第三章 述懐(ジュッカイ) 6 優梨
影浦と優梨は水族館に行った。
先ほどのレストランの会計も水族館の入場料も、優梨が出そうと思ったが、影浦は「それはいけないよ」と言って、手で制した。結局割り勘となった。優梨は、影浦『瑛』という男のあまりの律儀さに驚いた。しっかり天気予報で雨を予測して折り畳み傘を用意しているところ、不器用ながらも積極的に話をしようとするところ、料理が運ばれてくると食器を優梨に渡すところ、お金にも律儀なところ、すべてがしっかり行き届いていた。立ち振る舞いは紳士そのものであった。まるで厳しい
しかし実際は、アルバイトの収入で携帯電話料金を支払い、あとはおそらく一円でも多く自分の貯金に回していることであろう。優梨は、自分が誘ったことで影浦が無理をしていないかがとても気がかりになった。
「あの、お金大丈夫かな? ひょっとして私に合わそうとして無理していない?」
「大丈夫だよ。贅沢は出来ないけど、これくらいは問題ないから。それなりにバイトもやっているからね」
「何のバイトやっているの?」
「近所のコンビニエンスストアだよ」
「本当に、お金がヤバいときは言ってね! お願いだから」
「ありがとう。その気持ちだけで嬉しいよ」
影浦は微笑みながら返答した。
イルカショーの時間はまだ先であった。
先に南館に行き、世界の魚を見た。
実は優梨も名古屋港水族館に行くのは久しぶりだった。最後に行ったのは小学校低学年のときか。優梨は女の子としては変わっていて、水族館や動物園よりは、科学館やプラネタリウムや工場見学などを好んだ。
優梨も知らなかったが、イワシショーなるものがあって、数万匹のイワシを餌で操ることによって群を動かし、竜巻状に
赤道の海の色鮮やかな魚たち、南極の海の愛らしいペンギンたちなど、終始目を奪われるものばかりであった。成長してから行く水族館もまた新鮮であり、悪くないと思った。
影浦も、実に楽しそうな表情をしていた。これだけ目を輝かせながら水槽を眺める姿は、好奇心をくすぐられた少年そのものであった。優梨はそんな影浦の顔を見て、改めて愛おしい気持ちになった。優梨は影浦と水族館に来て良かったと、心から思った。
イルカショーが始まる時間になると、もうすでに観客席は大勢の人で埋め尽くされていた。しかし、どういうわけか前方の席に空席が目立った。中央と後方はほぼ埋まっており、仕方なく最前列の座席に二人は腰掛けた。すると、前方はかなりの海水がかかると注意のアナウンスがあった。しかも、傘は他の客の迷惑になるので開かないようにとのことだ。代わりにビニールシートが渡された。
ショーが始まると、なんと客席付近を泳いでいたイルカの何頭かは
イルカショーの後、優梨と影浦は多目的トイレに入った。優梨は影浦の身体を手持ちのタオルで拭いた。
「本当に大丈夫? 風邪引いたりしないよね?」
「ありがとう。これくらい平気だよ」
影浦は汗かきらしく、予備のTシャツを数着持っていた。と言ってもどれも着古しっぽいものであった。
「えっと、ここで着替えても良い?」
優梨としてはそんなこと尋ねずに着替えてくれれば良いのに、と思ったが、敢えて訊かれてしまったことによって赤面した。
「いいわよ」
これが、好きでもない違う男なら、きっと恥ずかしくなることもないのだろうが。
影浦の身体は、瑛の性格からは想像できないくらいに引き締まっており、そして筋肉質であった。部活動をしていなくて、この体格はどこから生まれたのだろう。ひょっとして肉体労働系のアルバイトなのだろうかとも思ったが、先ほどコンビニ店員と言っていたことを思い出した。しかし、もう一つそれ以上に目を引いたのは体幹の無数の古傷であった。中には、最近作られたような内出血の
「あ、ごめんね。僕の身体汚くてね。どういうわけだか昔から
「え、あ、いや……」
優梨は返答に窮した。
「大丈夫だよ。優梨ちゃん、ひょっとしてこの秘密を知りたいのかな、って何となくそんな気がしていたから。これまで風岡くんと足達先生くらいにしか話したことがなかったんだけどね。ちょっと暗いお話になるけど、それが嫌じゃなければお話するね。いいかな?」
優梨は唾を飲み込んで
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