっしりと掴みます。
「え、け、結婚ですか? それはまだちょっと早いような……」
両肩を掴まれたタマモはびくりと震えながら言いました。
「なんで? タマはオレが好きなんでしょ? オレもタマが好き。結婚しよ」
ナオキは真っ直ぐに、タマモのブラウンの瞳を見つめます。
「はわ、はわわ……」
見つめられたタマモは目を泳がせ、見る見るうちに顔が紅くなっていきます。
「だ、だめですよ。ナオキくんはまだ結婚できる歳じゃないです。まだ、だから、順序を」
「ああ、そうだった。じゃあ付き合おう。オレの彼女になってください!」
「は、はい。それでしたらよろこんで!」
往来で告白をする中学生に、近所のおばさんがあらあらと言いながら横を歩いていきました。
なんだか立場が逆になってしまったような気がしますが、こうして急展開に、ナオキとタマモの交際は始まりました。
◇◇◇
それから、ナオキの放課後の日課は山へ向かうことではなく、タマモと共に過ごす事になりました。タマモはナオキとは別の学校に通っているようですが、不思議なことに毎日校門の前でナオキのことを待っておりました。
「タマ、今日はどこいく?」
どんなところに連れて行っても、タマモは本当に楽しそうにします。娯楽の少ない街や、見飽きた商店街でさえ、タマモは初めて見るかのように目を輝かせます。
「今日は……ナオキくんのおうちにお邪魔したいです」
けれどこうして、ナオキの家で二人ゆっくりと過ごすこともしばしばあります。
「ん、いいよー。お母さんが帰ってくるのが六時だから、それまでならリビング使えるよ」
「ええ。私も暗くなる前にはお暇させていただきます」
ナオキの家は、マンションの五階です。自分の部屋を持たないナオキは、リビングでお菓子を食べたりテレビを見たりして、タマモと二人の時間を満喫します。
「それでは、そろそろ――」
遊びに来てから一時間ほどしたころ、タマモがそう切り出します。帰る時間ではありません。
「おっけー。勝手に使ってていいよー」
ナオキが畳の間のふすまを開けます。タマモはしずしずと部屋の中に入り、ゆっくりとふすまを閉めます。
顔半分ほどの隙間で手を止め、こう言います。
「絶対に、覗いてはいけませんよ」
そうして、ぴしゃりとふすまが閉まります。
タマモはナオキの家に遊びに来ると、必ずこうして数時間を畳の間で過ごします。「一人でなにをしてるの?」とナオキが問うと、タマモはナオキの唇にそっと指をあて、微笑みます。それだけでナオキは、そんなことはどうだってよくなってしまうのです。
一人の時間を、ナオキはテレビを見たり漫画を読んだりして過ごします。つまんないなとは思いますが、いままでの放課後と同じです。
畳の間を覗いてしまおうかと思ってしまったこともあります。でもその葛藤は早い段階で踏みとどめられます。馬鹿正直なナオキは、決してタマモとの約束を破ろうとはしませんでした。
◇◇◇
一月、二月と時が経ちました。
段々と肌寒くなってきて、しとしとと雪も降り始めました。
ほとんど毎日のようにナオキはタマモと放課後を過ごしますが、決して一度も、畳の間を覗くことはありませんでした。
そんなある日、タマモがふすまから顔を出して言います。
「あの、ナオキくん」
「うひゃ、びっくりした。どうしたのタマモ、今日は早いね」
いつもなら一度畳の間に入ってしまえば、一時間は出てきません。今日はまだ、入ってから三十分も経っていませんでした。
「どうして、覗かないんですか?」
「え?」
むっとした表情でタマモが言います。
「覗いてくれなきゃ、物語が進まないでしょ!」
「は、はあ」
ナオキにはタマモがなにを言ってるかよく分かりませんでしたが、どうやらタマモは怒っているらしいということは分かりました。
「お約束通りちゃんと覗いてきてくださいよ! いいですか、またふすまを閉めますから、覗いてくださいね!」
「うん。わ、わかった」
そしてタマモは勢い良くふすまを閉めます。けれど閉まる直前で、ふと思い出したように手を止めます。
「絶対に覗いてはいけませんよ?」
にっこりと微笑んでそう言いました。もう、ナオキにはなにがなんだかよくわかりません。
それからたっぷり十分ほど、ナオキは頭を抱えて悩みます。
覗いてこいと言われましたが、その直後に絶対に覗いてはいけないと言われました。どっちの言葉を守ればいいのかわかりませんでしたが、覗いてこなかったことを怒っているのだけは分かりました。なので結局、覗いてみることに決めます。これで怒られたら、もうどうしようもないです。
そうっと、ナオキはふすまを開きます。部屋の中には、足を折って座るタマモの背中姿が見えました。腕を動かし、なにかをしているようです。
それよりも気になったのは、お尻の辺りでした。ぴょこぴょこと、なにやら尻尾のようなものがゆれ動いています。
「タマ?」
呼びかけると、タマモは大げさに驚いて振り向きます。
「な、ナオキくんッ?」
その表情は、ちっとも驚いていませんでした。むしろどこか嬉しそうです。
これがタマモの目的でした。
山に落ちていた絵本、鶴の恩返し。それに登場する鶴に深く感情移入したタマモは、ナオキに助けられた日にこれは運命だと感じ取ったのです。
――私は、悲劇のヒロインになるしかない、と。
「ああ、開けてしまったのですね。決して覗いてはならないと申し上げましたのに……!」
そう言ってタマモは顔を俯かせます。手には二本の編み棒と、床には毛糸の玉がありました。
自分の羽を抜いて織物を作るなんて、痛々しくてできません。しかたなくタマモは、普通にマフラーでも編むことにしたのです。
彼女はわざと見やすいように、頭の耳を二つ、ぴこぴこと揺れ動かします。
「え、タマどうしたの? その耳と尻尾」
「嗚呼、恥ずかしや。このお姿はナオキくんだけには見られたくなかったのに……」
芝居がかった様子で、タマモはしなだれます。そうして、右足の靴下に手をかけます。
「そうでございます。私はあの時ナオキくんに助けられたキツネです。この傷が、なによりの証拠で……」
そう言って靴下をめくった先には、艶々とした綺麗な女性の脚がありました。
「傷なんてないよ?」
「え、えっ?」
慌ててタマモは自分の足を確認します。そして確かに傷のない脚を見て、驚きます。
大急ぎで逆の靴下も脱ぎ捨てますが、そこにも傷一つありません。残ったのは制服に裸足姿の美しいタマモでした。
「治っちゃった……」
呆然と、タマモは呟きます。
「もうっ! ナオキくんがさっさと覗きにこないからですよ!」
「えーっ。ご、ごめん」
釈然としないナオキでしたが、とりあえず謝っておきました。
「もういいです。最終手段!」
タマモがそう言うと、ポンッと音を立てて煙が立ち込めます。煙が晴れると、そこには美しいタマモではなく、それはそれは可愛らしいキツネがおりました。
「おお、すげー。ほんとにタマ、キツネだったんだ」
「如何でしょうか。喋る獣なぞ、気持ち悪いでしょう? 私の正体を知られてしまったからには、もうこの家には……」
「え、なんで?」
「いえ、だから。姿を見られたらそこを去るという流れで……」
「だからなんで? どして?」
「そ、それは。ナオキくんが私を気持ち悪いと思うでしょうから……」
「そんなわけないだろっ!」
初めて聞くナオキの大声に、タマモは犬のようにキャンと悲鳴をあげます。その拍子に再び煙があがり、タマモは人間の女性の姿に戻ります。
「タマが人間だろうがキツネだろうか関係ないだろ! オレはタマが好きなんだから、気持ち悪いなんて思うわけない!」
「やだ、かっこいい……。キュン」
タマモは変身を繰り返して脱げてしまった制服を胸に抱いて言います。キュンとか口で言ってしまうくらい、タマモは生粋のスイーツ脳なのです。
「ナオキさん、その。獣の私でもよろしければ……」
早くも決心が揺らぎかけたタマモに、ナオキは「あっ」と思い出したように言います。
「でもダメだ。タマがキツネなら、オレ触れないや。なんとかっていう病気が移るから」
その言葉に、タマモははっとします。そうです、その手がありました。まだ悲劇のヒロインルートは潰えておりませんでした。
「そうでございます。けっきょく人とキツネは交わることの許されぬ運命……」
「そう、あれだ。テクノコック――」
「エキノコックス、でございます!」
間髪要れずにタマモは突っ込みます。たとえ自分のことでなくとも、そのような卑猥な名前の病気を自分が持っていると思われるのが心外でした。
「ああ、それそれ。エキノコックス」
「ナオキくんのことだからあれでしょうっ。どうせ腹上死とかから連想したのでしょう!?」
「おー、よく分かったね。テクノブレイクと間違えちゃった。あれ、でもなんでキツネのタマがそんな言葉知ってるの?」
「うっ、そ、それは……」
ここでナオキは気が付きます。どうでもいいところで、無駄に頭の回転が速い子なのです。
タマモと出会った山には、多くの本が捨てられてありました。そのなかでもっとも多くの割合を占めるのが、エッチな本でございます。
「はぁん、なるほどねー。ふーん、へー」
「なっ、なんの話かわかりませんねっ! そ、そうっ。こちらの自治体はエキノコックスの駆虫にいっそう力を入れております。もちろん私の身体にも、エキノコックスはいませんよ。安心安全です!」
恥ずかしさのあまり、悲劇のヒロインルートを自ら潰してしまうタマモでした。
「へえ、詳しいんだねー」
「そりゃそうでございます。私も駆虫薬入りの餌にまんまと騙されてしまいましたからね。美味しい食事にありつけたと思ったら、ぐるぐるとお腹を下してしまって……。うねうねと小さい虫がお尻から出てきた光景はもうトラウマ……。あ、嘘です。私、うんちしないんでした」
「タマはアイドルだったんだ」
「そうでございますよ。タマモは純真潔白ゆえ、排泄なぞしなければ、とうぜん寄生虫がお腹にいるなんてこともございません」
「あれ、でも何度かうちでトイレを借りてたような……」
「いやですわ、それはお花を摘みに行ってただけでございます」
「ええ、トイレのお花摘んだらダメだよ! お母さんに怒られちゃう!」
ナオキの母親はお花が大好きで、庭のないこの家ではもっぱら室内で花を育てております。
「え、いや。そうではなくてですね。心のお花というか……。いえ、私の頭の中がお花畑というわけではなくてですね。ああそんな、慌てないでくださいまし」
うろたえるナオキに、タマモは戸惑います。
二人があわあわとしていると、ガチャリとリビングの扉が開きます。タマモは絶句してその場で固まり、ナオキは思い出したように時計を見ます。午後六時八分でした。母親が帰ってくる頃合です。
「ナオキ、お客さん? トイレの花がどうとか聞こえたけ――きゃーッ!」
リビングに入ってきた母親は、二人の姿を見て叫びます。当然でしょう、年頃の息子が半裸の女性と一緒にいるのです。
「わーッ!」
「ギャーッ!」
つられてナオキも叫びます。二人の声に驚いて、タマモも一層大きな声で叫びました。その拍子に、三度ポンという音を立てて煙があがります。
「な、ななな、ナオキ! その人、どなた。っていうか、あんたたち、なにを……ウギャーッ!!」
煙が晴れると、そこには当然キツネ姿のタマモがいます。突然目の前の人が消えて、キツネが現れればこんな反応をするのが普通でしょう。
「あ、お母さん。この人、タマタマ。オレの婚約者」
「こ、コンヤクシャシャシャシャ!?」
母親は回らない舌で、壊れた機械のように言葉を繰り返します。
「タマモです、ナオキくん! っていうかそんなことより、なんとか誤魔化さないと。ここは私がただのキツネの振りをしますから……」
「シャベッタアアアアアァァァァアアッッ!?」
「「あっ」」
脳のキャパシティが限界を超えたのでしょうか、母親は泡を吹いてその場に倒れてしまいました。
「あちゃぁ、どうしよ」
ナオキは母親の頬をぺちぺちと叩きます。けれど母親は白目を剥いて、起きる様子はありません。
「これはもう、夢だったということにして、私は山へ戻るしか……」
「うぅん、そうだよねぇ。しかたないよなあ」
「じゃ、じゃあお暇させていただきますね。もうこの家には来れないかと思いますけれど……あっ」
人間姿に戻り服を着て、玄関まで向かったところでタマモは思い出しました。
「これ、マフラー……。まだ完成してないんですけど。きっともう会うことはないでしょうから……」
タマモはナオキに、山吹色のマフラーを手渡します。覗いてくるのが遅いナオキには憤慨しましたが、どうせなら完成してからの方が良かったかもしれません。
結果的には、タマモの求めていた悲劇のヒロインにはなれそうです。しかしタマモにはちっとも達成感がありません。
悲劇のヒロインとは、こんなにもつまらないものだったのでしょうか。
しかし手渡すその手を、ナオキは押し返します。
「んにゃ、今度はオレがちょくちょく遊びにいくから。完成させてからちょーだい? 山の面白いところとかいっぱい案内してよ」
屈託のない笑顔で、ナオキが言いました。
その笑顔に、タマモもついつられてしまいます。
「は、はい。それでしたらよろこんで!」
残念ながら、タマモは悲劇のヒロインとはなれないようです。
それでも彼女は良いのです。だってそれよりもずっとずっと、楽しい結末を迎えられたのですから。
なにはともあれ、めでたしめでたし。
タマモの恩返し? 球磨創 @cuma_hajime
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