第六章 寂滅(ジャクメツ)  4 影浦

 影浦は集中治療室(ICU)でしばらく眠った。

 管挿管かんそうかんのチューブは留置され、人工呼吸器に繋がれていた。点滴も繋がれたままだ。

 意識の奥底から、聞き慣れた声による、聞き慣れた呼びかけがあった。粗暴な口調でうんざりさせられることも多かった声が、今はなぜか心地良く感じた。

『おい! 瑛!』

『夕夜!?』

『何、最後の最後で、しけたザマさらしてやがんだ?』こんな状況でも、夕夜の悪態口は健在だ。

『だって、いきなり撃ってくるんだもん! 命だけは狙われないと思ったのに』瑛は言い訳する。

『あのババア、完全に頭がイカれとったろ! そンくれぇ予想しろってんだ』

『でも、あんな大量の出血。僕が血に弱いの知ってるでしょ』

『あぁ。よくぞ、あそこまでこたえたもんだ。さすが俺! 日頃からこの肉体を鍛え上げてやったんだ。感謝しな』

『それは僕もビックリしている。自分にこんなパワーが眠ってるなんて思わなかったよ』

『バカか! 人格は違っても同じ肉体に宿ってるんだ。てめぇにだってポテンシャルはあるに決まってんだろ! 正しく言えば、パワーはあるけどその引き出し方が分からねぇ、だろ!?』

『んじゃ、僕も、聖飢魔Ⅱ歌えるかな?』

『あぁ、今度、女の前で披露してみろ』夕夜は笑った。

『そだね。その前にまたミサに行かないとね!』

『そうだな。こんな風に誰にも邪魔されずによぉ、俺らだけでサシで話し合うのも、何か名残惜しいな』夕夜は心なしか楽しげな口調だった。

『名残惜しい?』

『あぁ。いつもなら、この俺があの組織に殴り込めば、十秒もあれば抹殺できた。てめぇみたいにチャカぶっぱなされる前に片付いてた。でもそれを敢えてしなかった。今回俺は裏方に徹した。その意味が分かるか?』

『……意味?』

『てめぇを独立させるためだよ』

『独立……』瑛は夕夜の言うキーワードを、繰り返しながら考えた。

『言っとる意味が分からんのか? ホントどこまでもたわけだな! てめぇはいつまでも二重人格でいたいのか。こんな俺みてぇな粗野そやな荒くれ者と、同居してぇか』

他人ひとはそう言うかも知れないけど、僕や風岡くんや優梨たちはそうは思っていないさ!』

『おめぇは奴らの仲間うちだけで生活を送るわけじゃねぇだろが! これから進学するか就職するか知らんが、こんな得体の知れない凶暴な性格が潜んでる奴に、積極的に近付く物好きなんざ少ねぇぞ。お前だって分かってんだろ?』

『そ、そうかもしれないけど……』

『おめぇは、ちゃんと恐怖にった。そして女を救い出すために戦った。その姿を俺は見届けることができた。それで満足だ』

『でもまだ、僕には夕夜の力が必要だ』瑛は食い下がった。

『人はな、どんなに大切にしてる奴でも、いつかどこかで別れなければならねぇ。それが早くやって来るか遅くやって来るかだけの違いなんだ。この交代人格だって例外じゃねぇんだ。出現する必要がなくなれば、自ずと消え去る運命だ。今回俺は、お前の悪に打ち克つ姿をしっかり見届けることができた。もう悔いはねぇ。俺はもう出てくる必要性はなくなったんだ。だから、これからはお前一人でやっていけ』

『それは困る……!』

『大丈夫だ。消えると言っても、生命体として死ぬわけではない。きっと意識の深淵しんえんに眠るだけだ。人格として現れたり、こうやって喋ったりすることはなくなるが、どこかで見守るくらいのことはしてやるよ』

『ゆ、夕夜? ちょ……』

『あばよ。達者でな! そして、風岡や女たちにもヨロシクな! お前の交代人格、いや、イマジナリーフレンドになれて楽しかったぜ』夕夜は、どこか荷が下りたような、晴れ晴れとした口調であった。そして最後に言った。『ありがとよ』

 瑛は意識の奥底に向かって叫んだ。

『夕夜ぁ!!』

 もう瑛の声に呼応する者はいなくなった。


 瑛はようやく目を覚ました。

「センター長! 影浦さんが開眼しました!」

 ICUの担当看護師は、目を開けた影浦に気付くやいなやセンター長に報せた。何か変化があればすぐにセンター長に報せるよう指示していたようだ。周りのスタッフも急いで駆け付けた。

 センター長と呼ばれた男はベッドに駆け寄って、声をかけた。他の医師や看護師たちも近くに集まってきた。

「影浦くん、分かるか? ここは病院だ!」

 影浦には気管チューブが入っており、声を出す事は出来なかったが、代わりに小さく頷いてみせた。目はまだ完全には開けられなかった。

 ICUでは、歓喜の声が湧いた。まだ、意識はぼんやりとしていたが、それでも、昏睡こんすい状態から抜け出したことにスタッフは喜びを隠し切れなかったようだ。

「傷はうずくかい?」

 影浦はかぶりを振った。そして、手を握る、足首を動かす、深呼吸をするなどの指示動作の確認のあと、センター長自ら抜管ばっかんを行った。

 周りの医師、看護師も、まさかセンター長が直々じきじきに抜管を行うとは思っていなかったらしく、目を丸くさせていた。

「バイタルサインに大きな問題はなさそうだ。自発呼吸もしっかりしている。さすが若いと回復も早い。ひょっとしたら明日にでも一般病棟に移れるかも知れない」

 影浦と優梨のエピソードは、病院職員全体に知れ渡っていたらしい。その影浦の勇敢さをみな賞賛していた。だからこそ、影浦の覚醒はスタッフ一同が待ち望んでいたことであったという。中には思わず涙ぐむ看護師までいた。

「うちの娘を助け出してくれてありがとう。影浦くんには本当に感謝しています」

 影浦はまだぼんやりとしていたが、ゆっくりと口を開いた。

「せ、先生が、お父さん?」

「ああ、紹介が遅れました。ここの病院長をしている大城おおしろ義郎よしろうです。優梨の父です」

「え、あ、お、お世話になります……」影浦は慌てた。

「こちらこそ優梨がお世話になります」

「優梨、あ、優梨さんは?」

「娘も、幸い快方に向かっている。輸血は行ったが、たいした事はなさそうだ」

「良かった……」影浦は、安堵したように大きく息をついて、微笑んだ。

 影浦は驚異的な回復力を見せた。その日の夕食から、自分で起き上がって、自らの右手を動かして食事を摂っていた。よほど空腹だったのだろう。一粒残さず完食した。

 センター長から聞いた話によると、瑛は二日間眠り続けていたようだ。緊急手術は成功し、銃創は何とか止血され循環動態もようやく安定し、あとは意識の回復を待つばかりであったという。しかしながら昏睡状態は続いた。脳虚血による脳障害が疑われた。輸血が間に合わなかったのだろうかと思われた。このまま覚醒しないか、重い後遺症を伴うことを覚悟していたところであったそうだ。


 翌日、義郎が言っていた通り、一般病棟に転棟することができた。

 股関節付近を受傷しているため、まさか歩くことはできない。車椅子でも良かったかもしれないが、ベッドに乗せられての移動となった。何だかテレビドラマで観るような演出のようで影浦は少し照れ臭かった。

 一般病棟では、医師や看護師たちに盛大に迎え入れられた。どこから情報を聞きつけたか、他の入院患者からも廊下から、「おめでとう」との声をかけられた。まるで英雄扱いだった。念のため瑛のベッドは重症患者用個室に入った。病室には、風岡、陽花だけでなく、優梨の母と弟、足達医師、しろとり学園の施設長、さらには入院しているはずの優梨までが待機していた。

 風岡に至っては、どこで買ってきたのか分からないが、かなり大きな花を用意してくれていた。重症個室といえどもそこまで広いわけではないので、置き場所にただ困るだけの代物となってしまっていた。重症個室から大部屋に移ったらどうしてくれようか。

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