第二章 参集(サンシュウ)  4 優梨

 一同は、カラオケの会場へと移動した。祝日の昼間はひどく混雑していたが、偶然待ち時間の少ないカラオケルームを手配することができたようだ。これも風岡の日頃の行いの良さなのだろうか。

 カラオケは優梨の十八番であった。実際に優梨は合唱部に所属している。陽花は合唱部ではないが、時間が合えばよく優梨と一緒にカラオケに行く仲である。

 音楽を聴かせたり習わせたりすることは、脳の神経伝達活動を活性するとして、優梨は、幼少の頃から、ピアノやヴァイオリンなどに触れてきた。しかし、生来歌唱力が群を抜いて高かったため、ヴォイストレーニング教室に通っていたこともあった。

 歌で、影浦の心の琴線きんせんに触れられるか分からない。でも、歌が得意であることを風岡が覚えていてくれたことに感謝しつつも、それだけ自分の歌が印象に残りやすかったと思うと、優梨はそれだけでも嬉しい気分であった。そして、その特技を生かせられるかもしれない場面がやってきたことも。

 陽花は、女性アイドルソングを得意としていた。元気な曲調の歌は、彼女の高くてよく通る大きな声とよくマッチしていた。『AKB48』や『ももいろクローバーZ』などを振り付けつきで披露してくれた。

 風岡は、誰でも知っているようなアニメソングや定番ソングを歌って、場を盛り上げてくれた。いつもは別のレパートリーがありそうな気がしたが、幹事として雰囲気作りに徹底してくれているようだ。

 影浦『瑛』は、お世辞にも歌が上手いと言えるレベルではなかった。音程は外していたが、それでも頑張って一生懸命に歌っていた。選曲が気になったが、これはいたって普通で、男子のカラオケでは人気の『福山ふくやま雅治まさはる』などであった。

 優梨自身は、申し訳ないと思いながらも、いちばんの勝負曲を披露した。今出せる最大限の能力を行使して、感情そのままに『MISIA』の『逢いたくていま』を、心を込めて歌いあげた。風岡は選曲するのも忘れて、最後は感極まったように涙を瞳にたたえているようにも見えた。影浦もちゃんと耳を傾けて聴いてくれているようであったが、どのような感想を抱いただろうか。気になるところであった。


 それにしても、先ほどから『瑛』以外の人格が登場しなかった。解離性障害であることをうっかり忘れそうになるくらいとても大人しかった。それとも、特殊な条件下でしか交代人格は出現しないのだろうか。依然として、影浦については分からないことだらけである。


 少しして、影浦はドリンクバーをおかわりしようと席を立った。ついでに他の人のグラスも空になっていたので、気を遣って全員分取りに行こうとしていた。そのときは陽花が熱唱していた。

 すかさず、風岡は優梨に視線を送り合図した。手伝うふりをして二人きりになってこい、という意味だった。

「瑛くん、手伝うよ」

 風岡のさりげないアシストで、やっと自然に言葉が出た。優梨も自然と立ち上がり、影浦と二人だけでカラオケルームを出ることに成功した。

 ありがたいことに影浦から優梨に話しかけてきた。

「いやー、大城さんって歌が本当にお上手ですね! 僕、すごく感動しちゃいました。もっと聴きたいくらいです」

 優梨は心から喜んだ。表情は微笑み程度に抑えつつも、心の中ではすっかり舞い上がっていた。影浦くんのためなら、何曲でも、何時間でも歌います、という気持ちになった。

「本当にありがとう! あなたのためなら私いつでも歌うね」

 陽花の前では、口が裂けてもいえないセリフが出ていた。

「本当ですか!? 嬉しいな」

 優梨は興奮して自分でも不可解なほどスイッチが入っていた。気付けばグラスを置いて、影浦の手を握っていた。

「瑛くん、悩んでいることとかトラウマに感じていることとかない? 私、あなたを助けたいの!」

 影浦は突然の出来事に明らかに狼狽ろうばいしていた。影浦の正面に立ち二の腕に触れながら、妖艶な上目遣いで見上げて訴えかけた。優梨の艶やかなリンゴのような豊満な胸の谷間は、胸元だけ少しゆるく設計されたワンピースの隙間から間違いなく影浦の視界にくっきり映っていた。影浦は思わず目を背けた。

「やっ、やめてください! こんなところで……い、一体急にどうしたんですか?」

 影浦の声は震えていたが、すぐに謝った。

「あ、ごめんなさい。そんなつもりはないんです。悩みは、こんな人見知りで友達はあまりできないけど、風岡くんにいつも助けてもらっているし、毎日楽しいですよ。そうですよね? 僕があまり喋らないから心配してくれたんですね。ありがとうございます。あ、みんなきっとドリンクをお待ちかねですよ! さあ、急いで注いでお部屋に戻りましょうねっ」影浦はさりげなく、優梨の手を自分の二の腕から離した。


 優梨は茫然ぼうぜんしつとなった。自分の二面性の裏の顔が思い切り出てしまい、コントロールできずに色仕掛けに走ってしまった。なのに、おこがましく影浦の解離性障害のケアの一助になろうなんておお見得みえを切ったが、彼の方が数段冷静であった。これではどちらが精神的障害を負っているか分からなかった。しかも影浦は、なるべく優梨を傷つけまいと、最大限の配慮をしながら弁解して、優梨の攻撃を鮮やかにかわしたのであった。つまりフられたのであった。優梨の、高校二年生にしてはおそらくなかなか類を見ないだろうほどの最強の色気を駆使したのにも関わらず、フられたのだ。そして、気を遣ったはずの彼の優しさが、逆に鋭利な刃となって、優梨の心の奥深くへと見事に突き刺さったのだった。一瞬にしてかんなきまでに敗北したのであった。優梨はしばらく部屋に戻ることができなかった。どんな顔して戻れば良いのか分からなかった。

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