第五章 弥撒(ミサ)  5 陽花

「どうしよう……優梨が……影浦くんが死んじゃうかも」

 影浦との電話の後、陽花はサングラスもワークキャップも外して、人目を気にする余裕もなく、風岡の胸にすがってていきゅうした。

「陽花、まだ死ぬって決まったわけじゃない。もし、影浦が奴らのサンプルになるだけであれば、殺したりはしないと思う。生け捕りするんじゃないか、と思う」

 とても、この平和な日本の、そして名古屋駅太閤口たいこうぐちのモニュメントとも言える『ゆりの噴水』広場前で、しかも白昼に交わされる会話内容ではなかった。

「そんなの分かんないじゃない!」

 陽花は声を荒げた。冷静さを失っているようであった。

「とにかく落ち着くんだ。俺は影浦の応援に行く。陽花は危ないから今日は電車に乗って帰れ。お前を危険にさらしたくはない!」

「嫌よ! 三人を差し置いてアタシだけ安全な場所に逃げるなんて出来ない。もし三人が死んだら、アタシだって死んだ方がマシよ!」

 それだけ陽花は、この短期間で知り合った四人組のきずなの太さを感じていた。

「陽花!」風岡も声を荒げた。

「お願い……アタシも一緒に行かせて……!」泣いて陽花は懇願した。

「陽花をなくすようなことがあれば、俺だって生きて行けない」

「それはアタシだって一緒よ! 風岡のことが好きなのよ!」

 極度の精神状況の中、何ひとつ自分の中で打算が働かずに自然に出たフレーズであった。これほど他人に素直になれることも珍しいかもしれなかった。

「……俺もそうだよ」風岡は、優しい声で陽花の気持ちに応えた。陽花は思わずまた涙が溢れ出た。

「だから、アタシだってついて行きたい! 少しでも離れると永遠に会えなくなりそうで怖いのよ」

「……分かったよ。その代わり片時も俺から離れるな。大丈夫。無茶はしない。陽花を捨てて死なない。危険な目に遭わない。そして危険な目に遭わせない」

「ありがとう……」

「方針を変える。金城埠頭に着いたらまず交番に行く。警察に応援を頼むんだ。そして居場所を突き止めてもらう」

「ゆ、夕夜くんに怒られないかな?」愚問だと思いつつも、別の不安を口にしてみた。

「命が最優先だ。友人が行方不明だと言って協力をお願いしよう。夕夜が後で俺を怒鳴りつけて来ようが、殴り掛かって来ようが、全身で受け止めてやる」

「分かった。風岡について行くわ!」


 名古屋臨海高速鉄道西名古屋港線、通称あおなみ線は名古屋駅からきんじょうとう駅を繋ぐ臨海高速鉄道である。ラインカラーの青『あお』と名古屋の『な』、港の『み』と組み合わせて、あおなみ線という愛称が用いられている。およそ15キロメートルもの区間を11個の駅で繋いでいる。

 名古屋駅の新幹線口から南方向へとかなり奥まったところにその改札はあった。『名古屋うまいもん通り』というレストランゾーンの横だ。風岡も陽花もあおなみ線を利用するのは初めてだったので、入り口を少し迷った。二人ともICカードを持っており、自動改札機にタッチした。

 しかし運悪く、電車が行ってしまったばかりのようであった。一時間に四本。つまり十五分間隔であり、何とか平静を装ってひたすら電車を待った。

 周りは、同じく高校生か大学生のカップルが数組や、帰宅しようとしている親子、大事そうに大きな鞄を抱えた男や買い物帰りと思われる老夫婦もいた。あおなみ線沿線は稲永駅までは主に住宅地を通る。しかしポートメッセ名古屋以外にも複合商業施設、ライブハウス、ボーリング・アミューズメント施設、競馬場などレジャー施設も多い。車のないカップルがこの路線を利用することは、おかしなことではないようであった。また名駅に二十分もあれば乗り換えなくたどり着けるという利便性で、沿線の住民には非常にありがたい存在のようだ。

 端から見れば、風岡と陽花も、最近の若者らしく人前でじゃれあうごく普通のカップルに見えても不思議ではなかった。陽花は風岡にしがみつくように腕を組んでいた。しかし、これから向かう目的地の先で待ち受ける状況は、他の客には想像すら出来ないことであろう。ましてや女の方が実際に三日前に暴漢に襲われていることを予想できる者など一人もいないであろう。陽花は極度の緊張と不安と、風岡の言いつけで、そばを離れることが出来なかったのだ。

「安心しろ。夕夜は簡単にくたばるような奴じゃない。きっと優梨を助け出す。今はあいつを信じて二人の無事を祈ろう」

 そう言って、陽花の張りつめた心境を少しでも解放しようと風岡は努めた。

 

 午後三時半、ようやく電車がホームにやって来た。

 平日のこの時間帯に乗る人はそこまで多くない。始発駅であり、二人は座席に腰掛けることが出来た。車窓から流れ行くごく日常的な住宅街の町並み。晴れた空。遠くの入道雲。公園で遊ぶ子供たち。こんな何でもない光景が平和だと、陽花はつくづくは感じた。そして、これから迎えるであろう非日常的光景を想像すると、とても愛おしく名残惜しく思えた。途中下車が許される状況ならばどんなに気が楽なものか。

 一方の風岡は考え込んでいた。時折、周囲を気にしたりもしているようであった。救出の方策を立てつつも、何か車内に気になるものでもあるのだろうか。若干ではあるが落ち着きがない。

 陽花の、しばしの『現実逃避』は二十分程度で終わろうとしていた。電車は港を臨める地域に差しかかろうとしていた。住宅街から工業地域に代わり、自ずと緊張感は高まって来た。そんな心境をまったく反映しないような、車内の自動音声アナウンス。せき駅を過ぎて、次は終点のきんじょうとう駅であると告げた。

 車窓から名港トリトンの雄姿が見えた。電車はその下をくぐりながら減速し、終着駅のホームに止まった。

 時刻は午後四時前。いつの間にか夕方に差しかかっていた。

 ホームを降りて改札を出て、さっそく交番へと向かった。金城ふ頭駅に用事がある高校生はそう多くはないと思うが、その中でもポートメッセ名古屋、リニア・鉄道館、その他商業施設以外の場所に用がある高校生は果たしてどれだけいるだろうか。そして今日に限って言えば、風岡と陽花以外に、そんな高校生がもう二人いるわけであった。こんな日は実はあまり多くないのではないか、と陽花は思った。


 交番は比較的近くにありそうだった。

「急いで行こう!」

 風岡が歩みを速めたその時であった。陽花は風岡の右腕に急激に力が入ったのを自覚するや否や、風岡はいきなり陽花を抱き寄せるようにして覆い、身をひるがえして素早く右側の地面に転がりこんだ。思わず陽花は叫んだが、風岡の左腕が倒れた衝撃をやわらげてくれた。

 背後から深く帽子を被った男がスレッジハンマーを力の限り振り下ろしていた。その重さの反動で身体が蹌踉よろめいたところを見逃さず、風岡はタックルした。男は地面に倒れた。風岡は倒れた男に脇固わきがためをらわせた。

「この野郎!!」風岡は叫びながら、帽子をぐと、二時間ほど前に話したばかりの男の顔が見えた。「こいつ、あの警官だ!」

「え、嘘?」陽花はビックリした。

「こいつは、拉致した組織の仲間だ! 名駅の交番に駆け込んだあとに、着替えてこっそりけてきやがったんだ」

「くそったれ! 気付いてやがったのか?」

「あおなみ線の名古屋駅から金城ふ頭駅まで乗っていて、しかも重そうな荷物を大事そうに持っていたからな。それに……」風岡は、今度は陽花に向けるように言った。「夕夜が言っていた。三日前の実行犯は最低でも五人はいたと。もし、あの黒いセダンが怪しいのなら、優梨を車に乗せたら、一人座れなくなる。つまり一人名古屋駅に待機している奴がいるかもしれないと思ってさ。そして俺らの会話内容を聞きつつ、尾行してひとの少ない金城埠頭で撲殺ぼくさつしようとした」

「すごい!」陽花は素直に感心した。

「おい! お前は組織の構成員か!? 目的は何だ!?」風岡がすごむ。

「答えるものか!」

「大城と影浦はどこにいる? そしてどうするつもりだ?」

「だから、俺は答えん!」

「交番はすぐそこなんでしょ? 突き出しましょ!」

「そうだな。行くぞ、この偽警官!」

 本当は陽花が交番まで警官を呼びに行ってこちらに来てもらおうと思ったが、その警官も偽物だったらたまらない。仕方なく、二人で男を交番まで連行した。

 男は現行犯逮捕となり、警察署で取り調べされるという。この男は根津ねづというらしい。この男は犯人グループの一部であると思われること、実際に陽花と優梨が名古屋駅で襲われたこと、さらに現在ここ金城埠頭で拉致、監禁されている可能性が高いことなどを警官に話した。ただの未遂事件と思われた警官が、みるみる展開される新事実に舌を巻いた。未遂といえども被害者である風岡と陽花も、別のパトカーで署まで取り調べを受けに行くと思われたが、金城埠頭のいずこかで監禁されていると思われる優梨のことを話すと、風岡と陽花を乗せて、埠頭内を調べてくれることになった。相変わらず根津は口を割らないので、とにかく探し回るしかなかった。

 根津に襲われたことは恐怖そのものであったが、おかげさまで優梨が監禁されているはず、という高校生たちの状況証拠のみで動いてくれることは、とてもありがたい話であった。

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