第四十六章 16

 それは気が遠くなるような昔の話。


 各地を旅して回っていた若き日の千石は、奴霊村にしばらく逗留し、村の術師達と交流を深めていた。

 千石から見て、奴霊村の呪術師達は最底辺レベルの呪術しか会得していなかったので、自分が知るかぎりの知識や術を伝授すると、村の術師達からは大層喜ばれもて生やされた。


 そんな千石に対して、一人の娘が、人と妖の垣根を越えて恋心を抱いたのである。


 奴霊村の呪術師の家系に生まれた娘、黒川八那は、気さくで器量が良く、いつも朗らかな少女だった。

 八那は千石が暇な時間によく現れ、外の世界の話をねだってきた。千石も拒むことなく、自分が見てきたことをあれこれと語ってみせた。いつしか八那の前でお喋りすることが、戦国にとっても楽しい時間となっていく。


「千石様、この村を出る時、私も連れていってもらえないでしょうか?」


 しかし八那のこの発言に、千石は驚いた。この時点でようやく、彼女が人と妖の垣根を越えて、自分に懸想していると気付くに至る。

 千石とて彼女が嫌いだったわけではない。しかし、受け入れる事は出来なかった。


「親御さんへの無礼にもなる。世話になりし立場でそのような真似はできんよ」

「村の世話をしたのは千石様の方ではありませんか。父様と母様もきっと納得してくれます」


 八那は熱っぽい視線を千石に向けたまま、引こうとはしなかった。だが千石も拒み続けた。


 一旦諦めた八那であったが、その後も毎日千石の元へ足を運んだ。千石も話の相手をすることその物は拒まない。

 いつしか千石は、八那といる時間がとても長くなっている事に気付く。それと同時に、自分も彼女に想いを寄せている事に気付く。


「本当によいのか? 私は天狗だぞ? 人ではないのだぞ?」


 寄り添って座りながら、千石は隣にいる八那に確認する。


「あら、それは私の立場からも同じことでしょう?」


 明るい笑顔であっけらかんと言ってのける八那。


 迷いはあったが、千石は自分の想いを我慢できなくなり、八那と結ばれた。


 千石はまた旅に出たが、奴霊村には幾度となく足を運んだ。自分のいない間に生まれた我が子も、何度か抱くことができた。村に帰る度、会う度に子の成長を見るのも楽しかった。最早奴霊村は、千石の帰る場所となっていたのである。


 その後の悲劇を知った千石は、これが人と妖で交わった罰なのだろうかとも疑った。だが千石の結論としては、八那への想いには何一つ偽りは無い。結ばれて悪いことなど一つも無い。

 生贄として捧げられた子とて、自分の血を引いていたからこそ、邪神と化して村を呪縛することもできたのだ。八那が子をこしらえていなかったとしても、悲劇は免れなかった。自分は何も間違っていない。何百年も、千石は己にそう言い聞かせ続けていた。


***


 デビルと睦月の両名と交戦した後、百合は草原の上にハンカチを敷いて腰を下ろし、小休止していた。


「全く白金太郎は何時になったら来るのかしら」


 にこにこと笑いながら溜息をつく百合。場所も教えず、探せとだけ告げられた白金太郎が何時になったら来られるのか、楽しみにしている百合である。時間が遅ければ遅いほど、与える罰を重くする所存であった。


 亜希子はというと、草の上に直接しゃがみこんで、瞋恚の眼差しを草原に向けている。先程のデビルの睦月に対しての行いを意識し続け、怒りとやるせなさでいっぱいになっていた。


「亜希子、いつまでそんな顔をしていますの?」

「どんな顔よ!」


 呆れ気味に声をかける百合に、亜希子は刺々しい面持ちで怒鳴る。


「そりゃママはきっと何ともないでしょうね~。私のこと、男達に犯させるような人だしさ。ま、私はいいよ。ママにそう創られていたとはいえ、それでも自業自得な部分もあったもん。でも、睦月が私と同じような目にあっていると考えると、それが耐えられないのっ。睦月にはあんな目にあってほしくないっ。しかも意識も奪われた状態で、あんな奴にやられるとか……」

「何ともないと本気で思っていますの? 私が貴女を嬲っていた時は、私の家族ではなく、ただの玩具でしたから、もちろん何ともありませんでしたわよ。でも今の貴女と睦月は、家族の一員と見なしていますし、誰かに勝手に汚されるなど、はなはだ不愉快でしてよ」


 涙声をあげる亜希子に、百合はこんこんと諭す。


「騒いだりしょぼくれたりしても、何も変わりませんのよ。亜希子、貴女もわかっているでしょう? この世界は常に落とし穴だらけだということを。以前、望が車に轢かれたことがあったでしょう? あんな風にこの世の誰もがいつ何時、落とし穴に落ちるか知れませんのよ」

「だから何よ……」

「愚かな子供は、自分が穴に落ちても、友達が穴に落ちても、泣き喚くか怒鳴り散らすかでしょう。私達は穴に落ちた子を引っ張り上げて、穴に落ちた際にできた傷口を癒してあげる。それだけの話ですわ」


 百合の話は正論と感じた亜希子であるが、それで感情が抑えきれるかといえば、そんなことはない。しかし少しだけ、気が落ち着いた。


「ごめんね、ママ。うじうじしてるウザイところ見せて。それと、さっきあいつをママの劣化とか呼んで。あんな奴……ママと似ても似つかない。ママは邪悪なことはしても、あんな下品なことはしないもん」

「ええ、本当にどちらも悪いですわ」


 照れ笑いと共に謝罪する亜希子を見て、百合もつられるようにして微笑んだ。


***


 逃走したデビルは、疲れきっていた。自分だけならともかく、自分以外のものを平面化して同時に移動するのは、かなり消耗する。


 廃屋の中で、デビルと睦月が腰を下ろして向かい合う。

 デビルは俯き加減になって睦月の顔を見つめ、睦月は無表情のまま真っ直ぐ前方を見ている。いや、目を開いてはいるが、何も見てはいない。


(普段はどんな表情? どんな喋り方?)


 デビルは睦月に向かって、声に出さずに語りかける。その質問は、催眠状態で操っている間はわからない。やらせようとしても、できないことだ。無理矢理やらせても歪になる。


(あいつの所に戻りたい? あの意地の悪い白い女が、君を苦しめたというのに、それを知っていてそれでもあの女がいいのか? 何故? 他に居場所が無いから?)


 声には出さずに語りかけ続けるデビル。しかし返事は求めていない。本気で返答を求めるのであれば、そう仕向けて操る。


 デビルは睦月の過去も知った。睦月に直接喋ってもらった。百合によって、生まれた時から閉じ込められていた事を知った。嬲られ続けていた事も知った。人格が二つに分かれて、最初の人格がどこかへ消えた事も知った。あの白い女は、人の人生そのものを玩具にしていると知った。百合がどんな女かも聞いて、更なる興味を抱くが、すぐに近親憎悪へと変わる。


 シリアルキラーには憧れるが、陰でこそこそ動く者や人の運命を弄んで楽しむ者は許せない。そういうのはこの世界で自分だけが許される特権であるはずだ。そうあるべきだ。他人が同じことをするのは許せない。

 ましてや憧れのシリアルキラーにも関与し、あまつさえ作り上げたなどという事が、デビルの価値観では絶対的に許しがたい。あの白い女は断じて敵だ。生かしてはおけない。


 睦月に擦り寄り、服をはだけさせ、しつこいくらいに体を舐める。

 特に乳首を吸うことに時間をかける。甘美なる時間。たったこれだけの行為で、何故心が安らぐのか不思議に思う。勃起すらしていない。睦月を神聖なものと意識すると、勃たなくなってしまう。しかしそれでも肌と肉と体温の感触を求める。


 赤子の頃の自分は、ちゃんとこうして母親に甘えることができたのだろうか? 果たしてあの母親が、自分を抱いて直接乳をくれたのか? 激しく疑問に思う。想像すらできない。いや、したくない。

 誰にも甘えた記憶がない。自分で自分を甘やかすことしかできなかった。だから憧れていた者を人形にして、甘えさせてもらう。それだけでもデビルにとっては、このうえない至福の時である。今が人生の絶頂だ。この幸福を知れたことを神に感謝したい。


 ふとデビルが目を開け、睦月の顔を見てしまう。


(僕の人形だ)


 何の感情も無い、ただ瞬きするだけの無表情の睦月を見ると、わかっていた事を再認識する。

 人形遊びをしているような虚しさを覚える一方で、心がこれ以上は無く和んで落ち着くのもまた事実だ。


(ずっと一緒だ。離さない。渡さない。あの白い女と黒い女は殺すし、睦月はずっとこのまま僕の人形だ)


 ふと、そこでデビルは思った。


 この睦月という少女は、体内に別の生き物を取り入れて、細胞を作り変えて使役する、ファミリアー・フレッシュという能力を持っている。


 体内に取り込む容量の限界があるので、そうそう新しい生き物を取り入れることはできないようだが、もしも自分の細胞に同様のことをさせたら、どうなるか? そんな興味が沸いた。


 口の中で、己の真っ黒な肉片を分離し、黒く丸い塊を生み出すデビル。

 デビルが口を開き、黒く丸い塊を舌の上に出す。

 睦月が無表情のまま口を開くと、デビルに顔を寄せ、デビルの舌の上にある黒い肉の塊を咥える。


 睦月が自分の肉を咥えている光景を見て満足すると、デビルはその先を促す。

 睦月は口の中でそれを噛み砕き、飲み込んだ。

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