第四十六章 15

 デビルは亜希子から強い怒りを感じて、それを好ましく思う。睦月と親しい関係に有り、自分が睦月を奪ったことを怒っている。その事実がとても楽しい。とても嬉しい。そして亜希子の純粋な怒りが自分に向いている事を、心地好く感じる。負の感情の中でも、怒りは特に激しく華々しく刺激的なものだと、デビルは常々思っている。


 一方で、白い女の方には、不快感を覚えていた。感情の流れがいまいち読めない。明らかに自分の力が防がれている。デビルは視覚的に感情の流れを読める。それが不自然に見えない。つまりそれは白い女が自分の性質を見抜いたうえで、妨害しているのだ。


 何という意地の悪さだと思い、デビルは澄まし顔の白い女を憎らしく見据える。だがその一方で期待もこみ上げてくる。嬉しくも思う。不快だからこそ嬉しい。不快な存在だからこそ、激しくフラストレーションを感じさせる者であるからこそ、壊した時のカタルシスは一際増すのだ。

 どんな風に壊してやるか、それを考えなくてはいけない。壊す前にそれを考えて決めておく。それはとても重要なことだ。ただ闇雲に壊してしまうのは勿体無さすぎる。


 睦月が無言で亜希子へと蛭鞭を振るう。

 亜希子がかわすまでもなく、蛭鞭は亜希子のいる場所まで届かなかった。百合の手首から先が転移し、高速で振られる鞭を途中で掴んで止めていた。


「睦月。まず私はこの子と話したいことがありますので、貴女は少し大人しくしてもらえませんかしら?」


 デビルをじっと見据えたまま、百合が言い放つ。

 デビルも百合と視線を合わせたまま、微動だにせず佇み、百合をどう料理するかを依然として思案している。


 そんなことはお構いなしに、睦月がいつの間にか出していた刃蜘蛛を、百合に向かって走らせた。

 百合にある程度接近した所で、刃蜘蛛が大きく跳躍して、百合の頭上から跳びかかる。


 その直後、百合の体から凄まじい勢いで白煙が立ち上り、百合の全身と刃蜘蛛を覆った。

 煙はすぐに晴れた。刃蜘蛛は真っ白になって、その体の材質も明らかに別物へと変貌を遂げて、地面に仰向けに転がっていた。


「出でよ、湧く者共」


 百合が一言呪文を唱えると、空間転移したまま義手で掴んだ蛭鞭の内部から、大量の蛆虫が湧いて、蛭鞭を食い始める。

 睦月は無表情のまま蛭鞭を引くが、百合に握られたまま、鞭はびくともしない。


 そうこうしているうちに、鞭は蛆に食い荒らされ、途中からちぎれてしまった。


 短くなった鞭を激しく振り回すと、睦月は蛭鞭を体内に収納する。


 睦月が雀を一度に三匹発射する。一匹は直線し、一匹は上空へと上がり、もう一匹は大きくカーブする。

 真っ直ぐ向かってきた雀は途中で横に逸れ、百合を迂回した。そして弧を描いて横から雀が襲いかかる。


 百合が義手で雀をはたく。雀が潰れて地面に落ちる。

 上から急降下してきた雀も、同様にあっさりと義手で殴りつけて潰して弾く。一旦百合を避けてUターンして後ろから攻撃してきた雀も、百合が振り向き様に義手を振り回し、あっさりとミンチへと変える。


(ええ~っ……ママ、強すぎでしょう)


 亜希子も百合によく稽古をつけてもらっているため、強い事は知っているが、戦闘トレーニングの時より明らかに飛ばしている。睦月をここまで圧倒して何もさせない百合に、亜希子は戦慄する。


「ママ、ちょっとは手加減してあげてよー」


 ファミリアー・フレッシュが尽く破壊されているのを見て、亜希子が言った。多少のダメージなら睦月の体内に戻して癒せるが、白蝋化した刃蜘蛛や、ミンチにされた雀は、果たして元に戻るか疑問だ。


「私はこの黒い子と話をしたいのに、邪魔をする睦月が悪いのですわ。さて、改めて自己紹介をいたしましょう。私の名は雨岸百合。そこにいる睦月の保護管理者といったところでしょうか。以後お見知り置きを」


 スカートの両端をつまんで上げてみせ、にっこりと笑いながら一礼する百合。


 デビルはそこでようやく動きに入った。観察と思案を続けてもよかったが、ここで何もしないでいるのも芸が無いと考え、相手に合わせてやることにした。

 無言で睦月の側まで歩みよると、片手でその学ランのボタンをゆっくりと外していき、シャツのボタンも、ゆっくりと外していく。


「な、何してんのよ。あいつっ……」


 しまいにはブラジャーも手にかけるデビルに、亜希子が見ていられずに前に出ようとしたが、百合が悠然と片手を上げて、亜希子の動きを制した。その動作の間も、百合の視線はデビルと睦月に張り付いたままだ。


 小ぶりだが形のよい乳房が露になる。そして睦月が無表情のまま、学ランとシャツを両手で掴んで広げ、まるで露出狂が自分の意思で、胸を誇示しているかのようなポーズを取る。もちろんデビルに操られているという事はわかるし、だからこそ、亜希子はさらに気分が悪くなった。


 デビルは大きく口を開けて、黒い体表とは異なる、真っ白な歯と異様に赤い口中をさらけだし、真っ赤な舌を伸ばして、睦月の乳房に這わせだした。

 ただ乳房を舐めているだけではなかった。赤い舌の先からはオイルのような黒い血が流れ出している。血が黒いのに、舌が赤いという事が不思議だと、亜希子は思う。

 黒い血が睦月の白い右乳房に張り付く、デビルは少しずつ頭部をずらして舐めていく。何をしているのか、百合と亜希子にもわかった。文字を書いている。筆は舌。インクは舌から出る己の血。


 やがて左右の乳房と胸の谷間に黒い血が塗られ、五つのアルファベットが描かれた。DEVILと。


 文字を描き終えると、睦月の左手側からデビルは舌を伸ばして、その乳首を舌先でれろれろと高速で這わせてみせながら、視線を亜希子と百合の二人へと向ける。さらには右の乳房に後ろから手を回すと、乱暴に揉みしだいてみせた。右乳房に描かれたDとEの字がぐちゃぐちゃと踊り、血が垂れて文字が次第に崩れていく。


「こい……つ……」


 いつも顔を合わせている(放浪癖があるのでたまにいなくなるが)家族が、目の前で弄ばれている事実に、亜希子は怒りで頭が沸騰していた。この分では、睦月がこれまでにデビルに何をされていたかも、想像に難くない。それを意識して、亜希子は怒りと殺意で煮えたぎっていた。


「自己紹介というより、これは意思表示ですわね。この人形はもう自分のものだと、そう言ってこの私を挑発しているのですわ」

「ママ……」


 平然たる口調で解説する百合に、亜希子は低い声を出したかと思うと、次の瞬間に大声で怒鳴った。


「やっちゃってよ! あいつ! さっさとやっつけて、睦月を取り戻してよ!」

「亜希子、どういうつもりでその言葉を口にしていますの? 誰に向かって言っていますの?」


 いつもと変わらぬ口調と声ではあったが、亜希子はその時確かに感じた。デビルには百合の感情が読めなくても、一つ屋根の下で暮らしていて毎日百合と顔を合わせている亜希子には、容易にわかる。これまで亜希子の前で見せたことが無いほど、百合の怒りのボルテージが高まっている事を。


「今の私は、とても晴れやかな気分ですわ。とても不快で、だからこそ素敵な気分。純子と真と白金太郎以外で、ここまで私に不快感を味あわせてくださる方が、私の前に現れようとは。とても素敵でしょう? 貴重でしょう? どのような御礼をしてあげたらよいか、たっぷりと考えたい所です」


 両手を大きく広げて、満面の笑みも広げてのたまう百合の台詞を聞いて、デビルは目を大きく見開いた。


(同じだ……)


 自分と同族だとデビルは感じる。そして嬉しくなってしまう。壊す喜びがまた一つ増える。


 デビルが睦月からゆっくりと離れる。睦月は胸を出したまま、百合と亜希子と向かい合ったまま、少しずつ後退して距離を取る。


(こいつ、私とママ二人を一人で相手にしようっての?)


 悠然と自分達と向き合い、静かな闘気を放つデビルを見て、亜希子は呆れと不安を同時に感じていた。向こう見ずなのか、あるいは自信があるのか。


 デビルが無造作に百合と亜希子に向かって接近していく。

 前に出ようとした亜希子を、百合が再び手で制する。百合が一人でやる気らしいと見て、亜希子は素直に従って後退する。


 実はデビルはすでに百合に幻覚催眠を二度程試みている。しかし全く聞いている様子は無い。


 それならば接近して触れて、この白ずくめ女にたっぷりと悪意と怨念渦巻く負の念を注入して、いつものように破壊衝動に狂わせて、後ろの黒ずくめゴスロリ娘を襲わせてやろうと、そんなことをデビルは考えていた。


 互いの近接攻撃が届きそうな距離まで、デビルが接近する。


 百合が素早く一歩踏み込み、デビルめがけて義手を振るおうとした。

 その直後、百合は盛大に転倒して尻餅をついた。亜希子がその光景を見て、目を丸くして口をあんぐりと開ける。


(これは……)


 突然バナナの皮でも踏んだかのように、物凄い勢いで滑ってしまった百合である。

 身を起こし、すぐさま立ち上がろうとしたが、その際に地面についた手さえも滑って、さらに体勢を崩して、地面に横向きに倒れる。


(なるほど……地面の摩擦を極限まで消去しましたのね)


 思いもよらぬ手を使ってくるものだと、百合は感心してしまう。敵の体に直接能力を仕掛けたわけでもないので、抵抗レジストすることさえできない。さらに驚いたのは、能力を最小限の力で瞬間的に発動させて、超常の力が作用した事さえ、百合に気付かせなかったことだ。


「やっちゃッテよ、アイツ、アイツ、ママ、さっさトヤッツけて睦月をヤッチャッテよ。ママ、ヤッチャッテヨ、アイツ、あいつ、アイツ、やっちゃッテよ」


 百合のすぐ足元でしゃがみこみ、気色の悪い声のトーンで、先程の亜希子の台詞のオウム返しを始めるデビル。いや、オウム返しにしては、台詞の順番は滅茶苦茶になっている。


(最高にキモいし……人を苛立たせることに関してはママ以上だわ)


 亜希子はそう思ったが、デビルの気色の悪い行動はそれだけでは終わらなかった。


「やッちゃっテよ、まま。サっさとママをやっチャってよ。アイツを取り戻シてヨ」


 同じ台詞を繰り返しながら、デビルはおもむろに、百合のスカートを大きくめくって見せた。それを見て、亜希子は再びあんぐりと口を大きく開ける。


「ママ、ママ、やっちゃってヨ」


 さらにはめくったスカートの中に、手を突っ込みだすデビル。


 百合は無言で、至近距離からデビルの頭部めがけて、義手に仕込んだニードルガンを撃った。

 無数の太い針が連射され、デビルの頭部を穿つ。小さな穴を集中的に撃ち込まれ、大きな穴へと拡がる。衝撃こそ無いが、銃弾を一発受けるよりもずっと大きな傷口になる。

 こめかみに穴を開けられ、常人なら致命傷であったが、デビルはひるんで大きくのけぞりこそしたが、死には至らなかった。


「出でよ、たかる者共」


 百合が呪文を唱えると、大量の蝿が湧き、デビルの体にたかりだした。


 肉をついばむ蝿の猛攻に、デビルはたまらずに影の中へと沈み、そのまま平面化して移動していく。

 ファミリアー・フレッシュを回収した睦月が、地面を蠢く影の中へと飛び込んだ。


 百合の足元の摩擦が元に戻る。正直このまま消去されたままでも、どうにでもできる手立てはあった。


 影の移動先に、百合の義手が転移する。そして空中から、影に向かってニードルガンが撃ち込まれる。


 影の中から何かが飛び出して、針を撃ち込まれながらも百合の義手へとぶつかった。飛び出したその物体のおかげで、百合の義手の掃射は防がれてしまう。

 影から飛び出したのは、デビルに負の念を注入された祈祷師だった。体中に針を撃ち込まれて、口から血を吐いて痙攣している。今はまだ生きているがすでに致命傷であるし、そう長くもたずに絶命するであろう。


 デビルには囮分身という能力もあるが、自分と相性が悪く、消耗が激しいので、できれば使いたくは無い。そのため肉の盾を用いた。


 盾にされた祈祷師に気を取られているうちに、影はどこかへと消えてしまった。すでに夕方であるため、周囲が暗くなっている事も有り、視覚的には捉えづらい。超常の気配も、この村全体に満ちている負の念の加えて、逢魔が時という事もあって、感じにくくなっているため、追跡は難しいと百合は判断する。


「まんまと逃げられましたわね」


 起き上がった百合が憮然として吐き捨てる。


「次は私にもやらせてよね~。私にバトル漫画の解説役ポジションやらせないでっ。ていうかね、あいつすっげームカつくし、キモいし、最低すぎだわ」


 憤懣やるかたない亜希子が訴える。


「まあ、後の楽しみが増えたと受け取りましょう。私の睦月があんな気色の悪い子に、身も心も弄ばれているかと思うと、あの子への仕置きが一段と楽しみになってきますわね」

「やめてよ。それ以上言わないでよ。思ってても口にしなかったのに」


 笑いながら言う百合に、亜希子は心底嫌そうに拒んだ。

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