第2話 『Gold Coast』


 という、夢を見た。

 見た、と認識を得てしばらく。

 目を閉じたまま僕――津向由紀つむぎゆきは考えた。

 なんだこれは?

 妹?

 幼馴染み?

 ファーストキス?

 恋人?

 何だ僕は?

 欲求不満なのか?

 つーか、こいつら、誰?

 夢に出てきた登場人物は、僕自身も含めて、まったく知らない存在だった。

 僕に妹はいない。姉はいるけれども。登場する人物の名前にも聞き覚えはない。いや、名前の印象が似たような人間は確かに何人か知り合いにいるのだが、人物造詣がどうも僕の知っている人物とは一致しない、ように思う。一瞬、思っただけ。思っただけで、完全に一致しないとはどうにも言い切れないような気がしてきた。どこか似ている、ような気がする。しかし錯覚のような気もする。あんたら誰だ? いや、知っている、のか? なんだか、非常に曖昧な、靄のような境界に、思考は包まれていて、すっきりと晴れることはない。

 というかそれ以前の問題として、僕自身の性格も何だかおかしい。

 何考えてるんだ夢の中の僕は。いくら寝起きで半ば寝惚けていたとしても、あれほどの美少女にキス寸前まで顔を近づけられて、まったく動揺もせずに平然としているなんて信じられない。

 アレが僕ならばみっともなく悲鳴を上げて逃げ出してしまう自信がある。

 夢の中とは言え、アレが僕の態度なんて、どうしても信じられない。

 話題の推移から見るに、周囲が恋人と類推するほどの仲の良い女子がいるらしいし、何だアイツは。モテモテ野郎なのか? 何だかスカした態度の気に入らないヤツだ。意識して夢の中の僕の言動を思い出すと何だかむかついてきた。ちくしょう。彼女いない暦年齢のひがみを舐めるなよ?

 夢の中の登場人物は、三人が三人とも何だか変だった。妙にキャラクター付いているというか、現実にあんな人たちがいたら浮いてしまうんじゃないだろうか?

 それとも夢の住人でない僕だから客観的に見えているだけで、あれを身近な者同士の気安さから来ている掛け合いだと考えるならば、それほど変じゃないとでも言うのだろうか?

 ともあれわけがわからない。

 一体全体どういう夢なんだ?

 全く持って理解できない。

 何だろう。あと少しで答えの出そうな問題をいつまでも延々と考え続けている時のような、非常にもどかしい感覚。頭の中でぐるぐると何かが渦巻き、胸の奥にはどっしりと非常に粘性の高い何かが堆積していっているよう。堆積していく見えない何かはずっしりと全身へとのしかかり、息苦しさすら感じられるようだった。

 というか、こんな訳の分からないことをいつまで僕はうだうだと考えているのだろう?

 こんなの、所詮は夢だ。現実と違うことなんて、ありふれたことだし、意味なんてないに違いない。意味の無い差違に囚われて延々と考え込むなんて時間の無駄だ。

 いくら夢と現の狭間。半覚醒状態であるとはいえ、半分現実に突っ込んでいる分、時間は刻々と過ぎていく。

 何か今日は大切な用事があったような気がしたんだけど。


 ――と、そこまで考えたところで、突然頭の中に、天恵のように光が形となって下りてきた。

 光は、いくつかの単語となっていた。

 黄金。週間。学校。飼育。うさぎ。にわとり。島本先生。旅行。不在。深織みおり


「……のうわぁっ!」


 布団を思い切りはね除けて、飛び起きる。

 単語は一瞬にして文章に再構成され、僕は覚醒する。


「やべぇ。今日は朝一に学校へ行って、飼育動物どもに餌をやって、掃除をしなくちゃならないんだった」


 何その説明的な台詞。

 僕は自分につっこみを入れる。

 今日から世間的には「ゴールデンウィーク」と呼ばれる晩春の大型連休に入る。その間に予定のない僕は、学校で飼育されている動物たちの、期間中の世話を頼まれていたのだった。

 忘れていた。そういえば、昨晩は、休みだと思い込んでいて、目覚ましを掛けずにそのまま寝てしまったように思う。

 母親は昨夜から単身赴任中の父の下へ旅行へ行っていて、家の中には僕と姉の留羽しかいない。そして僕は、留羽に朝早く起きなきゃいけないことを伝えていなかった。

 つまり今日は、誰も起こしに来ることはない。

 頭の中で状況を言葉にしながら整理する。

 時計に目をやると、針は朝の七時になる直前を指している。良かった。普段起きるよりも若干早い時間帯。まだまだ全然、慌てるような時間じゃない。

 安堵の息を吐きつつ、ほとんど無意識の動作で制服に着替える。廊下の洗面台で顔を洗い、目を覚まさせ、階下に降りるとまだパジャマの姉――留羽るうが、ぼんやりとテレビを眺めていた。

 テレビは朝の報道番組。ここのところ姉が毎日続けてみている番組だ。妙に真剣な表情で画面を凝視している。斜め後ろから見た、その横顔が一瞬彫像のように見えて、僕はびくりと体を硬直させる。テレビからはいつものアナウンサーがいつもの、どこか独特な語り口で世間のニュースを語っている。ニュースは特に目新しくもない、数週間前から何度も耳にしている某社のスキャンダルの続報。続報と言っても、あらかた情報は出尽くしたようでもあり、ここ数日はどのチャンネルでも事件の纏めに終始していて発展性はない。留羽は、こんな情報の、どこに興味を示し、こんな真剣な目を向けているのだろう。


「おはよう。姉さん。早いね」


 右手を小さく挙げて挨拶をすると、留羽は不思議そうに首を傾げた。


「丑三つ時じゃない方?」

「うん。学校で、用事があるんだ。休みだというのに。なぜか」

「覆水は盆に返らないのよ? 定量的に」

「ほら、うちのクラスのバカ本……じゃなくて、島本先生。本来あの人の仕事のはずなのに『南の島にバカンスに行くの~♪』とか言って、僕に仕事押しつけやがったんだよ」

「えーと、余ってる? 升の中。きっとメッカ巡礼」

「普通、生徒に仕事押しつけるか? まあ、暇だから良いけどさ」

「ぽぅるくぉわ?」

「うん? 島本先生? 飼育委員だよ。檻中の畜生どもの面倒を見るのさ。餌やり。掃除。衛生管理。えとせとら」


 冷蔵庫から牛乳を取り出し、パックのまま飲む。冷たいミルクが喉を通り一気に胃まで落ちてくる。

 体の芯が一瞬凍える感覚。

 この感触がたまらない。

 姉――留羽は、僕の言葉にあまり興味は湧かなかったのだろう。すでに視線を外し、テレビをぼんやりと眺めていた。しかし特に興味がある番組があるわけではなかいのだろう。膝を抱えて眠そうにあくびを堪えていた。

 どうせ休みなんだからまだ寝ておけばいいのに、と思う。


「そういえば姉さんは何か予定あるの?」


 ガラスコップを取り出して、さらに牛乳を注ぐ。

 ついでのような質問の言葉に、姉の回答はない。その代わり、僕を見て、小さく首を左右に振る。

 小さな意思表示。

 ――まあ、そんなもんだよな?

 春の大型連休。僕の通う光花市立上梓学園はなぜか五月二日が理由もなく毎年休校日となっているため、金曜日の四月二十九日の昭和の日から、五月五日の国民の祝日までの七日間、すべて休みという異例の超大型連休となっている。僕の友人たちも軒並みどこかしらへ旅行へ行き、地元に残っている者はいない。姉の交流関係はよく知らなかったが、僕と似たような状況だろう。姉は一人で出掛け、何かをするような性格ではない。つまり。


「……七日間ひきこもり?」

「にゃぁ」


 なぜか鳴き声で応えてきた。

 答えになっていないセリフはいつものことだけれども。


「まあ、いいけど。早く帰ってきたら、どっか二人で買い物でも行こうか?」


 提案すると、姉は不思議そうに僕を眺める。


「星に願いを灯しても、夕闇は待たないのよ?」


 ……なんだがよくわからないけれども、なんとなく失礼なことを言われたような気がする。

 確かに、姉に気を使うなんてらしくないとは思うけれども。僕だって島本先生に用事を押し付けられなければこの七連休、何の予定もなかったのだ。ちょっとだけ共感してみることくらい、罪のないことだと思う。

 憮然とする僕に気づいたのだろう。姉は悪戯の見付かった子供のように笑い、近づいてきた。背伸びして僕の頭に手を乗せ、三度ほど撫ぜるように叩く。

 いや、なんか幼児のように慰めようとしてくれてるみたいだけれども、どっちかといえば色々と障害の多い姉の方がより被保護者っぽいと思う。

 単身赴任中の父の元へ、母一人だけで行ったのだって、姉が高所恐怖症に加え激しく乗り物酔いする体質で、飛行機に乗れなかったからだ。そして、そんな姉の面倒を見るために僕も残り、結果、予定のない連休を過ごすことになる。

 だから、島本先生に用事を押しつけられたんだけれども。

 というか、姉は僕と二人で出掛けることが、不満なのだろうか?

 ふと思い、肩に不安がのし掛かる。


「……姉さん」

「トースター発進! 希塩酸をぶち飛ばせっ!」


 しかし、満面の笑みを浮かべる姉の表情は、一瞬にして周囲の不穏な空気を払ってしまった。

 なんだか楽しそうだし。僕と一緒にいることが嫌ってわけでもないんだろう。

 誤魔化されているような、どこか納得できない気分はいつものことだけれども。

 姉が楽しそうなのは、演技でも何でもないはずだし。

 無理矢理自分を納得させるように頷いて、僕は、姉の言葉通りトースターを起動させて、食パンを焼くのだった。

 でも、姉の言葉ほど信用できないものは、この世にはないんだろうけれども。


 そうそう。

 姉のセリフ。

 すべて、誤植では、ない。


 じゃあ、そういうことで。

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