第二章 参集(サンシュウ)  5 優梨

 一応、何とか、カラオケの終わりまで体裁をつくろうことはできたが、陽花も風岡も優梨の異変に気が付いたことだろう。そのせいか、気を遣ってくれたかのように、ドリンクバーでの一件について追及はしてこなかった。その優しさも、優梨にとってはかえって痛かった。

 カラオケはお開きとなり、陽花を除いた三人は名城線に乗り込んだ。金山駅に着くと、にこやかに影浦は電車を降りて右手を振って別れた。影浦はどうやら名港線めいこうせん六番ろくばんちょう駅が最寄りらしかった。実は結構近くに住んでいることが本当ならとても嬉しいはずだったが、今ではとてもそんな気持ちにはなれなかった。


 風岡と優梨はともにてんちょう駅で降りた。

 優梨はこのまま帰って泣きたい気分だったが、この気持ちを果たしてひとりで処理しきれるかどうか不安であった。風岡になら、いっそ弱音を吐いても良いかとも思った。ただ、疲れきった脳細胞を酔わせる必要があるような気がした。間違いなく学校の試験よりも疲れていた。

「風岡くん、この後まだ時間ある?」

「何か話したげだな」

「うん。悪いんだけど、一度家に帰って着替えてきてもらって良い?」

「何でだ?」風岡は訝しげに訊き返す。

「ちょっと素面しらふでは話せないかもしれないから。どこか飲める店にでも入ろう」

「おいおい、何言ってんだ!? 俺ら未成年だぞ!」

「着替えていればバレないでしょ」

「そういう問題じゃないだろう? それに、大城が酔って帰宅したらどうなる? おやさんに、誰かに飲まされたと思われかねないだろう? 俺、おもてに立ちたくないよ」

 優梨は、居酒屋にでも行って話を聞いてもらおうとしていた。優梨は実際、勉強やそれ以外で疲れたときは、少量のアルコールの助けを借りて身体を休ませるようにしていた。とは言っても、月に一回飲むか飲まないかの頻度ではあるが。

「やっぱりダメ?」優梨は笑いながら懇願した。

「話なら、ファミレスでも喫茶店でも公園でもいいからいくらでも聞いてやる。ただしノンアルコールでな」

「分かりました。公園で良い」

 優梨は渋々承諾した。

「いやー、公園は冗談だって」

「いや、私は公園が良いの。あまり人のいるところで話したくない」

「まさか、大城からお酒を飲もうとか公園で話したいだなんて。お嬢様のイメージ崩れそうだよ」

 風岡は苦笑いの表情を見せた。

「別に私はお嬢様であることに憧れはないわ」

 優梨は少し不愉快な態度を取ってみせた。


 優梨はカラオケ店で影浦と二人きりになった数分間の出来事について、ありのままを語った。優梨は世間体を気にする性格だったが、今回の会の風岡の思いやりに触れて、包み隠さず話を聞いてもらいたいと思った。

 日は暮れてきていた。公園のベンチに座って、風岡は嘲笑ちょうしょうすることも非難することもなく、ただ優梨の話の聞き役に徹した。優梨は、はじめアルコールの力を借りなければ話せないかと思ったが、風岡のかもし出す包容力に似たオーラを前に、せきを切ったように言葉が溢れ出た。とは言え、風岡に恋心が移ることはなかったが、もしアルコールで酔ってしまったら、感極まって風岡に抱きついていたかもしれないと思うと、やはり飲まなくて正解だと思った。ただし、風岡は依然として、影浦の精神障害の本質に迫る部分については、語らなかった。

 風岡は、いくら優梨に門限がないと聞いてはいても、付き合ってもない、いや付き合っていてもそうかもしれないが、高校二年生の男女が遅くまで一緒にいることは、誤解を生じさせるもとだから良くないと考えているようだった。おちゃらけているようで、実に真面目で律儀でしっかりした男だと思った。

 風岡は、近所ではあるが念のため、優梨を家の近くまで送ると言ってきた。お言葉に甘えて、送ってもらっていると、途中で野良猫を道端に発見した。優梨は何のちゅうちょもなく、手を差し伸べた。

「猫が好きなのか?」

「猫は大好きよ! 猫は束縛されない生き物だから憧れるわ。生まれ変わったら猫になりたい」

「そ、そうなのか? 成績が一位なら門限をなくすという約束は、猫に憧れてるからだったのか」風岡は驚いた様子だった。

「猫に憧れてるから門限をなくすんじゃなくて、束縛されない生き方って何だか好きなのよ」

「そんなに束縛されて生きてきたのか?」

「私も私立の中高一貫校の生徒らしく、お母さんは教育ママだったからね。束縛は多かったわよ。今ではありがたいと思っているけど、子供の頃は嫌な思いもしたよ。毎日のように習い事で、小学校の帰りに友達と遊べなかったし」

「確かに、小学校のとき下校時間や夏休みに大城と遊んだ記憶はないな」

「今回がはじめてかもね」優梨も小学校時代を回想する。

「確かに。間違いないかもな」風岡は小さく笑いながら同調した。

「でも、これっていま思えばかなり贅沢ぜいたくな悩みだよね。ごめん」

「俺は別に、全然気にしてないから大丈夫だよ。それにしても、その猫大城になついてるな」

 猫は優梨に身体をすり寄せて甘えていた。

「私、猫にはモテるのよ。ちなみに、家でも飼っているわよ。メインクーンという種類のメス猫をね」

「何!? ジャガイモみたいなのか!?」

 優梨は何のことかと思ったが、意味が分かった瞬間、たまらず吹き出した。

「はははは! それはメイクイーン! 猫はメインクーンだよ! メインクーン! アメリカのメーン州が原産だからこういう名前なの。全然ジャガイモじゃないって! ははは! 笑える! 私、猫が大好きだから品種はいろいろ知ってるの。猫の品種名は、こうやって原産の場所や国の名前が用いられていることが多いの」

「そうなんだ。よく知ってるな。俺、ペット禁止のマンションだから猫飼ったことない。知らんかったよ。三毛猫くらいしか分からん」

「三毛猫も、正式にはジャパニーズボブテイルだわ。ほら、日本の猫だって分かるでしょ? ちなみに三毛猫は基本的に雌しかいないの。三毛猫のオレンジを作る遺伝子が、性染色体に存在してるためね」

「さすが、博識だな」

 風岡は意味が理解できていないような表情であった。

「高校の生物で習わなかった?」

「俺、文系だから。理科はてんでダメなんだ。」

 人に知識を教えることが優梨は好きだった。ただ、専門性が過ぎると伝わっていないことがほとんどだが。

 優梨の自宅にようやく着こうとする頃、風岡が真剣な表情で口を開いた。

「大城、まだ影浦のことが好きか?」

「ええ。だって、好きじゃなかったらこんなに遅くまで風岡くんに話を聞いてもらったりしないわ」

「解離性障害についてもっと知りたいか?」

「影浦くんの支えになることなら、何でも知りたい」

 はじめは解離性同一性障害の方に興味があって影浦に近付こうとしたが、今は影浦が好きだから解離性同一性障害を理解したいと思っていた。

「影浦の主治医の心療科の先生なんだけど、ひょっとしたら大城のことも知ってるかもしれないな」

「え??」

 風岡の意外な発言に、思わず拍子抜けしたような声になってしまった。

だち先生っていって、大城医療総合センターの先生らしいから」

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