第六章 寂滅(ジャクメツ)

第六章 寂滅(ジャクメツ)  1 優梨

「くそったれ! あのバカ野郎が! 血ィ見て卒倒しやがって!」

 優梨の問いかけに対して、乱暴な独り言で答えを返してきた。

 優梨の意識はほぼ失われつつも辛うじてまだ何とか残っていた。しかし気を抜くとそのまま眠ってしまいそうであった。そして、眠ってしまうと永久に眠りから覚めないような気がしてならなかった。

 そんな、優梨が意識の当落線上で耳にしたのは、夕夜の声だった。


 あのとき、瑛が助けに来て、カーミラ、オーガ、リザードマン、ヴァラヴォルフの四人を打ち負かした。しかし、ヴァンパイアの拳銃から放たれた弾丸が、優梨の動脈から採血した血液バッグをいた後、瑛の肉体をえぐった。飛沫しぶきが噴き出して、倒れ込んだとともに、断末魔の如く叫んだのだ。しかし、それは決して断末魔ではなかった。叫んだかと思うとすぐに立ち上がり、溢出する自らの血潮を軽視し、損傷によって生じるであろう疼痛をも無視し、まだやっきょうが残されているかも知れない可能性さえも度外視し、ヴァンパイアのもとへ一気に駆け込んだのだ。その気迫はさらなる発砲を許さないが如くであった。瞬く間に距離を縮めて、渾身の力でヴァンパイアを右脚で蹴り倒した。まさしく一撃必殺であった。そして瑛は再び倒れ込んだ。

 そのまま瑛はついえた。優梨は呼びかけようとしたが、このじんせいの一歩手前の状況では、声すら出なかった。ただ、自らの鮮血とりゅうるいによって視界があかにじむのを感じていた。このまま自分たちは死んでしまうのか。

 しかし、一分近く経過したとき、信じられないことが起こった。瑛の肉体が再び動いたのだ。蹌踉よろめきながら身体を起こし、顔を上げると、そこには緋色に身を染めた、まるで別人の顔があった。

 そう。まぎれもなくそれは夕夜の顔であった。

 夕夜は無言で、優梨のもとに歩いてきた。でん大腿だいたいを負傷しているように見えた。左脚を引きずっていた。そして一言、悪態をついた。

「何だ? このみっともねえザマはよぉ!?」

 実に夕夜らしい口調だった。それが優梨には心地良く響いたが、今はそんな悠長なことを言っていられる状況ではなかった。

「あ、あなたは大丈夫なの……?」の鳴くような声で、優梨は尋ねた。

「バカか。俺の心配より、てめぇの心配をしろ!」夕夜は薄ら笑いを浮かべながら言った。

 夕夜は採血用レストレーナーを持ち上げた。持ち上げた瞬間、その重みで力が入ることによって流れ出す血液は、見るからに痛々しかった。

 ロックを解除され、優梨は自由の身となった。と言っても、肉体から大量の血液を抜かれ、とても自力で動けたものではなかった。

「ったく、世話の焼ける女だ」

 そう言って、夕夜は優梨を横抱きにして、歩き始めた。

「ムリよ! そんな身体じゃ! 救急車呼ばないと!」優梨はかすれながらも声を振り絞った。

「携帯電話、あのババアの銃撃でイカれちまった。どうせお前も、奴らに電話を奪われてるだろう?」

「そ、そうだけど……。と、ところで……」そう言って、優梨はもう一つの疑問を投げかけた。優梨にとって答えは明白だったし、こんな互いの極限状態では、間違いなく場違いな質問だったが、優梨はどうしても訊かずにはいられなかった。

「あなたは夕夜なの? 戦ったのは瑛なの?」


 あのとき戦ったのは、紛れもなく瑛であった。最後にヴァンパイアを一蹴したが、そのときに被弾してしまい、大量出血のためか倒れてしまった。その後の約一分間の意識消失状態で人格の交代が起きたようだ。

「な、なぜ、瑛くんが戦ったの?」

「何を抜かしてやがる! おめぇと契約を結んだのは、瑛の野郎だろうが! てめぇの女のことくらいてめぇでケツ持てってんだ!」

 この場合、おめぇが私のことで、てめぇが瑛のことと指していると、優梨は分析した。

「なるほど」優梨は納得した。

「これは、卒業試験なんだ」夕夜は静かに言う。

「そ、卒業試験?」

「瑛の野郎は、いつも俺に頼りきりだった。ひとりでは何も出来ねぇ奴だ。何かあるとすぐ泣きついてきやがる。時には俺が破落戸ごろつきどもと喧嘩したりしたが、あいつが自分で始末したことはないと言っていい」

「瑛くん、そ、そういうの嫌いそうだもんね……」

「だから、今回、お前が誘拐された。ちょうどいいと思った。俺は今回、裏方だ。最低限の助言はしてやるが、瑛が戦うように仕向けたんだ。いつかあいつは俺から卒業しなきゃいけねぇ。それくらいの覚悟を持ってもらわんといかん」

「そっか……」

 そう言いながらも、優梨は朦朧とした意識を何とか奮い立たせてりょうした。夕夜は、瑛に自立を促しているのだろうか。瑛と夕夜とは、共存と言う形で上手くバランスを取っているように思えたが、夕夜はそうではないのか。いつか自分が消えてしまうことを、予見しているとでもいうのか。

「そしたら、最後の最後でやらかしやがってよ! しかもこんなどんくせぇ状態で、この俺に受け渡すとは……」

 そう夕夜が瑛に毒づいた瞬間、夕夜は再び大きく蹌踉めいた。優梨は辛うじて抱きかかえられていた。

「お、お願い。ムリをしないで。私、もう自分で歩けるから……」

「バカタレが! だからてめぇの心配をしろっつただろうが!」

 あぶらあせを流しながら夕夜がそう言ったとき、向こうから駆け寄って来る人間の姿を確認した。

 聞き慣れた声が聞こえてきた。

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