第三章 述懐(ジュッカイ)  5 優梨

 翌日、優梨は名古屋なごやこう駅に来ていた。

 影浦の施設の最寄りは名港線めいこうせん六番ろくばんちょう駅と聞いていたので、終点である名古屋港駅で待ち合わせた。人があまりにも多い名駅、栄、金山、大須では、いろいろな話をするのに相応ふさわしくないと思われた。影浦も気楽に話せないであろう。

 とは言え、名古屋港も夏休みは、名古屋港水族館やシートレインランドという遊園地などがあり、かなり大勢の人で賑わっているのだが。

 しかし、六番町駅では人は少ないもののあまりゆっくり出来るところもないだろうし影浦の知り合いに出くわすかもしれない。反対に、あまりに遠いと影浦の門限から早く別れなくてはいけない可能性が出てくる。できるだけ影浦と長く一緒に居たかったのだ。名古屋港であれば最悪、緊張のあまり話が続かなくても水族館や遊園地にでも行けば話題が出来る。この妙齢の女子の複雑な感情を勘案した結果の名古屋港であった。

 今回は、前回のような色気のある服装はやめた。比較的シンプルな藍色の丸衿まるえりの薄手のブラウスで、ベージュのラフなパンツを履いていた。同じく藍色のリボンをしつらえた鍔広つばひろのストローハットとベージュの花柄のついたサンダルを着用した。全体的にカジュアルに、年相応な雰囲気にまとめたつもりだ。メイクも今日はナチュラルであったし、鞄も有名ブランドではなかった。もし、影浦がまた学生服で現れたときに、なるべく彼が浮かないように。そうでなくても児童養護施設なら、高価な服装で現れることはないであろう。いつか、彼に何か洋服をコーディネートしてあげたい。

 また例によって、優梨は待ち合わせ時間よりかなり早く来ていた。なぜか一時間近くも早くに到着した。楽しみと緊張の入り交じった複雑な感情に、身体がそわそわして、居ても立ってもいられなくなったのだ。学校や予備校のテストで緊張することはないのに、こういうときのメンタルは、自分でもとても弱いとつくづく思い知らされた。早く到着して、目の前を通り過ぎて行くたくさんの人を見やったが、カジュアルな格好をしてもいつもと変わらず、優梨は自分に、異性からだけでなくて同性からも視線を多く感じるような気がした。そしてこれは決して自意識過剰ではないと思った。

 待ち合わせ十分前に、影浦は現れた。表情からして『瑛』であることは間違いなかった。今回は学生服ではなく、質素なTシャツと短パンとサンダルという格好であった。しかし影浦は、おもむろに優梨の前を通り過ぎたかと思うと、きょろきょろと見回し始めた。

「瑛くん!」

 大声で優梨は呼び止めた。

 影浦は立ち止まって振り向いた。

「あ、ごめんなさい!」影浦は苦笑いして言った。「帽子を被っていらしたんですね。気付かなくてごめんなさい。しかも、だいぶんお待たせしちゃいましたか? 女性を待たせるなんて、男としてマナー違反ですよね?」

「いいえ、大丈夫よ。さっき着いたばかりよ」と言って、ごまかした。

 前回四人で会ったときと、あまりにファッションやメイクが違うことで、影浦に気付かれなかったことを少し恥ずかしく思った。


 出入り口を出ると、外は曇り空であった。そう言えば、今日は天気が下り坂と言っていたことを思い出した。うっかり傘を持ってこなかったことに気付いて、優梨は焦った。しかし、そんな気持ちを見透みすかすように、影浦は言った。

「今日はお天気が崩れるみたいですね。あ、でも一応、折り畳み傘を持ってきましたから! 大丈夫です!」

「ありがとう」

 優梨は再び、自分の失態を恥じたが、同時に『瑛』の人の良さに心を打たれた。さらに、もし屋外で雨に打たれたら、相合い傘になるのだろうか。顔が紅潮するのを自覚して、影浦を直視できなかった。

「えっと、どこ行きましょうかね?」

「そうね。とりあえずお昼だしJETTYに行こうか」


 JETTYは名古屋港水族館の前にある商業施設で、フードコートや雑貨屋などが入っている。平日だというのに、夏休みだからか、非常に混雑していた。

 ひとまず、レストランに向かった。中にはカップルや子供連れが多くて、落ち着いて話が出来る様子ではなかったが、フードコートよりは話がしやすいだろう。

「何にします?」

「そうね。私はロコモコにしようかな」

「僕はオムライスにします」

 影浦が右手を挙げて店員を呼び、注文した。意外にも大きなハキハキした声であった。

「注文ありがとうね。そうそう、敬語はなしにしようよ。同学年なのに変じゃない? 風岡くんに対してもそうなの?」

「風岡くんには普通に喋っています」

「じゃあ、私にもそうして欲しいな」

「分かりました。そうします」

 敬語をなしにするって言った矢先に敬語で返答されて、思わず優梨は苦笑いした。


 優梨はいろいろ影浦から話を聞きたかったが、意外なことに逆に質問されていた。

「大城さんって、風岡くんと幼馴染みなんですね!? しかも滄洋女子ってすごいな! 女子校だけど、僕は百年頑張ったって入れないな」

「いや、成績のいい人は多いけど、みんな世間知らずだわ。私も含めて。あ、大城さんじゃなくて、『優梨』って呼び捨てでいいわ」

「呼び捨てなんて、僕は出来ないよ。ましてや女の子に。『優梨ちゃん』、あ、いや『優梨さん』のほうがいいな」

「じゃあ、親しみを込めて『優梨ちゃん』でお願いね」

「何か女性を『ちゃん』付けって照れるよね」

「そ、そうかな?」

 なぜ影浦が照れるのか、優梨にはよく分からなかったが、そこがきっと彼の良さなのだろう。しばらくして料理も運ばれてきた。影浦はすかさず、そしてさりげなく優梨にフォークとナイフを渡した。

「優梨さ……ちゃんは、夏休みはどう過ごしているの?」

「予備校で夏期講習取ってるときは行くけどね。でも基本的には家に居ることが多いね。本当に暇なときは家でチャート式でも解いてるよ。難問が解けるとスッキリするの」

「さすが、進学校だね。僕は勉強得意じゃないからな。問題集開くと眠たくなっちゃう。今度分からないところとか教えて欲しいくらいだよ。留年と中退はしたくないからね」

 勉強得意じゃないから、という発言にどことなく嘘くささを感じたが、これは影浦の謙遜だろう。影浦は続けて、優梨に訊いてきた。

「大学はどこに行こうとしてるの?」

「一応はN大学の医学部を狙っているかな」

「すごいね! N大学ってこの辺りではいちばん有名なところでしょ? すごく頭良いんだなぁ。うちの高校にはそんな人、一人も聞いたことないよ。僕は高校卒業したら就職するつもりだよ。お金を稼がないといけないんだ。高校を出たらどうしても施設を出ないと行けないからね。参っちゃうけど、でも甘えてばかりもいられないから」

「そうなんだね」

 優梨はしんみりと返事をした。児童養護施設という特性上、やはり大学進学は難しいのだろうな、と優梨は感じた。

「あ、ごめんね。何か暗くさせちゃったよね。ご飯食べたらどうする? せっかくだから水族館でも行きませんか?」

「えっ?」

 影浦から話を聞きたかったが、影浦に話の主導権を握られたまま、いきなり水族館を提案されて、優梨は狼狽うろたえた。

「いや、僕ずっと名古屋に居るのに、恥ずかしいことに名古屋港水族館に行ったことがなくて……」

 優梨は少し申し訳ない気持ちになりながら小さくうなずいた。

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