第四章 孟買(ムンバイ)  4 優梨

 大城優梨、河原陽花、影浦瑛、風岡悠の四人が偶然にも再び相見あいまみえることとなった。

「こっちは付き合っているからね。普通にデートだよ。陽花は?」

 優梨と影浦は交際したという情報はこのメンバーの間で知れ渡っていたので、優梨たちは堂々と振る舞っていれば良かったのだが、陽花と風岡は付き合っているとは聞いていなかった。

「いや、たまたま風岡が、その、夏休みの宿題教えてと言うから。だよね、風岡!」

「俺、頭悪いで、正弦せいげん定理教えてもらっとった」と、言って風岡はわざとらしく数Ⅰの教科書を取り出した。

「でも、怪しいな。だって、教えて欲しいなら、私の方が家近いから、私に聞けば良いのに」優梨はおのずと追及するような口調となる。

「いやいや、大城には、影浦がいるだろう?」

「そんなことで瑛くんが怒らないことは、風岡くんがいちばん知ってるでしょ? わざわざ陽花にカテキョ役をお願いするなんて怪しいね」と、笑みを浮かべながらながら影浦を見やった。影浦はにこにこ微笑んでいるだけで何も言わなかった。

「もう勘弁してくれ」

「陽花も隅に置けないな。そうならそうと、言ってくれれば良いのに」

「だから、付き合ってるわけじゃないからね! 本当に!」

「もう付き合っちゃえば良いのに。風岡くんは小学校の頃から優しいし、気が利くし、おすすめだよ。私もお似合いだと思ってたし!」

「だから! もう! ああ、なんて運が悪い!」

 いつもこの系統の話題では、陽花が優梨をからかうという構造が成立しているのだが、今回ばかりは立場が完全に逆転していた。陽花も、優梨と同じくらい感情が表に出やすい様で、顔は赤くなり汗ばんでいた。

「取りあえず、こんなところにいてもしょうがないから、移動しようぜ」

 風岡は苦肉の策なのか、ここから移動することによってこの話題から遠ざけようとした。

「どこに行くの?」すぐに陽花が訊いた。

 時計は午後四時過ぎを指していた。

「どうしようかな。晩飯にはまだ早いか。ボーリング場も確実に待つだろうからな。まあ、適当にゲームセンターでも行くか」

「賛成! みんなでプリクラでも撮ろうよ!」と優梨が賛同した。

「そもそも四人で行くんか? 君たちのデート中だったんだろ?」

「僕も全然構わないよ」影浦も賛同する。

「アタシたちはデートじゃないからね。だから断る理由はないから!」と、陽花は一人で意地を張っていた。


「ところで今日、影浦たちはどこに行ったの?」風岡が影浦に問うた。

「カラオケだよ。優梨ちゃん、すごくカラオケ上手かった!」

「影浦くん、声ガラガラじゃん! そんなにたくさん歌ったの?」陽花が驚きの声を上げた。

「そうなの! 彼、すごいね! 閣下を歌ってたよ! シャウトだよ! しかもめっちゃ上手いし!」

 優梨が賞賛すると、陽花は驚きの表情を見せた。すかさず、影浦は両手を胸の前で振りながら否定した。

「いやいやいや、違うんだよ。僕は知っての通り音痴だけど、夕夜が上手いんだよ! 彼は僕以上にヘヴィメタが好きだからね」

「え? でも、それは影浦くんが歌ったんだよね?」

「いや、僕なんだけど、僕じゃないんだ。うーん、分からないよね。確かに僕の声帯を使ったんだけど、歌ったのは僕じゃない。って言っても信じてもらえないか」

「何だかとっても不思議ね……」陽花はいっそう疑問が蓄積したようだった。

「そうですよね」と言って、影浦は苦笑した。

「夕夜は、何歌ったんだ」と再び風岡は問うた。

「赤い玉の……伝説だっけ? あれすごくカッコいいね!」と代わりに優梨が答えた。

「さすがは、夕夜だな! あれは歌うとはね!」と笑いながら、風岡は影浦の肩を叩いた。

「いや、だからあれは夕夜だって!」影浦は再び苦笑いした。

「あとは、えっと……タイトルなんだっけ? アダム……」優梨は思い出そうとする。

「夕夜はこうぎょくが好きだったよな!」

「そうそう! アダムのりん!」結局、風岡の発言がヒントになった。

「紅玉??」陽花が問う。

「聖飢魔Ⅱの信者が好きなリンゴの銘柄だよ」風岡が影浦の代わりに答えた。

「何それ? そんなのがあるの??」

 まったく意味が分からない、という訝しげな表情を陽花は見せていた。


 ゲームセンターもやはり混雑していた。同じような世代の学生たちが多く集まっていて、ただでさえ賑やかな場所で、よりいっそうかまびすしさを増していた。

 プリクラを撮るだけでかなり列をなしていたが、時間を潰す意味ではちょうど良かったか。四人でプリクラを撮って、エアホッケーやUFOキャッチャーなどを楽しむと、いつの間にか夕方の五時半前になっていた。風岡は三人に訊いた。

「みんな、そろそろ解散にするかい?」

「え? せっかくだから晩ごはんでも食べて行こうよ!」と優梨が言うと、連鎖的に陽花も影浦も同調した。

「どんだけ、うちら仲良しなんだよ」と、風岡は呆れ顔だ。

「いいじゃん、ちょうどおなか減ってきたし」

「それでどこに行くんだ?」

「私、リーズナブルなイタリアンレストランを知ってるんだ。実はちょうど話したいこともあってね」

「あ、ひょっとしてあのお店?」陽花はどこか分かったようだった。

「大城に任せるよ。お店に案内してくれ」

 優梨が先導して、四人は店へと向かった。


 その店は名古屋駅西口から少し歩いたところにあった。小綺麗でおしゃれな洋風レストランであった。優梨と陽花の通う予備校からさほど遠くないが、やや分かりにくい場所にあり、予備校生の間でも知る人ぞ知る低価格なレストランであった。

 夕食にはまだ早い時間だからか、幸い店はまだかなり空いていた。待たずに席へと案内された。

「なるほどね。確かに安いね。貧乏高校生の俺たちにとっては、すごくありがたい価格設定だね」と風岡は言った。

「ここはたまにだけど優梨と来るんだよ。オシャレなのに安いし、長い時間いられるし。少し奥まった分かりにくいところにあるけど、美味しくておすすめだよ」

 陽花はちょっと得意気な表情であった。

 突如、優梨はどこからか視線を感じて思わず身をすくめた。店の外からだろうか。言い表しにくいが、影浦とはじめて会った電車の中で感じた『夕夜』の視線とは別の種類のものだった。容姿にはそれなりに自信がありメイクやファッションにも気を遣っているので、異性からの視線はいつも感じていたが、これはそれとも違うもっと不吉なものであった。

「どうしたの? 優梨」

「ううん、何でもない」

 ひとまず優梨は気にしないことにした。

 各々が注文したメニューが届いた頃、優梨が切り出した。

「最近、名古屋で若い女性が連続して狙われるというニュースは知ってる?」

「話したいことがあるって言ってたから、どんなおめでたなご報告かと期待したのに、それかよ!?」と風岡は茶化した。

「おめでたって何? もう付き合った報告はしたよ!」

「いいえ、冗談です。ハイ。あ、ニュースね。うん、知ってるよ。女性が気絶させられているんだけど、なぜか金銭を盗られたり服を脱がされたりとかの被害がない事件だよな。テレビで観た」

「よくご存知で。でも実際は被害があったみたいなの」

「どんな被害なんだ?」

「B型肝炎。狙われたうちの数人がたまたまお父さんの病院に受診して発覚したみたい」

「肝炎? 名前くらいなら聞いたことあるけど、俺は医学の知識はまったくないからな……」と風岡は肩を落とした。

「ちなみに血液型のB型とはまったく関係ないからね」

「それくらいはさすがに俺だって分かるよ……」風岡はふくれっつらをする。

「B型肝炎って、昔の予防接種で問題になったやつだよね」陽花にも医学の知識はあるようだ。

「でも襲われたのなら、実はレ、レイプされたとか……」と、影浦も小さく付け加えた。影浦にも多少の知識はあるようだ。『レイプ』という発言にちゅうちょがあったのは、かつての瑛の心的外傷からだろうか。

「やっぱりそう思うよね? ところが感染者の中に、襲われてはいないはずの中年のおばさんもいるみたいなのよ」

「それってたまたまじゃない?」と陽花は偶然説に一票を投じた。

「そう考えるのが普通よね」

 すると、優梨のスマートフォンが振動した。何と、父である義郎からの電話であった。

「ごめんね。お父さんから電話ね。あ、もしもし、いきなり何?」

『もしもし優梨。HBV、あ、B型肝炎ウイルスのことな。PCRの検査をお願いしたところから連絡があって、全員塩基配列が一緒だったそうだ』

「そうなんだ? え、五十歳のおばさんも?」

『おばさんもそうだ。全員、同じ遺伝子型だったそうだ。だから発生源オリジンは同じかもしれない』

「えっと、どういうこと?」

『そういうことだ。また分かったら連絡する』

「あ? ちょっと!?」

 プツっと受話器越しに音が聞こえ、通話が途絶えた。優梨は一つ溜息をついた。

「ちょうど、今の話題なんだけど。おばさんも含めて、全員まったく同じの遺伝子の塩基配列のB型肝炎ウイルスが同定されたらしいって。だから、同一感染者由来の可能性が高いんだって」

「じゃあ、おばさんもレイプされたってこと?」

「いや、他の人がみんな二十歳前後なのに、それはおかしくないか?」と、風岡が口を挟んだ。

 優梨は考えた。B型肝炎ウイルスが同じ塩基配列なら、やはり同じ患者由来なのだろうか。しかしどうも結びつかない。まさか五十歳のおばさんがたまたまどこかで感染して、その血液を誰かが持ち運んで他の三人に注射したのだろうか。故意か過失かは分からないが。しかし、それなら五十歳のおばさんはどうやって感染したのだろうか。何か隠しているのだろうか。

「そう言えば……」と言いながら、風岡が鞄から何かを取り出した。「こんなものを街頭でもらったんだが……大城なら知ってるかな?」

 風岡が取り出したのは、以前陽花と一緒にいたときに配布された『生命探求の会』のビラであった。

「これこないだの! あんた、まだこんなもの持ってたの? 捨ててなかったの?」と陽花は呆れ返って思わず問いかけた。

「ちょうど教科書のしおり代わりに使えるかなと思って」

「ちょっと、どうでも良いけど、その会話の内容からすると、二人で会ったの今日がはじめてじゃないね」

 優梨は見逃さなかった。

「あ、バレました?」と風岡は笑ってあっさり認めた。「正弦定理を教えてもらったのは事実だけど、正確には今日ではなくて前回なんだよね。数Ⅰの教科書はたまたま入れたままになっていただけ」

「バレましたじゃねーよ! 何、丁寧に説明してんの!」陽花は自分の失言を棚に上げて風岡を咎めた。

 やはりこの二人は複数回会っていたようだ。陽花の性格からして、すぐには明かさずにしばらくオフレコにしていたのだろう。おそらく陽花は、風岡を異性として少しばかり意識しているのだろう。陽花はひどく狼狽していた。

「これ宗教団体のチラシっぽいんだけど、さっきこのホームページを開いてみたら、血液を使うとか書いてあったけど、関係あるのかな?」

 風岡は歯牙にもかけず、話題を元に戻した。

「『生命探求の会』? どういう団体なの?」優梨は初耳だった。

「なんか聞いたことある……」影浦は思い出す素振りを見せた。

「瑛くん聞いたことあるの?」

「いや、どこで聞いたかは憶えていないんだけど。何か昔どこかで耳にしたようなしてないような……」

「どうやら、アンチエイジングの団体らしいぞ」風岡が端的に説明する。

 陽花は、スマートフォンを取り出し、履歴から先ほど出したホームページをもう一度開いた。例によってトップページに、団体の会長の女性の顔写真や名前が表示された。そこから若返りのメカニズムについて説明した記事のページを開いた。

「風岡、確かこのページだったよね?」

「お、サンキュー。そうそうこれこれ」

けっ漿しょうに含まれるあるタンパクが、神経細胞や骨格筋や心臓をかつさせ、若返りをもたらす、ね。何かのコラムで読んだことがあったわ。確か、若いマウスと年老いたマウスの血管を吻合ふんごうして互いに血液を循環させると、神経新生が生じるとか。確か有名な国際ジャーナルに掲載されたくらいの画期的な研究だわ」

「と言うことは、この団体は、若いマウスの血液を人間の体内に注射しているのか」

「いくら何でも動物の血液をヒトに入れたら、溶血しちゃうでしょ。それにマウスの血液ってめちゃめちゃ少ないでしょ」すかさず陽花は指摘した。

「あ、そっか」

「だからやるとしたら、ヒトの血液なのかな?」

「ヒトの血液!?」

 優梨はひらめいて、すぐに義郎の携帯電話にかけた。しかし、仕事中のためか電話は繋がらなかった。その後、父の職場である大城医療総合センターに電話をした。時間外受付に繋がったが、娘だと名乗って、父に取り次いでもらった。

「あ、お父さん? 仕事中にごめん。いま電話大丈夫かな? まさかとは思ってるんだけど、五十歳のおばさんが感染した経路だけど一つ可能性を見つけたわ」

『おう。何か気付いたか。教えて欲しい』

「そのおばさん、宗教団体に入信していない?」

『宗教団体??』

 電話越しなので、義郎の表情を窺い知ることは出来なかったが、おそらく鳩が豆鉄砲を食ったような反応を見せたことだろう。

「『生命探求の会』って言う団体。私は知らなかったんだけど、お父さんは聞いたことあるかな?」

『いや、ない。その団体がどうしたんだ?』

「私の憶測なんだけど、その団体は、他人の血液を信者に輸血している可能性があるの」

『本当か?』

「分からないけど、ホームページの記載から推察すると、たぶん同じようなことをやってるはずだわ」

『分かった。実はそのおばさん入院中なんだ。プライバシーに配慮して訊いてみるよ』

「了解」

 そう言って、優梨は電話を切った。

「一体どう言うことなんだ?」と風岡が訊いた。

「まだ、憶測なんだけど、一つの可能性を思いついたの。まだそれでも全容は解明できないけどね。でもこれが本当に行われているのなら恐ろしいことだと思う」

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