第六章 寂滅(ジャクメツ)  3 義郎

 大城医療総合センターの救命救急センターは、ヴォルテージが高まっていた。組織犯罪の巻き添えを喰らって負傷した外傷患者が二名。しかも、二名とも意識レベルが低下しているという。二人とも循環血液量減少性ショックに陥っている可能性があり、輸血を要することになることが強く示唆される。そのうちの一人は、他ならぬ大城センター長のご令嬢であり、それだけでも充分士気が上がり緊張感も増すところだが、もう一人は、その娘を救出しようとして銃で撃たれた男子高校生だという。日本では銃創自体非常に珍しいことなのに、それを数百倍、いや現実的には数百万倍と言っても過言ではなかろうか。それほどにまで現場を困惑させたのがボンベイ型というキーワードであった。

 大城義郎センター長は、病院内の会議を抜け出してすぐに救命救急センターに駆け付けていた。この状況にはじめはかなり驚愕した。それも無理もない。三日前に続いて、自分の娘が事件に巻き込まれたのだ。しかも、自分の病院にまさかドクターヘリで搬送されるなど、予測もしないことだ。さらにそれを救った人間がいる。そしてボンベイ型。驚きはしたが、義郎はデジャヴを感じていた。

「ボンベイ型か。すぐに赤十字センターに電話をしてくれ」義郎は、救急科医長の青木医師に指示した。

「分かりました。し、しかし、ストックがあるでしょうか」

「たぶん、ある。いや、絶対あるはずだ。間違いない!」

「分かりました。電話しましょう」

 青木医師は直ちに赤十字血液センターに電話した。義郎の予想通り、ボンベイ型のストックがあるということだった。しかも凍結保存で、RCC(濃厚赤血球)だけでなく、PC(濃厚血小板)、FFP(新鮮凍結血漿)も超低温で多数保管されているということだ。そのありったけを急いで持ってきてもらうように依頼した。

稀血まれけつなのに、すごい!」青木医師は信じられないといわんばかりの表情で言った。

「先生、アキラをどうか救ってください、か……」義郎は呟いた。

「はい?」

「いや、実は、私が十年ほど前に血液製剤の不足で救えなかった女性が、最期にのこした言葉なんだ」義郎はしみじみと語った。

「アキラとは?」

「その女性が私に託した息子さんだ」

「それが、今回のとどう関係が?」

「その息子がボンベイ型なんだ」

「……つまり?」

「つまり、今から搬送される、娘を救ったその患者が本当にボンベイ型であるならば、アキラという人物である可能性が高いということだ」

「それで、なぜセンター長は、赤十字に血液のストックがあると確信をお持ちであったと?」

「その女性は、当時まだ幼かった病気がちの息子の有事に備えて、その稀血の血液製剤をこの名古屋に集めていたんだ」

「なんと!?」再び、青木医師の表情は驚きに満ちた。

「そうなんだ!」そう強く言うと、義郎は救命救急センター内の全スタッフに大声で呼びかけた。

「いいか! 娘と一緒に搬送される青年は、おそらくアキラという名前の青年でまず間違いない。この人物は、かつてある一人の女性が亡くなる際に、我々に命を託したんだ。その女性にとって、その青年こそが希望なんだ! ボンベイ型の血液製剤は既に手配した。病院の威信を賭けて全身全霊で救命に当たれ! 絶対に、何としてでも、アキラ青年を救うんだ!」

 普段は温厚かつ冷静な義郎の、ここまで奮い立った声を聞いた者がいただろうか。みな驚きつつも、医師だけでなく看護師を含むコメディカル一同、一斉に奮い立った。


 患者はセンター長の娘、大城優梨と、彼女を救おうとした影浦あきらという高校生であった。

 影浦瑛の血液型は、やはりボンベイ型と診断された。

 赤十字血液センターからサイレンを鳴らし赤色警告灯を点灯させた血液輸送車が到着した。ボンベイ型の血液製剤だ。愛知県赤十字血液センターは大城医療総合センターからは遠方であったが、発注からわずか三十分程で到着した。

 万全の態勢であった。救命救急の現場でボンベイ型の血液製剤がこれほど潤沢な環境とは、とても常識ではあり得ないことだった。

 しかし、影浦の緊急でオーダーした血液データが異常だった。赤血球数やヘモグロビンが著しく低下しているのは出血しているから当たり前だ。問題は、白血球数や血小板数まで減少していることだ。通常白血球数は外傷によって増加するし、血小板は血液凝固に使用されれば減少はするが、一方で反応性に上昇することもある。彼の場合は全て著しく減少しているのだ。原因は分からない。とにかくこの状況は、貧血だけでなく、易感染性や出血傾向により注意しなければならない。潤沢な環境とは言え、予断を許さない状況であることは変わりない。

 そして、影浦の緊急手術が行われた。銃弾は貫通していなかった。左大腿だいたいこつけい付近で銃弾は留まっていた。骨折もまぬがれていた。しかし外側がいそく大腿だいたい回旋かいせんどうみゃくが損傷していて、これが出血点だった。奇跡的にも大腿動脈、大腿静脈が損傷していなかったのが、不幸中の幸いであった。銃弾は摘出し、入念に血管けっかん吻合ふんごうを行った。これを行わないと、大腿骨骨頭が壊死えしすることになる。しかし、出血傾向のため、血管吻合も止血も困難を伴った。またその他、損傷した筋肉や皮下組織のデブリードマンをするときも、多くの出血に見舞われた。輸血量はRCC、PC合わせて十単位以上にも上った。


 一方の優梨も大量の出血ではあったが、出血点は上腕動脈でありちんによる圧迫によって比較的容易な場所であった。ちょうど心臓カテーテルに利用する血管だ。優梨はAB型Rhプラスであり、院内に備蓄もあった。実は、AB型の場合、万が一急な輸血を要求されているときに、同型の血液が不足していても、RCC(濃厚赤血球)であればA型、B型、O型のどれでも受血することができる。これはAB型の血液に抗A、抗B抗体が存在しないからである。ちなみに、PC(濃厚血小板)あるいはFFP(新鮮凍結血漿)ではこうはいかないが。

 幸いにして優梨は、他に目立った外傷もなく、輸血のみの対応で事なきを得た。もちろんAB型の血液を輸血した。いちばん恐れられた脳への後遺症もなさそうだ。また、B型肝炎はひとまず陰性との結果であった。しかし、血液中のHBs抗原が検出できるようになるまで三ヶ月ほどを要するものであり、完全に安心できるものではなかった。

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