第6話 『最果てのフェアリーテイル・外伝 ~ある騎士の帰郷~』
いくらなんでもこれは酷いだろうと、僕は思う。
夢の中だろうと。
いや、夢の中でこそ、だ。
夢の夢の夢を見るような夢を見続けてきた。
ならば、この世界もどうせ一定時間過ぎればどこかの夢の世界で誰かが起きて、その誰かを主体とした夢ということになるのだろう。
ああ、把握した。
もう、これ以上もなく把握した。
こんな風に、しっかりと把握できるようになったのは、ここの一つ前の夢の世界で、今起きているこの世界が夢ではないかと、疑問を持ったからなのだろう。本当にそれが原因で結果であると、結びつけることが出来るのか定かではないが、どうでもいい。僕自身がそうだと納得できればそれでいいのだ。
つかね、納得。納得なんて、できない。決してできやしない。できることはない。
この世界は何だ?
普通、世界に疑問を持ったならば、世界はその疑問を気のせいだとさせるように、動くものじゃないのか?
ほら、その、抑制力とか復元力とか何か。
てかまあ、そんなもの、ないのだろう。きっとどこにも。
世界は世界としてそのようにあるだけで、決して僕の敵ではない。
味方でもないが。
敵とし、味方とするのは僕の心持ちひとつ、ということなのだろう。
まあでも、これ以上ないくらいに疑問を増徴するように世界が働くとは思わなかった。
これは無いだろう。
これは酷いだろう、と始めの疑問に戻る。
何が酷いかって、まず第一に、これまでの夢とこの世界の違いが上げられる。
これまでの夢は曲がりなりにも日本という国にあって、登場人物たちは皆、光花市という都市と関わりがあった。
夢の中でその名称は出て来なくても、皆だいたい光花市辺りに住んでいることは確かだった。そのように記憶が言っている。
だが僕は違う。
今、旅の途中という事もあるが、これから向かう帰郷先、僕の故郷の名前は『ルミフロウン』と言う。
いや、冗談ではなく、そんな感じ。
そして、この僕の住む国の名前はミレストフィアと言う。
まあ、今までの夢と嫌になるほどずれている。
夢を渡る度に徐々にずれていったのならばまだしも、これはいきなりずれすぎだ。自分が全くの別人にいきなり生まれ変わってしまったかのように感じてしまう。
だが僕には、光花市の夢の群を見るそれ以前のこの世界の記憶も当然あり、思い返せば生まれてから今に至る人生の道のりも、克明とまではいかないまでもしっかりと思い浮かべることができた。
思い浮かべると急速に夢の記憶が薄れてきた。
当然だ。
夢は所詮夢。
現実の持つ力には敵わない。
くだらないことを考えている暇があったら、さっさと歩を進めよう。今から出発すれば、なんとか昼前にはルミフロウンの街に辿り着けるだろう。
気を取り直して僕、エリュキリオ・トーチは休んでいた木陰から出て、荷物を片付ける。
あくびをかみ殺す。
「レナ。そろそろ行くよ」
口元を押さえながらどこともなく声をかけると、頭上の木の枝が大きく揺れる。葉の影から、白い鳥が姿を現した。細身だが、大型の犬ほどの大きさがある。真っ白ではなく、頭の天辺から背中に掛けて、朱色の毛が筋のように生えている。レナと呼ばれた鳥は、体重を感じさせない動きで飛び上がり、僕の左肩に留まる。巻きつけるように首を回し、
レナの体重にわずかに体を揺らすが、一瞬で体勢を整えて荷物を担ぐ。
「さて、四年ぶりの故郷だ」
自分の知っている物はどれくらい残っているだろうか?
感慨に浸り始めながら蒼い空を見上げた。
あと丘を二つ、と言ったところで妙な看板を見かけた。
『ゴブリン注意!』
ごく最近に建てられたのだろう。汚れの少ない、綺麗な看板。雨風に晒された様子もほとんど見られない。小柄な鬼のシルエットがどこかコミカルなイラストで描かれている。
ゴブリン。小柄な妖精の一種。一般的に邪悪な種族だと思われ、十六年前の『大戦』が終結してからも、しばしば人間たちと対立してきた。最も、力も魔力もさほど強くない妖精であるため、集団で行動しない限りはさほど大きな事件にはならなかったのだが。
だが、こんなに街に近い場所で、ゴブリンの被害があるとはどういう事だろう?
きっと大したことはないのだろう。大したことならば、通行止めになっているだろうし。どうせ群からはぐれたゴブリン二、三匹がちょっとした悪戯を起こした程度の話なのだろう。
しかし、ゴブリンという言葉について、どこか最近に聞いたことがあるような気もしたが、思い出せない。
この街道でのゴブリン被害について、噂でも聞いていたのかと思ったが、既視感めいた物すら浮かんでこない。
「ま、いっか」
ならば勘違いなのかと気を取り直して、看板の横を通り過ぎる。
良い天気だった。
空は抜けるように蒼く、大地は陽光を反射して眩しさを感じさせるほどだった。
道の端、木陰を選んで歩いていると、不意に頭上の枝が、大きく弾んだ。
茂る葉の陰から小さな土黒い顔が覗いていた。
落ちてくる。
それを視認した瞬間、体が動いていた。
腰が下がり、右手は剣の柄に手を掛けて、一気に抜き放っていた。
(まずい――!)
あまりにタイミングが合いすぎていた。土黒い顔――ゴブリンの落下と、剣を抜き放つタイミングが。
このままでは確実に殺してしまう。
意識した瞬間、流れに逆らって手首を捻っていた。落下するゴブリンの体と剣筋が交錯する。
鈍く嫌な音が、骨を、肉を通って鼓膜を振るわせたように思われた。
ゴブリンが剣の腹に叩かれ吹き飛ぶと同時に、右の手首から鈍痛が体を走り抜ける。無茶な動きをしてしまった。
無理矢理、手首を捻ったためゴブリンを叩いた瞬間妙な負荷が右手首に掛かってしまった。骨までいってはいないだろうが、少なくとも肉や筋は確実に痛めているだろう。
慌てたようにレナが僕の肩から離れて空に飛び立つ。そして、警告するように一声上げた。いや、遅いって。
「いっ、痛ぅっ!」
手首を押さえてうずくまるが、剣は手放さない。だが、ゴブリンに仲間がいるかもしれないと思いつき、警戒の態勢を整えようと慌てて立ち上がる。
つか、なんで殺してしまわなかったのだろう。
相手は人間ではない。ゴブリン。人間と、敵対していると断言してもかまわない、妖精たちの一種族だ。ことさらに険悪な間柄であるというわけではなかったが、一度として友好的になったことはない、はず。誤って、もしくは勢い余って、あるいは過って殺してしまったとしても、誰からも文句は出ないだろう。むしろ感謝される可能性の方が高いかもしれない。なのに殺さなかった。それどころか、普通だったらそのまま殺してしまうところを、わざわざ無茶な動きをしてまで、剣の向きを変えて、刃で斬りつけるところを腹で叩くに留めた。元々の力が強かったため、叩かれたゴブリンは吹き飛んで地面に倒れているが、少なくとも死んではいない。斬りつけられるよりよっぽどましだろう。だが、その無茶な動きのため、逆に僕自身も右手首にダメージを負ってしまった。
「きゅぅいっ!」
頭上を旋回するレナが、鋭く警戒の声を上げる。だが、その必要はなかった。僕の目にも、木の上を慌てたように逃げ去っていく土黒い色をした小柄な生物が映っていた。
ゴブリンのような一般的に下級と呼ばれる妖精たちは、総じて臆病だ。そして、ゴブリンは集団で行動することを好む癖に仲間意識は薄い。逃げ出した事を疑う材料は無い。
「ふぅ……」
息を吐き、剣を鞘に収める。
警戒を解いたわけではない。だが取り敢えずの所これ以上の戦闘はないだろうと判断する。戦闘はないだろうが、他に明らかにしなくてはいけないことは、あるけれども。
ふわりと、レナが肩に降りてきた。
「さてと……」
それを合図に、僕は静かに声を掛ける。
「それで、君は何の用だい?」
草むらの中から顔を出している少年に声を掛ける。
見た目十歳ほどの人間の子供。呆然とした面持ちで僕を見上げていた。
「……君、人間だよな?」
反応のない少年に対して、少々失礼とも捉えられる質問を投げかけた。しかし少年は呆然としたままで、応えない。無反応というわけではなく、感情がないわけでもない。エリュキリオが問う度に眉の上が微かに動くし、表情は驚きに固まっている。
「……人間だよな?」
今度は少年へではなく、レナに対して問いかけた。
レナは心持ち首を傾げて見せたが、やがて大きく二回、縦に振り、うなずいた。
人間そっくりな、どころか見た目人間と変わらない妖精も、中にはいる。妖精と人間を分け隔てる境界は、体内にアェタイトの結晶を持っているか否かである。それは、一流の魔法使いか、よっぽど高価な晶力機器にしか見分けは付かないだろう。僕は魔法使いではないし、そのような晶力機器は持っていなかった。警戒しても、しすぎることはないだろうが、僕はこの時、本気で警戒していたわけではなかった。
「おい、大丈夫か?」
少年の目の前で右手をひらひらとかざす。
それが合図になったのだろうか。少年の口がゆっくりと動き始めた。そして唇は『う行』の形に固定された。
「…………す…………」
言葉が漏れる。外見によく似合った、思春期前、男女未分化な頃の高い声だ。そんな呑気な印象を受ける。
「す、す、すすすすっげぇっ!」
突然大きく跳ね上がった少年の声に、僕は目を丸くして驚き、わずかに引く。
「な、何が?」
「兄ちゃんすげえよ! あんまり強くなさそうなのに、片腕でゴブリンぶっ飛ばすなんて!」
「つ、強くなさそうって……」
よく他人から言われることではあったが、それなりにショックだった。
「腕ほせーし、力無さそうなのに、すっげー吹っ飛んでたじゃん」
「いや、ゴブリンってそんなに重くないしね」
「でも上から落ちてきたんだぜ? 体重以上の勢いが乗ってただろうに。それを、あんなに体勢崩した状態で、力の掛かる方向もずれてるはずなのに、完全に気絶させるほどの勢いでぶっ飛ばせるなんて、ただ者じゃねえよ!」
「……よく見てるね」
よく見ている、どころではない。
少年離れした観察眼を感じ、わずかに警戒心を戻す。だが、警戒を始めた僕に気付かないのか、少年は興奮抑えきれぬ様子で目を輝かせまくし立てる。
「兄ちゃん何者? 傭兵?」
「――傭兵では、ないな」
「どっかの軍の人? まさか、騎士?」
「……今は、違うな」
「……? じゃあ、何なのさ?」
「…………旅人?」
なぜか自信なさげに答えてしまった。少年も不思議そうな目で見つめてくる。
「きゅぅん」
レナが心配そうな声を上げた。僕は微笑むと、安心させるようにレナの背を撫でる。
「四年ぶりの帰郷なんだ。終わった仕事のことくらいは、忘れても許されるだろう」
呟くように口にして、そこで初めて僕は自分の気持ちに気付いた。
仕事。
共和騎士団の仕事。
共和騎士団は最大にして最強の人類共用戦力。だった。
十六年前の大戦を機に誕生し、そして大戦からの復興がようやく目処の立った今年、各国政府からの圧力によって解散することとなった。
妖精たちと戦うこと。
共和騎士団の始まりの契機からすれば、その命題は至極当然のものだった。そしてそれは、大戦終結から十六年経っても変わらなかった。
その共和騎士団が突然解散した。今後のことを考えた時、故郷へ戻ることしか思い浮かばなかった。
ゴブリンを斬らなかった。妖精を斬ろうとしなかった。
それは共和騎士団の存在意義を否定すること。大げさかもしれないが、理屈から言えば、そのように結論されても不思議ではない。
しばらく忘れてみようと思ったのだ。共和騎士団のことを。妖精との戦いのことを。
妖精と戦い、それを斬ることは、共和騎士団の仕事とつながることだから。
どうしてもあの日々を思い浮かべてしまうから。
「……兄ちゃん。なんかあやしいやつだな?」
「……君も他人のこと言えないと思うけどな」
「そっかぁ?」
自覚していないのだろう。憮然と少年は腕を組む。
得体の知れない少年だ。
草むらから出てきたのは、文字通り隠れていたのだろう。それが何からなのかは不明だが、ゴブリンが出ると看板も建てられるほど有名な出来事を、知らなかったとは思えない。僕と同じように旅人ならば別だろうが、いくら洞察力に優れているからといって、こんな子供が一人で旅をしているなどとはとても思えなかった。
ならば、少年は地元の人間で、ゴブリンが出ると知りながら、一人でここに来て、隠れていたのだ。
隠れていたのはゴブリンから見つからないようにするためだろうか?
それならば良いが、そんな可能性は少ないと感じた。
少年とゴブリン。それぞれが隠れていた場所はあまりにも近すぎる。
まずゴブリンに見つかりそうになった少年が隠れる。そして、近づいてくる僕に気付いたゴブリンが、待ち伏せのために隠れる。
少年がゴブリンから姿を隠そうとしたのならば、その行動の因果はその流れしかないように思われた。
それならばいい。いいのだが、僕はどうしても、もう一つの可能性を頭から捨てきれないでいた。
つまり、少年がゴブリンに協力している。
ゴブリンは一応言葉を用い、ある程度高度な意思疎通の可能な生物だ。ならば、何らかの密約がゴブリンと少年との間で交わされていたのだという考えは、それほどおかしな話じゃないように思う。
だが、少年は僕の内部の疑惑に何も気付かないのか、親しげに話しかけてくる。
「兄ちゃん。月下の都市、ルミフロウンは初めてなのか?」
「月下の都市……今はそんな形容が付いてるのか?」
「初めてじゃないんだ?」
「四年ぶりだよ」
「そっか、四年も経てばきっと色々様変わりしてると思うぜ。俺が案内してやるよ」
「様変わり、か」
実家のことを思う。
両親はすでに亡く、今は妹の嫁ぎ先の家が代理に管理してくれているはずだ。
「俺、グリプっていうんだ。兄ちゃん、ひょっとして、共和騎士団の人?」
「……なぜ、わかった?」
「んー兄ちゃんの返答、考えてたらね。最近、共和騎士団が解散したって聞いてね」
解散したのではなく、解散させられたのだ。
「それに、兄ちゃんのその剣、アェタイトが混ざってる聖剣だろ? 兄ちゃんくらいの年齢でそんなのが持てるって、共和騎士団ぐらいしかないもんね」
舌を巻く。
「……凄いな」
素直に賞賛の声が出た。
少ない情報から条件を組み立てて答えを導く。
勘も混じっているのかもしれないが、少なくとも年齢離れした観察眼と分析力を持っているのは間違いない。
「兄ちゃん、名前は?」
相変わらず屈託のない声で尋ねてくる少年――グリプ。
「エリュキリオ・トーチ」
普通に答えると、間髪入れずグリプは左手を差し出してきた。
「よろしくなっ!」
元気良すぎる声を聞きながら僕はまた一つの疑惑を感じ始めていた。
ひょっとして今、彼が左手を差し出してきたのは、僕の右手を庇ってのことなのだろうか?
僕の痛めている右手を庇うため、あえて左手で握手を求めてきたのだろうか?
どうだろう?
わからない。
左手で握手することもある。たまたま気分で、そうしたのかもしれない。
だけど、逆に、本当にグリプは全てを知って、気配りを見せたのかもしれない。
だとすると、本当にグリプはただ者ではない。
握手を解くと、グリプは楽しそうに歩き始めた。
「エリュ! 街はもう少しだ。がんばろう!」
いつの間にか僕を先導する気になっているらしい。
一瞬レナと顔を見合わせて、互いにその表情に困惑を見て取ってから、ゆっくりとグリプの後を追う。
「ちょっと待て。その『エリュ』という舌を噛みそうな愛称は僕か?」
「そうだけど、気に入らないのか?」
「いや、ずっと『ユキ』って呼ばれてたんでね。そう呼んでくれると助かる」
「いいけど……どこから来たんだその愛称は?」
「単純にエリュキリオだから『ユキ』だ」
「……ちょっと苦しくない?」
「実は僕もそう思う……」
「そもそも何だってそんな変なニックネームになったんだ?」
「……わからん」
本当に不明。いつの頃か気付けばすでにそのように呼ばれていて、変わっていない。
「まあいいか。行こうぜ、ユキ!」
切り替えが早いのか、すぐに丘を駆け上がっていく。
その後ろ姿は年相応の無邪気なもののように感じられた。
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