fragment.04 『World Crawler vs. 魔法少女マゼルとエセル』


『ボールペンには芯があって、芯の中にはどろどろの液体が入っている』

『夢のつづきを見ると願うのならば、あなたは死して、わたしを殺しなさい』

『夢を見て目を覚ますと時間の感覚がバラバラになり、過去から未来へと続く時間軸上で迷子になる』


 上記三点は僕の知る、それぞれの物語の初めに記述されていた文章だ。

 つまりは冒頭。

 それらの文章が何を意味するのかは知らない。

 三点とも、夢や世界、そして時間に関する境界を意味した文章であるらしいことだけを、僕は知っている。

 それぞれの物語のテーマはまた違ったものだという。

 最後まで読んでいない僕は、それらの物語の結末がはたしてどういったものになるのかは、わからない。

 なぜなら、読み終わる前に世界を渡ってしまったから。

 それらの物語の存在しない世界に、僕の意識は移動してしまったから。

 そして世界を渡る僕の意識は、決して能動的なものではなく、受動的なものにすぎないから――また再び、どこかで、以前読んだ物語の続きに巡り会えるかどうかは定かではなく、何の保証もできないことなのだった。


 なんでこんな話をするのかって?


 うん、特に意味は無い。


 同時に、特別でなければ意味は多少ある。


 そうやって格好つけて、ちょっと厨二病だなと自嘲してみたりする。

 でも関係ない。

 厨二病だろうが何だろうが。どこかで見た似たような文章を拾って、拾い集めて、そうしていつかは何かの形になり、そして助けてもらえれば――


 そうだ。僕は知りたいのだ。

 僕がどこから来て、どこへ向かっているのか。

 次にどこかの世界で目覚める束の間の時間を使って、僕は情報を集めよう。

 この世界にいる、僕を知る夢と記憶を巡って。





 この世界の僕は、遠森行人とおもりゆきとという。

 わりと普通の名前だと思う。

 普通の名前に従うように――と言うわけでもないのだろうけれども、僕のこれまでの人生もまた平凡なものだった。

 ラブコメもしてないし、日常系特殊能力者にも関わりもないし、戦争もやってなければ、巨大ロボットなんて模型以外は見たこともなく、ファンタジー世界でもなければ、言語崩壊もしてなくて、親友と呼べる異性も特にいなくて、ゲーム世界に閉じ込められてもいない。ついでに言えば万年睡眠症でもない。普通の両親の下に平凡に生まれて、なんとなく生きて、平均より少し上の成績のまま、目立たずに高校生になった。

 と、思っていたのだけれども。


 渡ってきた『ユキ』の意識を以て、遠森行人の人生を客観視して見ると、何だか明らかにおかしなところが見えてきた。

 いや、正確にはまだ見えてきていない。

 けれども、どう考えてもおかしいことがあった。

 とりあえず二つほど。

 勉強机から離れて、僕は大きく伸びをする。

 頭がぼんやりとする。

 いつものことだけれども。

 今回は、寝ようと思って寝ていたのではなかった。

 気がついたら寝ていたのだ。

 額を揉んで、眠気を取ろうとする。それに成功したのかしなかったのか、意識が確認するより前に、机の上に放置したままの、眠気の原因となった一冊の本が目に入る。

 見たことも聞いたこともない出版社から発行された書評集。

 去年大学へ進学した近所のおねーさんが、なぜか僕に「読め」と言って持ってきたのだ。

 正直言ってつまらない書評集だった。

 ベストセラーになった本ばっかりを紹介しているのだけれども、内容は何というか、罵倒というかどう表現すれば良いのか。

 一言で言えば全編に渡って「俺ならこう書く」みたいなことを婉曲的表現を装飾過多気味に盛りつけられて構成された、著者の自己顕示欲に溢れかえっていた本だった。

 眠たくなった。

 好きだった小説を貶されていることもあって、単純に腹が立った。

 そもそも序文が一〇ページにも渡る著者の自己紹介だったのはなぜなのだろう。

 読み飛ばして、気になるタイトルの書評から順番に読んでいったのだが、当然読んだこともない本もあり、初めはむかついていたけれども何だかどうでも良くなって、気付けば寝ていた。

 どうして僕にこんな本を薦めてきたのか、理由はわからなかったのだが、今ならわかるような気がする。


 うん、特に理由はない。


 いや正確には、この本であることに、特に意味は無いのだろう。

 本を薦めてきた近所のお姉さんの名前。

 神楽坂める。

 ちょっと変な名前。

 だけれどもなんとなくわかる。

 子供の頃町内会とかでよく面倒を見てくれた三歳年上のお姉さんは、たぶんなのだ。


 める姉さんはいつも変わった本を持ち歩いていた。

 何度か見せて貰ったことがあるのだけれども、よくわからない文章で書かれていて、読むことができなかった。

 よくわからない文章は日本語だった。日本語であるとわかるのだが、読んでも文意が頭にまったく入ってこなくて、理解することができないのだ。

 読んでいるその瞬間は、きちんと読んでいるような感覚があるのだけれども、一度本から目を離してしまうと、もう何もわからなくなる。

 彼女の口癖を思い出す。


『この本が正常に読める世界を探しているの』


 そしてそんな自分のことを彼女はこう称していた。


『World Crawler』


 世界を這う者。


 うん、めるお姉さんは読書家で、BL好きで、腐女子で、オタクで、そして厨二病だった。

 僕はそう認識していたのだけれども。

 もしかして、ただそれだけではなかったのだろうか。

 どうなのか確かめることはたぶん出来るのだろうけれども、少なくともこの時期に僕に対して存在をアピールしてきたというのは、たぶんなのだからだろう。


 それはそれとして――、僕は自室を出て、階段を下りて一階のリビングへ向かう。

 母がぼんやりとワイドショーを見ていた。

 最近光花市で起きている、魔法少女同士の抗争のニュースをしていた。

 黒いゴシックドレスを着て、サイスって言うんだったか、でっかい鎌を持っている方が魔法少女マゼル。白い服に青いラインの入った改造されたシスター服的な衣装を身に纏い、馬鹿でかい錫杖を振り回している方が魔法少女エセル。

 何がどういった理由なのかよくわからないけれども、去年の秋口辺りからこの二人の魔法少女が度々争い合っているのが目撃されていて、その様子をたまにカメラでスクープされたりしてて、こうしてその都度ニュースになっている。

 正体は誰だとか、なぜ争っているかだとか。テレビ番組のスタジオでは様々なコメンテーターや有識者や専門家たちが様々な憶測を出して話合っているけれども、彼女たちが現れて半年が経つけれども未だに真相は不明となっている。

 あれ? 半年経つのは彼女たちの抗争が始まってからで、魔法少女の……うん、黒い方、マゼルの目撃証言はもっと前からあったような気がする。その時は魔法少女というよりも、なんか死神少女的な、少しオカルトめいた話だったような気がするけれども。


 ――いや、おかしいだろ、おい。


 魔法少女だって?

 当たり前のようにニュースになってて普通に流れているけれども、なんで誰も騒がない?

 いやニュースになって、騒いでいるけれども、だぞ?


 僕の知る限り、この世界には、魔法はない。

 ミオに会おうと電話して、他に用事があると断られた僕がいる世界の光花市で使とはまた違う意味で。

 うん、僕の知る限り、この世界で魔法の存在は周知されていないはずだ。

 いや、現実に魔法少女なんてものが存在している以上は、やはり魔法は存在しているんだろうけれども、少なくとも、世間一般の常識的には魔法なんてものは物語の中だけの存在であるはずだった。

 なのに、誰もその事に言及しないで、いや、テレビの中の専門家は魔法のことを普通に話しているけれども、でもなぜかそれ以上騒がれることなく、魔法少女二人の抗争の話は、多くあるにすぎない扱いをされて、一週間もすれば別の話題に飲み込まれて流されていく。

 うわあ。大事件のひとつにすぎないなんて、すごい表現だな。

 けれどもそうとしか言いようがない。

 魔法なんてものの実在がわかれば大事件なんてレベルの存在じゃ済まない。歴史がひっくり返るような、宇宙の法則がひっくり返るような、空前絶後の超事件だろう。

 けれども二人の魔法少女のことは確かに大事件として語られるけれども、それだけ。語られるだけで、終わってしまっている。

 そしてその事に誰も――そう、僕も含めて――その異常に気付かない。気付いていない。


 僕はこの世界の外から来たもうひとりの僕によって、この世界を客観的に見る視点を持ったことではじめておかしいと気付いた。

 そうしてわかったのだ。


 ああなるほど、この世界の魔法とは、こういうものなんだ。


 目にしても気にすることのできないものになってしまう。

 なんかマンガとかでよくある、認識阻害が世界すべてを、地球を丸ごと、覆ってしまっているよう。


 そして同時に気付くことがある。


 テレビの中では魔法少女マゼルのサイスを魔法少女エセルが錫杖を横にすることによって受け止めていた。

 衝撃波が巻き起こり、カメラが激しく揺れる。

 砂埃が立ち上がる中、二人の魔法少女は力比べをするように顔を間近に近づけて動きを止める。

 カメラがその隙を逃さずに一気に近づく。

 ズームアップされる二人の魔法少女。

 全国の茶の間に、ばっちりと映し出される魔法少女たちの顔。


「あら、二人とも可愛いわね。どっちもアイドルも顔負けじゃない」


 母の呑気な声がこだまする。

 うん、確かにかわいい。

 マゼルの方は動かない表情もあって、人形のように美しい。対してエセルの方はこの戦いを愉しんでいるのか笑顔で、愛嬌があって可愛らしかった。

 なんで誰も気付かないんだろう。

 いや、マゼルもエセルも、顔が全国に曝されたのはこれがはじめてじゃないけれども。

 僕は二人の顔を知っていた。


「こいつら、湟野縁狩ほりのゆかりさんと南武琉愛なんぶるあさんだよな?」


 高校の先輩だった。

 一学年上の。

 年上の魔法少女――いや、なんか確かにテレビ画面上では二人とも妙に幼く見えて、小学生と言っても通じそうな気がしないでもないけれども。

 年上なのだ。


 ……うん、考えないようにしとこう。

 ティーンエイジャーはたぶんまだ少女だ。


 というか、二人とも互いに気付いていないんだろうか。

 魔法少女もののお約束として、ライバル魔法少女が親友ってのは定番のひとつである。

 湟野先輩も南武先輩も、親友かどうかは知らないけれども、仲が悪いって話も聞いたことはない。同じクラスかどうかすら僕は知らないけれども、おそらくそれなりの交流がある相手同士のはずなのだ。

 けれども、たぶんきっと終局まで、二人が互いに気付くことはないのだろう。

 ひょっとしたら敵方の方は気付いている……いいや、知っているのかもしれないけれども。

 うん、何だかとても重要な情報を知ってしまったような気がする。

 物語のお約束を消してしまうような。

 いやいや、このまま黙っていた方が悲劇に繋がるってのが定説だから、今のうちに味方にばらしてしまえば、シナリオというか将来の悲劇を回避することができるのだろうか?


「ううん。どうすれば良いんだ?」


 というかどっちが味方でどっちが敵だ?

 二人の魔法少女はどちらとも、目に見えてわかる反社会的な行動は取っていない。

 いや公共の面前で喧嘩をするのは反社会的と言えば反社会的だけれども、喧嘩両成敗とも言うし、それはどちらが悪いというわけでもない。

 一見黒い方が悪役っぽいけれども、バトルジャンキーっていうか喜々として戦ってるのは白い方だし。

 というか南武先輩ってこんな性格だったっけな?

 学校ではもっと大人しい感じだったような気がするし。

 いや、そうでもないか?

 特定の相手に対して、南武先輩はいつもこんな感じで好戦的だったような気もする。

 湟野先輩はいつものイメージ通りだ。

 どっちかと言えば根暗な大人しい性格の癖に、時々やたらと行動的になるという。

 よくわからない。

 どっちもいつも通りの先輩方ではないだろうか?

 いや、南武先輩って、好戦的な性格は普段あまり出さないようにしてたはずだから、違うと言えば違うのか?

 ならばいつもと違う南武先輩の方が、悪に洗脳されて好戦的になっちゃってる系の仇役なのだろうか?

 いやいや結論を出すのは尚早だ。

 まだ判断材料が足りない。いや、逆にありすぎて何だかよくわからないのか?

 ううん、今度学校で会ったらそれとなく探りを入れておこうか。

 つーか、ゴールデンウィーク中だった。

 会う機会ってあまりなさそうだなぁ。


 悩んでいるとふと視線に気付き、顔を上げる。

 母と目が合った。


「……何?」


 問うと母はにんまりと笑った。


「いや、面白い表情してるなあって」


 息子の悩みを面白いとは何事だろうか。


「……出掛けてくる」


 僕は憮然としながらリビングを出た。


「どこまで?」

「ん。市内の方まで」

「おう、行ってらっしゃい。魔法少女によろしくね」


 がくりと僕の足から力が抜ける。

 ニュースを見て、魔法少女を一目見ようと市内に行く……なんてことを母は考えたようだった。

 いやそのつもりはなかった。うん、ニュースに映っていたのは確かに光花市内の中心部で、今からそこに行こうと思ったのは確かだけれども、別に魔法少女たちに会おうと思って行くわけじゃない。

 そもそもニュースはライブ映像ではなく、昨日の録画だろう。

 何か言い返そうと母を見るのだが、何だかやぶ蛇になりそうだったので無視して家を出る。

 リビングで母が笑い転げてそうな気がした。




 市内……いや、僕の住んでいる街、上弦町も市内なんだけれども、ずいぶんと昔、もう四十年くらい前に合併によって光花市の一部となった土地にあった。

 市内と僕らが呼んでいるのは、いわゆる『旧市内』のことであって、ようするに光花市の中心部、最も栄えている地域のことを差す。ベッドタウンにもなっている上弦町から中心部まで十五キロメートルくらいあったりして、自転車で行くのにも一時間以上掛かってしまう。

 もう四時過ぎていて、今から行ったところで夕飯までに家に戻るには一時間も居れない。

 ほとんど無駄足だろうと思いながらも、あまり色々と考える事が多くて、だから考えていたくなくて、無心で自転車を漕ぐ。

 それでも思考は勝手に動き、取り留めもなく色んな考えが頭に浮かんでは固まりだけを残していく。


 例えば、この世界にも『シェム』と呼ばれる存在がいる。

 前の世界において人間を遥かに超える知能を持つという特A級機械知性体の名称だ。

 前の世界の朽木夕樹は、と友達だった。


 この世界に於いてはどうかといえば、友達とは言えないだろう。

 だってこの世界の『シェム』には、おそらく知性といったものはない。

 この世界の『シェム』は、光花市公認のバーチャル執事。インターネット上に存在する光花市関連のありとあらゆるサービスを案内するために作られた仮想人格。

 バーチャル執事シェムくんなのだった。

 うん、この世界はまだVRなんて発展していないし、意識をそのままゲームの中へ移してしまう技術なんて夢のまた夢だ。

 バーチャル執事ってのは、もう一昔どころか二昔くらい前になるだろうか。

 インターネット上で一時期流行った、バーチャルアイドルの流れを汲んだ、光花市を紹介する個人のニュースサイトが元になっている。ひょんなことから公式に認定され、市民サービスのあちらこちらでその姿を表すようになった。

 元はイラストだけだったは、次第に頭身が下げられ、服装が執事服と固定され、口調に特徴ができて、市民の誰もが知るキャラクターになった。

 最近はVocaloid技術を使った『声』までも、どうやらは獲得したらしい。

 元々は落ち着いた感じのイラストだったのだが、いつの間にかアニメ調になっていて、少し外見もクール系にリメイクされている。

 光花市民ならばのことを子供から大人まで誰だって知っている。

 市が配った印刷物の隅とかで、見たことがない人は一人も居ないだろう。

 けれどもは別の世界の『機械知性体シェム』とは違って知性なんて持っていなくて、ひょっとするとVOCALOID技術によって作られた声の元――いわゆる『中の人』はいるかもしれないけれども。少なくともそれ自体には知性は存在しない。

 ただの、音声認識機能を持った自動応答プログラムである。

 行政府公認の、というとても正統性がありそうな感じの形容が付くプログラムだけれども。


「……なんかえらい発展してたな」


 時間軸的には同じ日時くらいのははずなんだけれども。

 この違いは何だろう。何を意味しているのだろう。

 似たような背景世界を持つけれども、色々と差異のある世界群。

 同じように『ユキ』と呼ばれている存在がいるけれども、基本は似たような性格なんだけれども微妙に違う人格を持つ自分たち。


「並行世界、だっけ?」


 パラレルワールド。

 可能性の分岐により派生していく世界という思考。

 あの時あの行動を取っていればというもしもの選択が実際に行われた場合生じる、可能性の世界の話。


「……なんか違うような気がする」


 確か、並行世界は存在しないんじゃなかったのか。


 いつかどこかで誰かがそう言っていたような気がする。

 どこで聞いたんだっけと考えていると、その記憶は夢を渡ったどこかの世界の話ではなくて、この世界の話だと思い出した。


「……あれ?」


 しかし同時に疑問が浮かぶ。

 そうだ。並行世界は存在しないという話は、確かにこの世界で、先輩の先輩にあたる和泉いずみという青年から聞いたものだった。

 けれどもその事実をすでに、夢を渡るは知っていたように思う。

 各々の世界で異なる立場の自分ゆきの存在を知りながら。点在する異世界の友人と同一存在に何度も邂逅しながら。それでもそれらの世界は並行世界ではないとのだった。


「じゃあ、何なんでしょう?」

「それは、ただのだろう」


 光花市中心街にある喫茶店で、嘉手納礼かでなれいはどこかむっすりとした顔で断言した。

 一年上の先輩で、同じ部活ということもあり多少は親しく話をする間柄だった。ここで彼と出会ったのは示し合わせたわけではなくてただの偶然だった。

 偶然――とは言ったのだが、僕は本当は偶然ではなく、色々と事情が入り交じったただの必然ではないかと疑っている。

 嘉手納先輩の先輩に当たる人が、先ほど言った、僕に『並行世界は存在しない』と伝えた和泉うきという先輩である。そしてその先輩と彼氏彼女な関係らしいのが、おそらく『メイウ』であろうと僕が疑っている『Worid Crawler』である神楽坂めるお姉さんなのであった。これだけだったら嘉手納先輩の関わりは薄いような気がするけれども、きっとこの先輩がに確実に関わっているに違いないと僕が断言できるのは、嘉手納先輩と、とある少女の関係性にある。

 嘉手納礼先輩は、魔法少女エセルと瓜二つの顔を持つ南武琉愛先輩と、非常に仲が悪いのだった。

 正確に言えば、校内でも事ある毎に張り合って対決するという、非常に有名なライバル関係にあるのだった。

 顔を付き合わせるとすぐに喧嘩を始めるし、体育祭文化祭球技大会と、互いに互いを批難し合っては成績を張り合う。

 あまりにも意識し合っているために、思春期的によくある恋心の裏返しかと思い、それを指摘する人も多くいたのだが、二人が二人とも同じような態度でそれを一蹴し、さらには相手を扱き下ろす材料に使うなどして益々対立はエスカレートしてしまったという。なので、二人の関係性についてはもう触らぬ神に祟りなしアンタッチャブルとして、誰も口に出すこともなくなり、同じクラスだったのは一学年だけで、あとの二年、三年は一組と八組という風に、クラスの端から端まで離されてしまったのだとか。うん、詳しい話はさすがに僕の高校入学前なのでよくわからないけれども、とにかく二人の関係は有名であり、僕もよく知っていた。

 だから僕は、今日ここで嘉手納先輩と会ったのは、昨日ここで魔法少女エセルが暴れたことと関係が無いはずがないと思っていた。

 暇をしていたという嘉手納先輩を、それほど時間はなかったのだがお茶に誘って、例え話をふんだんに盛り込んで僕の考えをそれとなく伝えてみる。

 すると返ってきた言葉は前述のひどくあっさりとした断言だった。


「僕自身が異世界にもいるのに、ですか?」

「ああ、お前自身が異世界にもいるのに、だ」


 むっすりとしている嘉手納先輩はどことなく不機嫌そうだった。

 暇とか言いつつも何か目的があって街に来たのだろうし、この様子からして見ればきっと不首尾に終わったのだろう。だというのに後輩に喫茶店へ連れ込まれては訳のわからない話を聞かされて、そりゃあ不機嫌さも表に出て来るだろうと僕でも思う。ジャンボパフェでも奢るから少しは機嫌を直してほしい、いや、少なくとも不機嫌さを悟られないように仮面ぐらい被ってほしいと僕は、意外と甘党らしい嘉手納先輩へとこっそり願った。

 程なく店員が思いの他大きなパフェを運んできて、僕は夕食のことも思い若干退いたのだったが逆に嘉手納先輩は口元をにやつかせていた。珈琲だけにしとくんだったと、つられて注文したことを少し後悔する。


「別世界に自分がいるから、これは僕が辿ったかもしれない遠い過去で分岐した並行世界にいるのかもしれないって思ったんですが、違うんでしょうか?」

「ああ、違うな。和泉先輩によれば『可能性世界――量子力学の多世界解釈によって導き出される並行世界は、確かに存在するかもしれないが、並行世界同士での情報の授受は、その理論上不可能なので観測はできない』ってことらしいからな」

「う、ん? ……わかるようなわからないような」

「並行世界を観測しようとしても、異なる並行世界からの観測では決して波動関数は集束しない、ってことだ」

「は、はあ……?」

「波動関数は同一世界内でなければ集束しない。つまり、世界を移動してもその情報の維持ができるということは、その世界同士は並行世界ではないということだ」

「ええと、夢、という曖昧なものを介していてもですか?」

「夢だろうが何だろうが、情報は情報だ。情報ってものが物質に依存する以上、それは物理的特性、量子力学的特性から逃れることはできない」

「じゃあなんで、違う世界だというのにがいたんでしょう? 全然違う世界ならば、そこに僕や、僕と同じように類似性を持つ人たちがいるってのは、あり得なくないですか?」

「さあな……知らんよ。まあ、説は幾つか上げられるけどな。てか、お前今の俺の話、ちゃんと理解できてるのか?」


 うん、南武先輩と日々切磋琢磨することにより超絶ハイスペックな人になっている嘉手納先輩とは違って、僕はどこにでもいる平均的な高校生にすぎず、それほど特別に頭が良いというわけではない。今まで量子論とか、そんなの、かじったことすらもなかった。

 うん、よくわからないような気がするけれどもね。


「大丈夫です。僕はわからなくても、たぶんは理解しているっぽいので」


 同時に反論もしてきてるけれどね。それは情報が物質に依存することを前提とした問題だとか。波動関数が同一世界内でないと集束しないと結論付けるのはまだ早いのではないかとか。情報が物質に依存するなどと、誰が決めたのだとか。

 言い切ると嘉手納先輩は少し胡乱げな目線で僕を眺めていたが、わりとすぐに視線を外し、何か納得がいったのか一度うなずくとパフェの攻略の乗り出した。

 僕は正直、それほど食指が延びなかったのでパフェの表面のソフトクリームを撫でるようにスプーンで崩していくだけだった。


「……で、先輩の言う『説』って、何ですか?」


 しばらく沈黙が続いていたのだが、パフェを崩す行為にもすぐに飽きて僕は先輩に尋ねる。

 先輩は「何のことだ?」って感じの表情を一瞬したが、すぐに思い出したのか何度か頷いて口を開いた。


「ああ、うん、そうだな。あれだ。例えばお前が今まで渡ってきた様々な世界群――その奥底に、何か根幹となる別世界があって、それぞれの世界にいるお前は、その基幹世界にいるお前の意識を反映しているだけだ……とかな?」


 それは――と、なぜか僕は、一瞬息を飲んだ。

 しかしすぐに「違う」と、直感的に否定して、首を左右に振った。

 そんな僕を見て嘉手納先輩は笑う。


「そんな顔をするな。これはただの『説』だ。あまりにも情報が少ない為に、正解からはほど遠いに違いないけれど、な」

「で、でもっ」

「あーっと、そうだ和泉先輩のお姉さんのこと、知ってるか?」


 知っている。確か、和泉いすゞさん。海外を色々と留学し、今は光花大学で講師しているという、学者さんのこと。


「あの人がこの前、意識と時間について、ちょっと変わった見解を示していてな?」

「……はあ?」


 唐突に変わった話題に僕が戸惑っていると、嘉手納先輩は話を勝手に進めていった。


「過去から未来へ広がっている時間の平面は、ただそこにあるだけで、我々の意識がそこを渡ることによって、はじめて認識されるもの、だそうだ」

「はあ……」

「つまり、俺たちの意識ってのは過去から未来へ向かっているんだな」

「……なんだか当たり前のことのように聞こえますけれども、それがどうかしたんですか?」


 嘉手納先輩は少し得意気に、言った。


「じゃあ、なんで意識は過去から未来へと、のかな?」


 ――移動している?

 それは言い方を変えただけだ。意識が過去から未来へと移動している。

 言い方を変えただけなのに、何か重要な、重大な意味がそこにはあるように聞こえる。


「それは未来の遥か先に、遠い遠い未来の行き着く先に、すべての時間と、時代の終着点に、巨大な、とてもとても巨大な、意識の固まりがあるからだ――と、いすゞさんは言った」


 心臓が急に大きく音を立て始めた。

 何か僕は、とても重要なことを聞いている。

 そんな感覚がある。

 まだ早い。

 こので知るには、まだ早い。

 それは遠い先に存在する。いやもしくは遠い過去に存在した、別の物語に根差す情報だ。


「……何を、根拠に?」


 喉が渇いて冷めかけの珈琲を喉に流し込む。


「人の意識が物質に宿る以上、それは物質的特性を多少ながらもコピーするはずだと、いすゞさんは断言していた。そして、すべての物質に引力があるように、意識同士にもそれが働く。ならば俺たちの意識が未来へ向かっているというその理由は明白だ」


 嘉手納先輩は一度言葉を止めて、僕を見て、真剣な表情で言った。


「『私たちは未来へ向かって、落ちている』――と彼女は言った」


 カチリと、何かがはまったような気がした。

 機械式時計の秒針がひとつ進む程度の小さな音だったけれども。

 それはどこかで聞いた、はじまりの音。


「俺たちの意識は引かれ合っているんだ。だから友情も築くことができれば、恋もするんだ」


 そう言った嘉手納先輩はどこか照れているように見えた。たぶんそのような話を和泉いすゞさんとして、きっと盛り上がったのだろう。なんとなく察した。そして同時に、ということは本当に嘉手納先輩と南武先輩は想い合っているわけではなくて、本当に、単に、純粋な意味で、馬が合わないというか、相性が悪いだけなのだなと納得した。

 そうか。嘉手納先輩は年上趣味だったのか。


 ともあれ、僕は、は思い出した。

 そう、その通り。その通りのだ。世界は。かつての世界は。

 意識は過去から未来へと、落ちていたのだった。

 そして嘉手納先輩が僕に何が言いたかったのか理解した。


「お前の本当の意識が、実はその巨大な意識体の中にあって、色んな世界にいるお前はその本体を投影したものなんだろう」


 ああ、なるほど。ある意味その考えは間違いじゃない。

 けれども前提条件が違うので、決定的に間違っている。正しくない結論になってしまっている。

 僕は覚えている。

 もうその物語は終わったのだと。

 そしてそれがすべてのはじまりだったのだと。

 嘉手納先輩は頭が良いのに、なぜ気付かないのだろう。

 きっと和泉いすゞさんは気付いていたのだろうけれども、遙か遠い未来の話だとして、考えていないのだろう。たぶん。

 意識は引かれ合う。

 こういう言い方は良くないとわかっているけれども、その考えは非常に女性的で、ロマンティックな考えだと想う。

 その部分だけを見ると、その思考結果は非常に詩的で、素敵である。

 けれども現実的な見方をすれば、その先のことも容易に思い浮かんでしまう。

 その先の破滅にも、当然気付かなくてはならない。

 未来に向かって墜ちているのならば、やがて砕けて飛び散ってしまうのではないか?

 和泉いすゞさんは気付いても考えない。嘉手納先輩は和泉いすゞさんのロマンティックな情熱にあてられて気付かない。

 うん、でも良い。いいんだ。

 もうとっくにそれは過去のことだ。

 その物語は僕の、そしてすらも生まれる遙か前に起きて、終わってしまった。

 今の世界はまた別の構造を持っている。そしてそれによって生まれたまた別の問題を孕んでいる。

 きっとそれがすべてのはじまりで、今のこれが遠因となったのだろう。

 僕は思い出し、うなずいた。

 だから――この夢の先に隠れているを一刻も早く捕まえなければと、意識を新たにする。


 嘉手納先輩の説は、なるほど、本人が言う通り情報不足から来る間違いなんだけれども、それは確かにかつての事実の一面を指していて、ユキに記憶を取り戻させてくれた。

 だからお礼になるのかどうかわからないけれども、僕は僕の持つ情報を、ひとつ嘉手納先輩にプレゼントすることに決めた。


「ところで話は変わるんですが先輩」

「んー? なんだ?」


 パフェのそこに溜まったチョコレートクリームを真剣な目で掻き出している嘉手納先輩に少し呆れを含んだ視線を送る。


「魔法少女エセルって、どう考えても南武先輩ですよね?」


 がしゃんと嘉手納先輩はパフェのグラスをひっくり返した。

 良かった嘉手納先輩がほとんど完食していて。まだ中身が残っていたら大惨事になるところだった。


「お、おおお、おまっ、って、おい。お前っ、わかるのかっ!」

「ええ。TVでよく見ますけれども、どう見ても顔、同じですよね? どうして誰も指摘しないんでしょう?」


 たぶん魔法による認識阻害だとか、そんな感じの不可思議現象だと思うけれども。それも世界全土に予め掛かっている自然現象的な。

 うん、勘だったけれどもどうやら嘉手納先輩はその認識阻害魔法から逃れられているようだ。

 おそらく毎日南武先輩と張り合っているからこそ気づけたのだろう。


「おおおおっ、お前っ、ああっ。いすゞさんも和泉先輩も誰も『そんなはずないだろう』って否定してっ、くっ、ううっ」


 気づいたらマジ泣きしていた。ドン引いた。マジで。頼りになる先輩が人目も憚らずに泣くなんて、よっぽど心細い思いをしていたのだろう、と想像は付くのだけれどもドン引きした。


「ちょっ、先輩っ、落ち着いてください」


 さて、この情報を僕が嘉手納先輩に伝えたところで、この世界の物語がどのような方向に進むのかわからない。

 けれどもどうせこの世界はにとっては物語でも何でもなく、今を生きている世界である。

 だから自由に思うがまま、生きても良いのだと、ちょっと良い話風にまとめようとしたのだ、けれども。


「うおおおっ、遠森ぃっ」


 目の前で涙を流しながら迫ってくる嘉手納先輩を見ていると、ちょっと早まったかな、もう少し慎重に行動すべきだったかなと、早くも後悔し始めるのだった。


 この世界の僕は、何だか後悔してばかりだねと、どうせ程なくこの世界から去っていく予定のの意識は思う。


 そしてこの世界での最後の後悔。


 この後嘉手納先輩に捕まり、帰るに帰れなくなった僕は、当然のように夕飯の時間に遅れ、母にこっぴどく叱られるのだった。

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