第四十七章 3

 その男が街中を歩いているだけで、嫌でも住人達の目に止まった。


 その白人男性は、特に背が高いというわけでもなければ、美男子というわけでもない。いや、その不敵な面構えは、顔の造詣が整っているという意味での美形ではないが、人によっては好まれる、男臭い顔立ちだ。そして背は高くなくても、肩幅が広く胸板も厚く腕も太く、がっちりとした体型をしている。


「強いな」


 明らかにオーラを発しているその男が通り過ぎるのを見送り、住人の一人がぽつりと呟く。彼もここではそこそこ名が知れている腕自慢だが、一目見ただけで、その男にはかなわないであろうと判断した。


 この尊幻市での生活が長い者は、無闇に喧嘩など売らない。自分から揉め事を起こすのは大抵、根っからカッカしやすい性分の男か、あるいは尊幻市に来たばかりの者だ。後者はルーキーと称される。そしてルーキーが起こす揉め事の頻度はとても高い。


(あっちこっちから見られまくってるな)


 そう意識しつつ、その男――アドニス・アダムスはなるべく気にかけまいとして、大通りの真ん中を堂々と歩く。車はほとんど走らない。バイクや自転車もたまに見かけるだけだ。

 アドニスは日本にこのような場所がある事に、驚いていた。植物があちこちに生え、建物は掘っ立て小屋か汚い集合住宅。見た目はスラムだが、そこに住人達の目つきや雰囲気は全て、アウトサイダーのそれだ。人種も様々で、日本人の比率は半分かそれ以下のように見える。


(世界中からこの無法都市の噂を聞きつけ、無法者がやってきているという話は本当のようだな)


 そう思った矢先、四人組の黒人が道の脇からアドニスの方へと向かい、その前方を遮るようにして並んだ。アドニスも自然、立ち止まる。


(あーあ、早速馬鹿がつっかけやがった)

(雑魚モブが死ぬ毎度のパターン開始だ)


 住人達がその光景を見て思う。相手が自分より強いかどうかの判断もできず、数に頼って喧嘩を売るような連中が、返り討ちにされる構図。何度もこの街では見ている。


「よう兄弟。道のド真ん中を偉そうに歩いて、絡まれ待ちかい?」


 一番背の高いスキンヘッドの男が、にやにやと笑いながら声をかけてくる。


「そういうわけじゃないが、ここじゃあストリートの真ん中を歩いただけで、ふっかけられるのか?」

「わりとそういう奴はいるぜ。気をつけた方がいい。ま、兄弟をどうこうできる奴なんて、そうはいないだろうがな」


 モヒカン頭の黒人がにやにや笑いながら言うと、アドニスに向かって軽く拳を上げた。アドニスもその拳に、己の拳で軽く叩く。他の三人にも同様の挨拶を交わす。


 それを見て、知り合いだったらしいということを悟り、通行人達は目を逸らす。


「お前等もここに仕事で来たのか?」


 かつてアドニスがアメリカで始末屋稼業をしていた頃に知り合った、同業者である四人組に尋ねる。


「違うよ。あっちでヘマして逃げてきた」


 一番背の低い、小男と言って差し支えの無い男が、気恥ずかしそうに頭をかきながら答える。


「そうか。ここでどうやって暮らしているんだ?」

「ここは物価が安いし、配給もある。金を稼ぎたい時は、護衛の仕事とか、殺しとか、闘技場とか、襲ってくる馬鹿からまきあげるとか、いろいろある。腕に自信の無い奴でも、日雇い労働の募集もあるさ」


 アドニスの問いに、アフロヘアーの男が答えた。


「俺は仕事で来たんだが――」


 言いかけて、アドニスはその場を離れた。四人の男達も同様にその場を飛びのいている。

 銃器の一斉射撃が、五人のいた空間へと降り注ぐ。


(とんだ巻き添え――か? あるいはただの強盗か)


 道路の両脇から撃ってくる数人の男達を視認し、アドニスも撃ち返す。少し遅れて四人も一斉に反撃しだした。

 撃ってきた者達の数は八人。素人に毛が生えた程度の集団だ。しかもまだ若く、十代後半の者達ばかりであった。日本人ではない。東南アジア系に見えた。


 勝負はあっさりと決まった。アドニスが二人射殺し、一人に重傷を負わせ、四人組がそれぞれ一人ずつ射殺していた。


 一人無事な少年が逃げていくが、モヒカン男が容赦なく後ろからヘッドショットを決める。


「こいつら、この間の生き残りか」

「だろうな」

「ああ、三十人くらいでつるんで強盗していた餓鬼共のお掃除の仕事があってな、取り逃がした奴等が、今仕返しにきたのさ」


 長身の男とモヒカン男が囁きあい、アフロヘアーがアドニスに襲われた理由を説明する。


「で、兄弟の仕事ってのは? あんたほどの奴を外から呼ぶくらいだから、相当厄介そうではあるが」


 モヒカン男が、残った少年一人にとどめをさしながら問う。


「『城』とやらに呼ばれている。チップも払うから案内してくれないか? 出迎えくらいは来るかと思ったんだが、その様子も無いし」


 アドニスが答えると、四人は顔を見合わせた。


「つまり……ゴミ山の帝王直々の依頼ってことか。こいつは驚いた」

「流石はアドニスだ。依頼内容も剣呑そうだぜ」


 四人のリアクションを見て、尊幻市の支配者にして創設者たるハリー・ベンジャミンが、ここの住人には相当な畏怖を抱かれている存在であることが伺えた。


「チップをはずんでくれたから、一つ耳寄りの情報も教えておいてやるよ」


 アドニスを城へと案内するために先導して歩きながら、長身の男が口を開く。


「あの悪名高いマッドサイエンティスト雪岡純子と、雪岡の殺人人形相沢真も、尊幻市に来てるっていう話だぜ」


 純子の名を聞いた時点で真を思い起こし、真がここに来ている事を聞いた時点で、アドニスの口元に自然と笑みがこぼれていた。


「ん? 兄弟、何がおかしいんだ?」

「ちょっとな」


 期待を膨らませつつ、アドニスはしばらく微笑んだまま歩いていた。


***


「カバディカバディカバディカバディカバディカバディカバディカバディカバディカバディカバディカバディ」


 早口で同じ言葉を繰り返すその男に対し、同室にいた四名はコミュニケーションを取るのを早々に諦めた。

 ここは尊幻市内において『城』と呼ばれる場所だ。とは言っても、外観からはとても城には見えない。ぱっと見では、巨大なブロックを滅茶苦茶に積み上げた、巨大な建造物という印象しかない。しかしこのカオスな町の中で、ゴミ溜めの王と名乗る者が住む居城としては相応しいと感じる者も、多数いる。


「彼はきっと天使に近い人種なのだろう。俺にはわかる」


 サングラスをかけて、頭をリーゼントで固めてこんもりと突き出した背広姿の痩身の男が、室内にいる同じ言葉を呟き続ける男を見て、確信を込めて言った。


「あーっ、エンジェルさん、それってちょっと差別発言入ってますよーっ。気の触れたクレーマーさんが、奇声あげながら集団で襲いかかってくる、こわーい事案ですよーっ」


 サイズの合わないごわごわのジャンパーとミリタリーパンツをはいた少女が、リーゼント頭の男に注意をする。


「フッ、俺に差別するつもりはない。俺の発言を留め立てする権利など、天使にも無い。ひねくれた受け止め方をする迷惑な輩こそ、然るべき裁きを受けて地獄の釜へと放り込まれるべきだ」


 リーゼント頭の男が気取った口調で主張する。この男はエンジェルと呼ばれている。いや、自分でそう名乗っている。本名は不明だ。


「ちょっとーっ、私はそういう人もいるから注意するようにと言ってるんですっ。それなのに、どうあるべきかを主張するっておかしいでしょっ」


 少女――谷津怜奈やつれなが苛立ちを込めた声をあげる。


「今のは怜奈がおかしい」


 見た目は小学生高学年ほどの美少年――砂城来夢さじょうらいむがぴしゃりと言い切った。


「えーっ、何でですかーっ?」

「エンジェルのいつもの表現に、重箱の隅を突くようなしょーもない難癖つけたから。怜奈こそクレーマー」

「ぐぬぬぬぬ……」

「ふっ、来夢はよくわかっている。俺が見込んだ天使だけはある」


 来夢の言葉は怜奈からしてみると心外であったが、エンジェルが来夢の言葉の尻馬に乗った事で、これ以上ムキになると、自分が物凄く子供になったかのような気がするので、唸るだけで抑えておくことにする。


「でもカバディマンさんとも一緒に仕事するわけだから、意思の疎通は取れるようにしたいんだけどなあ」


 来夢の隣に座った十代半ばの少年――安生克彦あんじょうかつひこが、延々とカバディと繰り返すだけの男の方を向いて、困り顔で言う。


 始末屋組織『プルトニウム・ダンディー』は、尊幻市の創設者にして支配者であるハリー・ベンジャミンの依頼を受け、ここ尊幻市までやってきた。依頼内容は護衛と、場合によっては始末という事であるが、他にも複数の始末屋を雇うので、期間や担当部署などは、直接相談して決めたいという話である。

 その他の始末屋というのが、延々とカバディと呟くだけのフリーの始末屋、カバディマンであった。


 ノックの音がして、扉が開かれる。


「あ……」


 現れた人物を見て、克彦が声をあげる。反物質爆弾の取り合いの際に一戦交えた、アドニスだった。


「今度はお前達と共闘か。頼もしいことだ」


 克彦と来夢を見て、アドニスが皮肉なのか本音なのかわからない口調で言った。


***


『始末屋が全員到着しました。これにクリシュナも加えます』


 V5が恭しい口調でもって、内線で報告する。


『どんな人なんだろうねー。ねえねえハリー、あたしその人達とハリーで仲良くなっておいた方がいいと思うんだー』


 ベッドに寝転がったハリーの横で、ケイシーがベッドに腰掛けてハリーの顔を撫でながら、そんなことを言い出す。


「その依頼した始末屋らと会ってみたいな」


 ハリーの言葉にV5は驚いた。腕利きとはいえ、たかだか始末屋程度と顔を合わせたいなどと、どのような風の吹き回しだろうと。


『承知しました』


 主の意向に従い、V5は始末屋達に声をかけに行った。


「ケイシーの勘は妙に当たるからなあ」


 ハリーが微笑みながら手を伸ばし、ケイシーの髪を撫でる。ハリーにしか見えないケイシーに、しかし確かに手で触れられる感触は存在した。

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