第5話 『聖霊体系アイオーン・前日譚より』


 テレビでドラマを見ていて、唐突に停電になり、すべてが闇に沈んだような。

 本を読んでいてクライマックスで盛り上がり、ワクワクしながらページを捲った瞬間に『次巻へ続く』と出て、それっきり打ち切りで続刊が発売されなかったような。

 そんな感覚を得て、時津粉雪ときつこなゆきは目を覚ました。


「ああ、これからって時になんだこれはっ!」

「いや、お前こそ起きてくるなりなんだ」


 呆れたように声を掛けてきたのは金髪長身の美女、ルーラ・アルノルトだった。


「いやだってさ、戦時中の淡々とした日常の中で、ようやく異変が起きて、さあこれから始まるぞっ、って所だったんですよ?」

「……だからお前は何の話をしている?」

「は? そりゃあ…………」


 応えようとして粉雪は言葉を詰まらせた。

 周囲に伝わるはずもない夢の話を、当たり前の日常のように語ろうとしている自分に気付き、気付いた瞬間に、すでに夢の感覚が薄れつつあることに気付いた。


「はて? 何の話だったかな?」

「知るかっ」


 ルーラは乱暴に唾棄するように言う。

 苛立ちをぶつけるかのようなルーラの声を受け流して、粉雪は周囲の状況を確認した。

 広く明るい部屋。ホテルのロビーを思わせる雰囲気のホール。そのほぼ中央にあるソファーで、自分は眠っていたようだった。不意に、戦時待機、なんて言葉を思い出す。

 まあ似たようなものだ。あの世界では国同士の戦争だったけれども、この世界では少し特殊だ。

 一応大雑把にカテゴライズしてみれば世界同士の戦争と言えなくもないが、相手側は兎も角、こちら側が相手しているのはただ一組織のみだった。

 そうしてその一組織を除けば、敵世界の攻撃はとても散発的で、世界は概ね平和と見ても差し支えない。

 規模が大きくなっているのか小さくなっているのかよくわからない。

 そんなぼんやりとした思考を粉雪は、額を抑えて小さく頭を振ることにより頭の中から追い払った。

 改めて自分の立ち位置を確認すると、場所は光花港に泊まっている船の中。秘密結社『スタウロス』の誇る豪華客船風偽装司令船『ソフィア』の中だ。

 頭を掻きながら粉雪はゆっくりとソファーから立ち上がる。軽く服の埃を払いながらまだ何やら怒って文句を言っているルーラに対し、全く拘りなく尋ねた。


「ところでルーラ姉さん。状況はどうです?」

「……っ! 相も変わらず……ちょっとはこっちの気持ちも考えたらどうだ」

「やだな。考えてますよ。考えて無視してるんです」

「……こいつっ!」


 粉雪の言いぐさに流石にルーラも本気で声を荒上げようとしたが。


「万人に対しての人当たりの良さ、なんてのは主人公のアルに任せます。僕の役回りは、主人公の友人その一、もしくは味方内部のライバルって感じですね。戦隊物でいうブラックですよ」


 のほほんとした調子の声に吸い込まれるように、怒りの気分は霧散していった。


「ああ、でもこの役回りで僕の性格だったら、最終話の二話前くらいにアルを庇って死んでしまいそいうだなぁ」


 それは困る、と全く困ってない様子で粉雪は頭を掻く。


「……わけわからんから」

「んで、状況は?」


 相変わらずルーラの気持ちを頓着せずに話を続ける粉雪に、最早ルーラは溜め息しか出て来なかった。


「三十分ほど前にアルフォンスが【ロゴス】で出たよ。私たちは待機だ」

「敵は?」

「ゴブリン級が三体にワイバーン級が二体」

「……微妙ですね」


 いつもの敵の戦力より、多いとも少ないとも言えなかった。

 今まで敵が、三体以上同時に出てきたことはなかった。

 だったら多いかといえばそうでもない。ゴブリン級やワイバーン級の歪生体は侵略の初期の頃しか現れなかった敵だ。スタウロス側の戦力がアルフォンスのアイオーン【ロゴス】一体しかなかった頃は苦戦をしていたが、戦力の整った今では【ロゴス】一体だけでも十二分に対応できる程度でしかなかった。


「何か裏があるかもしれない。司令も警戒しているそうだ。【ゾーエー】も起動状態で待機しているし、【エンノイア】と【プロパトール】の起動準備も始まっている」

「ああ、なるほど」


 粉雪はアイオーン【プロパトール】の専属搭乗者アニマだ。だから、その準備の為に起こされたのだろう。

 秘密結社『スタウロス』の所有するゴーレム、アイオーンは全部で八体。そのうち、同時起動可能数は四体だった。それ以上は設備の面で、追いついていない。


「ええと、今何時です?」

「いきなり話題を変えるな。……八時半だよ」

「……夢を渡っていても、一応、時間軸にずれはないみたいですね」

「だから少しは他人にわかる言葉で話す努力をしないか!」

「大丈夫です。自分でもあまりよくわかっていませんから。平等です」

「その言葉の使い方は間違ってる!」

「ルーラさんって、日本語上手ですね」

「だからコロコロと話題を変えるなとっ!」


 ルーラが声を大きく張り上げた瞬間だった。

 轟音とともに大きく世界が揺れた。


「ぬおっとっと」


 ルーラは危うくバランスを取ったが、粉雪はものの見事に倒れてしまった。幸いにもすぐ背後に今まで寝ていたソファーがあったため、大事には至らなかったが。


「ぬ、いててて。何が……」


 痛みなど全くなかったのだが、体で受けた衝撃を振り払うように粉雪は周囲を見回す。

 ホールには他にもたくさんの人がいて、騒ぎになっている。パニックにはなっていない。騒然としてはいたが、どこか統一感を持って人々は動き、程なく落ち着いた。


「……地震?」

「そんなわけ、ないだろうっ!」


 その通り。ここは海上。地震なんて起きるはずがない。粉雪の台詞はいつもの戯れ言だ。

 粉雪のつぶやきを一言で切って捨ててルーラは走り出した。

 それを見送って粉雪は頭を掻いて、二度三度と屈伸運動を繰り返す。指を組んで、腕を伸ばし大きく体を反らす。寝起きの体を解すように約三分間ほど思いのままに体を動かし、満足がいったのか、埃を払うように膝を二度ほど叩く。


「やれやれ」


 つぶやいて、ようやくゆっくりと歩いてルーラの跡を追った。





 艦橋兼司令所は喧噪にまみれていた。

 その多くは機械音と電子音。二重三重に重なる警戒音とオペレーターたちのキータッチの音。外部の音を拾ったスピーカーから鳴り響く無数の破壊音。そして、慌ただしく駆け回る人々の足音だった。その中で響く人の声は一つだけ。毅然として命令を飛ばす、司令官ルートガー・デーアの声。

 三枚の巨大な液晶モニターには、様々な角度から撮影された戦況が、無数のデータと共に表示されている。

 ――大昔の神話から抜け出てきたかのような怪物。

 ゴブリンやワイバーン。

 だが、ワイバーンはとにかく、妖精物語のゴブリンは、十メートルもあるような巨体ではなかったはずだ。むしろ『ゴブリン』の名を冠する生き物は、人間より小さな物ばかりであるはずだ。少なくとも、これまで粉雪が読んできた文献では、そうなっていた。

 例外的――と言うわけでもないのだろう。

 この世界に現れた『ゴブリン』は、現れた始めからその巨体だった。

 ならば『ゴブリン』とは、その造型の類似により便宜的に名付けられた名称であり、ソレその物を指す、本来の名ではないのかもしれない。


(変なこと、考えてるな)


 粉雪は自覚していた。

 いくら八百年も前からその存在を知られてたとはいえ、歪次元の生命体はこの世界に対してずっと秘せられていたのだ。一部の間でのみに通用する名に、本来も何もないだろう。

 集団で蠢くゴブリンを迎え撃つように、白い石像が立っている。

 なめらかな流線型を描き、鏡面のように光を反射し輝くそれこそ、秘密結社『スタウロス』の誇る聖霊駆動型人形ゴーレムアイオーンが一つ『ロゴス』だ。魂の欠けたそれを動かすために、今、アルフォンス・クラン・デーアがアニマとして同期している。


『司令。早く指示を!』


 唐突に右のモニターの一部にウィンドウが現れ、整った顔立ちの少年が現れる。

 真っ直ぐな意志を湛えた澄んだ瞳。真剣な表情だが、愛嬌も失われていない。それは、思わず人々に笑みをもたらす。


(自分には無いものだ)


 粉雪はしっかりと自覚していた。

 だが、アルフォンス自身は自覚していないだろうことも、予測していた。

 それこそが主人公としての資質であり、条件なのだと、粉雪は考える。確信に近い思いだが、しかし、完全に確信には至らない。

 物語の主人公。

 人はその人それぞれの物語を持ち、またそれぞれの物語において常に主人公である。

 ――そんな話ではなくて。

 粉雪が思うのは、この歪次元からの侵略者なる謎の怪物が存在し、それに対抗する組織があり、戦力――アイオーンがあるこの世界での主人公。歪次元の侵略者と戦う為の力を得るため、同じく歪次元より召還した『管理存在』は魂を持たず、動かすためには『適性者』なる『アニマ』が必要だ、というこの世界での主人公。そして、アニマとして集められたのが十一歳から二十歳までの八人の若者(今は四人しかいないために予定)だった、というこの世界での主人公。まるで、このロボットアニメのような世界に於ける、世界の中心となるべくして存在する主人公。

 そんなの、ひどくメタな思考だと、気付かないわけがなかった。


「ああ、アル。一気に片付けろ。【ゾーエー】もすぐに出す」


 デーア司令の静かな声がアルに対して言葉を返す。

 アイオーン【ゾーエー】はアルのアイオーン【ロゴス】の対になるアイオーンだ。

 二体そろって真なる力を発揮する。

 今回の敵の戦力ならば、アルだけでも問題は無いと思うが、司令は念を入れたのだろう。もしくは、あまりにも少なすぎる敵の戦力に対して警戒の意味もあるのかもしれない。


「では【ロゴス】転送――」


 続けてデーア司令がオペレーターたちに【ロゴス】転送の準備の指示を出そうとした瞬間だった。


『待て、デーア司令!』


 突然モニターのアルを押しのけるように、その上に新たに白髭を蓄えた老人の顔が映し出された。


「エイレナイオス老!」


 老人の名を叫ぶ声は一つではなかった。


『待つのだ。デーア司令』


 エイレナイオス老。錬金術士。そして秘密結社『スタウロス』の特別顧問。

 八百年の歴史がある『スタウロス』だが、近代になってもある程度の魔術的秘蹟を保管し得たのは、その殆どが彼の功績だという。粉雪も詳しくは知らないが、エイレナイオス、彼がいなければ今の『スタウロス』はなく、人類は歪次元の侵略者どもによって、とっくに侵略されつくされているだろう――ことは事実なのだと、思っている。

 だが、エイレナイオスはこれまで目立って表に出てくることはなく、どちらかと言えば縁の下で組織を支えることが殆どだったはずだ。このように作戦行動中に口を挟んできたことなど、粉雪の知る限りでは、ない。


「どうしたんですか。エイレナイオス特別顧問!」


 叫ぶように尋ねたのは、デーア司令ではなく、戦術オペレーターである井崎仁いさきじんだった。


『これは陽動だ』

「何ですって!」

『まもなく日本海側に、おそらく今回より強力な侵略者どもが現れる』


 それは予言。

 確実に起こることを告げる、預言のごとき予言。


「二面作戦だとっ!」


 これまで、敵が二カ所に同時に現れる何て事はなかった。


『同時に具現化できるアイオーンは、四体までだ。この場が一体で事足りるなら、戦力は温存したいところだろう』


 また、陽動などと、敵が人間のような戦術めいたことを使うのも、ほとんどこれが初めてかもしれない。

 唖然とした空気が流れる中、最初に動いたのはモニターの向こうのアルだった。


『なるほど。僕がこの敵を瞬滅してしまえば、敵の目論見は崩れるわけですね』

「そうだ。やれるな、アル?」


 続いて冷静な声を発するデーア司令。


『ああ、もちろんさ!』


 不安の影の、欠片さえも見えない闊達な声。不動の決意。

 不意に司令の視線が艦橋を一周し、ルーラ、そしてそのやや右後ろに立つ粉雪で止まる。


「というわけでルーラくん、ユキくん。そしてイーナ。君たちには日本海へ行ってもらう」

「わかりました」

『了解です指令』


 すぐに返事を返したルーナ、そして無線を入れてきた【ゾーエー】にて待機中のイーナに対して、粉雪は言葉を発さずにただ頷く。そして指示を待たず、準備のために艦橋を駆け出る。


 ――なんて、無愛想なのだろう。


 自分で、思う。

 アルと比べて、自分はなぜ、こうなのだろう?

 何クールなのかは知らないが、長い物語の中で、一回や二回は粉雪が主役を張る回があるかもしれない。けれどもそれは決して今回ではないだろうし、あったとしてもそれは場つなぎ程度のこと。どうせ今回の話もまた、主戦場は粉雪の所と思わせておいて、どうにかこうにかしてアルに見せ場が回ってくるのだろう。

 それでこそ、主人公だ。

 無言で粉雪は廊下を歩く。

 歩きながら、思考を走らせる。

 まずい傾向だ。

 思考が止まらない。

 ああつまり、きっと、信じていないのだ。

 ――何を?

 この世界を。

 まるで巨大ロボットのような石造りのゴーレム――アイオーン。

 神話から抜け出てきたような巨大な怪物と戦う。

 戦うのは多感な年頃の少年少女たち。

 友情や葛藤。

 そして何より、全ての中心となる主人公。

 物語の、主人公。

 自分が主人公でないことは、良い。それは認める。

 自分が主人公向きの性格でないことは、きちんと自覚している。

 だけれども、だからこそ。

 主人公にぴったりの性格を持った人間が存在するこの世界を。

 こんな世界を、粉雪は、現実だと認められない。

 この世界が確かに現実であると、意識できない。

 まるで夢物語。

 物語の中でしかありえないはずだ。

 どんなに現実を感じようとも、この世界は泡沫の夢。

 どこかの誰かが見る夢。

 けれども疑問に思う。

 この世界が夢ならば。

 どの世界が現実なのだろう。

 どの世界で目を覚ませばいいのだろう。

 現実を固定できない。

 意識は夢を渡り続ける。

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