第四十七章 2

 尊幻市にて、奇妙な噂が広がっていた。

 妖怪とも宇宙人とも言われる人外が跋扈し、夜な夜な人を襲っては食い殺す。

 目撃証言はかなりある。謎のヒューマノイドの死体も撮影され、ネット上に上げられている。ヒューマノイドの死体は、『城』の者達が処分したという噂である。

 しかし尊幻市の住人の大半は半信半疑であった。


 そんな話を思い出しながら、二人の男が夜の町を駆ける。


 男達は四人で行動していた。しかしそのうちの一人は、三人の見ている前で死体になった。

 銃を抜いて応戦し、襲撃者のうち二体は殺害したが、数がどんどん増えていくのを見て、彼等は逃走という選択に至る。


 三人で逃げていたはずなのに、いつの間にか二人になっていた。逃げ遅れた一人の安否を気遣う余裕は無い。いや、気遣う意味も無い。彼の運命など知れている。


「こっちだ」


 息を切らせながら、男の一人が狭い裏路地を指す。

 二人が狭い裏路地の中へと飛び込む。この先は迷路のように入り組んでいる。


「映画みたいに、待ち伏せ展開が無いことを祈るよ」

「そんなわけがあるか。そもそもここの地理は、あの化け物共より俺達の方が明るい」


 そんな会話を交わしながら、二人は入り組んだ裏路地を必死に逃げ、見知った建物へと辿り着いた。

 アジ・ダハーカという名の酒場。二階は宿にもなっている。自由にこの町を出入りできる者など限られているので、二階が使われることはあまり無いが。


 店の中に飛び込み、ようやく二人は安堵したが、そこに転がっていたものを目にして、顔をひきつらせた。

 青や緑や銀が混じった体色のメタリックな肌を持ち、目は小さく、手足が長い。手には水かきがついている。

 今、必死で逃げてきた、自分達を襲った化け物が、店内に倒れていた。それを他の客達が囲んで眺めている。


「どうした? お前等。まさかこいつに襲われたのか?」


 顔馴染みの客二人の様子がおかしいのを見て、店主の狭間凶次が声をかける。


「ああ……二人やられた。何匹もいて、どうにか逃げてきたんだ」

 逃げてきた男の一人が答えた。


「一匹だけか? こいつは?」

「店の中まで飛び込んできたから、返り討ちにした」


 隣の男が尋ねると、凶次が答えた。


「またマッドサイエンティスト共の悪ふざけか? 雪岡と霧崎の?」

 店内にいる客がぼやく。


「違う。それならうちに来てるわ。ていうか、明日に雪岡純子は来る予定だ。来る前からマウスが暴れてるのはおかしいだろ」


 凶次の話を聞き、店内にいる者達は不吉な予感を覚えた。わけのわからない化け物が出没してただでさえ厄介なのに、さらに厄介なのが来て、ろくでもないことになりかねないと。


「ゴミ山の帝王の引退ライブもあるっていうのによ……。いろいろ厄介事が重なって、大騒ぎになりそうだな」


 客の一人の言葉に、その場にいた者全員同感であった。


***


 全ての人間はルールの中で生きている。慣習であったり法律であったり規約であったり、様々なルールに縛られている。

 ルールの数は途轍もなく多い。トラブルを避けるための決まりにがんじがらめにされ、それがルールであるから守らなくてはならないと、ごく当然のものとして受け入れている者もいるが、耐え難い心地悪さと感じる者もいる。

 裏通りの住人などは、特に反発する傾向が強く、そういった理由で表通りから堕ちる者も数知れない。とはいえ、裏通りにはまた裏通りでルールがある。結局の所、人はルールから逃げられない。


 しかし秩序よりも混沌の世界を望む者達は、裏通り以外にも行き場所がある。いや、裏通りよりもさらに無法が極まった場所がある。それが尊幻市だ。


 尊幻市は安楽市内の南西部に位置する非公式都市である。地図にも載っていないし、公的にその存在の名が記されることはない。しかしその名は誰もが知っている。

 外壁で閉ざされたこの都市の中では、外界の常識も法も通用しない。限りなく無法の都市。


 もっとも、完全な無法では流石に都市が機能しなくなるので、最低限のルールはある。それらは都市の住人達によって、暗黙の了解で守られているようなものだ。例えば店の類に襲撃はかけないよう、多くの者が心がけている。それをやってしまうと、結局自分達が不便な思いをすることになるからだ。

 稀にそれら暗黙の了解を破る者もいるが、そういった者は相応の代価を支払うはめになる。


 来る者を拒まぬ事の都市は、世界中から無法の世界を求めて人が集う。ただし、入ることは自由でも、一度入ったら出ることはできない。一応、裏通りの管轄下にあるため、入る前に『中枢』から出入り許可を認められた者だけが、出ることを許される。食料雑貨品を届ける業者達は、認可を受けている。


 そんな尊幻市が、二十年前に一人の男を中心にして作られたことは、尊幻市の住人であれば大抵知っている。そしてその男が今なお支配者として君臨している事も。

 支配者といっても、できうるかぎりの無秩序を尊ぶ尊幻市において、行政の役割を果たすことなどほとんどないが、それでも統治者は必要であるし、都市そのものをより刺激的にするために、そして存続させるためにも、彼は時々思い出したかのように、支配者としての権利を行使する。


 支配者たる男は思う。法とは人々を守るためにあるべきものだ。幸福を守るため、権利を守るため、平穏を守るため、作られるべきルールだ。

 しかし人間は所詮不完全な生き物であり、不完全な生き物の作るルールなど、たかが知れている。故に法が人を傷つけることもある。法の網をかいくぐって利を貪る悪党もいる。法を利用して悪事を働く者すらいる。

 法治国家だからといって法を絶対に守れというのは、思考停止でしかない。人を不幸にする法を守る必要がどこにあるのか。彼はそう考えていた。


 尊幻市の創設者であり支配者であるその男の名は、ハリー・ベンジャミン。別名、ゴミ山の帝王。


 彼は尊幻市の中央にある、巨大な建造物で暮らしていた。

 四角いブロックが無造作に積み上げられたような、そんな奇怪な建物。しかしその大きさは、周囲の建物と比べると圧倒的なまでに巨大だ。高さも相当なもので、二十階建てくらいはある。天気のいい日は尊幻市の外からも確認できるという話だ。

 ハリー・ベンジャミンとその配下の者達だけが出入りを許されているその建物は、『城』と呼ばれていた。出入りしている彼等もそう呼んでいる。


「昨夜、また謎のヒューマノイドが多数出現し、住人を襲いました」


 そのハリーに、部下達からそのような報告がなされた。


「すでに手は打ってある。心配するな」


 部下達に柔らかい声をかけるハリー。

 見た目はやや強面であるハリーだが、その声はいつも穏やかで優しく、そして五十半ばでありながらも美声であった。聞く者の心を落ち着かせる、そんな声の持ち主である。


「わかりました」


 部下達が恭しく一礼して去る。


 尊幻市に住むハリーの部下達は何も知らない。暴れているヒューマノイドが、自分達の住む『城』から逃げたことを。

 そしてハリーが、世界中の戦場に現れては荒らしまくる、悪名高い巨大武装集団『ロスト・パラダイム』の創設者にして、お飾りの首領としてV5を据えて裏から操っている事も、ごく一部の限られた者達しか知らない。尊幻市にてハリーの城で働く兵士達にも知らされていない。


***


 森林の中に続く一本の道の先には、巨大な外壁が聳え立ち、門へと続く。外壁の門には『hell is a true heaven』と描かれているのが見える。


 純子、真、累、みどりの四人が、門をくぐる。

 真と純子はこの尊幻市へと何度も訪れている。都市内に顔見知りもいる。累も来た事がある。


「ふえぇぇ~、マジもんのスラムじゃんよ~」


 尊幻市に初めて訪れるみどりは、街の中を見て驚いた。日本とは思えないほど荒廃しきっている。

 道は汚く、ゴミがあちこちに散乱している。血痕も所々にある。集合住宅の壁は落書きと弾痕だらけだ。周囲が森林なので、飛んできた種子によってあちこちに雑草が生え放題で、緑が多い。誰も手入れなどしないのであろう。尊幻市が二十年前に作られたことを考えると、建物は建築からさほど年数も建っていないであろうに、汚れまくり歪みまくりヒビ割れまくり壊れまくって、築五十年と言われて納得するレベルのぼろぼろっぷりだ。


「霧崎教授と、いつも尊幻市で対決しているようですけど、ここがマッドサイエンティストとの決闘場とでも決まっているのですか?」


 累が純子の方を向いて尋ねる。


「そんなことはないよー。でも史愉ちゃん、私と教授がここでよく遊んでいるのを知って、ここを選んだのかもしれないねー」


 純子が言った。


 四人は尊幻市へ入るとまず、『アジ・ダハーカ』という名の酒場を訪れた。真と純子は、ここの店主とは特に親しくしている。


「お、お前等いい所に来たな」


 狭間凶次という名の三十路前後の店主が、純子と真の顔を見るなり、そんな言葉を口にして笑った。


「こんにちはー、凶次君」

「何がいい所なんだ?」

「実は――」


 純子と真が同時に発言し、凶次が尊幻市で今起こっている事を話しだした。


***


 少しだけ時間を遡る。

 尊幻市門前に取り付けてあった監視カメラで、純子達の来訪はしっかりとチェックしていた史愉であった。


「わっはっはっ、来た来た、のこのこと。もし来なかったらムカつくし寂しいっスけど」


 掌を合わせてしゃかしゃかとこすり合わせながら、カメラに映る純子とその他三名を見て、舌なめずりする史愉。


「やっぱりミルクと霧崎の野郎はシカトかい。やっぱりあいつらは見込みねーッスね。それに引き換え純子はやっぱりいいね。ちゃんとノッてくれるもんね。ぐぴゅっ。手紙に悪口書いたのはやっぱり悪かったなー。あ、でもやっぱり駄目だぞ。昔いろいろ嫌なことあたしにしくさりやがったからやっぱり駄目だぞー」


 やっぱりを連呼して独り言を呟くと、史愉はホログラフィー・ディスプレイを消した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る