みどりはシングルマザーであった。

 一人の息子を抱えていた。息子はどちらかと言えば華奢きゃしゃな体格で、性格も大人しいと言われていた。大人しいと言えば聞こえは良いが、ひどく内気な少年であった。人見知りも激しかった。

 もちろん自分から望んでシングルマザーになったわけではなかった。元夫のおさむとは息子が一歳のときに離婚した。あるとき帰宅したところ、判が押された離婚届が置かれていた。それから理は蒸発した。行方をくらまして、その後一切、理とは音信不通の状態だ。養育費も放棄され、児童扶養手当とスーパーマーケットのレジ打ちの仕事の給料を受け取りながら、市営住宅で細々と暮らしていた。

 原因は理の不貞行為であった。と言っても、その原因を作ったのは、不本意ながら緑とされていた。でも緑は断じて違うと思っている。そんなことがあるはずなどなかった。

 緑はひたすらただひとり、理のことを愛していた。緑は地元でも美人と評判で、理も穏やかな性格で愛妻家であった。派手さはなくごくごく普通ではあるが、他人が羨むようなおしどり夫婦であった。息子はそんな理との間に授かった、たったひとりの子供だ。息子が生まれるまでは、理はとても優しかったし、妊娠中の緑の身体を常にいたわ率先そっせんして家事を手伝う、かがみのような夫であった。しかし生まれてきた息子が、緑と理にとって非常に不可解な現象をもたらし、亀裂を生み、たちどころにかいし、結果としてどういうわけか緑は濡れ衣を着せられてしまったのであった。

 しかし、緑は息子のことを愛していた。間違いなく望んで生まれた子だ。自分の分身が可愛くないわけがなかった。

 大人しくてわがままな子ではなかったが、困ったことにすぐにどこからか菌やウイルスを拾ってきた。熱は出てはなぜかいつも症状は長期化した。息子には悪いが、実に母親泣かせな子だった。それでも間違いなく、緑の身体から生まれてきたかけがえのない宝物であった。

 ところが、四歳のとき、息子は突然眩暈めまいが起きたかのようにふらつき、転んでしまった。右の腕から出血したと思いきや、圧迫してもなかなか止まらなかった。思い起こせば、よくどこでぶつけたか分からない青痣あおあざを作っていたから、そういう体質かもしれなかった。やっとの思いで血が止まったと思ったら、傷口から感染が起きた。あの時、しかるべく消毒処置はしていたように思ったのだが、かなり腫れてはいのうまでした。発熱も見られた。幸い、持ち合わせの抗生物質で重篤化はしなかったが、息子についてその時ひどく不安になった。

 この子は一体何者なのだろうか。顔は緑の生き写しで、非常に整った顔をしているのに、不幸とさいをもたらす悪魔の差し金にも見えたりもして、どうにも居ても立ってもいられなくなった。

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