第4話 『極東戦線のPRISM』
白昼夢。
気が付くと、夢を見ていたことに気付いた。
眠っていたという感覚はない。実際、ほんの一瞬だったのだろう。
昨晩は徹夜で、一晩中気の抜けない緊張が続いていた。夜が明けて『今日はもう無いだろう』――誰かが言ったその一言で瞬間辺りの空気が緩んだように感じられた。雰囲気に巻き込まれるように、僕もまた張りつめていた緊張の糸を緩め――その間隙を付くように一瞬の睡魔に囚われたのだ。
すぐに解放されたが、その一瞬の間にとてつもない量の情報が、夢が、脳の中に流れ込んできた。
そう、流れ込む、だ。
本来夢とは脳の情報整理の為に見るものだと聞く。
ならば、脳の奥から染み出すように出てくるもので、外から流れ込むのなら、全くの逆の話だ。
これは夢ではないのだろうか?
考えたが、見たものは普段夜に見る夢と違ったところはなくて……
(うん。あれは普通の夢だった)
平和な夢。
平和な世界の夢。
あまりにも荒唐無稽で、笑い出したくなるような平和さだった。
(けれども、夢を見たと、はっきり自覚したのはいつぐらいぶりだろう?)
夢を見た。夢を見たと自覚した。そんな感覚、久しく覚えがない。
夜は夜で疲れ果てて夢に気付くことのない深い静寂に落ちる。近頃はそんな毎日がずっと続いていた。
夢も見ない眠り。
もっと幼い頃は。
戦争なんて何も知らなかった幼い頃は。
今よりもっと頻繁に、眠ると夢を見ていたような気がする。
どうして見なくなってしまったのだろうか?
疲れているからだろうか?
そして、どうして今、見てしまったのだろうか?
――正確には、夢を見た、とは言えないのかもしれない。
白昼夢。
起きていて見る夢。
その意味を考える。
(まるで、表に出られず抑圧されてきたモノ――夢が、堤防が決壊するように、内圧に耐えきれず溢れ出てきてしまったかのよう……)
そんなの、わからないけれども。
どうせ夢なんて、自分が自覚できていないだけで毎日寝る度に見ていたのだろうし。例え夢を見たという自覚が寝起きの一瞬にあったのだとしても、ただ忘れてしまっているだけだろうし。
(いや……今回の場合は、内圧ではなくて、外圧か)
外から侵入してきた夢。だが少しおかしい。
外から入ってきたと同時に内から溢れ出したようにも感じられる。
空気を入れすぎた風船が、弾けそうになるように。
そしてわずかに空いた穴から一気に零れ落ちるように。
「……おい、
声を掛けられ
「小隊長……っ!」
気付くと同時に顔から血の気が引く。いつの間に、隣りにいたのか。
小隊長はもちろん夕樹よりも強く、気配を隠す技術にも長けているが、側に来るまで気付かない何て事はありえない。普段の夕樹ならば。
白昼夢とそれに続く思考の渦。それらに気を取られ、没入しかかっていた。周囲への警戒を忘れて。小隊長が近づいてくることに気付かなかった。
それは、敵が側まで気配を消して近づいてきたとしても気付かない事につながる。
「らしくないな? 何を考えていた?」
「別に……ただ、わからないことを、考えていました」
「ふむ。敵の目的、とかこの戦争の行方、とかかな?」
小隊長の言葉は的外れなものだったが、夕樹はあえて否定も肯定もしなかった。
戦争警戒警報が最上級である『ONE』に引き上げられてから、どれほどの時間がたっただろう?
一〇〇キロメートルほど西に離れた長州市では一週間も前からズィムリア=レイイン連合軍(治軍)の斥候部隊との戦闘態勢に入っているというし、そう離れていない光花市に侵攻してくるのも時間の問題だろうと思われた。
(……いや、むしろ遅いくらいだな)
治軍の戦力は圧倒的だ。主力のほとんどを西大陸に移している和軍に勝ち目はない。援軍の充てはあることにはあるのだが、統幕会議の失態によりそれが整うのはあと半月も先のことだと言われている。それまで長州市が持ち堪えられる可能性は絶望的だし、光花市にしても厳しいところだ。唯一の幸いは、一般市民の疎開避難がほぼ完了していること。今光花市に残っているのは危険を知りつつ残ることを選択した変わり者か、夕樹たち軍人だけだ。
(あと、動かすことのできない、重傷者たちだな)
流石に治軍の連中も国際条約で保護されている赤十字の建物を攻撃することはないだろうが。
「おかしい、と断じてもいいな」
不意に独り言のような声が響いた。それが小隊長の、自分に向けられた声だと気付くのに、少しの時間が掛かった。夕樹が顔を向けると、小隊長は真剣な表情でうなずいた。
「長州と治軍の戦力差は明らかだ。長州の連中が一週間も持ちこたえられるはずがない」
「戦況の情報は、ないんですか?」
「……ない。比較的善戦しているような、話は聞いていたが、情報は一昨夜から途絶えている」
それは、長州軍が全滅したと――
「た、例え敗北したとしても、伝令兵が連絡に来るのでは?」
それどころか、長州軍には情報を操ることを主な仕事とした情報隊があったはずだ。
「伝令兵を派遣する余裕もないほど、一瞬で敗北したのかもしれない」
「しかし、二日は長すぎる。こっちからも斥候は出しているんでしょう?」
「らしいが……還ってきた者はいない」
何が起きているのか?
その疑問を夕樹は飲み込んだ。
わからないからこちらからも情報隊の斥候を送っているのだし、その斥候が還ってこなければ何も情報は得ることができない。わからないままなのだ。
「そもそも始めから不自然だったのだ。最前線は西大陸だったはずなのに、奴らはいつ、東大陸に二十個師団も集めたのだ?」
東方の警備を任務とする東方方面軍の四軍のうち、残っていたのは第三方面軍の六個師団だけだ。しかもそのほとんどが前線に立って敵軍を攻撃する攻勢軍ではなく、都市の防衛、治安維持、人民警護を主とする防衛軍だった。戦力――特に火力に於いて、大きく劣っている。
「……不気味ですね」
「朗報がないわけでもない」
「……援軍が、決まったんですか?」
良い知らせと言えば、それくらいしか思い浮かばなかった。
「ああ。決まったらしい。例の『黒衣の死神』も、来るぞ」
「……兄さんが? それはまた、微妙な」
本当にそれは、良い知らせなのだろうか、と疑問に思う。
黒衣の死神――
どんな困難な任務からも必ず生還する。圧倒的な作戦遂行率。超人的な戦闘能力。彼を褒め称える言葉は数知れない。だがそれでも、夕樹は深い不安を拭うことはできなかった。
冬樹を、兄のことをよく知るからこそ、だった。
公表はされている。隠されているわけではない。ただ、大々的に喧伝されていないだけ。
冬樹が『死神』の二つ名を持っている、その理由。
彼の関わった作戦。
確かに彼自身は常に無傷で生還し、作戦も目的だけは成功する、が。
被害が多かった。
敵味方区別無く。
「あの人が守るのは『自分』と認定したものだけですから……」
「ふむ。時田が言うのならば、きっとその通りなのだろうな」
聞き分けのない子供をあやすような口調に、少しいらついた。
「……あの人は、我が兄ながら、訳がわからない。どうして、生還できるのか。どうやって勝てるのか。しかも、自分一人で。たった一人だけで」
「……特殊能力の一種、とも噂されるな。超能力とも」
「そういう言われ方をすると、ひどく胡散臭くなりますね」
「ふむ。だが、時田夕樹。君の能力も、彼と同質のものだろう?」
「……兄のほど、顕著なものではありませんよ」
「ふむ……」
それきり夕樹は口をつぐむ。
夕樹もまた、黒衣の死神と似たような能力を持っていると、疑われている。
どんな困難な状況でも、必ず目的を達成し、還ってくる能力を。
しかし、兄の冬樹ほどはっきりと発現していないため、揶揄を込めてこう呼ばれている。
勝利の女神、と。
明らかに馬鹿にした呼び名だ。兄の『黒衣の死神』は恐怖すら混じった畏怖から来ているのに対して、夕樹のそれは明らかに対象を下に見て扱き下ろしている印象がある。
夕樹に関われば、任務に成功する可能性が高い。生還する可能性が高い。だが、それは明確に現れるものではなく、偶然とも取れるものであり、限界もある。兄のそれに比べて周囲への影響も少ない。
だから、ほとんど話題になることはない。
「……時田。ひょっとしてお前、兄の能力も、自分の能力も、正確に把握していて、意図的にコントロールしてるんじゃないか?」
唐突に小隊長がつぶやく。見上げた表情は思いの外真剣なもので、夕樹は口をつぐむ。
何を見て、何を感じて小隊長がそんな言葉を漏らしたのか、わからない。
けれども心当たりも自覚も、全くないわけではない夕樹には、何も応えることができなかった。
「兄の能力を君は『自分と認定したものだけを守る』と、言ったな? そんな評価の仕方は初めて聞いたが、身内の言うことだ。おそらく正しいのだろうと思う」
「…………」
「そして時田。きっと君の能力も、兄のそれと同質のものだ。ただ『自分と認定する』その範囲が、兄に比べて広いのだ。だから能力の効果も薄くなり、目立たなくなる。だが、君はやろうと思えば、兄と同じ事が出来るんじゃないのか?」
兄と同じ事をする。夕樹は一瞬、その意味について考えてみる。
「…………小隊長、僕は――」
だが、言葉を返そうと発した瞬間だった。
背後で強い光を感じ、言葉を飲み込み振り返る。
視線の先。長州へと続く街道。道は広いが遠く山裾へと飲み込まれるようにして消えている。
「……何が――」
つぶやいた瞬間だった。
怒号のような音が、周囲を満たす。
震える空気の振動は、衝撃波すらも伴っているようで、乱された風が縦横無尽に吹き荒れる。
軍帽が空を舞った。
思わず、夕樹はそれを目で追う。
帽子は空を回転しながら飛び、ビルの三階くらいの高さまで上がった時、唐突に力を失ったかのように真っ直ぐ下に落ちた。
すとんと、音がするかのように一人の少女の手元にぴったりと落ちる。
少女は帽子をしばし考え込むように眺めていたが、やがて悪戯っぽい笑みを浮かべると、帽子の縁に右の人差し指を掛け、くるくると回し始めた。
「……何やってるんだ?
「いえ、先ほど情報がありまして、小隊長に報告を、と」
沙央の態度は落ち着きすぎるほど落ち着いていた。
先ほどの、謎の光と衝撃波を見たばかりにしては、不自然なほど。
「何をだ?」
問う、小隊長の声にも警戒の色が混ざっていたように思う。
その警戒は、情報の内容よりも南沙央、彼女自身に向いているように思われた。
「本部から通達がありました。全方面軍に対して。本日〇八〇〇。治軍は事象干渉兵器としてALISの最新理論に於ける至高存在の一種であるSophiaに連結した炭素結晶体を使用し――」
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