line.02 『水口麗奈』


 街外れの丘の上に古びた洋館が建っている。

 代々有名な科学者一家の持ち家らしくて、時折何やら奇妙な音が館内から響いてくるとの噂がある家だった。夜になっても館から明かりがもれることはほとんどなく、常に不気味な印象をまき散らしていた。小学生の間では怪談話の舞台にもよくなっていて、詩亜も以前に何度も似たような話を繰り返し耳にしていた。

 一月ほど前に、この館で何やら不幸が出たとかで、やたらと大がかりな葬式が行われた。

 それが始まりだったのだ。

 葬儀に訪れた者たちが、奇妙な死に方をし始めたのは。

 ――とは言っても、死者はまだ、詩亜の父と、どこかの有名な市議会議員の二名しかない。どちらも病気――それも奇妙なと表現できるもの――ではあったのだが、少なくとも死因に関連性はない。

 それでも、麗奈はその死の原因を、丘の上の洋館に求めた。

 一度調べてみるべきだと、言ったのだ。

 麗奈が、詩亜にはわからない何かを知っていることは、わかっていた。

 今回の事件に限らず、出会ってからこれまでずっとだ。

 年齢以上に聡明な少女。そんな言葉では括られないほど、麗奈の存在には強いインパクトがあった。

 今も詩亜は麗奈について行っている。

 麗奈の先導で歩いている。

 麗奈の歩幅は小さくて、普段の詩亜の歩く速度よりだいぶ遅いけれども。それでも詩亜は麗奈を追い抜いていこうという気にはまるでなれなかった。

 麗奈について行く。そうすれば間違いない。

 なぜかそんな安心感があった。

 小さな背中がくっきりと見える。赤い服を着た少女の赤い背中。それはずっとずっと昔から、その後を追っていたような気になって、眼を話すことができない。

 麗奈のカリスマが成せる業なのだろうか。そう思うけれども、何か違うような気がする。それは違和感を生むのだが、しかし妙に『慣れた』ように感じられる気分から生まれる安堵は、とても大きく詩亜を包み込み、強制的に安心を生み出してしまうのだった。


 その背中が不意に止まる。

 詩亜は麗奈を追い越さないように、足を止める。

 どうしたのか、そう問い掛けるより先に、麗奈は口を開いた。


「ねえ、気付いてる、シア?」

「……何を?」

「あの子、ついてきてるよ?」


 あの子? と振り向こうとしたのだが、不意に体を寄せてきた麗奈にその動きを止められる。

 首を傾げる詩亜の仕草に気付いたのか、麗奈は小さく頷いて囁いた。


「あの『レイ』って名前の子」


 詩亜は眼を大きく瞬いた。

 伊月零。詩亜の天敵とも言える男の子。さっきも初対面の、それも幼い女の子の前田というのに、まったく遠慮のそぶりも見せずに詩亜へ向けて悪態を吐いていた。

 詩亜を嫌い、また詩亜も零のことを苦手以上に想っていた。普段ならば互いに顔も合わせたくない間柄だ。だというのに、先ほど言い合いになりかけて、しかしあっさりと別れた詩亜たちの後を、その零がついてきているという。


「何しに? 何で?」


 あまりにも意味不明な麗奈の証言に、詩亜は声を抑えることに非常に苦労を強いられてしまった。


「心配してついてきてるんでしょ」


 事も無げに言い置いて、麗奈はそのまま歩みを再開させた。

 詩亜は一瞬呆然として、だが麗奈が角を曲がり視界から消えそうになると慌てて後を追いかけた。

 意識を向けると確かに少し離れた背後の方から乱れた足音が聞こえてくるような気がした。突然詩亜が走り出したので、追っ手も慌てているのかもしれない。


「は? どういうことよ? なんで――」


 麗奈に追いつき文句を言おうとしたが、不意に振り向いた麗奈が右手の人差し指をぴったりと詩亜の唇に当て、言葉を止める。その動きがまったく察知できなくて、当然避けることもできなくて、詩亜はまた唖然と固まってしまう。

 固まった詩亜を見て、麗奈は満足げにうなずくと、再び歩き始めた。だから詩亜も、慌てて後を追って、すぐに麗奈の隣に並ぶ。真っ直ぐ前を向いて、視線を向けずに小声で問う。


「良いの?」


 ――ついて来させて、良いのかと問う。


「別に良いんじゃないの? 屋敷の中までついて来るわけでもないし」

「でも……どうして零は、ついて来るの?」


 詩亜を心配したから、何て言葉には頷きたくはなかった。


「何を言ってるの。『悪の研究所』へ行くだなんて、興味を持たないわけないじゃない。心配しているしていないは別にしてもね」

「で、でも……」

「それに、どうしてあんな時間に、彼があんな所にいたのだと思う?」


 言われてみればそれは疑問だった。

 ここは住宅街の中で、遊ぶような所はどこにもない。

 詩亜の知る零の家は隣町であり、この街を経由してどこかに行けそうな場所も思いつかない。


「まるで詩亜のことが気になって様子を見に行こうとしていたけれども行けずに、結局待ち構えたような格好になってしまった、みたいね?」


 からかうでもなく、誤魔化すでもなく、麗奈の口から出てきたのは咄嗟に反論の難しい回答だった。

 いや、どう考えてもそれ以上の回答がないように思えた。

 詩亜の父が死んだことは、ニュースにもなっている。当然零の耳にも入っていて、知っていたのだろう。

 認めるのは癪だけれども、零は詩亜を心配して、様子を見に来たのだった。その感情が、どのような土台から生まれたものかはわからない。けれどもそれを認めてみればなぜか、本当に認めるのは癪なのだけれども、悪い気はしないのだった。

 だから詩亜も口を噤み、ただ歩き続けるしかない。背後の足音は聞こえない。少なくともそれに気づけるほど音は大きくない。だから詩亜には、本当に零がついてきているのかどうか確認できない。けれどもたぶん麗奈が言うことなので、それは真実なのだろう。

 仕方がないとため息を吐いて、詩亜は一瞬だけ後へと視線を向けて、また戻して丘の上へを続く道を行く。一瞬だけだが振り向いた詩亜に対して、麗奈がわずかに非難の視線を向けてくる。それに気付かないふりをすると、すぐに何事もなかったかのように麗奈も前を向き、歩き続ける。

 麗奈は普通に歩いている感じなのに、歩幅の広いはずの詩亜は、なぜか駆け足気味だ。麗奈はゆったり歩いているように見えるのに、詩亜の動きは忙しないように見える。


 ――どうしてだろうと、詩亜は少し考える。


 麗奈と付き合っていると、時々こんな、矛盾めいたことが起きるような気がする。

 もちろん何か錯覚的なトリック、いや、理屈があるのだろうが、詩亜にはわからない。叙述的なトリックがあるのだとすれば、尚更わかるはずもない。

 こんなこと、いちいち気にしていたら始まらない。

 だから違和感をそっと胸の内に封じて、詩亜は歩き続ける。

 住宅街を抜けて、薄暗い坂道を登っていく。街灯は建っているけれども、その数は少しずつ少なくなり、状態もコンクリート製の物から木製の物へと変わっていく。

 ふと空を見上げると、雲に覆われて星は見えなかった。


 麗奈と詩亜はやがて古めかしい洋館の前に立つ。

 外から見ても立派な、大きな洋館だったが人の気配は感じない。

 門灯に明かりはなくて、見える範囲のどこからも部屋の明かりは見えなかった。

 一見留守のようにも見えるけれどもそんなはずはない。今日この時間に行くことは先方に連絡済みだし、了承の返事も貰っている。不在なんてことはないはずだ。

 麗奈かインターホンに手を伸ばそうとして、少し背伸び気味になっていたため、慌てて詩亜が代わって押した。すると押したかったのか、少し不服そうに麗奈が睨んできた。かわいい。

 かわいいけれども、その感情を表に出すと麗奈は怒るので、詩亜は澄まし顔で肩を竦めて見せた。

 インターホン。

 鳴っているのかいないのか、いまいちわからない。

 しばらく待っていたのだが、慌てたように門灯に明かりが灯り、玄関にも明かりが付いて、どこかの部屋からもカーテン越しの明かりが漏れてきた。

 急に色々と明かりが点き、何だか慌てている雰囲気がして、詩亜の口元に薄く笑みが浮かぶ。そして玄関のドアが開き、一人の少年が姿を現した。

 あれっと詩亜は首を傾げる。

 今日麗奈と詩亜が尋ねた相手は、詩亜より少し歳上の青年だったはずだ。でも出てきたのは同年代に見える少年。

 思わず麗奈に視線を落とすが、真っ直ぐ前を向いた麗奈の黒い後頭部しか見えなくてその表情は窺えない。けれどもわずかに辺りの空気が引き締まったように感じられた。


「すみませんっ、ちょっと奥にいたもので」


 慌てたように駆け寄ってきた少年は、柔らかい雰囲気を持っていた。声にも優しげな調子が感じられて、それは引き締まったばかりの空気を一瞬にしてほぐしてしまったかのように感じられた。


「いえ、問題ありませんよ」


 返す麗奈の声も、どことなく普段よりも柔らかく感じられる。

 何だろう。この二人、どこか似ている。

 何が似ているのかは明確な言葉にはならない。けれども詩亜の目の前で話しているこの二人は、どこか違うと感じられた。

 ああそうだ。似ているんじゃない。

 麗奈も、少年も、身に纏っている雰囲気は別のものだ。

 けれども二人のそれは、詩亜や、この世界に住んでいる普通の人間が持つものとはまったく違うものだと感じられた。

 巧く言えないけれども、言葉にはできないけれども。そして、目の前の二人は、二人ともきっと気付いていないだろうけれども。端で見ている詩亜だからこそ気付いたのだろうけれども。二人の持つ雰囲気は、それぞれが違うものなのだ。共に方向性は違うけれども、きっとこの世界から、外れているのだ。


「ええと、お父上はご在宅……いいえ、違うわね。織峯渡季おりみねとき氏は未婚だし、確か子供はいなかったはずよね? ええと、あなたは?」


 麗奈の問いに少年はわずかに笑みを浮かべて応えた。


「ぼくは遊季ゆき。織峯。渡季の弟です」


 少年が名乗った瞬間、なぜか詩亜はその言葉に吸い込まれるような錯覚を感じた。

 どうしてか息を飲み、言葉が止まる。

 なぜ自分がそんなに驚いているのか、この時の詩亜はまったく何も理解していなかった。


「ようこそ。水口麗奈さま。綾瀬詩亜さま。兄が待っています」


 玄関の扉を大きく開けて少年――遊季は促す。


「ええ、本日はよろしくお願いします」


 麗奈は小さな体で丁寧に、体を大きく曲げる淑女の礼をして見せた。

 詩亜はその後に続くように軽く会釈をする。

 洋館の中へと入っていく遊季と麗奈。詩亜も少し慌てたように、早歩きでその後に続く。

 遊季はドアのすぐ脇で待っていて、詩亜が玄関を通り抜けるとドアをゆっくりと閉じようとする。

 閉じられた玄関のドアの向こうはもうすっかりと暗くなっていて、いつの間にか小雨が降り始めていた。

 雨が降っていると気付くと聞こえてくる小さな雨音。小さな、それ自体は小さすぎてほとんど存在の感じられない雨粒。しかしそれは幾重にも重なり合い、連続して途切れず続けばそれだけ大きな力を得て、大きな音を出して存在感を示してくる。

 ドアが閉じられて雨も見えなくなり音も聞こえなくなった。

 けれども――

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