第六章 寂滅(ジャクメツ)  2 陽花

 風岡と陽花が警官とともに金城埠頭の捜索を開始してから、十分経ったか経たないかくらいの頃だった。

 北の方角から轟音ごうおんが複数回、耳をつんざいた。

 パトカーは窓を開けながら巡回していたので、その音は鮮明に聞こえた。

「何だ、今の!? 銃声か!?」

 警官はパトカーの方角を変える。その方向へと車を進めた。

 付近の建物を調べた。近くにいた工場職員と思われる人物に、銃声を聞いたか確認し、その方角を見定めた。

 すると、その延長線上に、最近使われていなさそうな工場を見つけた。警官はその建屋に走った。風岡と陽花もあとを追った。

「あ、君たちは危ないから!」

 しかし、風岡たちは居ても立ってもいられなかった。銃声が聞こえて、そこにいるだろう優梨や影浦を案じないわけにはいかない。

 高いフェンスには幸いゆう鉄線は張られていなかった。フェンスに辿り着くと風岡が踏み台となって、陽花の足を高く持ち上げた。陽花が持ち前のジャンプ力で塀の上に手をかけると、鮮やかにそれを乗り越えた。すぐに風岡が続く。腕力を生かしてフェンスを素早くよじ登った。そして、フェンスの頂上にまたがると、まだ下にいる警官に手を差し伸べた。二人の機敏な動きに感心しつつも助けは要らないといった様子で、警官もフェンスをよじ登った。

 フェンスを超えて、建屋に向かった。すると、遥か向こうから、人を抱えて足を引き摺っている長身の男の姿が目に入ってきた。


「影浦ぁ!!」

「優梨ぃ!!」

 風岡と陽花はそれぞれ叫んだ。

 近付くに連れて明らかになる、二人のおびただしい出血の痕に、思わず息を飲んだ。

「ゆ、優梨……!」陽花は泣きそうになった。

「おいこら! おめぇら、今から言うことをよく聞け!」

「夕夜か!」夕夜の怒声に風岡はすぐ反応する。

「いいから、黙って聞け! 一回しか言わんぞ! この女は大量の血を抜かれている。人事不省の状態に片足突っ込んでやがんだ。だからすぐに輸血が必要だ! ドクターヘリを呼べ! もう一つ! こいつは刺青いれずみまとったアバズレによって血を抜かれている。肝炎などのウイルス検査が必要だ! もう一つ、俺のケツのキズは瑛の野郎がチャカで撃たれたときのモンだ! チャカぶっぱなしたイカれたババアとその一味はあの工場の中で瑛が成敗した!」夕夜はいっせいに言い放った。

「瑛が!?」風岡は驚きの表情で答えた。

「そうだ! 分かったら早く行動しろ!」

 そう言うと、夕夜は優梨を抱いたまま崩れ落ちた。それを慌てて、風岡が支える。

 警官は慌てた。確かに二人のこの状況を見れば、ドクターヘリが必要なのは火を見るよりも明らかであり、すぐさまそれを要請した。

「夕夜!」風岡が呼びかけた。しかし、応答はなかった。夕夜は優梨の病状だけを言ったが、夕夜自身も相当な深手を負っているようのは明白だった。

「か、影浦くんは……、ボ……ボン……」優梨が唇を震わせた。消えそうなほどの小さな声であった。最後の方は、わずかに唇こそ動いていたが、聞こえなかった

 陽花が前に出てきた。「優梨! ボンベイ型よね? もしそうならうなずいて!」

 優梨は軽く一回頷くと、最期の役目を果たしたかのように、静かに目を閉じた。

「優梨っ! 優梨ぃー!!」

 陽花は、銃声をりょうするほどの大声で、泣きながら叫び続けた。


 警官は応援を呼んで、工場内を現場検証した。

 そこには、大柄な二人の男、小柄な男、金髪の女性、そして中年の女性の五人が倒れていた。現場には大量の血痕があったが、出血を来して倒れている者はいないようであった。

「こ、これは、あの青年が一人でやったのか?」警官の一人は驚きを隠せない表情で言った。

 五人はうずくまっていたが、意識のはっきりしている者もいた。ドクターヘリで運ばれる二人とは異なり、命に別状はなさそうであった。

 事実確認をしようと思ったが、そこにはなぜかビデオカメラが三脚にセットされていて録画し続けていた。録画を止めて、その映像を再生し始めると、そこでつい先ほどまで行われていた出来事の凄惨さに思わず嘔吐えずいた。その内容とは、一人の若い女性がまるで磔刑たっけいを受けるかの如く身体を拘束され、ほしいままに血を抜かれている映像だった。二本目が刺されると、勢いよく鮮血が管を上って行き、見る見るうちに女性の顔が蒼白になっていくのが見て取れた。そして、三本目が刺入されようとした瞬間、一人の青年が現れ中年の女性と会話が始まった。そこから女性をめぐる五対一のとうじょうが繰り広げられていた。映像内容もさることながら、会話の内容も信じられないものばかりであった。そして銃声、大量の鮮血、断末魔のような咆哮ほうこう。まるで映画のような世界がそこに記録されていたのだ。

 風岡と陽花と行動をともにしていた警官は、陽花の披露した証言との関連性を理解した。同時に驚きを隠せなかった。

 言わずもがな、その映像が何よりも動かぬ証拠であった。全員を被疑者として身柄を拘束しつつ、病院へ搬送させた。


 ドクターヘリは要請からわずか十五分足らずで到着した。

 その間、風岡と陽花は、影浦と優梨の止血を行っていた。優梨は肘裏ひじうらのある一点からの持続出血であったので圧迫は容易だったが、影浦の場合は銃創だ。また四肢でも末梢からならば、傷より中枢側を縛って止血できるが、臀部にほど近いだいたいであったのでそういうわけにもいかず、とにかく傷口を圧迫するしかなかった。しかも、拍動性の出血なので困難であった。

 影浦と優梨は同じヘリコプターに乗せられて搬送された。搬送先は、しくも大城医療総合センターであった。ここから近距離でヘリポートをようしており、さらには救命救急を得意とする病院ということで、この一刻を争う状況では、それ以外の選択の余地はないと言って良かった。病院も二人とも受け入れてくれるということであったが、うち一人がセンター長の娘であることで、現場はかなりどよめいたようだ。他方の青年について、先ほど陽花が口走った言葉を告げた。その言葉は、センター長の娘という情報に増して、現場を慌てさせたらしい。医療人にとってそれほど破壊力のあるキーワードなのかも知れない。

 陽花も、風岡と病院に行きたかったが、残念ながら事情聴取が待っていた。パトカーに乗って警察署へと向かった。

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