***

 緑は息子を連れて研究所に到着した。研究所は隣県に近い山の中腹に位置していた。電車とバスを乗り継いで一時間半ほど揺られた。

 研究所はお世辞にも綺麗とはいえない建物であった。外壁はやや黒ずんだ象牙色で、いかにも年季が入っていた。建物内は薄暗く、リノリウムの床を進んで、指定された居室の扉をノックした。

 中には、白衣をまとった三十路前後と思われる小柄な女性が座っていた。美しい焦茶色こげちゃいろの髪を後ろで束ねており、眼鏡をかけていて、知性を感じさせる凛々しい顔立ちであった。緑は挨拶をすると、女性はすぐに立ち上がって、軽く会釈をした。

「ここの研究所の所員をやっております福岡藍ふくおかあいと申します。遠路お越し頂きましてありがとうございます」

 慣れない研究所と丁寧な挨拶に戸惑っていると、すぐに緑と息子の分の椅子を提供された。息子も緑の内心を反映するかの様に、緊張して俯いていた。

 緑はさっそく、用件を福岡研究員に伝えた。

「今まで、よく風邪を引いては長引いたり、ふらついて倒れたりすることがあると。やっぱり内容としては採血をして調べた方が良さそうですね。あと、血液型も調べたいのですよね。同じ敷地内に病院がありますので、お時間がありましたら一度受診して頂きたいと思いますが、よろしいですか」

 緑と息子は、併設の病院に案内された。福岡研究員の立ち会いのもと小児科医師の診察を受けた。小児科医師の名前はしらよしと言うらしく、あごひげを蓄えた壮年の大柄の男性医師であった。「さっそく採血をしましょう」と言われ、臨床検査室へと向かった。息子ははじめこそ嫌がったが、説得すると検査に応じてくれた。

 小一時間ほど、病院の中で待った。至急でオーダー発行しているが、検査結果が出るまでの間、少々時間がかかるようだった。

 しばらくすると、緑たちは呼ばれた。

 白井医師によると、息子は、軽度ではあるが赤血球、白血球、血小板のいずれも減少している状態らしかった。赤血球が減少すれば貧血、白血球が減少すれば易感染性、血小板が減少すれば止血困難を伴うので、一つの謎が氷解した。ただし『はんけっきゅうげんしょう』という徴候は骨髄こつずい形成けいせいしょう候群こうぐんさいせいりょうせい貧血ひんけつの可能性もあるので、精査を要すると言われた。精査とは骨髄こつずい穿せんという検査であった。これは腰の辺りの骨からその名の通り骨髄に針を刺して、骨髄液を吸引する検査と説明された。息子は痛みに弱いタイプではなかったが、さすがにこの検査では泣き声が聞こえた。結果が出るには一、二週間ほどかかるらしかった。

 しかし、血液型検査はすぐに結果が出た。やはりO型のRhプラスと言われた。自分が間違っているのか。自分もこの際血液型を調べて欲しいと懇願した。

 再度その結果を待つと、緑もO型Rhプラスであった。

 では理が嘘をついているのか。不貞行為を正当化するために。しかし、あのとき結果報告書を呈示してきた。今回緑が示されたのと同じように。まさか病院と組んで捏造ねつぞうしていたということはなかろうか。

 息子は間違いなく、緑と理の間に生まれた子供だ。緑は白井医師にそう訴えかけた。

「まだいちばん簡便なオモテ試験しかしていませんから。念のためもう少ししっかり調べてみましょう」

 白井医師は、明言を避けた。おそらくデリケートな問題と捉えたのだろう。しかし、オモテ試験とは何だろう。医学にうとい緑は、血液型検査はこれで確定したのかどうか、よく分からなかった。ひとまず再診の予約だけ取って、緑と息子と福岡研究員は診察室を辞去した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る