第四章 孟買(ムンバイ)  2 陽花

 お盆休みの初日。といっても高校生の彼らにはあまり関係のない話ではあった。今日も非常に暑く、蝉の大合唱がけたたましく鳴り響く一日であった。

 陽花はまた風岡を呼び出していた。

 また、風岡に夏休みの宿題を教えると言う口実ではあったが、本当にそれはただの口実であった。陽花も夏期講習以外の時間は、何となくだが、風岡に逢いたくなっていた。今日は名古屋駅の地下街のドトールコーヒーで、ランチをした。

「今日の買い物は、俺は見るだけだからな」

「アタシだってしょっちゅうは買っていないわよ」

 風岡は、前回買ったデニムのハーフパンツを着用していた。上は柄物がらもののTシャツであった。ファッションセンスは決して良いとは思わなかったが、がっかりするほど酷いものではなかった。

 陽花は白いショートパンツに黒いロゴの入った白いTシャツ。その上にブルーのチェック柄のロング丈のシャツを合わせていた。サンダルは風岡の身長を超えない程度のヒールのものを選んできた。風岡は177センチと聞いているので、靴底を無視すると、差し引き4センチか。ちなみに、影浦は181センチもあるらしい。意外にも高身長であることに正直ビックリした。


「ねえ、風岡。優梨と影浦くん付き合ったんだってね! 優梨もやっぱり変わっているね。影浦くんも背高くてカッコいいかもしれないけど、優梨はあのルックスだから、他にもっと選びようもあると思うんだけどね」

「お、付き合ったんだ! そりゃ良かったな!」

「『そりゃ良かったな!』って、あんた聞いてなかったの?」

「うん。聞いてなかった。俺はこんな性格だから、あまり詮索せんさくしない主義なんだよね」

「そっか」

 陽花は、ちょっとふくれた。

「大城が影浦のことを好きになるのも俺はごく自然のことだと思うけどな。別段、不思議じゃないと思う。影浦は付き合えば付き合うほど、人間として魅力があるんだ」

「でも、彼、二重人格じゃない?」

 影浦が解離性同一性障害であることは、風岡、優梨、陽花の中で周知の事実となっていた。それは優梨と仲良くなるにつれて、影浦自身がそう望んだことらしい。影浦は、優梨と風岡の共通の友人である陽花には、病気のことを包み隠す必要はないし、隠すべきではないと思っているとのことであった。

「瑛も夕夜も、性格的には俺も見習わないといけないくらい誠実な男だよ」

「夕夜もなの? 想像つかない」

「意外に思うかもしれないけどね」

「そんなに、影浦くんのこと買っているのね」

「じゃなきゃ、こんなに仲良くしないよ。俺だってこう見えて、気に入った奴じゃないと仲良くしたいと思わないよ。付き合う奴をちゃんと選んでるさ。陽花も含めてな」

 陽花は身体の内部から熱くなってくるのを自覚した。

 まったく、この目の前にいる風岡という男は、すました顔をして明らかに自分に好意を寄せていると思わせる発言を平然としてくる。これは恋愛対象として好きで発言しているのか、それともただの友人でもそのように発言しているのかが、陽花にはよく分からなかった。

「そう言えば、話変わるけどさ」風岡が思い出したように切り出した。「前、栄で買い物したとき、街頭で宗教っぽいビラ配ってたろ?」

「あー、そんなことあったね」

 陽花はその後の買い物と食事が楽しかったことで、風岡に言われるまでそのことは記憶の奥底に追いやってしまっていた。

「あれ『生命探求の会』って書かれてたと思うんだけど、暇だからインターネットで調べてみたんだ」

「あんた本当に暇人ひまじんなんだね」

 陽花は揶揄やゆした。

「まあいいじゃないか。あれ本当に宗教臭いな。いかにもさん臭い。どうやらアンチエイジングを売りに、女性会員をたくさん募っている感じだったね。そのトップの人間の写真が出ていたけど、七十歳らしいんだけど四十歳代にしか見えない。ありゃ別人の写真か、加工の写真か、若いころの写真を載せているだけか。本物なら、金に物を言わせて美容整形しまくってるかだな」

「七十歳で見た目が四十歳代?」

 陽花は耳を疑った。

「しかも、若さをキープするんじゃなくて、若返りを果たすらしいんだ。会員というか信者というか分からないけど、利用者の喜びの声と写真が掲載されていたよ」

「本当に?」と言いながら、陽花はスマートフォンを取り出した。『生命探求の会』と入力して検索をかけた。

 オフィッシャルサイトと思われるホームページにアクセスすると、赤を基調とした色鮮やかなムービーとともに会のロゴが出てきた。

「こんなに派手なサイトにして、通信料が勿体ないわ」

 陽花は悪態をついた。

「貴重な通信料をごめんな」と、風岡は一言謝ってから続けた。「この画面だよ。下の方にスクロールしてくれないか」

 そこには、会長を名乗る女性の写真が表示されていた。名前は馬場ばんばあけというらしい。確かに年齢は七十とあるが、確かに四十歳そこらにしか見えない。ハレーションや厚化粧の賜物たまものだとしても、若すぎるものであった。そして驚くべきことに、現在の写真と過去の写真が表示されていて、明らかに過去の写真の方が年老いて見えた。過去の写真は還暦くらいに見える。

「これは、絶対写真を加工しているわ。こんなに若返るなんて、特殊メイクでも難しいと思う」

「この利用者の写真も怪しいよな」

 そこには利用者の喜びの声とともに、その顔写真まで掲載されているページがあった。全員実年齢より十歳以上は若く見える人ばかりだ。

「たまたま若作りな人の写真を載せているだけじゃない? お金を渡して話をでっち上げているのよ」

「胡散臭いし嘘臭いよな」

「あ、でも何か、『若返りのメカニズムを科学的に解明』って書いてある」

 そう言いながら、陽花はその画面を開いてみた。

 そこにはネズミの実験のイラストを交えて、いかにもしんぴょうせいを高くすべく見せかけるために専門用語を敢えて多用したような説明文と、引用文献が掲載されていた。しかしながら、一見するとかなり興味を引く知見であることが窺えた。ところどころやや難解ではあったが、論理的整合性はちゃんと取れている内容であるように陽花は感じた。引用文献の出典として、陽花も知っているくらいの著名な国際的なジャーナルの名が記されていた。

「えっと、脳、骨格筋、心臓に若返り効果をもたらすタンパクが血液中に存在することがマウスの研究結果から判明……脳や筋肉や心臓が若くなると見た目まで若くなるのか?」

「アタシは専門家じゃないから分からないわ。でも顔の表情筋って言うんだっけ? それも若返れば顔にもハリが出てくるのかな」

 陽花は憶測で答えた。

「でもすごく画期的な研究だな。全然知らなかった」

「こんなに顕著に効果が出るなんて。これがもし本当なら、老化で悩んでいる特に女性は飛びついても仕方がないわね」

 同時に、これは既に臨床的に応用されているのだろうか、と陽花はふと思う。

「でも具体的に何をしているんだろうな? その血液中のタンパクとやらを身体に取り込むのかな」

「分からない。でも血液って自分の血液かしら? 他人の血液だったりしたら何だか怖いよね」

「ひょっとして大城ならこの件について何か知っているのかな」

「あの子、医学の知識もめっちゃ持ってるからね。今でも、医師の国家試験受かるんじゃない? 今度会ったら訊いてみようか」

 受かると言うのはさすがにちょっとおおすぎたか。でも半分くらいは正解してしまいそうな気がする。

「まぁ。別にそこまでして秘密を探らなくても良いんじゃない? 俺らはまだそんなことを真剣に考える年齢じゃないし」

「それもそうよね。優梨ほどの美人が悩んでいると思えないし」

 二人は笑って、話題を切り替えた。

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