第五章 弥撒(ミサ)  4 影浦

 珍しくロッカーの中から、微かなバイブレーション音に気付いた。

 交友関係があまり広くない影浦にとっては、携帯電話は電話と最低限のメールのみが行えれば良いアイテムであった。スマートフォンなどは影浦にとって無用の長物であった。アルバイト代で何とか電話料金やその他を賄っている身にとって、スマートフォンなどは金喰い虫であると思っている。児童養護施設に入所している身としてはそんな贅沢は言っていられない。最近は優梨からの着信が増えたが、未だにスマートフォンへの憧れは感じておらず、従来の携帯電話で充分であった。

 影浦はちょうどコンビニエンスストアのアルバイトの休憩中であった。今日はオーナーと店長だけでなくアルバイト店員がさらにもう一人いた。お昼のピークタイムが終わって、アイドルタイムを迎えようとしていた。

 思わぬ着信に驚いたようにロッカーから電話を取り出した。ディスプレイを見ると『大城優梨』との表示であった。今日は夕方までアルバイトと伝えているはずだが、こんな時間に何の用だろうか。

「もしもし、どうしたの?」

『あ、もしもし瑛くん? きゅ、急にごめんね。いまバイト中だったよね?』優梨の声は若干うわずっているようであった。

「そうだけど、今は大丈夫だよ」

『あ、休憩中だったかな? あ、実は今夜、ポートメッセ名古屋で、えっと……聖飢魔Ⅱのミサが急遽行われるみたいで、チケットを二枚もらったんだけど……私も興味あるから、来てもらえるかな』

「聖飢魔Ⅱがポートメッセに?」

『そうなのよ。私も知らなかったけど、急にチケットをもらったんだけど、こないだのカラオケで聴いて好きかなと思って。どうかな?』

「いいよ。夕方の五時にバイト終わるから五時半過ぎになるけどいい?」

『分かった。ポートメッセの北側で待ってるね』

 電話越しの優梨はそう言って電話が切った。


『瑛、あの女は捕らえられている』

 影浦の内なる声が聞こえた。『夕夜』の声だった。

「え?」

『ポートメッセでミサは行われないだろう。女の話し方も平静を装っているようだが、明らかに動揺している。あれはわなだ。捕らえられていて俺たちを呼び出すようにきょうされているのだ』

 夕夜の発言は断定的で迷いがなかった。

「じゃあ、助けに行かないと」

『今から行くぞ』

「え? 今から?」

『寝惚けたこと言ってんじゃねぇよ。女がとらわれの身であることは間違いない。絶対にそうだ。仕事は奴らに任せて早退しろ』

「でも……」

『でも、じゃない! さっさと着替えてたくしろ!』

「け、警察には言わなくていいの?」

『バカか! サツは事件が起きなきゃ動かねぇよ。それまでの間にあの女がどうなっても良いのか? 俺らで行くんだよ。だから急いで用意しろ』

 瑛は言われるがまま制服を脱いで、身支みじたくを始めた。

「あれ? 影浦くん。今日五時までだったんだろう?」オーナーが訊いてきた。

「本当にすみません! か、彼女が事故に巻き込まれてしまったようで……本当にすみません。早退しても良いですか?」

「あのね、バイトと言っても仕事なんだから突然は困るよ。いいか。社会に出たらそんな理由では通用しない。奥さんならまだしも彼女が事故ったくらいではね」

「分かっています。本当に申し訳ありません。解雇して頂いても構いません」

 瑛は深々と頭を下げた。オーナーは瑛の真剣な眼差しと解雇という発言に、辟易したような様子で言った。

「ま、影浦くんがそこまで言うなら、本当にせっ羽詰ぱつまっているんだな。普段真面目に働いてもらってるし、いいよ。今日は幸い人数もいるし、あとは何とかする。解雇にもしないから。行ってきなさい」

「ありがとうございます!」

 瑛はもう一度深々と頭を下げた。


 瑛は急いで着替えて荷物をまとめて、突き動かされるようにコンビニエンスストアを飛び出した。

 ここは六番町駅付近。ポートメッセ名古屋は金城埠頭だから、10キロメートル以上はある。しろとり学園で自転車を拝借して行けば、たぶん四十分程度で到着できるかと目算を立てた。

 優梨から電話がかかってきて十五分後、携帯電話の時刻は午後二時四十五分を示したとき、また電話がかかってきた。

『今日はいっぱい電話がいっぱいかかって来やがる』

 夕夜の声が聞こえた。

「風岡くんみたい」

『いいから出ろ。奴も何かを察したかもしれん』

 瑛は、夕夜にそそのかされるように電話に出た。


「もしもし?」

『もしもし、影浦? 生きてるか?』風岡はいきなり突拍子もない質問をぶつけてきた。

「え? 生きてるって」

『バイト中じゃなかったのか?」

「バイト中だって分かってるなら、生きてるかって質問はおかしいよね」

『そ、そうだな』と電話越しで風岡は苦笑いして続けた。『もしかして大城から連絡なかったか?』

「あったよ」瑛はあっさりと答えた。

『連絡あったってよ』風岡は電話の向こうにいるもう一人の誰かに伝えてから、質問を続けた『あいつの居場所は聞いてるか?』

「居場所かどうかは分からないけど、どういうわけか金城埠頭のポートメッセ名古屋に呼び出されたよ。聖飢魔Ⅱのミサを口実にしてね」

『そ、そうか! あの、そいつは罠だ。行くな。実は、先ほど大城が何者かに誘拐された。実際にその現場を見たわけではないが、おそらく間違いない』電話越しの口調は重たかった。

「本当だ。夕夜の言ってた通りだった」

『夕夜だと?』

「さっき、電話越しの優梨ちゃんの声色と内容から、彼女がどこかで囚われの身になってると言った」

『夕夜はさらわれたことを、電話の様子から推測したということか!?』風岡は夕夜の洞察力に驚いたように言った。

「そうなんだ。だからバイトを早退して今から助けに行くって夕夜が……」

『今から行くのか!? 早まるな。いいか。実はな、大城だけではないんだ。お前もターゲットにされているかもしれないんだ。ここは大人しく警察に連絡した方がいい』

「夕夜が警察には連絡しないって」

『何でだ?』

「だって、警察は事件がないと動かないと……」

『でもいろいろと状況証拠が揃っているんだ。ちゃんと説明すればきっと動いてくれるはずだ』

「何言っとんだ!? 風岡ぁ!」影浦の内なる声が急に表在化した。夕夜が瑛に代わって電話に応答した。「サツは動かねえし、女を攫った連中が何を目的としているか分からねえが、俺や瑛や女に用があるんだ! こっちでケツ持たねえで、どうするんだ!?」

『ゆ、夕夜なのか!?』急激な口調の変化に、さすがに風岡もビックリした様子であった。

『夕夜くん!?』電話越しにいた女が風岡に訊いた。陽花の声であった。

「そっか。てめぇの女も一緒なんだな」

『そうだ。陽花が言うには、お前は奴らに会ってはいけない』

「どの口がそう言うんだ?」

 陽花が電話を代わった。

『あ、夕夜くん? 河原陽花です。先日は助けてもらってありがとうございました。今日というか、さっきなんだけど、優梨が攫われたの。それはあなたもそう推測してるんだよね? でもね、あなたは助けに行っちゃいけないの!』

「なぜだ?」

『あなたは気付いていないかもしれないけど、あなたは特殊な体質なの。優梨はその事実を見抜いて、確認しようとした瞬間に連中に誘拐された。そしてその特殊な体質が目的で、連中はあなたをも誘拐しようとして呼び出しているんだわ。あなたはそこで連中と相見あいまみえる。そして優梨を取り戻そうとして深手を負った場合、下手すると助からないのよ』

「何言っとるか分からんが、上等じゃねえか」

『夕夜くん!』陽花は懇願するように声をあげた。

「これはミサだ。自分の身体が引き裂かれようと、生き血を捧げようと、俺はあの女を助け出す」

 夕夜の口調は揺るぎなかった。

『夕夜くん……』

わりぃな。風岡の野郎にも伝えといてくれや。これは俺と瑛の使命なんだ。サツには頼れねえさ。俺が生まれたことに意味があるのなら、きっと今日のためなんだろうな」

『……』

「あばよ」

 そう言って夕夜は電話を切った。


 影浦は電話を切ると、頭痛がした。身体の奥で傍聴していた瑛が引きずり出されるように表へと出てきた。

「夕夜? 奥に引っ込んだの?」

『おめぇが戦うんだよ』

「え?」瑛は狼狽した。

『今回の幕引きはお前の役目だ。何のためにお前の軟弱の身体を鍛えてやったんだと思うんだ』

「夕夜が戦うんじゃないの?」

 夕夜は、この性格ゆえ喧嘩慣れしている。三日前に優梨たちを助けたのも夕夜だった。当然、夕夜が優梨を救出するかと瑛は思い込んでいた。

『誰がそんなこと言った!? あの女と勝手に契約を結んだのはお前だろう! お前がケツ持ってはじめてこのミサが意味をなすんだよ』

「でも……」

『でもじゃねぇ! さっさと行くぞ、コラ! 時間はない! この間にもあの女は連中のいモンにされてるかも知れねえんだ。ビビってる暇なんざあったら、とっとと自転車でも取りに行け!』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る