第四章 孟買(ムンバイ)  6 優梨

「本当に行われているのなら恐ろしいことだと思う、って?」

 風岡は優梨に訊いた。

「これは人道にもとる行為よ」

 優梨は周辺の座席にあまり人が座っていないことを確認した。そして再び、三人に声のトーンを落として問うた。

「かなり不愉快で怖い仮説だけど、話しても良い?」

「アタシは構わないわ」

「俺も聞くぜ」

「僕も聞きます」


「まず、連続して若い女性が気絶させられている事件。これはおそらく、暴行目的でも窃盗目的でも強姦ごうかん目的でもないわ」

 他の三人は唾を飲み込んだ。

「何が目的なの?」

「献血をさせる目的よ。しかも大量にね」

「献血? 献血って、あのよく街頭で呼びかけているやつ?」

 風岡はイメージが湧かないようだった。

「そう。それをおそらく襲って無理矢理眠らせている間にやっているの!」

「え!? 無理矢理!?」

 三人は目を丸くした。優梨は続けた。

「うん。どうやって、あんなに長い時間眠らせているかは謎だけどね。献血はだいたい十五分くらいかかると思うし、それ以上に採ってたらもっと時間は必要でしょうね」

「でも、どうしてそのように思ったの?」影浦も驚きを隠せないようだった。

「お父さんが言ってたのよ。襲われた女性の一人が目を覚ましたときに、両腕に内出血のような痣と痛みとあって、立ち上がったときに眩暈めまいがしたって言ってたらしいから。これは循環血液量減少性のショック状態になる一歩手前くらいまで、大量に血液を抜き取られたという可能性を示唆しさしているわ。そして、その献血された血液を『生命探求の会』の信者たちに、アンチエイジングの手法として輸血しているわけ。たぶん溶血しないように、最低限の血液型の検査だけして、適合する信者を選んでね」

「じゃあ、B型肝炎ウイルスの感染はどういうことなの?」陽花も優梨に質問をした。

「たぶん、献血された被害者にB型肝炎ウイルスの感染者がいたんだわ。そして、その人に使用した針を、今回父の病院を受診した若い被害者たちが襲われた際に使い回ししたんだと思う。おそらく簡単に注射針の内側を簡単に掃除して、固まった血液を取り除いて、最低限使える状態にしたと思うの。そう考えると、なぜB型肝炎ウイルスかということも説明がつくの。B型肝炎ウイルスは凝固血液中でも常温環境下で一週間は生存するらしいし、感染力は強力だと言われているわ。注射針を掃除しても微量に残った血液から感染させた可能性もあるわ。エイズウイルスであるHIVやC型肝炎ウイルスでは、そんなことはきっとあり得ないわ。なぜならこれらは、感染力は高くないし、乾燥血液では生存不可能だと言われているから。こんなに感染者は増加することはなかったでしょうね。故意なのか未必の故意なのかは分からないけど、B型肝炎ウイルスだからなし得た事件なの。そして、もともとのB型肝炎ウイルスの感染者から献血された血液を、五十歳のおばさんに輸血してしまった……」

「ということはそのおばさんは『生命探求の会』の信者かもしれないんだな」と風岡は確認した。

「そう。その可能性が強く疑われるの」

「そ、それは酷いな……」影浦は身震いするように声を漏らした。

「人間のやることじゃないわ。襲って血を抜き取って、挙句の果てにウイルスを伝染うつすなんて」陽花も憤りを隠せない様子であった。


 するとほどなくして、また義郎から電話がかかってきた。

『優梨か。たびたびごめんな』

「ひょっとしてもう訊いてきたの?」

 会話を進めるうちに、どうしても納得のいかないフレーズを聞いた。

『でも、輸血を受けたり、注射針を使用したりはしていないそうだ。あの答えっぷりからするとどうやら嘘はついていなさそうだ』

「え、ウソ!?」優梨は驚きを隠しきれなかった。

「でも何か隠しているかもしれない。どうやら本人は答えたくないみたいで、それ以上のことは聞き出せなかった」

『分かった。連絡くれてありがとう』

 優梨は驚きを超えて、落胆へと気持ちが変化した。

「どうだったの?」

 表情を察したかの様に、影浦が訊いた。

「お父さんの話によると、そのおばさんは『生命探求の会』に関わっていそうだけど、そこで注射や輸血を受けていないんだって」

「ではどうやって?」

「全然分からないわ……」

 一体どういうことだろうか。おばさんが本当に嘘をついていないとなると、どうやって感染したのだろうか。優梨は推察できなかった。血漿中のタンパクに若返りのキーとなる成分が含まれるとしたら、注射など経静脈的に投与するしか方法はなくなる。胃でタンパクは分解されてしまうからだ。だから『生命探求の会』の趣旨からすれば、輸血などの行為を受けていることが必要条件となる。

 思い詰めた優梨の表情を見て、風岡は言った。

「まあ、考えすぎても結論が出ないこともあるさ。情報不足か、おばさんが重要な情報を明かしていないだけかもしれないさ」

「そうだよ、優梨。もっと気楽に考えなよ」と陽花も続いた。

「まあ、そうだね。考え過ぎも良くないか」

「もう結構な時間だから。そろそろお店を出ようか?」

 風岡がそう提案すると、時刻はいつの間にか午後七時頃を指していた。

「そうだね。みんなを変な話題に巻き込んじゃってごめんね」

 優梨はそう言って謝った。

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